・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(1)
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(2) 鎖国と富士山大噴火を生み出した前回マウンダー極小期
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(3) 強い太陽活動は 1800年代に終わっていた可能性
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(4) 太陽活動極小期は何をもたらすのか?
・あらかじめ予測されていた小氷河期の到来(5) 地球の天候への太陽の影響
1945年にひそかに変更されていた「カウント方法」により増量されていた太陽黒点数
この半月くらい、毎晩、1時間半ごとに夢に叩き起こされるようなことが続いていて、そういう睡眠不足もあってか、何だか次第に消耗してきていますが(苦笑)、今日は NASA の太陽物理学者のインタビューの続きを少し書きますね。
こういう続きものは途中で止めてしまうと、ダラッと休んでしまいそうですので。
それに、こんな睡眠不足がいつまでも続くとパタッと倒れそうだし、早めに書きたいものは書いておこうと。
ちなみに、同じような睡眠障害は2年だか3年くらい前にもあって、その時は半年くらい続きました。でも、その時は、たとえば「毎日、同じ時刻に一度だけ目覚める」という状態で、一晩に3回も4回も起きてしまう今よりラクでしたけど。
というわけで、ここから翻訳です。
今回の話は「戦後、長い間、太陽黒点数が実際より多く集計されていた」という、わりとショッキングな話ですが、しかし、本当にそうなのかどうかは私にはわかりません。
しかし、この話が本当だとすると、ずいぶとん長い間、太陽活動は実はそれほど強いものではなかったということになります。
少なくとも、この 70年間は。
Will Solar Cycle 24 Maximum Be Weakest in 100 Years and Go Into Grand Minimum without Sunspots?
Earthfiles 2011.10.31
太陽活動「サイクル24」は過去 100年で最も弱い太陽活動なのか? そして、それは太陽活動の極小期へと布石へとなるのか?
▲ NASA マーシャル宇宙飛行センターの太陽物理学者、デイビッド・ハザウェイ博士。
以下、デイビッド・ハザウェイ博士の話:
太陽活動の極小期に入る可能性は確かにあります。なぜなら、以前から私たちはその徴候を掴んでいたからです。実際、今から 400年前のマウンダー極小期と呼ばれている太陽黒点がない時期があって、これは 1635年から 1715年までの長期間に渡って続きました。
その1630年代には、ポルトガルの太陽観測者が太陽の黒点数を記録し続けていたのですが、次第に黒点数が少なくなっていることに気づいたのです。そして、この 20年から 30年の間、私たちはその1630年代と同じような太陽活動の低下を目の当たりにしているのです。
今回のニューメキシコ州サンスポット(国立太陽観測所のアパッチ・ポイント天文台がある)での会議での主要な目的は、その400年前のガリレオの時代に戻って、当時の黒点数についてさらによく学ぶためということがあります。
太陽観測のために望遠鏡が用いられるようになった直後に、ガリレオなどの人々が注目した最初のもののうちのひとつが太陽黒点でした。それで、私たちもまた、1610年にまで戻って、太陽の観察をしようと思っています。
▲ マウンダー極小期の存在を発見したエドワード・マウンダー。
歴史上の太陽観測の問題は、望遠鏡の性能によって観測される黒点数が違うということでした。あるいは、当時は地上からの観測でしたので、地上の天候によって黒点観測も左右されました。
そんな中、 1800年代の中盤に、スイスのチューリッヒ天文観測所の責任者だったルドルフ・ヴォルフは、太陽黒点をグループ別に特定するほうが簡単であるとしたのです。
その方法により、1849年からは相対的な黒点数を数えるという方法を使ってきましたが、しかし、黒点数に関する話には他にもいくつかの面白い話があります。
(訳者注) この「黒点をグループ別に特定してカウントする」というのは今でも続いている方式で、たとえば、太陽黒点のカウントと、その番号付けは下の写真のように行われています。これは 18世紀から続く歴代の黒点数カウントだと思われ、なかなか歴史のあるナンバリングです。
その中に「ひとつひとつの黒点」が下のようにあります。
そのひとつひとつの黒点も今では宇宙からの太陽観測で正確にカウントできますが、昔の太陽観測は(当然ながら)地上から行われていました。
当時の地上からの観測では、望遠鏡の性能により観測数に違いが出たり、あるいは天候(曇りが続くと太陽観測が正確にできないなど)などにより黒点観測の正確さが保てなく、そのために、1800年代に上のスイスの人が「グループ別に黒点をカウントする」と決めて、現在に至っているのだと思われます。
秘かに変更された黒点のカウント方法
以下、デイビッド・ハザウェイ博士の話:
第二次大戦後の 1945年、スイス連邦観測所のマックス・ワルドマイヤー氏は、太陽黒点を数える方法をひそかに変更しました。
彼は明らかに、太陽黒点群の数を 10以上増やした数で合計していました。
彼は、すべての黒点群が同等なものではないと考えていたと思われます。たとえば、小さな黒点群(黒点が集まっているその数が少ないグループ)を「1」として数えた場合、それよりも大きな黒点群があった場合に、それを「2」とか、あるいは「5」と数えて集計していたようです。
この話を聞いた時に私はショックを受けましたが、事実です。
ワルドマイヤー氏の集計方法だと、太陽の黒点数は実際に出ている黒点数より大きな数で報告されます。多分、実際の黒点数より 20パーセントほど多く集計されていたのではないでしょうか。
マウンダー極小期が終わった 1715年からは、太陽活動サイクルでの黒点数は、サイクルごとに増えていき、そして、20世紀の中頃には、マウンダー「最大期」と言われるほど黒点数は増大しました。
この、現在に至る巨大な太陽黒点周期は、1945年に始まったと見られています。
しかし(笑い)、ワルドマイヤー氏が 1945年からおこなっていた黒点の数え方による「黒点のインフレ」を考えてみると、むしろ、太陽活動は、1700年代や 1800年代に活動期の大きなサイクルがあったと考えられます。
現在の太陽活動が、過去何千年の間で最も活発だという人たちもいますが、しかし、それは太陽黒点数がワルドマイヤー氏の手によって多くカウントされ続けていたという事実によって、疑問視する必要もあるということかもしれません。