前回書いた「交差点での覚醒」をさきほど読み直していたら、そこに「十字の由来」が示されていることに気づきました。
まあ、一般知識としての十字架の由来が何であるのか私は知らないですが、多分、ほぼ間違いなく、以下の理由で十字架の概念がこの世に誕生したと思います。
最初にその「理由」を言葉で書きますと、
・十字架はカオスの世界に秩序を導入するための現実的な手段
だということです。
仮に、キリスト教での十字架の由来がそうでなくとも、「十字を描く」という行為にはその機能があります。
これも言葉ではうまく書けないですので、図などで書いてみますが、前回の記事で、「交差点の示唆は、2本のラインがすべてを中心に集める意味であり、そしてそれが示す数は4に見える」ということを書きましたが、それを補強する意味となります。
まず最初に(この世は)とりあえず「何となくカオス」な状態だった。つまり、方向性とか、指示性とか、目的性とか、そういうものがない状態だったとします。あるいは、今どこかにそういうものがあるとします。
まあ、写真は適当ですが。

することは、ここに
・縦に1本
・横に1本
のラインを引くだけです。

1本の道が2つ交差して、十字の形になります。
これは前回書いたことと同じです。
で、カオスの状態で個別を認識するのは何だか変なんですが、実際には「方向での固まりという形ですべてを把握」するとなると、大体「8方向」ですべてを把握できることになるように思います。
すなわち、上下左右(の漠然とした方向)と、そのそれぞれの片隅(の漠然とした方向)です。
下の図のような感じです。

1〜4が上下左右(の漠然とした方向)。
A〜Dがそれぞれの片隅(の漠然とした方向)。
そして、2本引かれた道が「漠然と」方向性を指し示すとします。
道はどちらからどちらの方向に行ってもいいです。

すると、自然と道が交差している中央の黄色の「★」のところが中心点として認識されることになります。
方向性のなかった「空間」に「中央という認識」が生じます。
中央という認識は「位置」であり、これは「出発点の誕生」、あるいは「方向性の誕生」となります。
それまでにはなかった概念です。
これで道のライン上ではない「A〜D」も「中央を認識した方向性」の中で移動することが(本人が望めば)可能となります。

この時点で「ここは、もはやカオスではない」ということになりそうです。
そして、これは「全方向から中心点の向こう側」に適用できるわけで、つまり、「中心点を中心として無数の十字」を描けることになり、最終的にはこの「元カオスのフィールド」は「きれいな円形」となっていくはずです。

何だか図が複雑で、いろいろなことをしたように見えますが、やったことは、
・カオスの中に、縦に1本、横に1本、ラインを引いただけ
です。

ただ、「方向性を持たせても、人はそれに従うものだろうか」ということはあります。つまり、「カオスのままがいい」ということなら、いくら十字で方向性を持たせても意味がないわけですが、そのあたりは難しいところです。
しかし、これまでの歴史を見ていると、人間は「もたらされた方向性に従ってきた」というイメージは確かにあります。つまり、カオスより方向性を好むと。
(とはいえ、それは今までの 5000年間くらいの話で、この先もずっとそうなのかどうかはわからないです)
とりあえず、十字架がどうしてこの世に登場したのかが個人的にわかったということで今回はまあ満足しました。
意外と個人的に小さな頃から謎だったんですよ。
「なんで十字の形が貴重なの?」と。
それは、要するに文明の基本数である「4」(それは同時に「1」と「2」と「7」を意味する)を表明したシンボルが十字であり、十字架だったと。
「4」は人間の文明の象徴であり(これは今後多くの例を挙げることができると思います)、それを最初に「シンボル」として提示したのが十字架だったのだと思います。
今回は十字架で終わってしまいましたが、問題は十字架というより「4」そのものの意味のわけで、十字架は「4」があらわすこの世の多くのもののうちのひとつということであって、この「4」はもう実在している他のものともっと照らし合わせてみる必要があるようです。
ちなみに、記事「 ヘルメスのエメラルド版」でご紹介した説明文で、
> 中央のリングの下と星の楯の上の間に VITRIOL の 錬金術のシンボルがある。
というこの「シンボル」はこれでした。

曖昧な(下が何かとつながっているので明確な十字ではないという意味)十字架が描かれているわけですが、これもまた意味を考えてみたいところです。
どうも、これは「単なるカオスの是正ではない」ということを言いたいような感じがします。