シリーズ:良い時代と悪い時代
(1) 500年ほど続いた「穏やかだけれど傲慢な時代」は終わろうとしているのかも
(3) 2013年の巨大彗星アイソンのこと。そして宇宙から地球に降り続ける生命のこと
(4) 2013年 2月15日に世界各地で同時に太陽の光のように爆発した複数の隕石
(5) 米国で話題になっている巨大小惑星の衝突を検証してみました
(3) 2013年の巨大彗星アイソンのこと。そして宇宙から地球に降り続ける生命のこと
(4) 2013年 2月15日に世界各地で同時に太陽の光のように爆発した複数の隕石
(5) 米国で話題になっている巨大小惑星の衝突を検証してみました
今朝、Google のトップページが下のようになっていました。
Google は著名人の誕生日などではこのように特別なロゴにすることがありますが、そういうイベントがあるのは相当な著名人だけです。なので、上のロゴを見てちょっと考えてみました。
「なんか物理っぽい数式があるし・・原子みたいのが描かれているし、アインシュタインかなあ」
とクリックしてみると、「ブー」でした。
1922年に「原子構造とその放射に関する研究」でノーベル物理学賞を受賞した、ニールス・ボーアという科学者の誕生日なのでした。知っているかなあと考えてみますが、「うーん・・・やっばり知らない」ということで、 Wikiepdia を読んでみました。以下のような人のようです。
ニールス・ボーア
デンマークの理論物理学者。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。
20世紀初頭の物理学に対して様々な貢献を成しとげており、量子力学分野の確立において、相対性理論の確立者であるアインシュタインと双璧を成すと称される。
だそうです。
目を引いたのはその下にある記述でした。
後半生には量子物理学と東洋哲学に類似性があるとして東洋哲学を研究していた。
ということで、下のようなことを述べていたそうです。
「原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。」
フレッド・ホイル博士も晩年は東洋思想に傾倒していたんですが、それは、多分、科学を突き詰めれば突き詰めるほど、科学者の人々は「無限」という問題と対峙せざるを得なくなるからのような気もします。
まあ、実際のところはわからないですが、いずれにしても、ニールス・ボーアという人は徹底的に東洋思想に傾倒していたようで、自身の物理学での功績により、デンマーク最高の勲章であるエレファント勲章というものを受けた時、その紋章に選んだのが、陰陽の東洋の図面である太極図であったとのことで、それが下の勲章。
下の部分を拡大すると、こんなでした。
昔、「インド人もビックリ」というフレーズがありましたが、そんな感じです。
上の紋章はデンマークのフレデリック城に、世界の王室・元首の紋章とともに飾られているのだそうです。
さて、今日は、上のような、心情的に好きな感じの上の科学者を知ったわけですけど、今日の記事の冒頭はもともと別の科学者の著作からの引用ではじめようと思っていました。
それは、スティーブン・ホーキング博士という科学者の言葉です。
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どうして私たちは「傲慢」になったのか
前回から「いい時代と悪い時代」ということについて書いていますが、ホーキング博士の「言葉」は、現在の「時代」のことをよく現していると思ったからです。
ホーキング博士は、著書『偉大な設計』の中で「神は宇宙を創造しなかった」と記し、続いて、 2010年9月10日の米国 CNN のテレビ番組のインタビューの中で以下のように述べています。
「科学は創造者の助けなしで宇宙を説明することができる」
この現代の科学者の言葉と並んで思い出したいのことは、ひとつは今回も前回に続いて抜粋するフレッド・ホイル博士の『生命はどこからきたか』のエピローグにある下の部分です。
「悪い時代には、空からやってくる天災に対して、どんなに強力な指導者であっても対抗できなかった。しかし天災がしばらくなかったときには、専制的な支配者に対抗するものは何もなかった。空には何も見えなかっただろう。そして天上の神々の地位は下がり、専制的支配者をも含めた神がとって代わった。」
