2012年09月30日



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太陽活動最大期に向かう太陽の顔は「悪魔の毒々」化を果たし



太陽の写真を毎日ご覧になっている方はそんなにいらっしゃるわけではないでしょうので、記事にしようと思いますが、太陽がここ1週間くらいで急速に「凶悪な顔」と変化していることをご存じでしたでしょうか。

先週くらいに、

太陽の顔が死んだ日に考える「私たちが夢見た 2012年の現実はこのような世界?」
 2012年09月18日

という記事を書きまして、そこに「まるで骸(むくろ)のような表情をしている」太陽の顔の写真を載せたことがありました。



▲ 「太陽の顔が死んだ日に考える「私たちが夢見た 2012年の現実はこのような世界?」より。






 



「最近の太陽の顔」は後に載せますが、それにしても、これらの表情にしろ何にしろ、空や宇宙に見えているものというものが「本当にそこに在るのか?」ということを最近改めて思います。

先にそのことを少しだけ書かせていただきます。



見つめれば見つめるほど実体が消えていく「光景」という存在


雲の形、空の色、そして太陽の日々変わる表情を毎日眺めている中で、ほんの少しの「科学の勉強」をするだけで「それぞれがほとんど存在しないも同然」だということを知ります。最近は何でもそこに行き着いていくような部分さえあります。

たとえば、「雲」。

雲はエアロゾルというように呼ばれている小さな粒子みたいなものと宇宙線の反応で作られているとするのが最も最近の科学的見解のようですが、「それらの粒子は見えるのか」というと、見えません。

でも、雲は見えている。

夕焼けや、あるいはオーロラや他の理由で空の色が赤や他の様々な色に染まる理由は光と、そして、やはり小さな粒子や電磁波というように言われるたぐいのものの反応によるものですが、「光や電磁波が見えるのか」というと、これも見えません。

虹や月の光もそうですが、その美しさを形作っている「光の粒子」は見えないどころか、存在さえも危うい

どうして「存在さえも危うい」と思うのかというと、たとえば、光を科学の面で粒子として扱う場合は「光子」(フォトン)というような形で扱われますが、その光子の Wikiepdia の説明を見てみます。


(光子とは)アルベルト・アインシュタインが、電磁波の粒子的な側面を説明するために導入した光の量子である。



とあります。

説明するために導入した」とあるのがおわかりでしょうか。

「見えたから」ということではないようなのです。

計算で生まれたのが光子、つまり「アインシュタイン後の、この世の光」ということのようです。

ということは・・・アインシュタインが上の理論を提唱するまで、「この世に光は存在しなかったのか」というと、そんなことはなく、(多分)、昔から地上に光は溢れていたと思います。

では、「アインシュタイン以前の光」とはどんなものだったのか。

これはまさにいろいろなことが言われていたと思いますが、たとえば、キリスト教、あるいは聖書では「混乱」していることがわかります。これも Wikipedia の「」から抜粋してみます。

(「宗教や哲学での説明」より)

『新約聖書』ではイエスにより「私は、世にいる間、世の光である」(ヨハネ福音書 9:5)と語られる。

またイエスは弟子と群集に対して「あなたたちは世の光である」と語る。

ディオニュシオス・アレオパギテースにおいては、父なる神が光源であり、光がイエスであり、イエスは天上界のイデアを明かし、人々の魂を照らすのであり、光による照明が人に認識を与えるのだとされた。



こんな短い文章の中に混乱した状況を多数見ることができます。
つまり、

・父なる神が光源
・イエスが光
・弟子と群集が光


イエスさんは自分が光だと言った後に、弟子と群集に対しても、「あなたたちは世の光である」と。相当な大部分が光であると言っているっぼい。




太陽の働きに関して揺れる科学界

太陽の話から始まって、どうしてこんな「光」のことなんかを書いたのかというと、「そもそも太陽ってもの自体は存在しているのか」ということを光のことから考えざるを得なくなっているからです。


今の科学界でも、「太陽がどうして太陽フレアを出し続けられるのか」ということはかなりの議論になっていて、さらに、過去記事の、

私たちの太陽が「宇宙の中で最も完全な球体」であったことが判明してショックを受ける科学者たち
 2012年08月18日

にありますように、太陽というものが信じられないほど「完全な形」をしており、「それなのに確定した(固い)表面がない」という異常なまでの不思議。

つまり、太陽というのは、「確定していない変幻自在な表面を持っているのに、完全な球体を保ち続けている物体」だということになるようなのです。

私などは、正直、上の記事を読んでいて、

「そんなアホな」

と思いました。

あり得ない。

昔、引っ越しのサカイの CM で「あり得なーい」という台詞で終わるバージョンがありましたが、上の記事を訳しながら、その CM のように振る舞わざるを得ない感じでした。

「あり得なーい!」と。



▲ そのCM 。何年前になるんですかね。


まあ、引っ越しのサカイのことは今回は置いておくとして(永遠に置いとけ)、その「太陽の働き」についての最近の議論に関しての記事は今、訳しているんですすが、専門用語で意味がわからないものがあって、まだ終わっていません。オリジナルの記事は、「Mystery Of Why The Sun Will Explode (太陽が爆発し続ける謎)」にありますので、科学に詳しい方等お読み下さればと思います。

これは簡単に書けば、

「どうして太陽フレアが発生するのか」

という議論に関しての記事なんですけれど、これは「太陽フレアが発生するシステムを実際には今の科学はわかっていない」ということの裏打ちでもあります。米国の宇宙科学センター、中国の中国科学院、ハワイ大学などによる国際研究チームの太陽研究に関しての奮闘なんですが、「結局はよくわからない」というような方向の記事ではあります。


