米国の心理学教会が発表した驚愕の「言葉の音」に関する実験結果:科学で証明されつつある「はじめに言葉ありき」の概念
今回ご紹介する内容は、個人的には「人間科学の研究の最終局面」を感じるようなビッグニュースです。
アメリカには、心理学の学会として「アメリカ心理学会」と、主に「認知心理学」を扱う、「科学的心理学会」という学会があるらしいのですが、今回、後者のアメリカの科学的心理学会が昨日 7月11日に、大変に興味深いプレスリリースを「緊急リリース」として自サイトにおいて、その要旨を発表しました。
その内容は「赤ちゃんは言葉を学ぶ前は、音を通じて世界を認識していることがわかった」というタイトルのものでした。それは「単語の意味」ではなく、「言葉の持つ母音」です。なので、どこの国の言葉でも関係なく存在します。
これは、すなわち、「はじめに言葉ありき」という概念が、赤ちゃんの行動認識パターンから証明されそうなことになってきているというニュースといってもいいのかと思います。
簡単に書くと、「人間は赤ちゃんのときから、母音と物の形が直結していることがわかった」というような話です。
たとえば、大人の場合でも、「聞こえる母音によって行動の反応が違う」のだそうで、たとえば、「大きな物体」と「小さな物体」がある場合、
・母音の「I」と「E」では小さなオブジェに視線がいく
・母音の「O」と「A」では大きなオブジェに視線がいく
のだそうです。
他にも様々な形状と母音が直結しているようです。
日本語だと「I」と「E」は「イ」と「エ」ですかね。
「O」と「A」は「オ」と「ア」でしょうか。
私は、このブログなどでも部分的にふれたことがあるのですが、「文明の分類」として、このようなものがあると思っています。
・言葉と表記文字のある文明(現在の地球のほとんどの文明)
・言葉があり、表記文字のない文明(マヤ文明、アイヌの文明、縄文の文明など、過去に多数あったと思われる文明)
・言葉も表記文字もない文明
このうち、「言葉も表記文字もない文明」というのは今の地球にはないですし、かつてもあったかどうかはわからないですが、要するにテレパシー的なものを含めた「ハイパーコミュニケーションだけで成り立つ文明」ということです。
地球では人類以外の多くの生命は、この「言葉も表記文字もない」コミュニケーション手段を持っていますが、ただ、人類以外のものを文明と呼んでいいのかどうかわからないので、とりあえずは、「未知の文明」ということになりそうですが、まあ、しかし、上の3つのタイプの文明は、可能性としてはあり得ると思っています。
今回のアメリカの科学的心理学会の発表は、「言葉を認識する前の赤ちゃんと世界の関わり」、あるいは「人間と言葉の関わり」を突き止めようとした非常に画期的な調査であり、これが本当なら、人類の DNA に組み込まれたそのシステムというものとの接点も考えられる気がしました。
いずれにしても、「世界は言葉で作られて、言葉だけで構成されている」という可能性がますます高くなっていると言えそうです。
それでは、ここから翻訳です。
Even Before Language, Babies Learn The World Through Sounds
米国科学的心理学会 プレスリリース 2011.07.11
赤ちゃんは言葉を認識する前から「音」を通して世界を学んでいる
言葉の意味そのものだけではなく、「言葉の持つ音」というものが私たちには非常に大きな意味を持ち、それは言葉の単語の意味を正確に把握している子どもや大人、共に関係することだ。
そして、最近、小さな赤ちゃんにもその「言葉の音」が大きく関係していることが調査の結果わかった。そして、その行動には母音が大きく関係している。
この内容は、心理学専門誌「サイコロジカル・サイエンス誌」の次の号で発表されることになっている。
今回、この研究では、スペイン語を話す家庭から生後4ヶ月の赤ちゃん 28人と共に研究者たちが調査を進めていた。
赤ちゃんからは両親の顔や姿が見えないようにして、防音室の中で、赤ちゃんを両親の膝の上に座らせた。
防音室には、母音を表す「I」、「O」、「E」、「A」から始まる内容的に意味をなさない綴りの言葉の音声がパイプで送られた。
この防音室には卵形や円形や正方形などの様々な形をした色の違うオブジェが置かれた。オブジェには大きなものと小さなものがそれぞれ置かれた。そして、アイトラッカー(人の視線を追う装置)を利用して、赤ちゃんたちがどのオブジェを見ているのかを実験の中で記録し続けた。
以前おこなわれた同様の調査では、大人の場合、母音の「I」と「E」では小さなオブジェに視線がいき、「O」と「A」では大きなオブジェに視線が向かった。
これは様々な言語において同様だった。
今回の研究では、赤ちゃんでは、この傾向がさらに大きいことがわかった。
赤ちゃんたちは、ほぼ 100パーセント、その母音に応じての同じ対象を見た。ほぼ必ず、母音の「I」と「E」では小さなオブジェに視線がいき、「O」と「A」では大きなオブジェに視線が向かったのだ。
また、卵形や円形や正方形などの様々な形、そして、様々な色に対しても、赤ちゃんたちは母音に対応した視線の動きをした。
つまり、母音と物体認識の間の相関関係がほぼ絶対的であることが実験で示されたのだ。
研究者は言う。
「これが私たちが生まれつき持っている認知と学習機能なのかどうか・・・それは私たちにはわかりません。しかし、これが最も初期の人間の能力の一つであることは間違いないと思います」。
赤ちゃんは言葉の意味を知らない。しかし、母音によって、大きなもの、小さなもの、丸いものなどの形状を「言葉から」学んでいるということになる。音の持つ特性によって世界を認識している可能性があるのだ。
この研究の何が重要なのか?
