昨日、
・またも旅立ち?: エジソンとシュタイナーからみた教育のこと
という雑談を書きまして、読み返してみると、なんだか私がシュタイナー教育を賞賛しているようにとらえられると困ると感じたので追記しておきますと、Wikipedia にあった「7歳ごとに」という部分が気に入ったということで、他に対しての評価は含まれません。
教育の理論だけではないですが、どんなことでも自分の意見で何を根幹とすべきなのかというと、それは単に「自分自身の持つ理想」でいいのだと思っています。「自分の理想を自分の意志とする」。これだけで十分だと思います。なので、どれだけすぐれた理論でも、他の人が作り出した理論にどっぷりハマるのはあまり好きではないのです。
たとえば、自分が、
・自分はどんな世の中に生きたいか。
・子どもがいるなら、その人にはどのような未来に生きてほしいか。
そういうような個人の理想を軸に考えれば、それでいいのだと思います。
そして、今はまだ有限宇宙論(ビッグバン理論)の中で憂鬱な「有限の存在」という中に生きている私たちですが、そのうち、現在の宇宙論は消えるか、修正されると私は信じています。
それは今でも観測結果のいくつかが表していますが、とりあえず、
・暗黒物質の否定
・宇宙線の発生源がついに突き止められない
・140億年以前の多数の銀河の発見
が重なれば、修正を余儀なくされると思います。
つまり「宇宙は無限だった」と。
そうなれば、「私たちの存在も無限」だという概念に到達できるのではないかと考えています。
なお、以下はあくまで私個人の考えですので、科学的には無視されていいことですが、今の私は宇宙の基本は下の点だと考えています。
・星も太陽系も銀河にも始まりはなかった。つまり、宇宙が形成された時期というものは存在しない。
それと共に、「宇宙は成長していない」ということもあります。
今も昔もずっと同じ。
あるいは、「今も昔も」という時間軸自体が存在しない。
そういう感じだと思います。
学問的には、これをどういうのか知りませんが、昔、フレッド・ホイル博士のことを書いてある部分に定常宇宙論というものを見たことがあります。
定常宇宙論とは、1948年にフレッド・ホイル、トーマス・ゴールド、ヘルマン・ボンディらによって提唱された宇宙論のモデルであり、無からの物質の創生により、任意の空間の質量は常に一定に保たれ、宇宙の基本的な構造は時間によって変化する事はない、とするものである。
2005年現在、ビッグバン理論が有力と考えられることが多く、支持する多くの科学者らから(ビッグバン理論が)「標準的宇宙論モデル」と呼ばれており、このような立場からは定常宇宙論は「非標準的宇宙論」のひとつと見なされている。
とのことです。
ちなみに、私の考えはこの「定常宇宙論」とも違いますけれど。
定常宇宙論でも、星や銀河は形成を繰り返すわけですけど、「それさえもない」と思っています。
余談が長くなってしまいましたが、昨日の「教育」についての続きを書こうと思っていたのでした。
ここから書きます。
1700年前の日本人
上で、「教育もその根幹は個人の理想」ということについて書いたのですが、私の理想とする「未来の日本の生活」は、現実に過去にあったものから見れば、
・文字文化が出現した以前の日本
ということになります。
本当は、「統一王朝のできる前の日本」がいいのですが、その資料の存在を探すのはできないでしょうし、大きく日本と日本語を変えたのは、文字文化の登場だと思いますので、そこを起点としてみます。
最初にそれが文献に出てくるのは、今から 1700年くらい前のことです。
中国で3世紀の終わり頃に書かれた『三国志』の中の「魏書」第30巻 烏丸鮮卑 東夷伝 倭人条に 1700年前の日本の姿が書かれています。
これは、一般的には「魏志倭人伝」と呼ばれるものです。
全文は、『三国志』魏書東夷伝倭人条などにありますし、 Wikipedia の魏志倭人伝にも内容が箇条書きされています。
文字文化以前の日本の生活の姿を「文字で」知ることのできる唯一の資料に近いものかと思われます。
その魏志倭人伝で最も感銘して「ああ、ここに住みたいなあ」と私に思わせたのは下の部分です。
集会や居住の座位には、父子男女の区別はなく、人々は性来、酒が好きである。
支配身分の人に尊敬を示す作法は、ただ拍手をして、中国の跪拝の礼にあてているようだ。
人の寿命は、あるいは百年、あるいは八〜九十年で、その習俗は支配身分の者はみな四、五人の妻をもち、一般の村民でも二、三人の妻をもっている。
つまり、
・家の中では男女年齢の区別や序列はない。
・子どもも大人もみんな酒を飲んでOK。
・ちょっと身分の高い人には、拍手するだけ。
・一夫多妻。
ということだったようです。
しかし、このような生活が乱れていたかというと、そんなことはなく、
婦人は淫らでなく、嫉妬もしないし、盗みもなく、争いごとも少ない。
というような社会だったようです。
日本人の男性全員が体に施していた「入れ墨」は「水の龍」に立ち向かうためのものだった
ちなみに、その他の記述として特筆したいのは、
・日本人の男性は子供も大人も全員、入れ墨をしていた。
ということがあります。
この理由は、魏志倭人伝ではこのように書かれています。
倭では、男子は成人も子供もみな顔や体に入墨をしている。(中国の)夏王朝の六代の王小康の子が、郡に封ぜられたとき、断髪して入墨し、海中にひそむ蚊龍(みずち)の害を避けたという。
つまり、この時代の日本人の入れ墨は「水の龍を避けるためだった」と。
これは興味深いです。
今年は龍の年ということもあり、ずいぶんと龍関係のことを記事でご紹介しましたが、この「水の龍を避ける」という伝説は各地にあります。
過去記事の、
・アイスランドの龍「指輪ドラゴン」の伝説
2012年02月14日
は、アイスランドの「ラガーフリョット湖にひそむ巨大なドラゴン」の伝説を紹介したものでした。
そういえば、3年くらい前に、海水を巻き上げる竜巻という記事で、中国の海での自然現象の写真をご紹介したことがありました。

