(訳者注) 数日前から、海外では「死海の水位が下がり続けている」ことに関してのことがわりと多く報じられています。死海というのは、アラビア半島北西部に位置する塩の湖で、西側にイスラエルがあります。
その死海が枯渇し続けているということ事態は今に始まったことではないのですが、ここ数日でわりとニュースで目につくことに気づきます。
▲ 1972年から2011年までの衛星から撮影した死海の写真。黒い部分が深い部分で、青い部分は水深の浅い部分。つまり、青い色がどんどん増えているのは、水深が浅くなっていきていることを示しているようです。
日本語などではまったく見ない報道で、どうして、海外ではこのことにこんなに反応するのかということについて、メッセージ・トゥ・イーグルというサイトの記事を見て、その理由が何となくわかりました。この「死海」は「聖書」と深く関係がある場所みたいなのです。
メッセージ・トゥ・イーグルによれば、聖書の「エゼキエル書」という中の47章に、「死海が枯渇しない限り時間はある」と書かれている下りがあるのだそうです。
日本聖書協会の訳によると、このような下りです。
エゼキエル書 47章 8-10節
彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。
川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。
漁師たちは岸辺に立ち、エン・ゲディからエン・エグライムに至るまで、網を広げて干す所とする。そこの魚は、いろいろな種類に増え、大海の魚のように非常に多くなる」。
さて、この「死海」。
私はおおまかな場所以外はまったく知りませんので、そのあたり少し調べていると、いろいろとおもしろいこともわかります。
まず、死海の伝説についてですが、Wikipedia にはこのようにあります。
旧約聖書のソドムとゴモラは神が硫黄の火で燃やしたと伝えられるが、一方での廃墟は死海南部の湖底に沈んだとも信じられている。
そもそも、この「ソドムとゴモラ」とは何なのか。
「かつてない姿を見せ始めた『天地創造の柱』と呼ばれる星雲」という記事で、1966年の日本映画『サンダ対ガイラ』というのを思い出したことがありますが、ソドムとゴモラもやはり怪獣?・・・と思って、とりあえず、Wikipedia のソドムとゴモラを見てみますと、こうありました。
ソドムとゴモラは、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市。
あ、町の名前なんだ!
なぜその町が天からの硫黄と火によって滅ぼされたのかというと、続く説明では、こうあります。
古来、『創世記』19章前半、の内容から推察して、甚だしい性の乱れが最大の原因であったとする見解が一般的である。
そういえば、私が中学生くらいの時、パゾリーニというイタリアの映画監督の『ソドムの市』(原作は、マルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』)という性に関しての乱れた映画がありましたが、あれの名前の由来はこれなのかな。
また、「ソドム」という名は新約聖書の上にも出てきたエゼキエル書にも少し書かれています。
聖書 エゼキエル書 16章 49-50節
お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。
彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。
こっちでは「お前の妹ソドム」といっているので、都市じゃなくて、人なんですね。
それにしても、上の旧約聖書にしても、下のエゼキエル書にしても「滅ぼされるほどの罪か?」という疑念がわいてしまうのですけどね。
「彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った」とか立派に言っているのがだれだか知らないけれど、どうも、このテのエラソーなこと言う「存在」には結構、ストレートに腹が立ったりする人生。
現実的な苦痛なんてのは、一方向から見てわかるわけねーだろ。・・・と、聖書を編纂した人にはまあ言いたいですが、それはともかく、どうにも最近、聖書の周辺に、日々矛盾というのか、懸念が増え続けます。
先日の「ヘビとウロボロスとケツァルコアトルと月と太陽をめぐる旧約聖書『創世記』への疑問のようなもの」という記事にも旧約聖書のことが出てくるんですが、どうも・・・。
アダムとイブの禁断の実の話にしても、ゴジラとモスラ・・・じゃねえや、ソドムとゴモラの話にしても、性の乱れだけで、その都市を硫黄と火で滅ぼしちゃうというあたりとか(乱れていない人だっていただろうに多分、一緒に滅ぼされている)、どうも釈然としない部分が今回もあるんですが、しかしですね、その「釈然としない部分」というものも、もしかすると真実かもしれないというあたりも、今回の「死海」を調べている中で少しわかったんです。
すなわち、「死海文書」の存在です。
死海文書の公開は昨年から始まっていた
そもそも、死海文書というのは私は、その名前を聞いたことがあるくらいで、どんなものかわからないんですよ。なので、こちらから、説明を抜粋します。
死海文書は、1947年から1956年にかけて、イスラエルの死海北西の要塞都市クムランの近くの11箇所の洞窟で発見された、ヘブライ語聖書の断片を含む約850巻の写本の集まりである。
文書は、ヘブライ語のほかにアラム語・ギリシア語で、紀元前2世紀から紀元後1世紀の間に書かれている。この時代に書かれたものとしては事実上唯一のユダヤ教聖書の文書であり、聖書本文の内容が写本を通して劣化されることなく比較的正確に伝えられてきた歴史を証明するものとして、貴重な資料であるとみなされる。
上には、
> 聖書本文の内容が写本を通して劣化されることなく比較的正確に伝えられてきた歴史を証明するもの
という表現があります。
このような表現が存在するのはどうしてか?