それは、「人間の初期の認知の発達がどのようになっているか」ということは、実は現在でもほとんどわかっていないのだ。
小さな赤ちゃんがどのように世界を認識して、その概念を築いていくのかということの研究は大変に重要な課題となっている。そして、今回の調査結果からは「言語学習」の意味の別の側面が見える。
今後、言語と概念に関しての発達のプロセスの調査のために新しい方法も取り入れていく予定だ。
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(訳者注) なお、今回の研究は「スペイン語を話す家庭の赤ちゃん」を対象としてますが、「言葉と認識」の研究がいろいろな言語で行われているということの一環でもあり、また、スペイン語の母音が比較的少ないこともあるかもしれません。
日本語で同様の調査が行われているのかどうかはわかりませんが、母音が基本的には厳密に「5音だけ」という日本語は調査対象としては最も興味深いと思います。母音の数が少ない言語自体は存在しますが、1億人以上という多くの人間が話している言語で、これだけ母音の数が少ない言語はあまりないと思われます。
ここでは、母音「I」、「E」、「O」、「A」、つまり日本語でいう、「イ」、「エ」、「オ」、「ア」を使用しての実験ですが、多くの国の言語では母音が多いものが多く、たとえば、タイ語でも10近くあり、韓国語では 20ほどあります。
なので、「物の認識」と「母音」が一致しているとした場合、「言語によって、世界の認識が違っている」という可能性は高いと思います。
そういえば、先日書いたバーストした視覚の中での新宿にて(クレア 2011年6月28日)という記事で、梶井基次郎の「瀬山の話」という 1924年の小説を抜粋したんですが、読み直すと、この部分は面白いですね。
もう一度抜粋しておきます。
(ここから抜粋)
瀬山の話(1924年)より
一体、何故アといえば、あの片仮名のアに響くのだろう。私は口が発音するその響きと文字との関係が --- 今までついぞ凝ったことのない関係がへんてこで堪らなくなった。
「一体何故(イ)といったら片仮名のイなんだろう。」
私は疑っているうちに私がどういう風に凝って正当なのかわからなくさえなって来た。
「(ア)、変だな、(ア)。」
それは理解すべからざるもので充たされているように思えた。そして私自身の声帯や唇や舌に自信が持てなくなった。
それにしても私が何とかいっても畜生の言葉のように響くじゃないかしら、つんぼが狂った楽器を叩いているように外の人に通じないのじゃないかしら。
身のまわりに立ちこめて来る魔法の呪いを払いのけるようにして私の発し得た言葉は、「悪魔よ退け!」ではなかった。ほかでもない私の名前だったのだ。
「瀬山!」
私は私の声に変なものを味わった。丁度真夜中、自分の顔を鏡の中で見るときの鬼気が、声自身よりも、声をきくということに感ぜられた。私はそれにおっ被せるように再び、「瀬山!」といってみた。その声はやや高く、フーガのように第一の声を追って行った。その声は行灯の火のように三尺も行かないうちにぼやけてしまった。私は声を出すということはこんな味があったのかとその後味をしみじみ味わった。
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
「瀬山」
私は種々様々に呼んでみた。
しかし何というへんてこな変曲なんだろう。
(ここまで)
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
梶井基次郎も、今の世の中に生まれていれば、理由がわかったのに。
すなわち、
「一体何故(イ)といったら片仮名のイなんだろう。」
への答えは、
「それで世界を認識しているから」
なのでした。