2012年03月05日
最近、宇宙のこととかを書くことが多かったんですが、さきほど気づいたら日記みたいなのを書いていました。
同じ街
私が生まれて高校を出るまでいた北海道の岩見沢という町のことです。これまで自分の街のことなど(なんの興味もないので)ネットで調べたこともなかったのですが、今年の大雪のことで何度かこの町のことをネットで調べることがありました。
その中で知ったのは、「どうやら今では、岩見沢という町の本当の歴史は記録から抹殺されている」ということです。
私の父親は真面目な教師でしたが、その父親、つまりおじいちゃんはヤクザで、岩見沢の近くにある栗沢という小さな町のテキヤの親分でした。その9人だか10人の兄弟の末っ子として生まれたのが私の父親でした。その9人の兄弟は全員が勤め人となり、それも、みんな教師とか役人とか裁判官など真面目な仕事ばかりについていましたので、よほどテキヤのおじいちゃんの生き方が反面教師になっていたようです。子どもは誰もテキヤの組の跡を継ぎませんでした。
そういうこともあり、私は父親からも、あるいは、その兄弟たちからもよく昔のいろいろな「岩見沢の実体」の話を聞いていました。
岩見沢というのは北海道で最初の鉄道の中心となった町で、岩見沢を起点として北海道各地に交通網が広がることになりました。そんな小さな町がどうして交通の中心地となったのか。あるいは、そもそも「岩見沢」という意味は何なのか。
ここからは戦前の話です。
一般的に「岩見沢(いわみざわ)」は「湯を浴びる沢」(ゆあみさわ)として発展したからだというように言われてきました。でも、この町には温泉など昔からありません。それでも、この周辺の当時の炭鉱夫たちは岩見沢で毎日のように湯を浴びたのです。
なので、ここが「湯を浴びる沢」であったことは事実です。
では、炭鉱を掘っていた男たちは「どこでお湯を浴びた」のか。
それはこの岩見沢という町の本当の名前の由来と関係すると思いますが、当時この町は、北海道で最大級の「遊郭街」のひとつだったのです。そこで男たちは「湯を浴びた」のでした。
うちのおじいちゃんのような人たちがどういう場所に「テリトリー」を作っていったのかを考えればわかりますが、
・炭鉱で働く男たち
・現地に有り余る彼らの給料
となると、当然、彼らの欲求に応じる店が次々と出来ていきます。
遊郭が次々と立ちます。
すると、遊郭のある「ゆあみさわ」にどんどん男たちが集まる。
彼らをターゲットにした賭博をする場所があちこちにできる。
その「賭場」を仕切っていたのが私のおじいちゃん系の人々たちです。
私の町にはそういう発展の経緯があるのですが、今はネットのどこを見てもその話は出ていないので、「なかったこと」になっているようです。
実際、その面影は今はあの町にはどこにも残っていません。
何年か前に帰省した時に、父親の車で移動している時、父親が、ある通りで、
「このあたりは、ずーっと遊郭と賭場が並んでいたんだよ」
と言いました。
「1度だけ夜に親父についていったことがあってさ。まだ小学生だったかな」
父親は今 70代ですので 60年以上前のことだと思います。
「すごかったなあ・・・何もかも」
と言っていました。
東京に吉原という場所がありますし、神戸だと福原とか、岐阜の金津園など、全国にいろいろとありますが、そういうものの北海道のにあるもののひとつが岩見沢という町だったようです。札幌はススキノという形で多少その名残もありますが、岩見沢はすべて消えました。
なので、本来は北海道の岩見沢という街は、
・遊郭
・賭場
・鉄道
という北海道での3つの発祥地だったのです。
でも今は、3つめの鉄道だけが歴史の文字に残されているだけで、上の2つは「なかった歴史」となったのかもしれません。そういう意味では、テキヤの親分だった、うちのおじいちゃんあたりも「存在しなかった人」ということになりそうです。
ちなみに、このおじいちゃんは四国の高知で生まれました。
そこから「一山当てに」開拓中だった北海道に確か十代でやって来たと聞きました。
今住む街も
さて、なんでこんな話を書いたかというと、今住んでいる埼玉県の所沢という町も「メジャーな遊郭街だった」ということを最近知ったからです。
