昨日、夢を見ていて気づいたことなんですが、書けるところまで書いておきます。
母音と世界の関係
梶井基次郎を初めて読んだのが、先月のこと(クレアの記事にあります) だったので、それから3週間くらいですかね。
結果として、あの時に待ち合わせをした紀伊国屋書店で梶井基次郎の本を買ったことと、その中の「瀬山の話」という小説を読んだことが大変に大きな意味を持っていたことになりそうです。
この「瀬山の話」で梶井基次郎が抱いていた疑問が最近の自分の書いた記事の中からハッキリしてきた感じです。
まず、記事「DNA は言葉と振動の影響で頻繁に再プログラムされている ( In Deep 2011年06月21日)」にある、
・人間の言語と文法配列というものは DNA から直接影響を受けている可能性がある
・DNA は自らの生体内レーザーのようなもので、遺伝子情報の中に、記憶を蓄積している可能性がある
ということが、たとえば仮に事実だとして、そして、その上で、先日書いた、「人間は生まれた時に「音」で世界の形を学習していた (2011年06月21日)」という記事にある、
・母音と物体認識の間の相関関係がほぼ絶対的であることが実験で示された
こと。
これは、「大きい」と「小さい」だけではなく、いろいろな認識と母音が関係しているようなんですが、ここではわかりやすい部分として、「言葉の母音」と「大きい」と「小さい」の関係を中心として書きます。
実験はスペイン語で行われ、具体的には、日本語での「 U (ウ)」以外の4つの母音(ア、イ、エ、オ)で実験が行われて、
・母音の「I」(イ)と「E」(エ)では小さな対象に視線がいく
・母音の「A」(ア)と「O」(オ)では大きな対象に視線がいく
ということがハッキリとしたという記事なのですが、さらに、梶井基次郎のことについてふれた記事「バーストした視覚の中での新宿にて 」での抜粋部分から、さらに下の部分を抜粋します。
梶井基次郎は「瀬山の話」という小説の中で、自分の分身である瀬山という男と対峙しながら、次の疑問を持ちます。
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(「瀬山の話」(1924年)より抜粋)
一体、何故アといえば、あの片仮名のアに響くのだろう。私は口が発音するその響きと文字との関係が --- 今までついぞ凝ったことのない関係がへんてこで堪らなくなった。
「一体何故(イ)といったら片仮名のイなんだろう。」
私は疑っているうちに私がどういう風に凝って正当なのかわからなくさえなって来た。
「(ア)、変だな、(ア)。」
それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。
(抜粋ここまで)
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私は米国科学的心理学会のプレスリリースの上記記事、すなわち、
・母音の「I」(イ)と「E」(エ)では小さな対象に視線がいく
・母音の「A」(ア)と「O」(オ)では大きな対象に視線がいく
を知ってから、再び上の抜粋部分を読んで戦慄しました。
梶井基次郎はだてに、埴谷雄高さんをして「日本で唯一の天才」と言わせしめた人物でない!ということに気づいたのです。
作家という範疇を越えて、真にものすごい人物だった。
つまり、梶井基次郎は昭和の初期の時期に、
「母音による世界と宇宙の認識の仕組み」
を察知しつつあった、と。
それはこの小説「瀬山の話」のこの後の部分を読むと、何となくですが、理解できるような気もします。

▲ この写真は今回は不要だったですね(笑)。
さて、ここから、いくつか日本語を羅列しておきます。
ここでは日本語だけを例にします。
日本語以外の言語の正確な母音を私は知らないです。
母音の中の「宇宙」と「世界」と「個人」
残る時間が少なくなっていて、書き殴りになりそうですが、単語の母音の「例え」を書いておきます。
・母音の「I」(イ)と「E」(エ)では小さな対象に視線がいく
・母音の「A」(ア)と「O」(オ)では大きな対象に視線がいく
を念頭に置いて下さると幸いです。