それはつまり、「聖書」というものがこの長い歴史の中で、その内容をどんどん変えられて、内容を歪められてきているのではないかという懸念が存在し続けていたからではないでしょうか。
ちなみに、「陰謀説」も存在するようで、Wikipedia にはこのようにあります。
1990年代に、バチカンが文書の公表を差し止めているという疑惑が発表された。
(中略)
いくつかの主要な文書が数十年間に亘って意図的に隠されていると主張した。
死海文書は聖書の歴史にとって重要なものだと頻繁に書かれるため、「死海文書の作者は地球外生命だ」といった、様々な陰謀説がささやかれる。
少なくとも、2000年近く「手つかずの状態」で聖書やその周辺の内容が残されているものであることは事実のようで、これが完全に公開されれば、何か今、私などが抱いている「漠然とした聖書への懸念」も解けるのかもしれないです。
「伝えること」に関しては、悪意はなくとも、たとえば、伝言ゲームでも人の耳から他の人の耳へ情報が伝達されるたびに内容は変わっていくわけで、写本にもそういう部分はあるのかもしれません。
死海文書の公開について、Wikipedia の文書の最後はこのようになっています。
なお、バチカンではこれらの書を異端として未だ認めていない。
2010年10月19日、イスラエル考古学庁がGoogleとの共同により死海文書の全てをデジタル撮影し、インターネット上で公開する計画を発表した。2011年9月26日には「イザヤ書」ほか5つの文書が公開された。
つまり、つい最近、公開が始まったようです。
さて、今回は、実は「死海は12万年前に完全に枯渇していた」ことがわかったというニュースのご紹介です。つまり、その頃は、死海には水がまったくなかったようです。
Dead Sea almost dried up entirely 120,000 years ago
DNA (米国) 2012.04.11
死海は 12万年前には完全に枯渇していた
最後の間氷期の約 120,000年前に、死海にはまったく水がなかったことが、最近の掘削プロジェクトの調査により判明した。
このプロジェクトは、テルアビブ大学(イスラエル)の研究者たちによっておこなわれ、そして、この調査によって、死海はこの 200,000年間の間に、その水深が数百メートルも上下していたこともわかった。
テルアビブ大学のミネルヴァ死海研究センターを率いる地球物理学者のズビ・ベン・ アブラハム教授と、イスラエル地質研究所のモルデカイ・スタイン教授たちが中心となり、プロジェクトでは、死海の海底 460メートルを掘削した。そして、死海の海底の 20万年間の沈殿物を採取し、今回の調査結果を導いた。
今回の調査結果は、過去の地球の気象の状態を明らかにするだけではなく、今後の地球の気象変化の将来の研究にも役立つ可能性もある。
この 20万年の間では約 13,000年前にも死海の水は極めて現象したが、その前の約 120,000年前の枯渇では、水がほとんどなくなっていたことがわかった。
死海の湖面は、海抜のマイナス426メートルに存在している。そして、現在も死海の水位は下がり続けている。
[湖の枯渇]に関係する過去記事:
・イギリス全土に深刻な干ばつと水不足
2010年06月17日
・200年に1度と報道される中国・山東省の大干ばつ
2011年01月14日
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[1年前の In Deep ]
2011年04月13日の記事
・ちょっと小休止