前回の記事「「聖書は日本人のために書かれた」という奇妙な概念の存在」の続きのようなものです。
あんまりこの話だけを長引かせたくはないので、今回のでとりあえず終わりとしたいですが、その記事で一部引用させていただいた『聖書との対話』という福田定良さんという方の書かれた本を酒を飲みながら、いつものようにパラパラとテキトー読みをしていたんですが、その中にとても印象深い話が載っていたのでご紹介したいと思いました。
それは「(聖書での)神と人間の関係」についての話でした。
ちなみに、書いたものを読んでみるとものすごく長くて、途中が文字ばかりで何か味気ないですので(苦笑)、最初に昨日見た結構すごい写真を載せておきます。
昨日のスペースウェザーのトップにあったもので、スウェーデンのエステルスンドという町で撮影された極域成層圏雲( Polar Stratospheric Cloud )というものだそうです。
マイナス80度などの超低温の層圏で発生するものだそう。
まあ、きれいといえば、きれいだし、見方によっては不安げでもあります。
そういえば、1月3日の記事に書いた神社で見た彩雲はこれのごく小規模な感じのものでした。
さて、それでは、ここから話に入ります。
ところで、この『聖書との対話』の著者である福田定良さんという人は、生い立ち自体もわりと印象的です。
『聖書との対話』著者が聖書にふれるまで
・戦前、幼少の時に寺にもらわれ、お寺が養家となる。
・将来の僧侶として育てられる。
・寺の近くの男性に「僧侶になるなら『聖書』という本も読まないとダメだ。お経だけ読んでいちゃ、いい僧侶にはならない」と言われる。
・大学の哲学科に進学し、学科の関係でも聖書を読む必要が出てくる。
・その後、第二次大戦が始まり、1944年にインドネシアのハルマヘラ島の野戦病院で看護士として派遣され、終戦までそこにいる。
・その野戦病院に戦闘で負傷して入院していた軍人から「はじめにことばあり。ことばは神とともにあり。ことばは神なりき」からはじまるヨハネ伝をすべて口ずさまれるという体験をする。
・その後、戦地で入院中のその軍人から聖書に関してのたくさんの講釈をきくことになる。その軍人は、聖書をほぼ暗記していた。
・その出会いから終戦に至るまで、様々な話や人との出会いが続く。
というものです。
要するに、この著者の福田さんという人は、生まれてから「どう転んでも、聖書のほうに引き寄せられる人生だった」といえるような感じがします。お寺に引き取られた話、大学、戦争。すべてがそこに向かっていた人生だったように見えます。
そして、この人は一度も「特定の宗教も信仰もなかった」という点も特筆です。キリスト教徒であったこともありません。
それは信心がないというより、「信奉する理屈がない」という感じがとてもいたしました。
このあたりは何となく私と似ています。
「どうして私たち人類は存在しているのか」だけを考え続けた 2011年3月11日以降
自分はそもそも生きていて、それでたまには幸せだったり幸せでなかったりを感じますが、生きていて存在しているのに「どうして神や宗教を持たなければならないのだろう」という「理屈」が今に至るまでわからないのです。
最近、それは「宇宙」であり、「存在そのものである」という方向に行ってはいますが、しかし、私は宇宙を信奉しているわけではない。なぜなら、シュタイナーなどの言う西洋神秘学の考えでは、「宇宙はすでに死んでいる」わけで、それを信奉するのは何かおかしい。
物理的な周期を法則の中で繰り返している宇宙はすでに生きていなく、それを生かすために「人類は誕生した」というのが、西洋神秘学の根幹だと思われます。
このあたりは私は完全な素人ですので、これ以上は書けないですが、2011年3月11日の震災後の数ヶ月、ずっとこのブログに書き続けた中にそのことに何度かふれていますので、該当する記事をリンクしておきます。
日記が多いですので、「このあたりにその記述があります」と書いておきます。
・ぼんやりと外を見ていて気付いた「宇宙の計画」
(2011年05月09日) ※ この記事は大体全部その関係です。
・人類の現在 (2011年04月11日) ※最初のほうの「予言からの離脱」というセクションあたりから。
まあ、震災後の2ヶ月くらいは上のような記事ばかり書いていたので、どれも似たようなものですが、日本を襲ったあの災害の中で、「私たち人類はどうしてこの世に存在しているのだろう」と考えないほうが不自然で、毎日、いろいろなところを歩き回りながら、そのことばかり考えていました。
そして、このこと(私たちはどうしてこの世に存在しているのだろうということ)を考えるのをやめた時点で、「私たちは存在しないも同然かもしれない」ということにも薄々気づいてきました。しかし、その「どうして存在しているのか」ということについてはわかるわけもないし、今後も実際の部分はわからないと思います。
なぜなら、多分、「実際には何も存在しない」と思えて仕方ないからです。
しかし、存在しない中で、私たちはさらに考え続ける。
あるいは、「考えることだけ」が存在の意味なのかもしれません。
何だか、また話が逸れていますが、本題である『聖書との対話』の「とても印象深い話」というのをご紹介します。
