2011年12月17日



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ヤンの逆襲: 中国の歴史上初の「住民反乱での共産党の敗走」



(訳者注) 昨年、このブログで翻訳ニュースなどを紹介しはじめた頃、「ヤンの戦争 (2010年06月10日)」というタイトルで、「土地を守るために自作キャノン砲で当局と戦う中国人農民」のヤンさん(本名は楊友徳)というオジサンの話を書いたことがありました。

その後、続報などを目にしないので、ヤンさんは敗北したか、あるいは逮捕されたり殺されてしまったかもしれないですが、その後も中国各地でこの「ヤンさんタイプ」の小さな暴動や反乱が繰り広げられています。

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▲ 自作のキャノン砲の試し撃ちをするヤンさん(2010年6月)。ヤンさんのその後の消息は不明。


「ヤンさんタイプの反乱」とは何かというと、


・地元政府などから土地の明け渡しや立ち退きを要求されることに対しての反抗



です。

数日前の英国テレグラフの報道で、この「地方当局による土地収用」に端を発した中国での住民暴動で「住民側が勝利した」という記事がありました。勝利というか、村の支配権が(一時的でも)住民側の手に移動したということで、共産党が敗走した出来事です。

テレグラフによれば、これは、中国共産党の歴史の中で、これまで一度もなかったことだそうです。


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▲ 党員たちが敗走した後の Wukan の共産党オフィス。何なのかよくわからないですが、紙のような赤いものと白いものが床に散乱しています。


どちらがいい悪いということは正確にはわかりませんし、今後どうなるかもよくわからないですが、それでも、天国のヤンさんも(勝手に殺すなよ)多少は喜んでいることだと思います。

そのテレグラフの記事をご紹介します。

ちなみに、事件が起きたのは中国広東省のウカン(Wukan)という村で、感じで書くと「烏坎」のようですが、馴染みのない表記ですので、ウカン村という表記にいたします。

なお、記事の中にも「ヤンさん」という老人が出てきますが、上のヤンさんとは別人です。






Inside Wukan: the Chinese village that fought back
Telegraph 2012.12.13


ウカン村にて:反逆する広東省の村

中国の小さな漁村で起きている驚くべき出来事。


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▲ 村の中央の広場で、声をあげる住民たち。


中国南東部にある小さな漁村ウカン村。

この人口20,000人の小さな村は、中国共産党の創立以来、はじめて公式にすべての支配権を共産党が失った村となった。

それは、住民たちの反乱から始まった。

12月11日の月曜、数千人の住民たちが武装警察を制圧した後、残っていた12人の共産党員は全員、村の外へ退避し、共産党は支配権を失った。

その後、当局はウカン村への水と食料の供給を断つために、村から約 4.8キロメートルの場所にバリケードを築いた。また、ウカン村の主要な収入源となっている漁業を妨害するために、漁船がウカンの港から出港することを阻止している。

これは、当局によるウカン村の封じ込め政策のようで、この計画は3ヶ月前からあったと思われる。3ヶ月前というのは村で反乱が始まった時だ。当局による無謀な土地の収用に怒った村民たちが暴徒となり、反乱を始めたのがその時期だった。

中国では、年間で 180,000件に上る反乱に関係する事件が発生していると推定されるが、党が退却した事件を聞いたのはこれが初めてのことだ。



9月に始まったウカン村の反乱

共産党が撤退した翌日の12月12日、テレグラフの記者は厳しい非常線を越え、村へ入った。

そこで見た光景は、村のホールとして使われる建物の塔の前に集まる何千人もの村の住民たちの姿だった。前日、警官隊の拘留の中で反乱の指導者のひとりず死亡しており、そのことに関して怒りの声をあげていた。

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5時間もの間、彼らはシュプレヒコールを叫び、同時に拳を突き上げていた。

「彼の体を返せ!」

「我々の仲間を返せ!」

「我々の土地を返せ!」

「ウカンはずっと苦しめられ続けた!」

「血の代償で支払え!」

「正義はどこだ!

と、住民たちは口々に叫び続けた。

ウカン村では、当局に土地が収用され、不動産業者に転売され続けていたが、村の人たちの忍耐の緒が切れたのが今年9月だった。その頃からトラブルが始まった。

村の老人のひとり、ヤン・セマオさんはこう言う。

「私たちの土地は1990年代から取り上げられ続けてきた」。


9月以来、村の何千人もの住民たちが地元の官庁を襲撃し、30年間もの間この村を支配し続けていた共産党の書記たちを追い出した。

当局はただちに機動隊と武装警官による反乱の鎮圧に乗り出し、男性、女性、子どもを問わず無差別に襲撃したという。


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▲ 当局がウカン村の周囲に派遣した武装警官。



当局の計画の失敗

当局と住民の間での話し合いが持たれたが、当局は村の反乱を収めるための別の計画を立てた。

先週金曜(12月8日)午前11時45分、ナンバープレートのない4台の小型バスがウカン村までやってきた。そこには私服警官たちが乗っており、沿道にある食堂から、反乱のリーダー格の人物 13人のうちの 5人の人物を逮捕・連行したのだ。

その後すぐに 1,000人からなる武装警官隊が村の入り口に近づき、ウカン村への攻撃が開始されようとしていた。

村の23歳の男性チェンさんはこの時のことを下のように語る。

「俺たちは20人の監視チームで村の周囲を監視していた。監視チームが最初に警官隊のサーチライトを見つけたんだ。俺たちはすぐに時間稼ぎのために、村へ入る道を倒木で塞いだんだ。そして、警告のドラム缶をドンドン叩いて、村中に合図を送った。この合図で、村のすべての人々が警官隊を阻止する準備に入った」。


住民と警官隊の睨み合いは2時間続いた。

警官隊は催涙ガスと放水で村の住民たちを襲撃したが、住民たちは村の周囲に鉄条網を張り巡らし、警官隊の進入を効果的に阻止した。

現在、ウカン村の食料は、篭に入ったコメが少しあるだけで、あとは友好関係にある近隣の村から運ばれる果物と野菜だけだ。


12月12日には、警察に抑留された43歳の男性が心臓麻痺で死亡したことが伝えられたが、住民たちは警官に殺されたと考えている。

死亡した男性の21歳の娘はこう言う。

「父の体は切り傷と殴られた跡だらけでした。額にも傷がたくさんありました。鼻の穴は血で詰まっていました。そして、両膝が真っ黒でした」。


彼の死は、村の住民たちの怒りを倍増させた。


23歳のチェンさんはこのように言う。

「俺たちはまったく眠っていない。現在は 100人体制で見張りを続けている。当局が次に何をしてくるのかはわからない。しかし、当局が何を言ってきても、どんなことをしてきても、俺たちは絶対に彼らを信じない」。

ウカン村の敗走のニュースは中国のメディアでは報じられていない。



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1年前の In Deep

2010年12月18日の記事

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タグ:中国



  
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