2012年03月07日



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物理学者たちがコペルニクス的展開と賞賛する「無数の宇宙」の理論の根底



(訳者注) 米国の著名な理論物理学者が提唱した「私たちの知る宇宙は、様々に存在する宇宙のひとつに過ぎない」という、つまり「無限の宇宙の可能性」を提唱したことが科学界で話題となっているという記事なんですが、実は「この記事の内容がまったくわからない」のです。

見出しに惹かれてご紹介しようと思ったのですが、原文をいくら読んでも理解できなくて、とても訳せるわけなさそうなのでやめようと思ったのです。しかし、しばらくしてから読み直して、「ここまでわからないなら何か意味もあるのかも」と思って、とりあえずご紹介します。

わかる部分だけを訳しましたら短い記事になってしまいましたが(苦笑)、それでもこの部分でも間違っている部分は多いと思います。


ちなみに、この「宇宙は無限」という響きは素敵なのですが、しかし、読んでいると、それでも、何か物理学者たちは「形や始まり」を決めたがっていると感じます。

たとえば、文中に、

> 私たちの宇宙が、巨大で無数の「無限から生まれた」という考え方だ。


というように、「生まれた」( born )という言葉が使われていることでわかるにように、どうあっても宇宙は「生まれた」という考え方に持っていきたいという基本概念が根底にあります。この考えが根底にある限り、ビッグバン理論が消えても、「他のビッグバン理論」が組まれるだけという感じもしないでもないです。

まあ確かに、宇宙が「生まれた」のか「生まれていないのか」はわからないことですけど、私は「生まれていない」と思っているので。

宇宙は「単なる瞬間」だというのが私の考え方です。
時間軸は存在しない。

無数の「瞬間」の交錯が宇宙だと最近は思います。

まあそれはいいや。

では、ここから記事です。






"Our Universe is Merely a Region of an Enormous Universe" --CalBerkeley Physicists
Daily Galaxy 2012.03.07

「私たちの宇宙は、単にそれよりも巨大な宇宙のひとつの部分であるというだけかもしれない」:カリフォルニア大学の物理学者

multi-cosmos.jpg


王立天文学会員であり、ケンブリッジ大学の物理学者であるマーティン・リー卿は今回の発表を聞いて、以下のように述べた。

「この新しい概念は、コペルニクスによって、地球の天動説が地動説へと変わったものと比較できるほどの、私たちの急激な宇宙に対しての展望が広がる可能性を示している」。


米国カリフォルニア大学バークレー校に所属する理論物理学教授ラファエル・ボウッソ博士は、「私たちの宇宙は、単に巨大な宇宙の一部分にしか過ぎない」という理論を発表した。これは、現在観測されている「暗黒エネルギーが大部分を占める私たちがシル宇宙」は、すべての宇宙ではないということになる。

「情報」というものは、ごく普通の状態の中でひとつの場所から別の場所へ、「量子デコヒーレンス」(量子系の干渉が環境との相互作用によって失われる現象)によって、他へと伝達される。結果として、私たちが現在見ている宇宙がある。

量子力学での宇宙の解釈の多くは、現実に存在している宇宙の間に相互の歴史があるという考えだ。

その考えでは、歴史の中のすべてのポイントで、宇宙は、量子プロセスで実際に起き得るすべての可能性の中で、ひとつの宇宙が多数の宇宙へと分裂する。多くの物理学者が「複数の宇宙」の考えを好む理由としては、量子メカニズムのすべての奇妙な振る舞いを、それで説明することができるからだ。

現代物理学のもうひとつの奇妙な考え方にはこのようなものもある。それは、私たちの宇宙が、巨大で無数の「無限から生まれた」という考え方だ。

私たちの宇宙はその中の小さな小さなひとつの場所に過ぎないということにもなる。





(訳者注) この後、上に出てきたカリフォルニア大学のラファエル・ボウッソ博士の、このこと(私たちの宇宙は、巨大な宇宙の中の一部でしかない)に関しては、「量子力学の予測によって確かめることができる」ということの量子力学的な説明が続くのですが、さすがにお手上げで、まったくわかりません。

なので、前半までの訳となっています。

ただ、最初にも書きましたけど、多次元宇宙とか、宇宙の分裂とかも含めて、「宇宙の姿を描き出す」ということ自体が、的外れには思いますけれど。

聖書だとかお釈迦様の言葉とか、あるいは、ジョルダーノ・ブルーノの著作などを信じるならば、宇宙には形とか成り立ちとか姿というものが「存在しない」というように私は思っています。


・はじまり



・おわり

というものが「必ずなければならない」と考えるのは人間のひとつの性質で、私もそうですが、どんなものに対しても「始まりと終わり」を考えます。これがなかなか厄介だなあと思うこともありますが、今後の本当の意味でのコペルニクス転換というのは、

・はじまりもおわりもない

というもののような気もします。

あるのは「瞬間」だけなんだろうけど、「瞬間」は誰にも自覚できないので瞬間の存在は永遠に生きている本人にわからない。生きていることさえ実はわからない。

だからまあ、「人生ってわからない」というのは正しい言い方なのかもと。

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[1年前の In Deep ]

2011年03月07日の記事

無限の「11」