3月11日の夜中からなんだかとても調子が悪くなって、昨日はブログの更新をお休みしたんですが、今日もニュースを読むほど視力(視力というか視界がバラつく)が回復していないので、翻訳記事はご紹介できないです。
ただ、2、3、興味深いことがありましたので、メモとして記しておきたいと思います。
(私は文字を打つ時はあんまり何にも見ないんです←だから誤字が多くて)
11日の夜はいったん眠ったのですが、「眠っている間」から調子が悪く、夢の中でも倒れそうになっていて、目覚めると、1月に倒れた時のような感じで視界が流れて、物をちゃんと見られなかったり、体もフラついたりし始めたんですが、この症状の大部分がパニック障害によるものだとわかっているので、いろいろとなんとかやり過ごしておりました。
パニック障害の「体感の出方」というのは人によっていろいろですので、なんともいえないですが、神経的な病気ということで、「曖昧な症状の病気」と感じる方もあるかと思いますが、そうでもないです。漠然とした不調から始まっても、あっという間に、「立てない、見えない、聞こえない」というところにまで発展することも珍しくはないです。
視界がグニャグニャと曲がったりは結構ある症状かも(ムンクの『叫び』みたいな光景が実際に見える)。それで死ぬわけではないことは本人もわかっているのに、「どうにもならない」というのがつらいところなんですけどね。
簡単にいうと、「不安の輪廻」というのが病気の根幹で、その中で「不安が急速に肥大していく」という感じのものです。ちゃんとした統計はないと思いますが、感覚的には、日本でも数百万人は潜在的なその気質を持っている人がいると思われます。
まあ、それはともかく、そんなわけで、昨日はじっとしていました。
夜空で見た「並ぶ星」の意味
昨日は夕方頃に復活して、夜、買い物に近所まで赴いた帰り道、西の空に結構明るい星がほぼ平行に隣り合って並んで光っていました。かなり明るかったので、立ち止まって見ていました。
「あれはどの星なんだろうなあ」
と、相変わらず星の知識にとぼしい私はしばらく眺めて、「ま、いいや」と帰ったのですが、今朝のスペースウェザーを見ると、金星と木星だったようです。
スペースウェザーには下みたいなきれいな写真も掲載されていました。
そして、その時、「金星と木星が並んでいる光景というのは何かで見たなあ」・・・と思い起こしていましたら、それはエメラルド・タブレットに描かれていたものでした。
下は薔薇十字の秘密を表すメラルド・タブレットのマークです。
ちょっとこちらで彩色し直して明るい仕立てにしましたが、基本の色とデザインはそのままです。
この図の上の右のほうに上下でならんでいるマークが金星と木星です。
ちなみに、上には太陽と月があり、左側にあるのは、火星と土星。
先日の「神に怒りはないこと知る日々の中で」という記事に載せましたそれらの関係は、「薔薇十字の秘密のシンボル」という中世の本の中では下のようになっています。
ここでも、木星と金星は並んでおり、それを表す数字は「金星 5」、「木星 6」となっていました。
上の図で気づいたのは、世界そのものや、あるいは「存在そのもの」といってもいいような「7」があてられているのは「月」なのですね。中心である太陽が「4」。
この「月」と「太陽」のふたつの関係は過去記事の「[地球の内なる太陽] Vol.3 - ヘルメスのエメラルド版(エメラルド・タブレット)」によれば、
2つの手の上に、7つの惑星が描かれている。
そこには、太陽と月が彼らの生命の物質を聖杯に注いでいる光景が描かれている。太陽と月は、このように逆の性質のものを結びつける。その聖杯は、両性具有を意味する水星で支えられている。
太陽と月が水星を用いて偉大な仕事を成し遂げる錬金術のシステムだ。
とあります。
「方丈記」での世捨て人に憧れる年頃となって
ちょっと前の記事に書いたんですが、「方丈記」を読む羽目になったんですね。
夢とかで言われて。
でも、古語とか古文なんてまったく読めないので、最初の、「ゆく河の流れは絶えずして・・・」くらいで終わりにしておこうと思ったんですが、今の時代は素晴らしいもので、様々な方がネット上に現代語訳にしてアップしてくださっているのでした。
どの訳も味わい深いですが、今回は「古典に親しむ 方丈記」というものを読ませていただきました。
結論でいうと、「方丈記」はいいものだと思いました。
最初の下りは上のサイトの方の訳ではこのような感じでした。
ゆく川の流れは絶えることがなく、しかもその水は前に見たもとの水ではない。淀みに浮かぶ泡は、一方で消えたかと思うと一方で浮かび出て、いつまでも同じ形でいる例はない。
これは、何となく言い換えれば、エメラルド・タブレットの内容とそんなに違わない「世の道理」というものを伝えているような感じを抱かせてくれます。
エメラルド・タブレットのニュートンの訳(1680年)の中には、こんな下りがあります。