以前いろいろと歩いている時に、妙に古式ゆかしい町並みがあることには気づいていましたし、所沢市には「有楽町」という町もあり、何らかの「歓楽の営み」の気配はあったのですが、それらの古い町並みには遊郭も含まれていたことを知りました。
こちらのページに街並みの写真がたくさんありますが「江戸時代から宿場町だった所沢には「浦町」と呼ばれる花街があり、明治・大正時代に栄えていた」と書かれてあり、そのあたりを何度か散歩したことがあったのですが、何十年くらい前まで続いていたのかはわからないですが、そのあたりは歓楽の場所だったようです。
▲ 上のサイトにある写真。「三好亭」という料亭。かつて、こういう建物が数多く並んでいたことは今でもかすかにわかります。
ただ、現在の所沢周辺は「超高層住居ビル」の乱立で沸き返っていて、かつての町並みはほぼ死んでいます。
高層マンションにより「完全に日当たりがなくなった古い家」も多数見られます。
良い悪いの問題ではないですが、寂しい光景ではあります。
また所沢の高層ビルはそのデザインがスゴイのですよ。
『未来世紀ブラジル』という1984年のハリウッド映画をご存じでしょうか。
そこに出てくる威圧感のある政府ビルそのもののような感じで、見ていて圧倒されます。
下から眺めていると、「呼吸が苦しくなる」ような圧迫感があります。
▲ 所沢にはこんな超巨大高層マンションがたくさんあります。しかも、たったこの10年の間に建てられたものばかりだとか。
まあ、そんなわけで、生まれた場所も今住んでいるあたりも、近所が遊郭街だったという共通項もあるのだなあと知った次第です。
「共通項も」と「も」と書いたのは、「裏が軍隊」というのも似ているからです。岩見沢で、特に私が小学生から高校を出るまで暮らした家は、自衛隊の北海道岩見沢駐屯基地の演習場のすぐ裏でした。
すぐ裏というより、その演習場の森林との境界と 100メートルほどしか離れておらず、地図レベルでは「自衛隊の敷地内そのもの」みたいなところでした。現在は、わりとすぐ裏に所沢米軍基地があります。
ここは通信基地で、正式名はアメリカ第五空軍の 374空輸航空団に所属する米軍通信基地「所沢トランスミッターサイト」というもののようです。
所沢市のホームページを見ると、ここは明治44年(1911年)に、日本で最初の飛行場ができた場所だそうで、戦後の1945年の第二次世界大戦後に米軍に接収されて、現在に至っているようです。今、私の住んでいるところはものすごく低空から飛行機が飛ぶのを見ることができます。機体番号が読めるほどの低空です。
さて、日記のシメとしては、その米軍とは関係ないと思うのですが、先月あたりにその米軍のあるあたりの空で見た光景の話です。
それは冒頭に載せた写真と関係します。
空の円
冒頭に載せた写真は 2009年の10月6日にロシアで目撃された「空の謎の光」です。ロシアでは一般ニュースでも取り上げられた、わりとメジャーなミステリー現象でした。今でも YouTube に動画があります。
これは結局なんだったかわからなかったんですが、先月くらいに、私も「同じようなもの」を空に見ました。
大きさも大体同じでしたが、ただ、あんなにくっきりと明るいわけではなく、上の写真に細工するとこんな感じでしたでしょうか。
日付けをはっきりと覚えてなくて、2月のはじめか1月の終わりくらいだったと思います。あれだけの大きさだと見ていた人だと他の人でも記憶に残っていると思うのですが、ただ、時間が早朝(深夜)4時くらいだったので、その時間にボーッと空を見ている人の数が多いとも思えないですが。
私はそのくらいの時間に起きることが多く、そのまま外に行って空を見ることもわりとあります。その時に見ました。
よく考えてみれば、奇妙な現象なのかもしれないですが、その時はなぜか別に違和感も感じず、10分間くらい眺めていたのですが、ちょっとコワくなって部屋に戻りました。あのあたりは通信基地があるし、いろいろと空にも影響あるんだろうなあ」とは考えていました。
場所はちょうど所沢の基地の「真上」でした。
そして、そのまま忘れていたのですが、先日知り合いにその話をしたら、すごく興味を持っていたので、今回書いてみました。
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日記