いくつか印象的な日本語の単語を並べてみますので、「大きい対象」と「小さい対象」という概念を想像してみて下さい。
「大きい対象」というのはその言葉の背景に世界(宇宙ではない)が垣間見えるというような意味で、「小さい対象」というのはその相手だけがそこにあるというようなイメージでもいいかもしれません。
今回のところはひとつひとつの解説はつけられません。
とりあえず羅列するだけまでとなります。
また、両方の母音が入る言葉は解釈が複雑になるので入れません。
母 (はは 母音ア+母音ア → 大きな対象を示す母音の連続)
父 (ちち 母音イ+母音イ → 小さな対象を示す母音の連続)
--
・人称
あなた (母音ア×3 → 大きな対象を示す母音の連続)
きみ (母音イ+母音イ → 小さな対象を示す母音の連続)
--
・身体
頭 (あたま 母音ア×3 → 大きな対象を示す母音の連続)
体 (からだ 母音ア×3 → 大きな対象を示す母音の連続)
心 (こころ 母音オ×3 → 大きな対象を示す母音の連続)
肌 (はだ 母音ア+母音ア → 大きな対象を示す母音の連続)
腹 (はら 母音ア+母音ア → 大きな対象を示す母音の連続)
鼻 (はな 母音ア+母音ア → 大きな対象を示す母音の連続)
耳 (みみ 母音イ+母音イ → 小さな対象を示す母音の連続)
目 (め 母音エ → 小さな対象を示す母音)
手 (て 母音エ → 小さな対象を示す母音)
母音「ウ」の示すこと
あと、米国の心理学学会などでの実験では「母音」の U つまり、「ウ」は使われないのです。これは多分、今まで何度も行われてきた同様の実験の中で「何の対象にも向かない母音」であることが示されているからだと思われます。
多分、「ウ」に、人は反応しないか、何の影響も受けないと考えられます。
なので、現在は実験で使われる母音から除外された。
しかし、この「人間にとって何の意味もない母音」であることに「母音ウ」の意味があるのではないかと感じます。
すなわち、「人間ではないものを示す母音」ではないかと。
たとえば、
宇宙 (うちゅう 母音ウ×3)
無数 (むすう 母音ウ×3)
苦痛 (くつう 母音ウ×3)
など、よくこのブログなどでも使われて、そして、すぐに思い浮かべる「掴み所のない」これらの単語だけでも、「ウ」の概念をなんとなく思います。さらには、これらの単語の示す意味は今でも「人類がその謎に挑んでいる命題のような概念」のようにも感じます。
ずいぶん前に「宇宙の「自殺」を食い止めるべきかそうではないのか? 」という記事に書いた、「宇宙は自殺のプログラムを自分の計画そのものに組み入れている」という概念を思い浮かべたりします。
補足・文字を持たない言語であるアイヌ語の「太陽」
ちなみに、今回のことを考えた時に、ふと「表記文字のない言語」はどうだったのだろうと思い、最近、実際に現在でも残っている言葉の中の「アイヌ語」を調べたりしています。
アイヌ語は保存の活動が続いているせいで、今でも発音言語として残っています。
今は、 YouTube などでも聴くことができます。
アイヌ語で印象的なのは、「太陽と月」の単語が長いということです。
YouTube にある「アイヌ語を覚えよう」という動画で勉強させていただいたのですが、
家 チセ
村 コタン
山 ヌプリ
川 ペッ(ト)
雲 ニス
星 ノチウ
道 ル
木 ニ
などに対して、太陽と月はこのようになっていました。
太陽 トーカム・チュッ・カムイ
月 クンネ・チュッ・カムイ
アイヌ語には文字がないので、発音記号的としての書き方ですが、このように示されていました。

英語の Sun (母音ア+ン)などのように太陽を短く言う単語は多いですが、アイヌ語の太陽の言葉の長さには何かありそう。
「カムイ」という言葉が入っていますが、 Wikipedia によると、カムイとは、「アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在」ということです。
まとまりがないですが、今回はここまでとなりました。
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