2012年11月09日



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「マヤ文明は気候変動と共に崩壊した」: サイエンス誌での最新研究論文



(訳者注) 最近は、気候変動のことなどにくわえて、ふと気づくと、「マヤ文明」にふれる記事が多くなっていることに気づきました。

そういう流れの中で、米国のカリフォルニア大学が先日、「マヤ文明の衰退は急激な気候変動によるもの」と、ほぼ断定したという論文を発表したというニュースがありましたので、それをご紹介したいと思います。

私は、何となく、マヤ文明は「スペイン人の侵略によって滅亡した」というイメージを持っていたのですが、改めて歴史を見てみると、スペイン人が侵入してきたのは 16世紀の頃で、実際にはその頃にはすでにマヤの高度な文化や文明は衰退していたようです。

そのあたりを、マヤ文明 - Wikipedia から以下に抜粋しておきます。


マヤ文明 / 歴史より

9世紀頃から中部地域のマヤの諸都市国家は次々と連鎖的に衰退していった。原因は、遺跡の石碑の図像や土器から、メキシコからの侵入者があった(外敵侵入説)、北部地域に交易の利権が移って経済的に干上がった(通商網崩壊説)、農民反乱説、内紛説、疫病説、気候変動説、農業生産性低下説など有力な説だけでも多数ある。しかし、原因は1つでなくいくつもの要因が複合したと考えられている。



となっていますが、今回のカリフォルニア大学の研究は上の要因のうちの「気候変動説」を支持するものとなっています。

ところで、マヤ文明と呼ばれる地域は、現在でいうメキシコの南東部や、グアテマラ、ベリーズなどの中南米(メソアメリカ)地域の古代の文明ですが、現在のアメリカ合衆国の大部分がある北米大陸にも多くの先住民がいました。英語ではインディアン、スペイン語ではインディオなどと呼ばれていた人たちです。

その種族の数は「アメリカ州の先住民族」というページをご覧になってもおわかりかと思いますが、非常に種族が多いです。


その中で、最近、ふとしたキッカケで、チェロキーという北米大陸の先住民族のことを調べていたことがあったのです。

あるいは、話が大きく逸れるかもしれないですが、少し書かせていただきます。




チェロキーの「月」と「太陽」


そのチェロキーを調べていた時に、上のリンクにもある Wikipedia に「チェロキーの言語」というセクションがありまして、そこに下のようにありました。

赤い部分は私が囲んだところです。

cherokee.jpg


なんとチェロキーの言語では、「月」と「太陽」が同じ言葉で現されているのでした。

月と太陽が完全にひとつの単語という言語は他にも多分あるのでしょうけれど、初めてみました。日本のアイヌの人たちが使っていたアイヌ語でも、月と太陽には同じ「チュッ・カムイ」という共通の発音が入ります。

太陽 「トーカム・チュッ・カムイ」

  「クンネ・チュッ・カムイ」


と発音しますが、チェロキーの言葉を見て、「月と太陽が『完全に同じ』という言葉があったんだなあ」と感動してしまいました。


かつて過去記事の、

地球と太陽の組成はまったく違うものというオーストラリア国立大学の研究発表
 2012年04月06日

という記事の前振りなどに記していますが、月と太陽が「同じ大きさで、役割も対等だ」というように感じてから、このことは気になっていました。


もともとは、旧約聖書第1章の「天地創造」の一節に疑問を持ったのがはじまりです。以下の部分です。


旧約聖書 創世記 第1章 16-18節

神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。

神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、また昼と夜とをつかさどり、光と闇とを区別するようにされた。神は見て、それをよしとされた。




上の部分は現在の科学的な事実とは矛盾していないものの、中世から古代のありとあらゆる「オカルト」に反した記述のように思うのです。古代のアジアの神話などでも西洋神秘学などでも「大きなほうが太陽で、小さなほうが月」という概念は出てこないのが一般的のように感じます。

なのに、どうして旧訳聖書だけ、まるで現代になってから書かれたかのような記述がなされているのかは今でも疑問です。

その理由などわかるわけもないですが、しかし、夜空の月と、曇り空の雲の中に見える太陽の大きさは「地球から見れば同じ」で、だからこそ、日食といった奇跡的な現象も起こります。

simoon-2012.jpg

地球と太陽の組成はまったく違うものというオーストラリア国立大学の研究発表より。



日食や月食がどれだけ奇跡的なことなのかについては、過去記事の、

2004年の金星に現れたアークは再び現れるのか。そして、私たちは太陽系システムの奇跡にそろそろ気づかなければならない
 2012年06月05日

という記事に書かせていただいたことがあります。

太陽と月という下のように大きさの違うものが「ぴったりと重なり合う」という物理的な理由についてを書きました。



上記の記事より。


上に「科学的事実とは矛盾しないものの」と書きましたけれど、実際のところは、科学的な事実という根底はかなり危ういもので、その理由は、「ひとつの大きな規定が崩れると根本から崩壊する運命にあるから」です。

