2012年09月20日



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西暦 541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録



今回は、資料として抜粋したところからいろいろと書いてみたいと思ったのですが、どうも、途中から話が複雑化し過ぎてしまいまして、支離滅裂なのですが、書いたところまでアップさせていただこうと思います。

資料はデイヴィッド・キーズというイギリス人ジャーナリストが 2001年に出版した『西暦535年の大噴火』という本の冒頭に載せられている「西暦541年から543年に東ローマ帝国を襲ったペストの状況」についての部分です。



6世紀にヨーロッパの人口を半減させた感染症の拡散の原因は?


ところで、この『西暦535年の大噴火』というのは、これは「邦題」でして、英語での原題は「カタストロフィー」( Catastrophe )というタイトルで、これは、日本語だと「壊滅的な大災害」というようなニュアンスです。

「535年に何らかの大災害が起き、それにより世界全体でその後の数年から十数年、深刻な気象変動が発生した」

ということが書かれていて、決して「噴火」ということから始まっているものではないです。

この535年の「出来事」の後、世界がどんな様子だったのかが、様々な文献から引用されていますが、感じとしてわかりやすいのは、6世紀の東ローマ帝国の歴史家であるプロコピオスという人が文章として残しているものです。西暦535年から536年にかけての記述です。



歴史家プロコピオスの記述より


昼の太陽は暗くなり、そして夜の月も暗くなった。

太陽はいつもの光を失い、青っぽくなっている。われわれは、正午になっても自分の影ができないので驚愕している。太陽の熱は次第に弱まり、ふだんなら一時的な日食の時にしか起こらないような現象が、ほぼ丸一年続いてしまった。

月も同様で、たとえ満月でもいつもの輝きはない。




書かれたのは 536年の夏ということで、すでにこの状態を1年経験し続けたということのようです。当然、当時は世界中で未曾有の天候の異変や大飢饉が起きており、この著作『西暦535年の大噴火』では、その頃の世界中の資料から当時の様子をあぶり出しています。日本、中国、朝鮮半島も出てきます。

そして、著者は、このような状態を作り出せるような自然現象というのは、


・小惑星の地球への衝突
・彗星の地球への衝突
・大噴火



のどれかだという推論のもとに検証していく中で、「535年にインドネシアのクラカタウ火山が噴火したことが原因」という可能性が最も高いということを書いていますが、結論づけているという感じでもないです。

そして、著作での「大災害」の記述の最初が「6世紀のペストの大流行」から始まり、これも気候変動とネズミの発生の統計の科学的見地から、「噴火と関係がある」というようなことになっているのですが、さて、そこで私は読んでいるうちに疑問を感じてきたのです。

その理由は、私が「パンスペルミア説」での病原体の拡散を考える人なので、仮に突然ペストが発生したのなら、それは噴火とは関係なく、「宇宙から彗星による拡散によって、ペスト菌がその時、地球に大量に降り立った」と考えたほうが合理的だからです。

そもそも、6世紀はまだ世界の交易はそれほど発達していなかったと思われますが、この『西暦535年の大噴火』の資料を読んでいますと、どうも世界的に(別の病気も含めて)伝播が早すぎる感じもあります。



水平感染だけでは考えにくい病気が実は多いということ

1918年にスペイン風邪という強毒性のインフルエンザが世界中で流行しました。この時には、控えめに見て、全世界で6億人が感染し、3000万人が死亡したと言われています(数の正確な統計は存在しないです)。

1990年代になって、その時のスペイン風邪のインフルエンザの世界での拡がり方について入手可能なすべての記録を調べたルイ・ヴァインスタイン博士という科学者がいるのですが、ヴァインスタイン博士が調査の途中で、下のようなコメントを残していることがフレッド・ホイル博士の著作に書かれています。


『生命( DNA )は宇宙を流れる』 フレッド・ホイル著より、ルイ・ヴァインスタイン博士のコメント

「インフルエンザがヒトからヒトへ感染する病気であるのなら、最初に発生した場所に近いところからじわじわと広がっていくはずである。けれども、実際には、世界の遠く隔たった土地に同時に出現したり、ごく近くの土地に数日から数週間もの間隔をおいて出現したりしている。

ボストンとボンベイ(現ムンバイ)で同じ日に見つかる一方、ニューヨークで見つかったのはボストンの3週間後という調子なのだ。あんなに多くの人びとが二つの都市を行き来していたというのに! 

