2011年06月14日



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DNAの存在から見れば「私たちは実際には存在していない」かもしれない


大元の「女王アリ」がしていること

これまで、地球の生物のことをいろいろと考えている時に、どうしても突きあたる疑問というのが「元型」という存在でした。

あるいは、元型という言葉でなくともいいのですが、それは人類に共通してあるような、たとえば「赤を赤と思ったり、甘いものを甘いと感じたり」というような人間の持つ様々な体や行動の基本的な感知システムのこともそうですし、そして、鳥や魚が教えられずとも、空を集団で規則正しく飛び回り、海を何万匹単位で一定方向に泳いでいくようなこと。あるいは、昆虫から哺乳類まで見られるような様々な「高度に見える」子育ての方法論。

鳥は誰にも教えられずに巣を作り、アリジゴクは誰にも教えられずに砂の罠を作ります。

こういうことは普段はあまり考えないようにしていても、少し深く考えてしまうと、気がおかしくなりそうに不思議なことでした。


「一体どうしてそんなことができる?」と。


こういう場合、「本能」という言葉が使われることが多いですが、本能という言葉はどうも曖昧で、曖昧さを適用するには、人間も動物もあまりにも具体的な方法論と行動様式を持っている。


先日、 「DNAは生物の直感力とテレパシーを支配している」という記事を訳してご紹介しました。

その中でこのような記述があります。



アリのコロニーでは、女王アリがその巣から空間的に離されても、働きアリたちによる巣作りは熱心に続けられ、アリの巣作りの計画が止まるということはない。

しかし、空間的に近くにいようが離れていようが、「女王アリが死んだ」場合には、巣のすべての働きアリたちの巣作りの活動が停止するのだ。これは、明らかに女王アリが働きアリ全体に、巣作りの計画に関しての「指令」を出していることを示唆している。





これを自分で書いている時に、「まあ、全体的にこんなもんなのかもなあ」と思いました。


ここでは「一匹の女王アリと多数の働きアリの関係」について書かれているものなのですが、これを、

「一匹の○○と地球の生命」

というような捉え方をすると、地球の生命の全体に貫く「元型」と今まで呼んできていてた行動と思想の正体がわかりそうな気がします。もちろん、その「地球全体に指令を出す巨大な存在の女王アリ」が何かというようなことがわかるわけもありません。

しかし、実際にはそれが何であるのかということは比較的どうでもいいことで、「神」でも「宇宙」でも人それぞれの呼び方でいいのだと思いますが、あえて名を付けません。

それよりも、そのような「指令の大元」の存在があると考えながら、先日の記事「私たちは「言葉」である」をもう一度考えてみると、元型の疑問が解けると同時に、

・実際には「存在」は必要ない

ということにも気づきます。

つまり、「私たちは言葉であり、さらにいえば、言葉だけである」という概念が現実的に可能であることに気づきます。


これは箇条書きで書きます。


・私たちは何によってこの世界を享受して認識しているか。

  ↓

・それは視覚、聴覚、味覚、触覚などにより、外部からの刺激を電磁的に体内で理解する機能を持っているから。

  ↓

・では、それらの外部からの感覚の最終的な「認識機能」はどこに存在しているか。

  ↓

・現在の生科学、脳科学ではそれはわからない。

  ↓

・しかし、それが脳であろうと、どこであろうと、その器官を作っている根本的なシステムは何か?

  ↓

・脳はタンパク質であり、アミノ酸であり、そして、それは DNA そのものである。

  ↓

・タンパク質を作る DNA は全体の3%で説明できる。それでは、残りの「ジャンクDNA 」の役割は?

  ↓

・ロシアの科学での推定結果では、それは「言葉」である。

  ↓

・つまり、タンパク質としての構成機能と、実際的なジャンクDNA と呼ばれるものを合わせると「脳においても、DNAがすべてである」可能性が高い。

  ↓

・では、DNA とは何か?

  ↓


・それは言葉である。

  ↓

・では、脳が感知していると考えられる「視覚、聴覚、味覚、触覚」を含めたありとあらゆる人間の感覚の根本は何か? (つまり、人間にとっての女王アリとは何か?)

  ↓

・それは言葉である。

  ↓

・つまり、「視覚、聴覚、味覚、触覚」を含めたありとあらゆる人間の感覚は存在しないでも、人間には感知できる。(女王アリの指令があれば、実際の物体は必要ない)

  ↓

・結果として、物質も人間も宇宙も何も存在しなくとも(女王アリに相当するもの、多分、言葉が「それは存在する」という機能をもたらしているならば)「何も存在しなくとも人間は存在する」。


こういうことになるのではないかと思った次第なのですね。

まあしかし、現実には人間や物質や感覚が存在しなくとも、「感知している限り」は私たちは存在しているような感じであり、また、日々の生活も続いていくのではないかと。

なので、深刻に考える話じゃない気もします。


関係ない話になりますが、ひとりの人間にどのくらいの DNA があるのかわからないとしても、細胞だけでも数兆あります。

個人の言葉がそれぞれのその DNA に振動して、そして、数兆の宇宙が「他の数兆の宇宙」にアクセスして、それにより「数兆×数兆」の指数関数的な数のカウントによる膨大な宇宙が毎日誕生しているかもしれないと考えると、なるほど、宇宙はほとんど無限で、そういう意味では、「毎日、自分たちの宇宙は生まれいる」という可能性さえ感じます。