2013年03月09日



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ビッグバン理論での宇宙の誕生より古い「 145億年前の星」が観測された報道を見た日に




それでも私は「人類の価値観はすでに破局にある」と思わざるを得ないことに関しての雑文など



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▲ 145億年前のものという計算が出た天体 HD 140283 。いわゆる「ビッグバン」と呼ばれている宇宙の誕生とされているのは 138億年前なので、現代宇宙論でいう宇宙の誕生より古い物体ということになります。
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今回は、タイトルの通りに「ビッグバン以前の天体の発見(計算上では145億年前の天体)」についての記事を一応ご紹介しようと思いますが、それに関してはごく簡単に概要を書きます。

以前の私でしたら、このような「ビッグバン以前の星が見つかった」というようなことで喜々として書いていたかもしれないですが、今はもうあまりそういうような気持ちがないですので、むしろ、今回はせっかくビッグバン以前の星が見つかったということで、いい機会ですので、私の最近の考えも簡単に書いたおきたいと思います。


その私の考えとは、「価値観としての人類の宇宙は、すでに破局の中にある」ということです。


破局というのは、手直しが効かないというニュアンスを含むかなり重い言葉です。まあ、最近の私の精神状態にも関係している気持ちだとも思いますが、相当冷静に考えてもそう思います。


いちおう書いておきますが、これは、災害だとか天体の衝突だとか、経済の破綻とか核戦争とかパンデミックとか、そういう表面的な意味での「破局」とはまったく関係ないもので、もっと本質的な意味でのものです。

しかし、長くなるとアレですので、まず最初にその「 146億年前の天体の発見」についての記事を簡単にご紹介しておきます。

オリジナル記事はものすごく長いもので、全体をご紹介できるとしても少し後になると思いますし、どのみち「そのうち年代は修正される」と思います。

というのも、今回の天体が発見された際には、最初、「160億年前のもの」として計算されたらしいのですが、計算し直すことによって、146億年前のものというところにまできています。

まあ、どちらの数値にしても、いわゆる「ビッグバン」と言われる宇宙の誕生は138億年前とされていますので、まだその理論と矛盾してしまっているわけで、あと8億年くらいを計算でなんとかできればOKということでしょうか。

というわけで、多分、一般的に報道される頃には(ヒッグス粒子が忘れられた報道となっているように)無難な報道記事となっていそうですが、科学関係のサイトではいろいろと長い記事となっています。

そういう科学記事のうちのひとつをご紹介します。

なお、記事に出てくる「メトセラ星」というのは正式名ではなく、調べてみると、メトセラというのは聖書に出てくる人名のようで、「ノアの洪水以前のユダヤの族長で 969歳まで生きたといわれる長命者」のことだとか。




Older Than The Universe? Methuselah Star Is 14.5 Billion Years Old
IIAI 2013.03.07

宇宙の誕生よりも古い星? この「メトセラ星」は 145億歳の可能性がある


hs-2013-08.jpg


この HD 140283 の写真(今回の記事の一番上にある写真)は、これまで観測されたこの宇宙の中で最も古い星をデジタル化したものだ。これは、アングロ・オーストラリアン天文台 (AAO) の UK シュミット望遠鏡で撮影されたものだ。

そして、NASA のハッブル宇宙望遠鏡を使っての天文学者たちのチームも、非常に長い時間をかけて、宇宙の誕生に近づく重要な一歩を踏み出す観測をおこなっている。メリーランド州の宇宙望遠鏡科学研究所( Space Telescope Science Institute )のハワード・ボンド氏は、「これは、これまでで最古の星であることを確認しました」と述べた。

この発見は大きなジレンマを生むことにもなった。この星は 138億年前とされている宇宙の誕生より古い 145億年の歳月を経ている可能性があるのだ。

しかし、この星は 2000年に発見された最初の時には「160億年前のもの」という計算が出ていた。そのため、現在の宇宙論には潜在的な矛盾が存在しているかもしれないことを感じている天文学者たちは少なからずいた。

ボンド氏は言う。

「現在の宇宙論はもしかすると間違っている可能性もあります。物理学のほうが間違っているのか距離の計測が間違っているのか、それを調査しています」。






翻訳はここまでにしておきます。

というのも、この後の記事は、ビッグバン理論の最大の根拠でもある「宇宙マイクロ波背景放射」というものについての解説とその歴史が書かれているもので、今回の発見とは関係のない「ビッグバン理論について」というような記述が長く書かれてあるだけですので割愛します。

いずれにしましても、現在までの観測では、この HD 140283 という星は「ビッグバンより古い」ということになるのですが、上にも書きましたが、計算次第ではどうにでもなる気もします。