さらには、シカゴに出現した4週間後に、ようやくイリノイ州のジョリエットにも出現したという記録もあった。二つの都市の距離は、わずか38マイル(60キロ)である。」




「水平感染」というのは「人から人にうつっていく」ことを表します。
たとえば、もっとも身近なものでは「風邪」です。

「風邪がうつっちゃって」

という言い方があるように、「風邪は水平感染する(人から人にうつっていく)」と私たちは完全に思いこんでいます。

しかし、現時点ではわからないですが、2001年頃までの時点の医学実験では、「風邪が水平感染する(人から人にうつっていく)」ことは一度も証明されていないのでした。もちろん、「人から人にうつることが確認されている病原体」もたくさんあります。

しかし、風邪やインフルエンザは違うのではないかということが、フレッド・ホイル博士の『生命( DNA )は宇宙を流れる』という著作では大量のデータなどと共に記述されますが、下がその章の導入部分です。



『生命( DNA )は宇宙を流れる』 フレッド・ホイル著

第5章 宇宙からきた病原体より


彗星から放出されたウイルスやバクテリアは、地球上ではどんなふうに広がってゆくのだろうか?

あるものは、宇宙からやってきて一部のヒトや動植物には病気を起こすが、すぐに病原性が低下してしまうため、そこから先へは拡がりにくくなるかもしれない。

前章でも説明したように、ウイルス粒子の落下は世界規模の大気の動きに左右されるため、後者の分類に属するウイルスでも広い範囲に一度に感染してしまい、伝染病と誤解されているケースが多いと考えられる。しかし、こちらのカテゴリーに入る病気は、ウイルスの侵入と直接的な関係があるから、われわれの仮説を検証するにあたって、より重要である。

われわれは、インフルエンザをはじめとする多くの上気道感染症(いわゆる「風邪」)が後者のカテゴリー、すなわち宇宙からの直接感染によって起こる病気であると考えている。

風邪はうつるというのが常識のように思われているが、実は、その伝染性はいまだにはっきりと証明されていないのだ。コントロールされた条件下で風邪の水平感染性を証明しようとする試みは、ことごく失敗に終わっているのである。







簡単にいうと、風邪やインフルエンザは、

「宇宙からやってきて直接人間に感染する」

という理論となります。

大げさな表現に聞こえるかもしれないですが、そうとしか表現しようがない部分があります。


そんなわけで、また話が逸れているような気もしますが、今回は、6世紀に東ローマ帝国および、周辺諸国をくまなく荒らした「ペスト」について残る資料の記述を抜粋します。



6世紀の東ローマ帝国で起きたこと


書いたのは、6世紀の東ローマ帝国のエフェソスという街で「聖人伝」を記した人物として名高いという、ヨーアンネースという人の記述です。「ヨーアンネース」は一般的には日本語で「ヨハネ」と呼ばれる表記と同じだと思われます。

なお、ヨーアンネースの記述を読んで、実はもうひとつ根本的に疑問に思ったこともあります。

それは、著者が「死ぬまでに何日もかかる者もいれば、病気になってから数分で亡くなる人もいた」と書いている下りなのですが、

「病気になってから数分で亡くなる」

というのはペストの症状としてどうなんだろうと。

これはヨーアンネースの記述にも、「立ち話をしたり、釣りを勘定したりしているあいだに、買い手と売り手の双方が急死し」というモンティパイソンのような下りもあるのですが、どうもイメージとしてのペストの症状と違うような・・・。

ペストには、3種類ほどあって、それぞれ多少違うとはいえ、たとえば、国立感染症研究所のペストのページにある「症状」。

・腺ペスト
通例3〜7日の潜伏期の後、40℃前後の突然の発熱に見舞われ、(中略)通例、発症後3 〜4 日経過後に敗血症を起こし、その後2〜3日以内に死亡する。


・敗血症型ペスト
臨床症状としては急激なショック症状、および昏睡、手足の壊死、紫斑などが現れ、その後、通例2〜3日以内に死亡する。


・肺ペスト
潜伏期間は通例2〜3日であるが、最短12〜15時間という報告例もある。発病後12〜24時間(発病後5時間の例も記載あり)で死亡すると言われている。


ということで、最も危険な肺ペストでも、数時間後に死亡するとされています。

いくら6世紀の医学といえども「死んだか死んでいないかくらい」は知識者である人たちにはわかったと思いますので、

「病気になってから数分で亡くなる」

という記述がわからない。

というか、実際にはこの頃の東ローマ帝国あたりの科学、医学、などについては、相当に進んでいたはずで、聖人伝を書いていたほどの人なら「実際に見たことをきちんと書いていた(倒れただけで「死んだ」とは書かないというような意味)」と思います。

つまり、確かにペストも流行していたけれど、

「同時になんかヘンな病気も流行してたんじゃないの?」

というか。

瞬間的に死んじゃうような。


あと、Wikipedia のペストのページに、「14世紀のペストの流行の年代ごとの図」が載っているんですが、これが面白いのです。

かつて、「緯度(地球の緯度経度の緯度)と感染症の拡散の関係性」を調べた研究者グループのグラフが家にある本のどこかにあるんですけど、それと同じような感じなんです。

Wikipediaにあるのは、下の図です。
ピンクの太い線は私が引いたものですので、オリジナルとは関係ないです

pest-map.jpg


上の地図は「ペストが人にうつっていく」という見方と共に、「地球の周回に応じた緯度からの拡散となっている」とも見えるのです。つまり、「円を描いているのではなく、線を中心としている」ということで、これは、この線を「彗星の軌道と照らし合わせる」と、非常に面白いです・・・が、今回はそこまで話が逸れると、本題の資料が書けなくなりそうですので、ヨーアンネースの543年の資料を抜粋します。