これは、この本の作者の福田さんが、インドネシアの戦地で、多分、1944年だと思いますが、野戦病院にいた軍人の言葉として書かれています。
その軍人さんが病院にいる数週間の間、毎日毎日聞かされていた数々の話を覚えていたり、書き留めていたもののようです。なので、その人の「語り口調」で再現されています。膨大に長いもので、そのごく一部の抜粋です。
その中に出てくるいくつかの言葉が印象的でした。
ちなみに、ここに出てくる聖書の「ヨシュア記」とか「出エジプト記」いうものを私は読んだこともなく、その内容を知りませんので、書かれてある聖書の内容自体が正しいのかどうかはわかりません。
なので、下手な編集も出来ないので、その部分を、カッコなども含めて原文のまま抜粋しています。改行だけ適時しています。
このくだりは、「モーセが生まれたことを語った後」からのものです。
(ここからです)
旧約聖書の解説
『聖書との対話』より
ここまでは、どっちかと言うと、普通の神話のようなものだ。だが、ある日、モーセが羊の群をつれてホレブ(別名シナイ)という山にやってくるというところ(出エジプト記第三章)から、話の感じが変わってくる。
見ると、柴が燃えている。燃えているのに灰にならない。アレ、おかしいなと思っていると、柴の中から、モーセモーセよ、と呼ばれたもんだ(三の四)。はいと返事をすると「わたしはあなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とも言う。また、モーセが名前をたずねると、「有って在る者(三の一四)」とも言う。
別のところ(六の二)では、もっとはっきりと「わたしは主である。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった」と言っている。
これが神がモーセに「主」という神として名のりをあげたということなんだよ。「有って在る」というのは難しい言葉だが、ほんとうに生きているということだとおれは思うね。おなじ神様でも、実際は相当くたびれているのもいるだろうし、とっくに死んじゃっているのもいるだろう。とうの昔に死んじゃってる神さまをありがたがって拝んでいるとしたら、こりゃあ滑稽もいいところだ。
だが、日本にはこういう神や仏が多いんじゃないかという気がする。人間が団体本意でつきあう神や仏には祭司や坊主がつきもので、この連中は神や仏がとっくの昔に死んじゃっていても、死んだとは言えない。言っちゃったんじゃ、商売にならない。
神の神たるゆえんは、ほんとうに生きているという点にある。その証拠は、アブラハムが死んだらイサクに、イサクが死んだらヤコブに、そして今やモーセに呼びかけているということだ。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」といはそういうことだ。本当の神と人間との関係は歴史的な関係なんだ。
だが、モーセになると、この関係も今までとは違ってくる。なにしろ、イスラエル人はエジプトという外国でこき使われて苦しんでいるんだからね。しかも、困ったことに、この連中は自分たちの神を知らない。いや、モーセだって知らなかったんだろう。だから、神の方から名のりをあげなければならなかった。イスラエルよ、オレがお前たちの神だぞ、と言わなければならなかった。これは、死んじゃってる神を拝んでいたって駄目だぞ、ということでもあるわけなんだ。
だが、こうなると、困るのはモーセだね。自分はほんとうに生きている神を知ったけれども、その神の言葉をとりついでも、同胞が信じてくれるかどうか、自信がもてない。それに、この人、しゃべるのはあまり上手ではなかったらしい。それだもんだから、こんなむずかしい仕事は他の人にさせてくれ、と言って、神さまに叱られている(出エジプト記 四の一三・一四)。
こんな具合にほんとうに生きている神に呼びかけられて同胞に神の言葉を伝える人間を預言者と言うんだが、モーセは預言者の元祖のようなものだ。最高の預言者と言われている(申命記 三四の一〇)のも無理はないと思うね。神と人間との歴史的な関係はモーセの時代から始まったと言ってもいいくらいだ。
預言者は日本の坊主や神主とちがうよ。神主に近いのは祭司のほうだろう。こっちの方は神に仕えるのが仕事だ。たとえば、祭の指導をしたり世話をしたりする。モーセの協力者になったアロンはイスラエルの祭司の元祖だ。祭司と預言者はもちつもたれつの仲で、どちらが欠けても神と人間との関係の歴史を聖書のなかに書きとめることはできなかっただろう。
もっとも、モーセはただの預言者ではない。イスラエル人に対しては「神に代る(出エジプト記 四の一六)人物だから、神に助けられてエジプトの王や国民が腰をぬかすような奇蹟をおこなって(第七章 - 第一〇章)、とうとう王さまにイスラエルのエジプト脱出を認めさせてしまう(一二の三一)。
だが、最大の奇蹟は何と言っても、変心した王さまの命令で追いかけてきたエジプト軍によって海に追い落とされたそうになったときのやつだ。もはや絶体絶命、あわやというとき、神が強い風を吹かせて海水を退かせ、イスラエルのために退路をつくってくれた(一四の二一 - 三〇)。
