
▲ 115年前の長崎の諏訪公園(1897年頃)。池の噴水を眺める女性たち。
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昨日の「金星と月が木星が並んだ翌日に再び現れた120年前の日本人」という記事を書いている時に、そこで取り上げました過去記事の、
2011年09月17日
を眺めていて、そこでは紹介しきれなかった他の写真もご紹介しておこうと思いました。オリジナルは「Japan, Described and Illustrated by the Japanese"Edition De Luxe" Volumes I-X, 1897-1898 (日本自ら描写した1897年から1898年の日本の姿)」という英語のサイトにあります。
すべてが 1897年前後のもので、今から 115年くらい前の日本の風景です。
ここからです。
・柏原(静岡県富士市)から見る富士山

▲ ここに行ったことがないので、今とどれだけ違うのかはわからないですが、季節は感じとして春ですかね。
・本願寺(京都)の僧侶

▲ 説明には「本願寺の中で撮影」とあります。お坊さんたちの目つきは悪いですけど、きれいな服を着てる。
・三味線を弾く芸者さん(京都)

▲ ご本人もおきれいですが、両サイドの花がすごい。この場所の豪奢さを想像させます。
・踊る芸者さん(京都)

▲ こちらも芸者さん。真ん中で踊る女性は漫画のサザエさんと似ていますね。
・木の彫刻

▲ ものすごいデザインの彫刻(笑)。ちょっと欲しいかも。
・道ばたの花

▲ この花がどうのこうのということではなく、「道ばたの花を記録しておこう」という感覚が素晴らしいです。他にも花をアップで写している写真がこの中には数多くあります。思えば、日本は園芸と植物観賞では(鎖国していた分)他の国とは違う発展をしました。少なくとも、1800年代までの地球上の多くの国の中で、「毎朝、玄関に花や植物を飾る」(放置ではなく、置き換えるということ)という習慣を持つのは日本人だけだったと思われます。
・漁師の女性

▲ 獲っているとすると、貝とかですかね。道具は使っていないようです。
・人形の服を作っている女性

▲ この憂いの顔は今でもよく見ますね。「亭主はオンナ遊びばかりだし、お金は家に入れないし、あーやだやだ。裁縫なんて、かったるい。歌舞伎にでも行きたいわあ」というような。
・日光東照宮・陽明門(栃木県)

▲ ちなみに、今の陽明門はネット上でも下のような写真を見ることができますが、上の昔の写真のほうが、「きれいに記録を残そう」という意志を感じます。彩色によって金色に輝いている。

▲ 現在の日光東照宮の陽明門。
・冬服の少女

▲ 日本の女の子たちが、「世界で一番おしゃれに気をつかっている」ことは今も昔も同じようです。今でも、「近所の買い物のために化粧する」という民族は日本人の女性以外にはいません(日本人でも、みんなするわけじゃないけど)。
・日光東照宮・陽明門の壁

▲ これはホントに見事。今の状態は下のような感じみたいです。

▲ 現在の陽明門の壁。
・貴族の家

▲ 具体的な説明はありませんが、高貴な立場の人の家のよう。パチスロの液晶演出なんかだと、こんな感じで襖がどんどん開いていって、最後に中から「大当たり確定」とかの文字が出てくる感じですね。
・横浜の演芸場通り

▲ まだ映画もテレビもない時代で、娯楽の最高峰が演芸場と芝居小屋だった頃で、今とは存在の意味が違う通りだったと思います。
・東京の女性

▲ オリジナルには「Tokyo Beauty」(東京の美人)と書かれています。森三中というお笑いトリオの中にこんな感じの顔の人がいたような気がします。それにしても、この部屋いいなあ。
・提灯職人

▲ 親子ですかね。「お前もそろそろ身を固めてはどうかね」、「はい、お父様」というような会話が交わされているのかもしれません。
・江戸時代の近藤正臣

▲ オリジナルには「巡礼者」とありました。当時の巡礼は結構派手な出で立ちで行うものだったんですね。
・瀬戸物屋(横須賀)

▲ どう考えても今より陶器のデザインがいい。左で立っている子どもの後ろあたりにあるのはすごい良いですね。
・龍と弁天様

▲ オリジナルの説明には「海の神・弁天」としかなく、どういうものなのかわからないです。
屋形船に乗る女性たち

▲ 当時の写真を見て思うのは、若い女性たちが外で「のんびりと」としている風景が見てとれるのですよ。「遊んでいる」というのとも違う、のんびりとしているとしか言えない人々が数多く写真に写っています。今はあんまりそういう光景はないです。たった100年でこんなに世の中って変わっちゃうんだなあと思います。
・田植え(東京)

▲ 今も昔もとにかくお米ですからね。日本の生活は。
ここまでです。
私にとってのパラダイスとは
ちなみに、当時の日本の「物質的な富と地位の格差」なんていうのは今と比較にならないほどものすごかったはずです。
99パーセント以上は貧しい人々だったはずですが、でも、上の写真のように、みんな「それは関係ないし」と、日々、特に楽しくはなくとも「淡々と」過ごしていた様子がみてとれます。
今に限らず、よく欧米の陰謀みたいな言葉が聞かれることがありますが、そういうものがあるとするなら、それは「価値観の侵略」が最も大きなものだと思います。
それは「物を多く持つものが幸福だ」という価値観のことです。
上の写真の頃の多くの日本にはそれは基本的になかったと思います。物質欲というのはもともとの人間の(あるいは日本人の)性質ではなく、海外から「輸入された」ものだということに何となく気づく次第です。
まあ、しかし、その後いろいろあったこの 120年でしたが、今の若い人たちを見ていると、また「ちゃんと戻っていっている」ようにも思います。
すなわち、家も要らない、車も要らない、名誉も立場も要らない。流れるままでいい。そういう若い人がとても多いです。それはまさに江戸時代までの大多数の日本人と基本的に同じ考えだったように感じます(もちろんそうではない人たちもいたと思いますが、民衆と統治者は基本的に住む世界自体が違ったので、物理的に交わることはあまりなかったはずです)。
そして、何かを起こすのではなく、淡々と時間の流れの中で変化していくというのが、最も日本的な革命なのだと思います。
上の写真では「街中でぼんやりと立っている人たち」が多いですが、ぼんやりと立っていることが許される社会が再現されることが、少なくとも私のような現代社会の落ちこぼれには最高のパラダイスであり、他には何も必要ありません。