カッコ内は『535年の大噴火』で、著者の記述が入っているところを短く説明した部分です。

それでは、ここからです。

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西暦541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録


「美しくて理想的な家庭が、人員の多少を問わず、突如として墓場と化した。召使いも同時に急死し、その腐敗はいっしょに寝室に横たわった。死体が裂けて路上で腐っていることもあったが、埋葬してくれる人などいなかった。街路で朽ち果てた遺体は、見る者におぞけを震わすだけだった。腹はふくれ、口は大きく開き、膿はどっと吐き出され、目は腫れ、手は上に伸びていた。遺体は、街角や路上、中庭のポーチや協会内で、腐りながら横たわっていた。海上に浮かぶ何隻もの船でも、船乗りたちが突如神の怒りに襲われ、船は波間を漂う墓場となり果てた」


(ペストから逃れようとして、港を転々とするヨーアンネース。しかし、ヨーアンネースは、都市も田舎もどこもペストに荒廃しつくされている惨状を目にすることになる)


「わたしたちも毎日、みなと同じように墓の門を叩いた(『瀕死の重体だった』の意)。晩になると、今夜はきっと死神がやってくるだろうと考えた。そして朝が明けると、わたしたちは日がな一日、墓のほうを見ていた(『死のことを考えていた』の意)」


「移動中に通り過ぎた村々は、陰鬱なうめき声をあげ、遺体は地面に転がっていた。途中の集落は、ぞっとするような暗さに満ちていて、ひとけがなく、たまたま立ち寄った人は誰しも、すぐに出てきてしまった。砦は打ち捨てられ、放浪者たちは山あいに四散した。人びとを駆り集めようとする人もまったくいなかった」


「畑の穀物はまっすぐ白く立っていたが、刈り取る者はいなかった。ヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタの群れは、まさに野獣と化し、飼われていた時代の生活を忘れ、自分たちを引きつれていた人の声もとうに忘れてしまっていた」


(以下は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノーブルの様子)


「天罰がこの都に重くのしかかった。まず襲われたのは路上に横たわっていた貧者たちだった。一日のうちにこの世を去っていった人数は、五千人から七千人、さらには一万二千人、そして、ついには一万六千人にのぼった。

 だがこれはまだほんの序の口だった。役人たちは各港や十字路、そして市門の入口に立って、死人の数を数えていた。コンスタンティノーブル市民で生き残っている人はごく少数になった。死者数は確かに数え上げられていたが、路上から運び去られた遺体が三十万を上回ったことは間違いない。役人は二十三万人まで数えたところで足し算を止めてしまい、それ以降はもう『大勢だ』と言うだけになった。こうして、その後の遺体は、数えられることもなく持ち去られたのである」。


「すぐさま埋葬所が足りなくなった。町には死臭が立ちこめた、担架も墓堀り人もいなくなった。遺体は路上に積まれていった」。


「路上や家の中で誰かと話している最中に、急にふらつきだして倒れてしまう例もあった。座って道具を手にし、作業をしていたかと思うと、横によろよろし、この世を去ってしまう者もいた。市場に日用品を買いに出かけて、立ち話をしたり、釣りを勘定したりしているあいだに、買い手と売り手の双方が急死してしまい、二人のあいだに品物と金銭が落ちていることもあった」


(埋葬所がなくなり、遺体が海に葬られ始める)


「遺体は舟という舟に満載され、海中に放り投げられた。舟は次の遺体を運びに、また岸辺へ戻っていった。舟が戻ってくると、担架が地面に置かれ、そこに二、三の遺体がまた放り投げられた。この繰り返しだった。ほかの人たちも、何体かの死体を舟に載せた。腐り始めている死体もあったので、むしろが編まれ、遺体が包まれた。そうした死体は、何本かの棒に載せられて海岸まで運ばれ、放り投げられた。体から膿が流出していた。海岸一帯に重なっている何千、何万という遺体は、一見すると、まるで大河で遭難した船の漂流物のようだった。流れる膿は海に垂れていた」





(訳者注) ここまでです。

さて、ところで、いつもそうですけど、今回は特に全体として、まとまりがないのですけれど、書きたいテーマが多すぎたのが問題でした。

とりあえず、このヨーアンネースの資料からどういうことを私は想定したのかというと、

・535年に火山の大噴火はあったと思われるが、同時に大きな彗星の地球への衝突か、極端な接近があったのではないだろうか。

ということです。

もちろん、大噴火の気候への影響も甚大なものだったはずで、そのあたりを含めて、今後の世の中に生きるための参考となりそうなことを考えたりして、今後書いてみたいと思っています。

多分、サイクルの存在を考えると、歴史はある意味では同じように繰り返すと思います。

まったく同じではないでしょうけれど。

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