▲ 「 132億年前の天体」の存在に対して交わされるビッグバンへの疑念の対話より、2009年に発見された GRB 090429Bという名前がつけられている132億年前の天体。
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あまり嫌いなものがない私ですが、この世で最も嫌いなものが植物につくナメクジで、毎年、梅雨時には大量殺戮の暗い情熱に燃えたりします。
もうひとつ嫌いなものが「ビッグバン」という概念で、こんな考えを「発明」し、定着させてしまったお陰で、人類の悲しみが増大してしまったと私は本気で考えています。
少なくとも私の中ではすべての存在が永遠であってほしいから
かつて書いたこともありましたが、ビッグバンというのは宇宙に始まりと終わりがあるという「アイディア」であり、その根幹は「宇宙は有限」(宇宙の広さにも寿命にも限りがある)という理論です。
宇宙が有限なら、そこに存在する私たち人類もつまり「有限」。
どれだけ「〇〇は永遠・・・」というようなことを言っても、おおもとが有限なら、人間も自然も、あるいは形而上の世界の、たとえば幽霊だの前世だの宇宙人だのの世界も、つまり何もかも「無限なものなどこの世に存在しない」ということになってしまうはずです。
何しろ「すべて宇宙」の中にあるのですから、その宇宙が無限ではないというならそうなる。
2年ほど前から「そんなのあり?」と私は思い続けているわけで、それがビッグバン理論を強く否定したい根拠となっています。別に科学的云々などはどうでもいいんです。
無限を完全に否定するという概念が嫌いなのです。
しかし仮に、ビッグバン理論の言う「有限説」が間違いであり、宇宙は実は「永遠」だったというのなら、私たち人間にも「永遠が存在する」という可能性が出てくると私は思っています。
そして、ビッグバン理論の登場以前にビッグバン理論とよく似た概念に焼き殺されてしまった科学者ジョルダーノ・ブルーノなどの言葉を待つまでもなく、あるいは、いかなる科学的根拠を必要とせずとも、私自身は宇宙は絶対に永遠であると確信しています。
その根拠自体も実は「科学」が示してくれているのですが、いわゆる「物質不滅の法則」というもので、これは、現在は質量保存の法則と呼ばれていますが、何と呼ばれようと、科学には「物質は消えたりしない」という基本法則がある。
・・・「宇宙の始まりだけ物理と科学の法則をすべて無視して生まれた?」
「そんな馬鹿な。消えないものが現れるわけがない」
ビッグバン以前には何もなかったというのなら、何もないところから何かが生まれるという物理の法則などこの世にないはずです。何もかも物理の法則で計算を出しているビッグバン理論なのに、その誕生には物理の法則が適用できないという矛盾はかなり大きな矛盾にも思います。
まあしかし、私の駄文を続けても仕方ないので、今回の話に移ります。
ちなみに、上の「質量保存の法則」に関しては、過去記事の、
・大出血のような太陽フレアと真っ赤な富士山上空を眺めながら「物質は永遠」という法則を子ども科学本で知った日
2012年09月03日
というものの中でふれています。
上の記事は2ヶ月ほど前のものですが、その時に、図書館の子ども本コーナーの本を立ち読みして、偶然見つけて知った言葉でした。上の記事の中段くらいの「 250年前に決着がついていたこの世の永遠性」という段落にあります。
さて、今回ご紹介する記事ですが、 NASA のハッブル宇宙望遠鏡が「 133億年前の天体を発見した」というニュースで、これは、いわゆる 137億年前程度に起きたとされているビッグバンから4億年ほど後の時期で、「現在の宇宙の歴史」から見ると、全体の3パーセントしか進行していない地点です。
そこに天体がある。
ところで、今回の記事を書くために久しぶりに Wikipedia のビッグバンを読みましたら、以前とは内容が変わったのかもしれないですが、最初のほうにフレッド・ホイル博士の名前が出ているのでした。
ホイル博士の天国からのささやき
当時の科学界の中で最もビッグバン理論を憎んでいたホイル博士。
しかし皮肉にも、「ビッグバン」という名称は、ホイル博士の一言からつけられたものなのです。そのことは知っていましたが、 Wikipedia に書かれてありましたので、抜粋しておきます、
ビッグバン - 概要 より