そして、私自身は、今回の記事の上のほうに書いた「光というものの存在が危うい以上は、地球の光のボス格である太陽そのものの存在もあやういのでは?」と思ったりしている次第です。


「太陽って実は存在していないのでは?」

と思ってみても、でも、上を見ると、

「太陽はある」



いつでも太陽はそこに見えます。

このあたりは最近の記事でよく出てくる「堂々巡り」の記述の一環で、

「本当はないのかもしれない。でも、実際にはある」

というようなことに、最近必ずなっていくというのは、ここが最も気になるところということなのかもしれませんね。

というわけで、ここからタイトルにした「太陽の顔」についてです。






「悪魔の毒々ソーラー」からパンプキンヘッドへと変化していく太陽を見まもりながら


ところで、「悪魔の毒々」と自然とタイトルに入れてしまいましたが、この「悪魔の毒々」というフレーズを知っている方がいらっしゃるのかどうかということが気になってきました。

私は20年前くらい前までは映画ばっかり見ていた生活でしたので、その頃のこういうフレーズは自然に出る部分があるのですが、1980年代に、邦題ベースで「悪魔の毒々シリーズ」というものがあったのです。

これは1984年にアメリカのトロマ・エンターテイメント社という低予算映画制作会社が製作した「The Toxic Avenger (毒の復讐者)」というホラー映画に、日本の映画製作会社が「悪魔の毒々モンスター」という作品のオリジナルタイトルとも内容とも何の関係もない邦題のタイトルをつけたところ、日本で大ヒットし、その後、「悪魔の毒々シリーズ」という、「すべて原題とは何の関係もないシリーズ」の映画やビデオが日本でおびただしく発売されていた時代の話です。

この会社の作品と邦題は、 トロマ・エンターテインメント - Wikipedia に一覧がありますが、その一部として、

悪魔の毒々モンスター(1984年)The Toxic Avenger
悪魔の毒々ハイスクール(1986年)Class of Nuke 'Em High
悪魔の毒々サーファー (1986年) Surf Nazis Must Die
悪魔のゾンビ天国(1987年)Redneck Zombies
悪魔の毒々おばあちゃん(1988年)Rabid Grannies
悪魔の毒々プラトーン(1988年)Troma's War


と、原題と関係なく「悪魔の毒々」とつけられていた、いい加減な時代の楽しい空気がおわかりかと思います。

タイトルから、コワそうな映画に見えるかもしれないですが、「わざとくだらなく作っている」という部分が強い作品が多いです。

もともと、トロマ社はアメリカの名門イェール大学出身のロイド・カウフマンという人がビジネスとして創設した、いわゆるエリート会社です。しかし、他の「いわゆる米国のエリート映画起業家」たちと違って、このカウフマンさんという人は一貫として「地味に小さく、下らない映画をコツコツと作って人々を楽しませ続けた」という部分があって、私が好きな映画人のひとりです。

今では、アメリカでも(多分、日本でも)、「ロイドおじさん」と呼ばれていて、SF好きな人たちの、ややマイナーとはいえヒーローのひとりです。

tcss-lloyd-kaufman.jpg

▲ トロマ社の創業者のロイド・カウフマンさんの最近の様子。これは子ども向けのテレビ出演用に撮影されたもの。顔を見てもいい人ですが、実際に楽しい人らしいです。下に「悪魔の毒々モンスターを造った人物」とあります。ロイドさんの左側にある緑色の人形が「悪魔の毒々モンスター」のぬいぐるみ。



なんか変なことで長くなりましたが(笑)、このシリーズの第一作となった「悪魔の毒々モンスター」。下が日本公開時のポスターです。

toxic-avenger.jpg


そして、9月24日の太陽と、この映画のボスターの主人公を並べてみますね。


2012年 9月 24日の太陽 / NASA

tox-0924.jpg


悪魔の毒々モンスターの主人公

sun-toxic-01.jpg



私が 9月24日の太陽を見た瞬間に「悪魔の毒々モンスター」を思い出したというのも、なんとなく理解いただけるのではないかと。

本当に似てるんだもの。


さて、それから数日の間に、太陽はさらに変化していきます。
翌日から徐々に形を変え始めまして、そして昨日。

今の太陽はこんな顔をしています。


2012年 9月 28日の太陽 / NASA

tox-0928.jpg


これですね・・・また映画で申し訳ないですけど、1988年の『パンプキンヘッド』という映画のモンスターと似ています。

これはあまりにもコワイ映画ですので、何も貼らないですけど、子どもを殺された父親が、「伝説のモンスターを蘇らせる」というもので、そのパンプキンヘッドというモンスターは、「人間の心の化身としての姿」なのでした。


つまり、「憎悪には憎悪の形として」現れる。

そして、多分、「愛には愛の形で」現れる。


案外、太陽の形もそんなものなのかもなあとか思います。

憎悪には憎悪で。
他の様々な感情にはその感情で。

そういえば、9月のはじめに書いた、

大出血のような太陽フレアと真っ赤な富士山上空を眺めながら「物質は永遠」という法則を子ども科学本で知った日
2012年09月03日

という記事の頃には、太陽から「大出血」のようなフレアが噴出していました。

下がそのスローモーション動画です。




過去の「太陽の顔」の記事をリンクしておきます。
さて、明日の太陽の顔はどんなふうになっているかな。