2012年11月20日



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虹という「地獄の門」の彼方に



「虹」を越えると何が?


1939年のミュージカル映画『オズの魔法使い』で、ジュディ・ガーランドが歌った「虹の彼方に」は、地球に大衆曲という概念が生まれた中でも、最大のポピュラーソングだと思います。実際、2001年には、全米レコード協会が選んだ「20世紀の名曲」の第1位となっています。

下のがその劇中シーンです。
モノクロですが、映画は、主人公のドロシーが「オズの国」に飛ばされてからカラーの場面となります。


虹の彼方に(1939年)




上で歌っている主人公のジュディ・ガーランドは、この映画の主役に抜擢された後、映画会社 MGM から「ドロシーのイメージとしては太りすぎなので、ダイエットをしろ」ときつく命じられ、まだ 13歳だったのですが、そのために「覚醒剤」を使用して、以後、常習者となります。映画『オズの魔法使い』の弾けるような元気な演技もその薬理作用のためという側面もありました。

ジュディ・ガーランドはその後も、薬物中毒と神経症がどんどん悪化して、彼女は人生の最後も睡眠薬の過剰服用(オーバードーズ)により死亡しています。

なので、『オズの魔法使』は夢を語る映画である一方で、「ジュディ・ガーランドという個人の地獄の門」を開いた映画だとも言えます。

ちなみに、ジュディ・ガーランドは「性」にも異常なほど奔放だったといわれています。上の「虹の彼方に」は、今でも米国では「同性愛解放運動の象徴の曲」として流されるのだとか。


さて、しかし、この映画のことは本題ではないのですが、上の中の「虹と地獄」という部分が関係します。


昨日、


「お前たちは自らの手で地獄の門を開いたのだ」: かつてない大規模サイバー攻撃を受けるイスラエル
 2012年11月19日


という記事を書きました。

知り合いで、イスラエルに住んでらっしゃる日本人の女性の方がいます。
その方からメールがあって、一緒にとても興味深いファイルが送られてきました。

興味深いというか「妙なもの」です。

下の図はイスラエルの「11月18日から21日までの天気予報」だそうで、ヘブライ語ですが、この図に直接日本語を入れると雰囲気も壊れるので、そのまま載せてあります。

israel-weather-2012-11-20.png


上の太陽マークの「晴れ」が11月18日だと思います。

さて、そして、下段に並ぶお天気アイコンの真ん中は、11月20日のイスラエルの天気の予報です。このアイコンが示すものは・・・。


曇りときどき・・・・虹?

どう見ても「曇りときどき虹」というアイコンに見えます。
イスラエルでも、ふだんはこんな表示はないそうです。

表示ミスかとも思いますが、表示ミスというには完全な図柄となっているわけで、「不思議」に思います。

そして、私はそのメールで初めて以下のことを知りました。


・「虹というのは地獄の釜」と関係があるという伝説が、少なくともイスラエルなどではある。つまり、「虹が見えればその下は地獄のお釜」だということ。

・虹は龍を例えている。



そういう神話というか伝説を聞くと、イスラエルの天気予報に「虹」が表示されていたというのは何とも意味深い感じはします。

もちろん、これは、だからといって、11月20日に何かあるとかそういうようなことを書きたいわけではなく、とにかく「何だか不思議な感じ」がしたのです。

ちなみに、今回のことで私は、初めて気づいたのですが「虹」って漢字はムシ編。

「虫と工」

漢字の意味としては「虹は虫の作りもの」ということなのでしょうかね。

虹と似ている漢字としては「アブ(虻)」なんてのも似ている。
蛇もムシ編でちょっと似ている。


ところで、この「虫」についてもちょっといろいろとあります。



ムシの問題

シンクロというかなんというのか、数日前に、私は「見たことのない虫が手につく」という夢を見たんですけど、まあ、虫の夢は体調の悪い時とか、眠っている時に具合の悪い時がある時なんかに見るものなので、それほど気にしていなかったんですけど、そのイスラエルの方も、「変な虫が手につく夢を見た」と書かれていて、さらに、最近、「虫」というキーワードではいろいろと思い出すことがあるんです。