と書いています。
つまり、「空からの天災がない時代は、人は神に対して尊大になる」ということが言えるかと思います。
ホーキング博士の生きている「今」という時代は、まさにこの「空からの天災がない時代」であり、「そして天上の神々の地位は下がり、専制的支配者をも含めた神がとって代わった」というホイル博士の言葉から見ると「専制的な支配者が新しい神になろう」している時代だと言えます。
さて、この「専制的な支配者が新しい神になろう」というフレーズ。
今年の7月に、
・科学者たちの「神」の意味
In Deep 2012年07月05日
というものを書いたのですが、上のホーキング博士の発言はこのことを端的に現している言葉だと思います。
「私たち(科学者)が神だ」と。
これは上の記事では、「現在の神は計算であり、それを司る者」だと書きました。
どうして、計算を司るものが神かというと、たとえば私を含めて多くの人には「宇宙論の計算はできない」のですが、それでも、現在の宇宙論はその計算がすべてとなっている。
もちろん、フレッド・ホイル博士もバリバリの「計算の頂点にいる科学者」なんですが、少なくとも私が読んでいるもので、自分たち科学者が新しい神であるというニュアンスを感じる部分はないです。また、晩年には「無限」ということを考えていたようで、埴谷雄高さんなんかもそうですが、一種、ゴールのない思想の中で亡くなっていったような感じがあります。
ここまで書いていて、ふと、昔のウェブボットのクリフ・ハイのエッセイで引用されていた古い西洋の詩を思い出しました。そこには古代エジプトで「新しい神になろうとしていた王たちの跡」が描かれています。全文ご紹介します。2009年7月20日にリリースされたウェブボット「来るべき未来の姿 0巻1号」の巻末エッセイにあるものです。
オジマンディアス
パーシー・B・シェリー作/高島康司訳
古代の国エジプトから来た旅人はいう
胴体のない巨大な石の足が二本
砂漠の中に立っている
その近くには半ば砂にうずもれた首がころがり
顔をしかめ 唇をゆがめ 高慢に嘲笑している
これを彫った彫師たちにはよく見えていたのだ
それらの表情は命のない石に刻み込まれ
本人が滅びた後も生き続けているのだ
台座には記されている
我が名はオジマンディアス
王の中の王
全能の神よ
我が業を見よ
そして絶望せよ
ほかには何も残っていない
この巨大な遺跡のまわりには
ここにある、
「全能の神よ 我が業をみよ そして絶望せよ」
という言葉。
これは古代エジプトの王が「私は神より偉大なのだ」と言ったことを示しているわけですが、現在の科学にある一部分の言葉には、上のニュアンスを感じます。
すなわち、
「宇宙よ 我々はお前などこわくない」
ということです。
前回も書きましたが、このような「宇宙を軽く考える時代」も、「今のように安全なときが永遠に続くのなら」こういう考え方でもいいのかもしれませんが、決して地球はそういうものではないことは、これもやはり科学(天文学や地質学など)が解明していることです。
前回記事の「良い時代と悪い時代: 500年ほど続いた「穏やかだけれど傲慢な時代」は終わろうとしているのかも」の抜粋の続きです。
『生命はどこから来たか』 エピローグ
フレッド・ホイル著
大島泰郎(東京工業大学名誉教授)訳
最初の巨大彗星の分裂は今から六、七千年前に最高に達し、その頃の空では壮観な眺めが見られたことだろう。その様子は急速な分裂や塵の放出であった。人類の祖先が、神々の争いとして見ていたこの様子は、場合によっては死のミサイルとして人類に降りかかってきた。そして天空が落ち着いた頃、神々の争いが終わったと考えただろう。そして他のものが活動を終えた後も一つだけ明るく燃え続けたものがあったはずだ。ギリシャ神話ではホメロスとヘシオドスの詩のなかでゼウスと呼ばれる最高神がこれにあたる。
ギリシャ神話は、紀元前一〇〇〇年以上前の西アジアやメソポタミアの神話からでき上がっているらしい。それらに共通する話の例としては、敗れた神が石を飲まされるという話と、クロノスがゼウスに石を飲まされるという話がある。もしも神話が事実に基づいているのならば、紀元前一〇〇〇年以上前に彗星の衝突があり、そのような現象が起きていたのであろう。