ここは、蒙古軍が襲来したときの神風を思い出すとこだが、日本のほうはカミカゼ、カミカゼと騒ぐばかりで、かんじんの神の言葉を聞いたり伝えたりする人間がいなかったから、その時だけのことになっちゃった。こうなると、神と人間との関係も苦しいときの神だのみ程度のものにしかならない。今度の戦争でだいぶ神さまをかつぎだした日本人もいるようだが、どうやら苦しい時の神だのみといった程度で終わりそうだ。
このできごと(神が強い風を吹かせて海水を退かせ、イスラエルのために退路をつくってくれたこと)が神風と違うところは、イスラエルを救ったのが神だということを、モーセだけではなくて、皆が骨身にしみて感じたということだろう。つまり、イスラエルの神は全知全能の神というだけではなくて、救いの神だということだ。
聖書(出エジプト記)では、神がイスラエルのエジプト脱出を助ける気になったのは、アブラハム、イサク、ヤコブとのあいだに立てた契約を思い出したからだ、ということになっている。つまり、この救いは、おれたちが考えているような、その時どきの神様の思いつきなんてものではなくて、人間との歴史的な関係にもとづくものなんだ。言ってみれば、イスラエル人はほんとうに生きている神とつきあうことができる民族で、そういう民族だということを神の方でもアブラハムいらいずっと認めてきたから、救う気になったということだろう。要するに、救うというのは神の方からのつきあいかたなんだ。神と人間との関係が歴史的なものでなければ、まずこういうことにはならない。
(引用ここまで)
(編者注) 途中、「神風」など日本に関してのくだりが出ますが、これらが、「第二次大戦中の 1944年にインドネシアの戦地の野戦病院で語られている」ということを思い出したいところです。
神風など決して吹かなかった第二次大戦で実際に戦っていた軍人さんの言葉です。
さて、長い抜粋となってしまいましたが、上の軍人さんの言葉の中の何が印象的だったかというと、このそれぞれの部分です。
「神の神たるゆえんは、ほんとうに生きているという点にある。」
そして、
「要するに、救うというのは神の方からのつきあいかたなんだ。神と人間との関係が歴史的なものでなければ、まずこういうことにはならない。」
というそれぞれの部分です。
うまく解釈も理解もできないですので、どう印象的だったのかをうまく書けないですが、とにかく、非常に後に残る言葉でした。
また、最初のほうに出てくる
モーセが名前をたずねると、「有って在る者」とも言う。
の「有って在る者」という響きも興味深いです。
ちなみに、この聖書の出エジプト記の3章14節は、日本聖書教会の訳では、このようになっています。
神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」
この「わたしはある。わたしはあるという者だ」とう表現は、うーん・・・ちょっとこの文章は苦しい感じもしないでもないです。
いずれにしても、思い返すと、どうにも私自身と聖書の関連も因縁めいてきた感じもあります。
そして、私は一度もクリスチャンだったことはないわけですが(というか、宗教を信奉したことがない)、それは上の著者も、あるいは上の言葉を言っていた軍人さんも同じで、「キリスト教不在の聖書」という存在は確かにありそうです。
何かこう・・・聖書というのは、特に「悪い人間」(私のような)を引きつける部分があるような気はしますね。
そして、どうも「戦争」も関係する。
山本七平さんという故人の作家は、『私の中の日本人』や『ある異常体験者の偏見』という第二次大戦に関しての著作としては、日本の歴史に残る著作を残した人ですが、彼もフィリピンの戦地に兵隊として派遣され、そこで終戦を迎えています。
その後、山本さんは日本で聖書の研究に関する出版社を立ち上げますが、その山本さんが自著で「聖書の研究をしているというと、すぐキリスト教と直結して考えられてしまう」というようなことを書いていたことがあります。
千石イエスも第二次大戦に兵隊として従軍した後、戦後、神戸でチンピラまがいのことをしていた中で聖書と出会い、「聖書研究会」を立ち上げて、そのまま「イエスの方舟事件」といわれるようなものとなっていきます。
25年くらい前、私が演出をした『聖者の異常な愛情』という舞台では、冒頭で私が自分の胸を十字架で貫いて自決するシーンから始まります。
しかし、ストーリー自体は一種のファンタジーで、聖書を信奉する老人に助けられたその男は、胸に十字架の破片を差したままでその後、何十年も老人を支えて生き続けます。その破片を抜くと出血が始まり死んでしまうのです。
▲ そのシーンの私(1988年/東京・田端)。
自分を救ってくれた老人が息絶えた後、十字架を胸に刺して生きてきた男も自分でその十字架を抜き取り、世を去ります。
私は脚本を書くとき、何も考えないで書くので(大体泥酔して書きます)、その時も自分の書く物語に聖書が出てくることは意外なわけで、聖書との因縁は長く続いていると感じます。
そのわりには、いまだに聖書のほとんどの部分を読んでいませんし、今後も特に読むことはないと思います。その「結びつき」を感じていられればそれでいいのだと思っています。
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