科学の世界は「釈迦やキリストの引いた線は消えても構わないが、アインシュタインの引いた線が消えることだけは困る」という考え方は強いのです。



人類の発展のために生まれたはずの科学が人類の発展を阻害してきたこの数百年


ところで、科学とは「本来」はどういうことが理想なのかというと、「白紙の上」に調べてわかったことを書いていくということだったはず。


つまり、基本の概念としては「自由から始まり、どこまでも自由であるのが科学」のはずです。


なので、「ここはこうしてはいけない」という領域があってはいけないはずです。

しかし、実際には現在の物理学も、宇宙論も、「紙にはすでに一本の線が引いてあり、その線を乱してはいけない」というようなことになっていて、その線が曲がったりしないために修正し続けることになっているように見えます。

「曲がりそうになると修正していく」と。

何しろ宇宙論の基本は「計算」ですので、修正はわりと何とかなる。

観測がどうであろうと、何とかなるもののようです。

「一本の線さえ消さなければ、他は何をしてもいい」という言い方でもいいかもしれないです。

アインシュタインが描いた一本の線という言い方でもいいかもしれません。

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破局の概念

ちなみに、こんなことを書いているのは、批判とかそういうことではないです。

私の中では、その段階を過ぎてしまっています。

何というか、「もう終わった」と最近感じることがありまして、そしてこれは「破局の段階でしかない」とも思います。昨年くらいまでは「まだ戻れる」というか、「これから」というような感じもあったのですが、最近は何だかこう・・・



・・・もう戻れないように思います。

破局という語感は強いもので、修正の効かないことを破局と表現するはずです。



そういう意味で、もう(人類というのか宇宙というのかは)終わったのかもしれません。


あとはとにかく日々生きていく。

無駄な日々かもしれないですけど、破局しても「生命としての生」は存在していますので、私たちの日々の生活が変わるわけではないですし、それまでと同じように働いたり勉強をしたり、旅行や遊園地に行ったり、テレビを見たりしながら、生きていき、そして死んでいくという繰り返しは続いていくのだろうと思います。

破局というのは「先がない」というだけの話で、「いわゆる死」とは関係ないです。


なので、繰り返しになりますが、災害だとか天体の衝突だとか、経済の破綻とか核戦争とかパンデミックとか、そういう表面的な「破局」とは次元が違います。






これまでは何度も立ち直ってきた人類


自然災害的な破局の場合、人類は必ず立ち直ってきました。

ミトコンドリア DNA の調査で、7万年前くらいだったか人類が 2000人くらいにまで減ったことがあったようですけれど、人類はまた立ち直り、そのように立ち直ったからこそ現在の私たちがいます。

ここでいう「立ち直った」というのは生き残って増えたというだけではなく、「新しい人類の文明と価値観を築いた」という意味です。


1万3千年前には、恐竜が滅びた頃と大差ないほどの彗星か小惑星が、現在のアメリカに衝突したとも考えられています。当時、北米にはクローヴィス文明というものがあったそうですが、見事に人も文明も消えました。

でも、北米大陸ではまた人類は立ち直っています。


自然災害やパンデミックはどんな激しいものであっても、仮に人類すべてが死滅したように見えるような災害でも、時間と共に立ち直るはずです。生命にはその要素があります


しかし、存在の価値観を失った場合、立ち直ることは難しいと思います。



たとえば今・・・「宇宙は今の人類を必要としているだろうか」と考えてみる。



あるいは、何らかの宗教を信奉している方なら「その宗教の神は今の人類を必要としているだろうか」と考えてみる。


どう思われますか?



中世の神秘学の理念をそのまま借りれば、どうして人類がこの世に出現したかというと、


> 宇宙には人類が必要だったから


ということになっています。

だから、気の遠くなるような年月をかけて、「人間の大脳」をこの宇宙に出現させるまでになった。あくまで、これは神秘学の話ですが。


また、多くの宗教でも「神は人を造って」います。


なぜ神は人を造ったのか?