ホメロスやヘシオドスから二〇〇年経った頃でも古代ギリシャでは過去の大災害を忘れていなかったようだ。プラトンの対話のなかにそれがみてとれる。
「クリアチス、今は忘れられてしまったが、ずっと昔アテネそして人類に驚くべきような出来事が起こった。それは何度も起こり、一番ひどいのは火と水によって起きた。そして次のような話がある。ヘリオスの息子バエトンが父の馬車を馬につないだ。だが彼は父の通り道を運転できなかったので、地球に落ちて燃え尽きてしまった。これは神話の形をしている。しかし、地球を回っていた天体が地球に落下したという現象を示しており、地球上の大火事というのは長い間隔をあけて繰り返されたのである。このとき、海岸や川辺よりも山の上の方が被害がひどかった。一方、神が大洪水で地球を清めるとき、羊飼いや町に住む人々を海に押し流す。-- 普通の時代では、天上から伝染病と同様に流れが降りてきて、教育の少ない人のみを残していく。そして昔起きたことを何も知らず、子どものように初めから始めなければならない -- 」(プラトンの対話『 Timaeus』 B. Jower 翻訳)
ここまでずっと議論してきた彗星や火球の衝突の話は、プラトンの時代には全く普通の話であった。しかし過去の大災害の記憶は忘れられ、哲学者アリストテレスからは地球が彗星には関係なく安全だと考えられるようになった。アリストテレスは彗星や隕石を天体とはせず、大気現象だとした。西洋思想では地球は宇宙から切り離されてしまったのである。この変化はソクラテス後二〇〇年で起きたのだが、それは、隕石の落下や空の " 流れ " の明るさが急に減少したためである。
▲ 図3 ヨーロッパと北米における平均気温の変化。
古代エジプトは良い時代と悪い時代を両方経験している。図3に示す温度記録の中で、紀元前二七〇〇年頃、エジプト中期に深い谷間の一つがあるが、もちろんこれを説明するのには火球の衝突を考えるのが賢明だ。この時代が最初のエジプト王朝の終わりであり、いわゆる古王朝の始まりの時期にあたっていることを見逃してはならない。そしてまた、ピラミッドが作られ始めた時期でもある。古代エジプトは五〇〇〇年残る建造物を建てたが、それは少なくとも一回は超ツングースカ級の爆発を経験しているはずである。直系一〇〇メートルの彗星が五〜一〇キロメートル上空で爆発したときの衝撃波にも耐えられる構造物となると、ピラミッド以上に適した形状は考えられない。
悪い時代には、空からやってくる天災に対して、どんなに強力な指導者であっても対抗できなかった。しかし天災がしばらくなかったときには、専制的な支配者に対抗するものは何もなかった。空には何も見えなかっただろう。そして天上の神々の地位は下がり、専制的支配者をも含めた神がとって代わった。それがエジプトのファラオーであり中国の王であった。死後、神となるために、地上で埋葬されかつ空からの攻撃から守られる必要があったのだろう。この目的のためには、一つの入り口以外は固く閉ざされたピラミッドを建てるのが最良の方策だっただろう。このように考えないことには、非常に特異なピラミッドを説明できない。肉体を永遠に保存するには、宇宙からの爆撃から王の間(ま)を守る必要があったのである。
紀元前一〇〇〇年から五〜六世紀までは幸運な時代が続いた。その後、暗黒時代には断続的に悪い時代があったが、中世には幸運な時代に戻った。すでに衰退していた(基本的にアリストテレスの時代に崩壊していた)古代宗教は、信念よりも惰性に頼っていた。
六世紀のローマ帝国の崩壊は長い間、学問的議論の課題であった。エドワード・ギボンは、フランスチード、カッシーニ、ベルヌーイ、ニュートン、ハレーなどの大家を擁護して、どんな天災も空からはやってこないと主張し、次のように話した。
「時代は、災難が起こりにくいときと起こりやすいときに分けられる。毎日地震が繰り返されたこの頃、コンスタンチノープルでは四〇日間も揺れが続いた。このことは地球全体に、少なくともローマ帝国全体に伝えられた。振動が伝わり、大きなひび割れができ、放電が起き、海は前進と後退を繰り返し、山は裂け、アンチオクでは二五万人が死んだと言われる」(エドワード・ギボン『ローマ帝国の衰退と滅亡』 第四十三章)
ここで述べられている長期間の地震は異常であり、最近では全くないものだ。これは、宇宙からの天体の衝突により地殻に圧力がかかり、地震を引き起こしたと考えることができる。