まあ・・その・・・非常にオカルトっぽい話で申し訳ないんですけど、昨日のイスラエルの記事の報道を知った理由・・・。

パソコンに向かっていましたら、モニターにアリみたいな虫がいたんですよ。アリというか、羽のない羽虫みたいな。過去記事の「来ているのは「宇宙人」じゃない: 世界各地から届く「考えられないほどの悪天候」の報道を見て」の一番最後に、北海道の小樽で妙な羽虫が大発生しているということを書きましたが、あの虫から羽をとったみたいなやつです。

それがパソコンのモニタの画面上にいたんですね。

まあ、私の部屋にはかなりの植物があるので、土から虫が出てくる可能性はあると思うんですけど、とにかく、モニタの画面上にいたので、その虫を手で払おうとしたあたりに表示されていたブラウザ上にあったニュースのリンクから、イスラエル関係のニュースに行き着いたんです。

ふと「虫の知らせ」なんていう言葉を思い出し、それで記事にしたというような側面はあります。ちなみに、払おうとした虫は払えずに、どこにいったのかもわからないままでした。その後出ていません。

そういうオカルト筋の話のひとつとして、

地獄の釜が開くと、虫が出てくる

というような話のたとえはあります。


あと、昨日の記事で最近のこととして書いた「聖書に存在しない死後の生命という概念」のことを少し書かせていただきます。



街角の宗教おばあさんから考えさせられた「生命」の実際


昨年まで長く住んでいた東京杉並区の西荻窪という街にも、様々な新宗教の支局がありました。杉並区は若者が多いせいか、昔から「ターゲット地域」だったようです。

そして、越してきた所沢の奥地なのですが、この街にも多くの新宗教の支局があり、街で人々がチラシを配ったりしています。ただ、杉並区と違うのは「立っているほうも、声をかけられるほうもご老人」というところが違います。

今年の夏などは 35度を越えるような日々が続いたのですが、炎天下の中に立つご老人たちの姿を見て、「大丈夫ですか?」ときいたこともありました。

そして今は「寒い季節」。
今度は寒風の中を街角で看板のようなものを持ったり、チラシを持って高齢者が立っている。

なので、チラシなどを「どうぞ」と言われると断るのが申し訳なく、「ああ、どうもどうも、ご苦労さんです」ともらうのですが、一昨日もらったのは、「ものみの塔」という冊子を発行している宗教団体のもので、本誌ではなく、三つ折りにした紙一枚のチラシでした。

いつもならこういうものは見えないところで捨てるので、まともに読んだことはないのですが、捨てようとしてその表紙のタイトルを見た時、「あ、これ読んでみよう」とポケットに入れて持ち帰ったのです。そのチラシの表紙は下のものでした。

satan.jpg


「実際に世界を支配しているのは誰ですか」と大きく書かれてあります。

私は「うーん・・・宇宙線か、あるいは地球上ではウイルスかなあ」などと考えながら帰りましたが、家に帰って読むと、要するに「この世はサタンが支配している」という内容だったのですが、飛ばし読みしていると、途中、下のようなセクションがありました。


邪悪な霊者たちがそのために用いる一つの方法は、死後の生命という考えを促進することです。

しかし神の言葉は、死者には意識がないことをはっきり示しています。(創世記 2:17 、3:19。エゼキエル 18:4。 詩編 146:3、4。伝道の書 9:5 、 10)

ですから、邪悪な霊者は死者の声をまねて、霊媒による仲介や目に見えない領域からの「声」を使い、その人の親族や友人に話をすることがあります。その「声」は死別した人を装いますが、実はそれは悪霊なのです。

ですから、そのような「声」が聞こえても、欺かれてはなりません。その声が何を語っても、それを退けてください。

霊の領域に対する好奇心に駆られて、邪悪な霊者たちとかかわりを持つようになってはいけません。どれほど面白く、またどれだけ刺激的に思えても、心霊術に関連したあらゆる行為に抵抗してください。



と書かれてありました。

内容の真偽はともかく、この冊子にある引用は聖書からなのですが、すべてに「出典」とその章が記載されており、それが実際がどうかをインターネットで調べることができました。