たとえば、「1より2が大きい」という前提が崩れると、月と太陽の物理的な比較はできないことになりますが、「絶対にその科学的前提が崩れない」という未来があるかどうかはわからないわけでもあります。


現代物理の法則が絶対ではないことは科学者の方々自身が最もよくご存じだと思いますが、現在の物理の法則の中で「ここだけは絶対」という部分が存在するのかどうか、ということはなかなか難しいことだと思います。


たとえば・・・まあ、例えとしてはよくないですが、地球の全員が発狂して、全員が観念と妄想の世界だけに生きるようになるという世の中では、もはや物理的事実は機能しないと思います。

「自分が大きいと思ったほうが大きい」

という世界。

この世界というのは、私たちが子供の頃から聞くことのあった「四次元の世界」とか「パラレルワールド」のような概念と似ているわけですが、現実、最近の科学では、そのような未来観に対して肯定的になっている感じもします。


いずれにしても、「月と太陽が同じ言葉」であるチェロキー族というものに興味を持ち、調べていましたら、「チェロキー族の予言」というものも伝承的なものではありますが、残されていることがわかりました。

マヤ文明やアステカ文明などから啓示「されているようなこと」や、北米だとホピ族の予言などは有名ですが、同じ北米のチェロキー族にも民族に伝わる予言があり、それは他のものとはずいぶんと違う感じのものですが、きちんと訳した時にご紹介したいと思います。


それにしても、チェロキー族の「月/太陽」の発音は「ヌタ」。

日本語だと、「ワケギのヌタ」などのヌタという調理法くらいしか思い浮かびませんが、なんとなくソソる語感の月と太陽ではあります。


かなり話が逸れてしまいましたが、今回はマヤ文明の崩壊に関しての「科学」の話です。

ここから翻訳記事です。




Extreme Weather Preceded Collapse Of Maya Civilization
Ideas, Inventions And Innovations 2012.11.08


マヤ文明の崩壊の前に異常気象が先行していた


米国カリフォルニア大学の研究者を含む国際研究チームは、古代のマヤ文明が数十年の間に急速に衰退して、そして最終的に滅亡した理由についての新しい研究結果を発表した。

それは、異常気象が強大な文明の終焉に繋がったという結論だった。

下の写真はメキシコのチチェン・イッツァの遺跡に刻まれている金星の象徴で、このシンボルの研究とも、今回の結果は繋がった。

chichen-Itza-Venus-symbol.jpg


マヤ文明の崩壊は、世界の歴史の中でも大きなミステリーとして研究され続けてきた。

そして現在、研究者たちは、マヤ文明を取り囲んだ環境と気候状況の記録とマヤ文明の政治の記録とを結合することが可能となった。

今回の研究結果は、2011年11月9日の『サイエンス』で発表される。

マヤ文明は、驚くべき工芸技術と農業技術を伴う政治を保持していたが、たった 80年間ほどの間にその技術力が急速に衰えていくことがマヤの彫刻が施されている遺跡の調査から判明している。マヤの碑に刻まれている内容は、すべて政治史と結びついていると研究者は言う。

ところが、その記録の数が、ある年代から急速に減少していっている。しかし、そこには、嵐や干ばつや政治的なミスなどの生態学的現象についての言及は残っていなかった。


これらを調査するために、研究チームは、ベリーズのマヤの遺跡跡の重要な三カ所から石筍(天井から落下する水滴が原因となって洞床から積み重なるもの)を収集し、これを酸素同位体を使って、過去 2,000年間の雨量の記録を計測したのだ。

そこから判明したのは、西暦 300年から西暦 660年の間に気候の「逆転」により、気候が乾燥に向かったことがわかった。それにより、政治的な競争、そして戦争、全体的な社会不安が増大し、最終的に政治的な崩壊を誘発したと考えられる。

また、収穫不足による飢饉、マヤの住民の移動が見られる西暦 1020年と西暦 1100年にの後にも長く続いた干ばつの証拠が見つけられた。

研究者のマクリー氏は次のように述べる。

「気候変動による病気の流行などにより、マヤ文明の政治的な不安定要因となったのではないかということは長く言われていましたが、今回の研究でそれは明白になりました。マヤの政治が気象的な出来事に依存していたという事実です。それは、あるいは現代の私たちの政治にもいえるのかもしれません」。

そして、このように続けた。

「現代の私たちがマヤのような気候変動に見舞われたらどうなるか? それはわかりません」。






(訳者注) 上の写真にある「チチェン・イッツァ」というのはメキシコのマヤ文明の遺跡のようで、 Wikipedia には以下の記述があります。


セノーテ(聖なる泉)

雨が降らない時や豊作を願う時に、神の予言を伺うために、財宝や生贄の人間が投げ込まれたという。スペイン征服時のスペイン人の記録によれば、吉兆を占うために、定められた日に女性を放り込んだとしている。



こういうものが存在していること自体が、繰り返し襲ってくる異常気象と政治、あるいは「生け贄としての人命」までもが結びついていたことがわかります。

それでも、最終的にマヤ文明は気候変動での滅亡から逃れられなかったということが、今回の研究で見いだされた結論のようです。