五世紀中頃のローマ帝国のブリテン植民地の崩壊にも、同じ群に属する宇宙ミサイルが関与していた。このことは次の「ペニーマガジン/ Penny Magazine 」(一八三四年)のなかのロンドンからの報告に示されている。
「リンカーンシャのエクスホルム島の衰退過程では、何かとんでもない天変地異が起こったらしい。数多くのオーク、モミ、その他の木々が五フィート地下に倒れていた。木の幹は全て北西/南東方向に倒れ、それは斧で切ったのではなく、地面近くで燃えたようで、南端の表面は炭化していた」
この記述は一九〇八年のツングースカを思い出させる。エクスホルム島の木が倒れた数平方キロメートルはブリテン入植地の中心地だった。
(編者注) ここままでにしておきます。この後にはイスラム教の勃興や中国の歴史などが書かれますが、要するに、「世界中同じようだった」ということのようです。
長く抜粋したのは、「もう何百年もそんな自然災害の話を聞いたことのないような場所」で起きていたということにも興味もあったからです。
たとえば、上の抜粋部分の最後のほうのエビソードでは「ロンドン」からの報告となっていますが、その様相、つまり「木の幹は全て北西/南東方向に倒れ、それは斧で切ったのではなく、地面近くで燃えたようで南端の表面は炭化していた」は、まさに1908年のツングースカそのものですが、そういうことが、確かに「イギリスでも」あったのです。
▲ 1908年のツングースカの爆発の現場写真。アストロアーツのツングースカ事件から100年より。
悪い時・・・。
そのサイクルはたった1万年程度の歴史でも繰り返し起きていて、悪い時代がこれから来るのかどうかはともかく、フレッド・ホイル博士は、
「過去 500年の記憶喪失の睡眠からそろそろ目覚めたほうがいい」
と述べています。
しかし、今の私たちは過去と違い、これからのその「悪い時代」はさほど怖くはないのではないかという考えが私にはあります。
それは前述した「科学の奢り」のほうの話ではなく、個人個人の「ある種の進化」のことですが、進化という言い方でいいのかどうかよくわからないですが、「時間の変容」に関してのことです。
古代ギリシャでいう「カイロス時間とクロノス時間」ということとも関係することかもしれません。このことは書ければ書いてみたいですが、一歩間違うと「変な夢物語」のようになるのもアレですので、アップできるようなものが書けるのなら、書いてみたいです。
この「カイロス時間とクロノス時間」というのは、 Wikipedia のカイロスから抜粋しておきます。
ギリシア語では、「時」を表す言葉が「カイロス」と「クロノス」の2つがある。
クロノス時間とは、過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる時間。
一方、カイロス時間とは、速度が変わったり繰り返したり逆流したり止まったりする、人間の内的な時間。
クロノス時間というのが、私たちが「時計」などで言ういわゆる「時間」ですが、最近たまに書くことがありますが、この「時間」というのは物理的な説明はできないもので、つまり、「クロノス時間は存在していない」と考えるのが理に適っているのですが、では、感覚的な意味の「カイロス時間」が存在しているのかというと、こちらはもっと存在の定義が難しい。
しかし、今、「クロノス時間とカイロス時間の間に生まれている軋轢」というものが存在していると感じます。
これは「時計の時間の消滅」への方向の話ですが、やっばり、一種の「夢物語」となりかねない話です。
というわけで、今回はここまでにしておきます。
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[彗星の意味]に関連した過去記事:
消滅したエレニン彗星:そして、彗星の存在の意味
2011年08月31日
▲ 2011年8月にエレニン彗星が崩壊・消滅した光景。
NASAの探査機ディープインパクトがハートレー彗星の中心核の近影に成功
2010年11月05日
▲NASAの探査機ディープインパクトが、700キロメートルから撮影したハートレー第2彗星。
[彗星が地球に生命の素材を持ってきた]米国ローレンス・リバモア国立研究所でも地球の生命が宇宙から来たアミノ酸だという研究発表
2010年09月16日