この理論に「ビッグバン (Big Bang)」という名をつけることになったのは、皮肉にも、「宇宙に始まりがあった」という考えを非常に嫌悪していたフレッド・ホイルであり、あるラジオ番組において、(ジョルジュ・ルメートルという科学者の)モデルを 「this 'big bang' idea(この大ボラ)」 と愚弄するように呼んだのが始まりであるとされている。
科学記者ジョン・ホーガンの取材によるとホイルは卑下する意味は微塵も無く、何か咄嗟に生き生きとした表現は無いものかと思いついたのが「ビッグ・バン」だったと気まずく述べており「命名者としてパテントを取得しておくべきだったよ」と悔やんでいる旨を明かしている。
その名の通り爆発的に用語が一般認知、定着するが、それ以前の天文学者らの間では「フリードマン宇宙論」として語られていた。
自分が亡くなる時まで、ずっと嫌悪し続けた理論に「呼びやすい名称」を与えてしまったのが、ホイル博士自身だったということは、なんとも皮肉な話ですが、フレッド・ホイル博士の言動が当時の科学界に影響があったことも関係しているのかもしれません。
▲ フレッド・ホイル博士。ホイル博士が夢見た無数の世界より。
ちなみに、フレッド・ホイル博士の主張していた宇宙論は「定常宇宙論」というもので、「宇宙は膨張はしているけれど、生まれてはいない」という理論といっていいかと思います。
これも Wikipedia から抜粋しておきます。
フレッド・ホイル - ビッグバンの否定 より
ホイルは、宇宙膨張の発見については異論を唱えていないが、観測結果の解釈については同意しなかった。ホイルは、宇宙は「定常状態」にあると主張した。この定常宇宙論では、宇宙はビッグバンによってある時点から始まって爆発的に膨張しているのではなく、新しい物質が絶えず生成されることが宇宙膨張の原動力となっているとする。
この定常宇宙論の連続的物質生成説では、ある種の物質創生場の存在を仮定している以外、新しい物質の出現については何も説明していないが、これ自体は宇宙全体が無から生み出されたという(現在主流の)理論と比べて不可解さは似たようなものである。
最終的には宇宙マイクロ波背景放射の発見によって、天文学者の間では(ホイルは別として)ほとんど全会一致でビッグバン理論が受け入れられているが、彼自身は定常宇宙論を生涯捨てることはなかった。
そして、ホイル博士は科学界で孤立していくことになり、元素合成の理論の発展の貢献から考えて、ノーベル賞の受賞は確実視されていたのに、外され、ブルーノと同様に科学界で「存在」を焼き殺されていきました。
ホイル博士は 2001年に亡くなりましたが、最近になり、ホイル博士の理論と、そして人生を通して研究し続けた「パンスペルミア」説には明らかに光が当たり始めています。
ところで、上の Wikipedia の記述には「これ自体は宇宙全体が無から生み出されたという(現在主流の)理論と比べて不可解さは似たようなものである」と書かれてありますが、不可解さが似ていることが問題ではないのです。
ビッグバン理論は人類にとって有害だ、ということが問題なのです。ビッグバンという宇宙有限理論が人間の永遠性を否定し、20世紀以降、以前よりさらにさらに「人類は小さな存在」となってしまった。
はるか昔、人類はもっと大きな存在で、そのような存在であるからこそ、自然や宇宙に謙虚に接せられ、あるいは対等に付き合うことができたと思います。今の人類は自然や地球に対しての、「変な罪悪感」で覆われており、宇宙に卑下ばかりしている。
その理由は、ビッグバン理論に代表される「有限性」に身も心も染められているからです。今の人類は、本来の人類の意味、つまり、「どうして私たちはここにいるのか」を忘れています。
古代の様々な人々は、そのことを「考えなさい」と私たちに言っていたように思っています。
そして、考えることを放棄して、データと計算だけで世界を構築し始めた 20世紀以降の世界と、日本の現実が「今」です。この「今」が夢のように素晴らしい世界だと考えるのなら、それでいいのだと思います。
しかし、私は少しもそうは考えません。
クズのような世の中だと思います。
19世紀から 20世紀に生きたロシアの思想家グルジェフは「20世紀はクソのような時代だ」と言いましたが、その最終的な様相を私たちは見ているのだと思います。
しかし、「悪いこと」を見続けることは決して無駄ではないことも確かです。
