今回は、コラムのような雑記ですが、 4月10日と 10月4日というのは、私個人には結構なインパクトを持つ日ですので、メモしておこうかと。
4月10日の何が奇妙かというのは、なかなか厄介な感じの話となるのですが、たとえば、過去記事の、
・十字を描く古代インド数字「4」を巡る旅
2011年09月15日
の頃に「数字の4」ということに興味を持っていたことがあって、古い文字あたりまで遡ったりして見ていると、たとえば、現在使っているヨーロッパのアラビア数字は、アラビアのインド数字に由来されていることを知ります。
そして、その中で、「インド最古の数字」の表記に行き当たります。
それはブラーフミー数字というものなのですが、下のような表記となります。
「4」が、十字であり、また、漢字での10、つまり、「十」となっているということを知ります。また、同じ古代のインド文字体系のカローシュティー文字では、現在の4は「X」と記します。
なので、このあたりを簡単にまとめますと、
・アラビア数字の「4」は
4
・ブラーフミー数字(インド最古の文字)の「4」は
・カローシュティー数字(インドの古い文字)の「4」は
そして、上と「形」が似ているものとして、
・漢字の「10」が
十
・英語のエックスは
X
・ローマ数字の10(テン)は
X
というようなことになり、たとえば、今日の4月10日の「数字の部分だけ」を上の数字と入れ替えると、次のような組み合わせが次々と出てくるのです。
十月十日 (ブラーフミー数字の4と漢字の10)
X月十日 (カローシュティー数字の4と漢字の10)
十月X日 (ブラーフミー数字の4とローマ数字の10)
というような混乱甚だしい表記が可能な日なのです。
まあ、それを言い出すと、他の例でもいろいろとあるのでしょうが、しかし、4と10というのが様々な数字で一種の「特別扱いされている」ということは感じていました。
それは、そのふたつとエックスは数字の中央付近に十字架を内包しているからです。アラビア数字でと漢数字では他にあまりないと思います。
過去記事の「十字架がこの世にできた理由 (2011年09月13日)」という中では、もちろん私個人の単なる考えとしてのものですが、
・十字架はカオスの世界に秩序を導入するための現実的な手段
という推定を書いたことがあります。
それが本当かどうかは別として、そういうふうに考えると、今日4月10日という日は、すなわち、
十月十日 でもあり、
X月十日 でもあり、
十月X日 でもある
という今日は「カオスの是正日」とでも言いたい日であります(笑)。
10月4日もそうですけどね。
そういえば、以前ご紹介させていただいた female日記というブログの記事に、結構すごいことが出ていました。
そのことも少し書いておきたいです。
人が大人になるまでに
「female日記」で紹介されていたのは、20世紀のアメリカの精神科医であるエリック・バーンという人の「交流分析」という心理学論についてでした。私はこのエリック・バーンという人の名前を初めてきいたのですが、Wikipedia によれば、「人間関係の心理学」というような感じのことを精神分析から、いろいろと考えていた人のようです。
でまあ、詳しいことはともかく、このエリック・バーンという人の提唱した「交流分析」という心理学理論なんですが、これがすごい。
これがやはり Wikipedia に、相当詳しく乗っているのですが、何だかすごいのですよ。
たとえば、まず、最初の「交流分析の基本的な見解」というセクションでは、この1文から始まります。
・人はみなOKである。それゆえ、個々人は、正当性、重要性、平等性の敬意を受けることができる。
これを読んで、「ひゃあ、こりゃいい」と瞬間的に思いましたね。
「人はみなOKである」
こんな日本語というか、こんな言葉きいたことない。
なんていい言葉なんだろうと。
「人はみなOKである」
ひゃーははははは。
まったく、その通りだと最近思っていたので、もう目からキャベツが落ちるような感じで(どんな感じだ)。まあ、ウロコでも何でもいいんですが、いろいろと落ちまくっている後に読んだ同じ「交流分析の基本的な見解」のセクションで続く言葉もすごくいい。
