2011年11月21日
今回は翻訳ではありません。
昨日今日思っていたことを書きます。
そんなに意味があるわけではないですが、今回の文章を書いている途中、 2009年 3月にマヤの神官であるドン・アレハンドロさんがマヤの儀式で世界に向けて語ったメッセージを思い出したので、冒頭に抜粋しておきます。他の部分は、過去記事にもあります。
祖先たちの帰還
ドン・アレハンドロ(マヤ神官)2009.03.24
これから始まる太陽の期間は、これで6度目である。新しい太陽の期間に入るにしたがって、地球の調整が行われ、天候とともに人間の社会に大きな変化がもたらされる。
世界は変容し、人類は、相互理解と社会的正義、ならびに平等が支配する共存共栄の時期を向かえる。これが人類の新しい生き方だ。
われわれ一人一人は宇宙と関係をもっている。この関係が、われわれの態度が他の人達と調和しているかどうかに反映するのだ。
変化のときはきた。
相互に互いを理解し、より人間的になるときがきたのである。
震災以降やっと振り返ることができたここ数日
思えば、3月11日からの数ヶ月は、実際に何をしたということではなく、少なくとも心理的に走り続けていて、当時の2011年の3月とか4月の In Deep で書き続けた日記などを見てもわかります。
本格的に熱などで寝込んだのは3月11日以来のことかもしれなくて、それだけに、横になっていろいろと考えてみると、「単に走っていて振り返ってなかった」ことや、「現在の状況を静かに見ること」に欠けていたかなあと思います。
むしろ、地震直後のほうが、一瞬一瞬の状況を肌で感じていたかもしれません。
あの頃は「外に出たらまず空と雲をしばらく眺める」というのが習慣化していて、道を歩いている時も、空の色と雲の形、風の気温やその力といったものを常に感じて歩いていました。
何しろ、あの頃は「次に何が起きるかわからない」という状況で、震災直後の周囲からの情報は次の災害に対してのパニック情報ばかりで、現実に頼りになるものは次第に「自分の信念」だけになっていました。
そして、その「信念」とは「人間は地球を見ることで多くのことがわかるはず」という直感にも似た思いでした。
これは 3月11日までの私にはない感覚でした。
なので、まず空を見て、太陽を見て、風を受けて、それから目を閉じて、鳴っている音を聞きます。
それで何かがわかるのかというと「わからない」のです。
それでも、それは習慣となりました。
思えば、それから半年も大きく過ぎて、私自身もむしろ「地球の音を聞く生活」ということをおろそかにしていた感はあります。そういう意味では、今回、寝込んだのは本当にいい機会でした。
そして、最近と近い今後について思うことを少し書いてみたいと思いました。
わりと現実的な話です。
本格的な経済活動のメルトダウン
身近な人などを含めて、いろいろな人の話の中から浮かび上がってくるのが、現在の「強烈な不景気」です。
今までだって何度もこの言葉は使われていたし、それに比べると、今の時代はむしろリーマンショックの頃ほどメディアでそうは言いませんが、あの頃と比べても、特に小さな企業以外の会社や人々は、はるかに苦労しています。
数だけでいえば、倒産件数も増えていないし、上場企業でいえば、PER という企業の収益の率をあらわす数値の平均値もそれほどひどくは感じないですが、「肌感覚」での経済は、すでに「崩壊一歩手前」のようにうつります。
そして・・・まあ、ロクに経済に関与していない私が言っても仕方ないのですが、このことがこの先、好転していくのだろうかと考えると、どうにもそうは思えないのです。
世界経済がどうだこうだとか、アメリカやヨーロッパがどうしたということではなく、理由はともかく「経済と市場全体が萎縮し続けているイメージ」があります。
それを感じたのもののひとつに下のグラフがあります。
これは株式市場で「どのくらい株式の売買が行われているか」というものです。
私は昔投資をやっていたことがあります。
その頃は、どんなに売買が低調な日でも終日取引なら一日に2兆円の売買代金がなかった日など見たことがなかったのですが、今では 8000億円台(これは証券会社にしてみればデッドゾーン)。
で、その数値自体はともかく、グラフを見てみるとわかると思うのですが、震災のあった3月の直後より現在のほうが遙かに「萎縮」しています。
市場の低迷はアメリカも同じようですが、実際、日本においての経済のイメージとして、
「震災後、失われた経済活力を時間と共に取り戻そう」
というものだったように思います。
しかし、現実には、震災後半年を過ぎて、さらに活気は消えていっている。
私の周囲には、あるいは私の実家などもそうですが、中小の会社の関係の人が多いですが、中小企業・・・というか「地元のお仕事関係」は本当に厳しい。それらはオモテの経済の数字にはなかなか出てこないし、わかりずらいですが、これで何かがあれぱ、一触即発で全滅という状態すら想像できるほどにさえ思います。
じゃあ、その後いつかは「小さな町の経済は復活するのか」とということは、私は専門家ではないのでわからないですが、しかし、考え方を逆にして、「もし復活しなかった時にはどうしよう」ということを考えてもいい時期のように思います。
もし、世の中がそうなった場合、それは大変なことでありつつも、しかし一方で、「人々が助け合って共生する時代」への第一歩かもしれないという気もいたします(それ以外にしようがない)。
そういう混乱の中で必要なのは「サバイバル」ではないと思っています。
単にひとりで生き残ることには快感も喜びもまずありません。
たとえ死んでも、「ああ、人といられてよかった」と思う気持ちのほうがはるかに大きいのが人間だと私は思います。
私の昔からの知り合いのひとりが、先日会った時に、「今の仕事やめて、来年あたりから自給自足の練習でもしようかなと思って」と言っていました。 学生時代からの共通の知り合いが群馬で農家をしていて、その彼に、いろいろ教えてもらおうかなと。
もちろん、自給自足という方法論がいいということではなく、今は、昔からのいろいろな知り合いと再開したり、その人たちと将来的に助け合う下地を作り直すこともいいことなのではないかなとは思います。
ただ・・・この「農家」、あるいは「農作」という問題。
現場で農家をやってらっしゃる人々こそ、私がたまに記事でふれている「太陽の異変」や「季候の異変」を肌で感じてらっしゃる方が多いです。たまにそういうご連絡をいただきます。これについては、ちょっと長くなりそうですので、次回に書こうと思います。
▲ 極小期というのは「何十年間も太陽に黒点が出ない時期が続く」ことで、数百年に一度訪れます。
確かに、「あらかじめ予測されていた小氷河期の到来」という記事で書いたような状態が本当に訪れるとすると、過去の例では飢饉と結びついている場合も多く、自給自足などという言葉も軽くは言えない大変な生きるための作業となる可能性もあります。
しかし、その「生きるための大変な」という部分を軽減してくれるのが、楽しい話、あるいはくだらない話やバカ話で時間を過ごせる友達や仲間などの「人間」だと思います。
人類の横のつながりの意味というのは、この「相互ヒーリングの存在としての人類」という意味も感じたりします。
なので、今は、「打算なくしてつきあえる人々を思い浮かべてみる」という時期かもしれません。
数は少なくてもいいと思います。
自分ひとりでなければ。
私も今はご返信できなくて連絡欄さえもうけていませんが、いつかまたご連絡やコミュニケーションを他の方々ともとりたいです。
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人類の覚醒と真実