上には、

創世記 2:17 、3:19
エゼキエル 18:4
詩編 146:3、4
伝道の書 9:5 、10


とありますので、日本聖書協会のホームページで、それぞれの段落を調べてみたのです。「伝道の書」というのは聖書の「コヘレトの言葉」というものだそう。

以下、その結果です。


創世記 / 2章 16-7節

主なる神は人に命じて言われた。
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」



創世記 / 3章 19節

お前は顔に汗を流してパンを得る/土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。



エゼキエル書 / 18章 4節

すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。



詩編 / 146編 3-4節

君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。



伝道の書 / 9章 5-6節

生きているものは、少なくとも知っている/自分はやがて死ぬ、ということを。
しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく/彼らの名は忘れられる。



まあ、創世記あたりのほうのは、「人は死ぬ」ということが書かれてあるだけの感じもして、上のチラシにある「神の言葉は、死者には意識がないことをはっきり示しています」というようニュアンスは感じられないですが、下のほうの「詩編」の、

霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。


とか、「伝道の書」にある、

しかし、死者はもう何ひとつ知らない。彼らはもう報いを受けることもなく/彼らの名は忘れられる。


あたりは聖書から、「死」というものに対しての、一種の「突き放した感じ」を受けます。

つまり、なんとなく私たちが持つキリスト教などのイメージ・・・たとえば、適当ですが、「死んだら天国に行くんだよ」というようなイメージとは違った感じがあるということです。

「伝道の書」にあることは、「人間は死んだら単に土になる。他に何もない」というようなことなわけです。


それにしても、この聖書の「コヘレトの言葉」(伝道の書)というのは、その冒頭がなかなか考えさせられる文章で始まります。

下は第1章の前半部分です。伝道の書より。



伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。

世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。

日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。

風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。

川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。

「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。

前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。




これを読んでいて、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」から始まる『方丈記』を思い出してしまいました。

方丈記の訳と全文はこちらのページにあります。

最近知りましたが、方丈記には、震災後の今の日本を彷彿とさせるようなことも書かかれているのです。「元暦の大地震」(文治地震)という 1185年の大地震の描写があるのですが、その最後に以下のようにあります。現代語訳です。


「方丈記」より

その(大地震の)直後には、だれもかれもがこの世の無常とこの世の生活の無意味さを語り、いささか欲望や邪念の心の濁りも薄らいだように思われたが、月日が重なり、何年か過ぎた後は、そんなことを言葉にする人もいなくなった。




「歴史も人心も繰り返すなあ・・・」としみじみと思います。



そういえば、昨日のこちらは天候は曇りだったんですが、雲間から少し太陽が見えたんですね。ベランダからそれを見ていると、

「ああ、こういう状況でも太陽って3つにも4つにも見えるのだなあ」

と思いました。
下の写真がその時のものです。

sun-3-1.jpg


これだと何だかわからないと思いますので、下のは太陽のあたりを拡大したものです。

sun-4.jpg

雲の後ろに太陽があるのですが、いくつか見える光源のうちどれが太陽かわかりますか?
実は私は「どれが太陽か分からなかった」のです。


このいくつか並んでいる中で実際の太陽の大きさの光は両端の丸くらいのもので、ふだんの太陽の位置から考えると、右端の光が太陽だと思うのですが、左のほうがよく光っている気もする。光が雲に反射しているという原理はわかるのですが、「本体よりも明るく見えるのかなあ」と思ったりしていました。

そして、ずっと見ていると他の小さな光源も太陽に見えてきて、次第にどれが太陽だか全然わからなくなってきて、ちょっとこわくなったので見るのをやめました。


そんなわけで、書きたい日記を脈絡なく長々と書いてしまいました。

下の絵は、子どもの箱などを整理していたら出てきた絵です。本人は「いつ描いたか覚えていない」というのでずいぶん以前のもののようですが、文字が書かれてあるので、小学校に入ってからのもののはずです。


「じゆうちゃう」、あるいは「じゆうちゅう」

free.jpg


こういうのもちゃんと見ていてあげればよかったと思いますね。

次は普通に記事を更新いたします。