・人はみな、それぞれのストーリーと運命を決定する。しかしながらその決定は、変更が可能なものである。
さらに、その後のセクション「人生脚本」の冒頭はこんなものでした。
・交流分析によれば、人は、とても幼い頃に、世界と自分の立場を理解しようとして、自分に対する人生の脚本を書く。その脚本は人生の中において改訂されるが、核となる話は一般的に7歳までに選ばれ決定され、大人になっても気づかないものである。
ああ、やっぱり、7歳でOKなんだと思いました。
私は、昨日の下界は春の夜という記事でも書いていますが、
・子どもは7歳で大人になる
と本気で信じておりまして、まあ別に大した根拠はないんですが、そう思う人は多いらしく、たとえば、私の好きな 1970年のメキシコ映画『エルトポ』の冒頭シーンは、このような台詞で始まります。
これはタイトルバックの前の完全なオープニングで、父親が子どもに砂漠でこう言います。
「お前は7歳になった」
「つまり、お前は大人になった」
「オモチャと母さんの写真を埋めろ」
と始まります。
これを最初に見たのが、東京でリバイバル上映された1980年代の終わりで、私が23歳の時でした。それ以来、「子どもは7歳から大人」と思っていたところはあるかもしれません。
私は今でもエル・トポの古いビデオ(30年もの)を持っていて、上のスクリーンショットはそこからのものですが、YouTube を見てみると、一昨年あたりに、日本でもリバイバル上映されたみたいですね。
「エル・トポ 製作40周年デジタルリマスター版 予告編」という動画がアップされていました。まあ、西部劇ですし、予告にもエグいシーンが出ますが、一応貼っておきます。
映像きれいだなあ・・・。じゃあ、きれいな映像の DVD とかも今は存在しているということなんですね。
知らなかった。
この映画は、ビートルズのジョン・レノンの思想に決定的な影響を与えて、公開後にジョン・レノンがフィルムと公開権を監督のアレハンドロ・ホドロフスキーから買って、そして、この映画を繰り返し見たあとに作られたのがジョン・レノンの『イマジン』という曲でした。
イマジンという曲のプロモでは、ジョン・レノンはエル・トポの主人公と同じ格好で登場していて、いかに影響が大きかったかわかります。
▲ 「イマジン」のプロモーション・ビデオより。エル・トポの格好をしたジョン・レノンの隣の女性は当時、プラスティック・オノ・バンドというバンドをやっていたオノ・ヨーコさん。
そんなわけで、「7歳」というキーワードがまた出てきたような、そうでもないような。
人間が言葉ではなく伝えられる心理学的な「禁止令」のメッセージ
話が少し逸れましたが、上のエリック・バーンさんの交流分析のセクションを読んでいて、最もすごいと思ったのは「禁止令」というセクションです。
これは Wikipedia の説明では、
交流分析は、13の禁止令を述べている。禁止令は「〜するな」と、一般的には非言語的に伝えられるメッセージで、子供の頃の信条や人生脚本組み込まれたメッセージである。
とあり、つまり、何だかよくわかりません。
何かはわからないのですが、その「13の禁止令」の内容がすごい。
縦に並べてみます。
存在するな
自分自身であるな
自分の性であるな
子供であるな
成長するな
成功するな
重要であるな
所属するな
近づくな
健康であるな
考えるな
感じるな
(なにかを)するな
「ひゃあ、これはオレの子どもの時からの生き方そのものだ!」とすごく嬉しくなって、しかも、さらに禁止令にはもうひとつあって、それが、
「これはお前の運命なの、だから私には起こらないの」(エピスクリプト)
多次元宇宙・・・。
いずれにしても、上の13の禁止令は、私は子ども時代に、「下」からスタートしています。すなわち、「(なにかを)するな」で、7歳からの大人時代が始まったという記憶があります。
ということは、どんどん上に行くと、結局、最近の私の理想である、
存在するな
自分自身であるな
に近づくことは夢ではないのかもしれない。
私は存在していない。
そして、私は私自身ではない。
それが私の夢ですが、しかし、私は夢を持たない。
夢を持たない世界の中の夢。
すなわち、完全なゼロ。
うーん、なんだかわかんないや。
これから、お酒飲みます。