このことは長くなるので、今回は書くのを避けますが、表現の世界などでは「悪い経験」が後に人々への表現にとって良い材料となることが多いのです。
もちろん、その「悪い経験」を生かさなければ、どこまでも同じですが。
私たちは悪い経験と悪い光景を糧に将来へ向かうべきだと思います。
少なくとも、「人類を矮小化するためのような思想と科学」から離れられるような社会を目指せれば嬉しいと思います。
というわけで、ここから NASA の発表に関しての記事です。
Farthest Galaxy Ever Sighted --Captured by Hubble and Spitzer Space Observatories
Daily Galaxy 2012.11.15
ハップル宇宙望遠鏡とスピッツァー宇宙望遠鏡が、これまでで最も遠い場所の銀河の姿を捕らえた
NASA のハッブル宇宙望遠鏡とスピッツァー宇宙望遠鏡が捕らえた新しい画像には、これまで記録された中で最も遠い場所の銀河が示されていた。
この銀河は、私たちの天の川銀河よりかなり小型だ。
この新しく発見された銀河の光は、地球から 133億光年の距離の彼方の光だ。
つまり、この銀河はビッグバン後の 4億2000万年後のものであり、これは、宇宙の年齢である 137億歳の歴史の始まりからたった3パーセントしか経過していない時期だ。
下の拡大部分の赤い部分がその 133億年前の天体だ。
この遠い銀河の発見には新しい観測プログラムの存在がある。
それは、ハッブル宇宙望遠鏡に搭載された CLASH ( Cluster Lensing And Supernova survey with Hubble / ハッブルによるクラスタ撮影と超新星調査)と呼ばれる多重波長調査プログラムにより、初めてなされたものだ。
この遠い銀河を拡大して撮影する技術には、重力レンズという効果を利用している。重力レンズ効果なしに、遠い銀河を観測することはできないのだ。
今回見つかった 133億年の銀河は、分析によると、その幅の広さは 600光年未満であることを示している。比較すると、たとえば、私たちの天の川銀河は 150,000光年の幅がある。小型の銀河では、大マゼラン雲の幅が 14,000光年だ。
研究を率いる宇宙望遠鏡科学研究所 ( Space Telescope Science Institute )の、ダン・コー博士によると、この天体は、銀河を構成する素材のひとつであるかもしれないという。
今年のはじめ、この CLASH (ハッブルによるクラスタ撮影と超新星調査)プログラムは、ビッグバンの 4億9000万年後の銀河を発見したことを発表しているが、今回の 133億年前の銀河はその記録を早々に破ったことになる。
(訳者注) 読むと、この CLASH プログラムという新しい観測プログラムの観測手法は大変に優れているようで、このままいくと、「137億年より以前の銀河」、つまりビッグバン以前の銀河や天体などが発見される可能性がかなり高くなっているように感じます。
「光に寿命(半減期)がない」ということが前提ですが、このまま観測プログラムが進むと、さらに ビッグバン以前の 140億年前、160億前、あるいはそれ以前の銀河というものが見つかるのではないかと思います。
それにしても、この CLASH プログラム。
「ハッブルによるクラスタ撮影と超新星調査」というものの英語( Cluster Lensing And Supernova survey with Hubble )の頭文字をとったものですが、読みは「クラッシュ」。
辞書の意味では、名詞をピックアップすれば、
clash
1 戦闘、小ぜり合い
2 激しい衝突、激突;(見解などの)対立、相反する意見の衝突
3 衝突などのガチャンという音;鐘などのジャンジャン鳴る音
ですからね。
1970年代のロンドンにはクラッシュという同じ綴りのバンドがあり、とても人気がありました。私はあまり聴かなかったですが、影響を受けた若者も多かったかもしれません。
▲ 1979年のクラッシュの「ロンドン・コーリング」という曲のレコードジャケット。彼らは、1970年代の末から1980年代のロンドンで、上の姿そのもののライブを繰り返しました。当時の英国は、若者たちの経済活動(雇用情勢など)が完全に停滞していたという状況では、今の欧州と同じ状況だったかもしれません。
2012年の「ビッグバン vs クラッシュ」にも期待いたします。