この記事には、
中国の神話に「有龍自天而降」(龍が空から降りてくる)というくだりがある。中国語では竜巻を「龍巻風」というが、その語源は竜が渦を巻きながら空から降りてくるように見えたのが由来といわれている。
と書かれてありましたが、実は最近、またこれと同じような現象があったんです。
今度は地上で。
アメリカの msnbc の報道です。
Scientist catches rare twin waterspouts on camera
米国ルイジアナで珍しいペアの水蒸気の柱を撮影

他にも、世界中の「水の龍」の伝説については、
・「火の女神と龍の女神が戦った地」ハワイ島での謎の振動を巡る騒動
2012年02月25日
という過去記事もありました。
ここにも「水の龍」が出てきます。
ハワイ島のハレマウマウ・クレーターという火山の火口の下には、「ペレ」という火の女神が住んでいるという伝説があります。神話では、ハワイではかつて「火の女神ペレと龍の女神キワハ・ワキネとの大戦争」が繰り広げられたのだそうです。
このふたりの女神の争いのせいで、古代のハワイは超巨大津波で大地が水没し、巨大な地震に見舞われ、すべての火山が噴火するという大変な女神の喧嘩だったそうですが、ここでは「龍の女神は負け」となります。
つまり、世界では、わりと「水の龍」はヒールサイドだったようです。
話が大きくずれましたが、他に魏志倭人伝に書かれていた「1700年前の日本人の生活」について注目すべき部分を書いておきます。
・男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
・牛・馬・虎・豹・羊・鵲はいない。
・土地は温暖で、冬夏も生野菜を食べている。
・人が死ぬと10日あまり、哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
・長命で、百歳や九十、八十歳の者もいる。
・法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする。
本当はそのもっと以前(これより数百年前とか)の日本を知りたいですが、それは誰にもわかりません。
そして、最初の話である「理想の未来」というのは、そのような昔の日本に、現在のテクノロジーが融合して、さらに新しい宇宙論と存在論を得ることによって、「精神的にもさらに進んだ社会」だと思いたいです。
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[日本人]に関係する過去記事:
・本来の日本人が尊敬していた「食べ物という存在」
2011年03月18日
・日本人自らが撮影した 120年前の日本の光景
2011年09月17日

▲ 1897年頃の東京・小金井の桜と、花見をする人たち。