唯一なるものの奇跡の実現にあたっては、下なるは上なるのごとし、上なるは下なるのごとし。
そして、万物は一者の適合により一者より来る。
あと、あまり関係ないですが、むかし住んでいたニシオギの飲み屋のアル中のオヤジは下のようなことを言っていたことがありました。
「まあね。なんでもね。巡りめぐってくるものだからね。エラいとかエラくないとかね、関係ないんだよ。結局はね、同じなんだよ」(本当に関係ないな)
まあ、ニシオギのオヤジはともかく、この「無常」、つまり、「常に同じ状態のものはない」という概念は、なんとなくとらえどころがないながらも、エメラルド・タブレットでは「それはたったひとつのものから来る」と言っています。
では、そのエメラルド・タブレットの語るところの、
> 万物は一者の適合により一者より来る。
の「一者」とは何なのか。
聖書では、この世の始まりを「ことば」としていますが、では、「ことばが一者」なのか。それとも、「小林が一茶」なのか(わかりにくいダジャレはやめろ)。
しかし、エメラルド・タブレットにはそれを感じない。ただ、「薔薇十字のシンボルの秘密」のほうには繰り返し、「ことば」という意味のラテン語が出てきます。とはいえ、そこでは「言葉が一者」という感じはないのです。
(「薔薇十字のシンボルの秘密」では根幹を「カオス」に置いていると感じます)
ところがですね、「方丈記」の冒頭を読んで、私はふとその対処を知るわけです。
それは「知らず、生れ死ぬる人、何方より来たりて、何方へか去る」という一節で、私には、意味はおろか、読むこともできないのですが、この現代語訳を様々なサイトから構築いたしますと、このようなものです。
生まれた人はいったいどこから来て、
死ぬ人はいったいどこへ去っていくのだろう。
そんなことは私にはわからない。
これでいいんじゃん、と刮目しましたね。
「私にはわからない」
と堂々と言うだけでいいのだと。
そんなわけで、方丈記を読んでちょっと楽しくなった私でした。
ちなみに、方丈記自体には火災、飢饉、地震などの話が数多く載っており、内容的にはわりと厳しいものです。
方丈記に出ている地震は、1185年に発生した「文治京都地震」(元暦の大地震)というもので、推定マグニチュード 7.4とされている地震ですが、京都の街がほぼ完全に壊滅した様子が描かれています。
古典に親しむより元暦の大地震の現代語訳。
そのさまは尋常ではなかった。山は崩れ、その土が河をうずめ、海が傾いて陸地に浸水した。大地は裂けて水が湧き出し、大きな岩が割れて谷に転がり落ちた。波打ち際を漕ぐ船は波の上に漂い、道行く馬は足の踏み場に惑っている。都のあたりでは、至るところ、寺のお堂や塔も、一つとして無事なものはない。あるものは崩れ、あるものは倒れている。
とりとめもなく書いてしまいましたが、明日からまた翻訳も再開させていただきます。
いろいろとご紹介したい報道はあるのです。
ところで、「方丈記」を読んだ時に、ついでに「徒然草」の現代語訳もちょっと読んでみたのですね。すると、「徒然草」のラストはおもしろい会話で終わっていることを初めて知りました。「新訳 もの狂おしくない『徒然草』」というサイトに全訳があるのですが、最後のセクションである「第243段 八つになりし年」は、『徒然草』の作者の子どもの時の思い出話で、
> 八才の時にわたしは父に「仏とはどんなものでございますか」と尋ねた。
から始まります。
そこから、「会話だけ」を取り出しました。
子 「仏とはどんなものでございますか」
父 「仏は人が悟りを開いてなるものだ」
子 「人はどのようにして悟りを開いて仏になるのでございますか」
父 「仏に教えを受けて仏になるのだ」
子 「それを教えた仏はだれが教えたのでございますか」
父 「それもまた、その先輩の仏の教えを受けて仏になったのさ」
子 「ではそもそも最初に教えた第一番目の仏はどんな仏でございますか」
ここまで会話がきたところで、吉田兼好のお父さんは、
「それは空から降ってきたか、地面からわいてきたのだろうな」
といって笑ったのだそうです。
テキトーな会話にこそ真実は結構含まれているものだと感じます。
それにしても、先日、昔からの知り合いと飲んでいた時にも言っていたのですが、「結局、オレは世捨て人を目指す方向で生きてきたのかなあ」という希望はないでもないです。上の『方丈記』の作者は読む限りは世捨て人だったようです。
私には子どもがいますので、その子どもの将来や方向性がつくころまで私は世は捨てられないでしょうけれど、その後は、「世捨て人」というような生き方を目指したいように思います。
まだ先でしょうけれど、できれば、数年内に。
[1年前の In Deep ]
(注)この昨年の3月12日から「震災後日記」が続きます。
2011年03月12日の記事
・東京の状況
・こどもたち
2011年03月13日の記事
・決意の涙: 東京 DAY3