人類など必要ないなら、そんな面倒なものは造らなかったはずです。




・・・というような絶望的なことを書いていますが・・・まあしかし・・・そんな私にはほんのわずかな希望はあるのです。だから、今こんな文章を書いています。


しかし、実は今、これをここまで書けたのは実はふたりのかつての著名人の作品のお陰です。
今日もひどいウツでこんなの書けるはずもなかったのです。





ウツで立つこともできなかった今日、この文章を書けている理由

その「ふたりのかつての著名人」というのは、ひとりは In Deep にもよく出てくるフレッド・ホイル博士、もうひとつはかつての米国のプロレス界のレスラーとして君臨したミック・フォーリーという人でした。


何だかよくわからないと思われますので、ちょっとだけ書いておきます。


最近は些細なキッカケで「超ウツ」に陥り、動けなくなることが多いんですね。
実は今日もそうで、小さな理由で部屋でしばらく倒れていたんです。


倒れたまま顔を動かしている時に、ホイル博士の著作『生命はどこから来たか』が目の前に転がっていることに気づいたんです。昨年以来どこに置いたのだか忘れていたのですが、パソコン関係の物が置かれている横に転がっていました。


「そういえば、最近、何の本も全然読んでないなあ」


と、倒れたまま、ホイル博士のその本の最初のほうのページを数行読んでいましたら、急に元気になってきたのです。

それで、ここまでの文章を書けました。

そんなこともあり、今回はラストにその『生命はどこから来たか』の第1章から少し抜粋してみたいと思います。

もうひとりの「ミック・フォーリー」という人のほうですが、これは米国の元プロレスラーなんですが、彼が「マンカインド」(「人類」という意味)というリングネームで WWF チャンピオンだった時、1998年頃だったか、チャンピオン陥落の日が描かれているドキュメンタリーがあって、そのシーンを突然見たくなりました。

そして、久しぶりに見て、泣きに泣いて、でも、やはり元気になりました。





いい人間になりたい。でもどうやって?

アメリカのプロレスには勝ち負けがあらかじめ厳密に決まっていて、特に WWF (現WWE)は数ヶ月以上を見据えたくらいの長いスパンでの脚本上のストーリーで選手たちの役割のルーチンが決められています。しかし、勝ち負けには脚本はあっても、試合の内容そのものはガチ(本気)です。ある意味、命がけでもあります。


その日、マンカインドは、メイン戦で負けてチャンピオンを陥落することが決まっていました。

「今日がお父さんのチャンピオン最後の日だから」

と、妻と娘と息子をリングサイドに招待します。

マンカインド(ミック・フォーリー)は、愛妻家で、子どもたちに優しいことで有名でした。
プロレス引退後は子ども向けの絵本作家としても活躍したりしていました。


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▲ 試合前に、娘を抱き上げるマンカインド。今回の試合で負けてチャンピオンを陥落することはあらかじめ決まっています。


しかし、その試合は後に語られるほど壮絶な試合となり、子どもたちの目の前でお父さんは血だるまになっていきます。家でいつも優しいお父さんが、対戦相手に手錠を後ろ手にかけられ、頭を椅子で何度も何度も殴られ、全身が血に染まっていく。

優しいお父さんが単なる血まみれの肉塊となっていく光景を呆然と見る家族・・・。

ついに奥さんも見ていられなくなり、泣き叫ぶ子どもたちを抱き上げて家族はリングサイドを飛び出します。

そして、試合が終わり新チャンピオンがリングで勝利アクションをしている中、血みどろのマンカインドが廊下に出てきます。スタッフたちから拍手を受け、そして、そこには心配そうな娘たちが立っています。

「お父さんは大丈夫だから」

と息子の頭を撫でて、そして、血だらけのまま、治療室までヨロヨロと歩いていく、あらかじめ決められた敗者の姿。

bm-03.jpg

▲ 試合後、治療室に向かう血みどろのマンカインド。周りにいるのが家族。治療室でやっと娘や奥さんにも笑顔が戻りました。


マンカインドの声がそこに被るのですが、それは、


「いい人間でいたい。でも、どうすれば? そんな答えは出ないことはわかっているのだけれど」


という言葉でした。

本当はその「答え」に辿り着くためにあらゆる人類はこの世に存在していると考えます。

しかし、現代社会はあらゆることに上に書いた「すでに書かれている線」を曲げないように修正しているだけで、「答えを探す」ことはしません。

どうして殺人が起こるのか。
どうして差別が起きるのか。
どうして「敵」という概念が生まれるのか。

それらに「どうして?」と思っても、答えを探る前に、主張と自分のポジショントークを怒鳴りたてるばかりの社会。


そんな大人の中で育つ子どもにどんな未来が?・・・と感じます。


白紙が存在しない社会に生まれた今の子どもたちは、これまでの宇宙の歴史の中で最も悲劇的な子どもたちのようにも思えます。


ちなみに、ご紹介するフレッド・ホイル博士の著作にも「子どもの未来」の話が含まれます。


いずれにしても、稀代の宇宙物理科学者だったフレッド・ホイル博士と、稀代のハードコア・ファイターだったマンカインドのふたりのお陰で今日も何とか生きて過ごせました。


ありがとう。


というわけで、フレッド・ホイル博士の著作『生命はどこから来たか』の第1章の部分を少し載せようと思いましたが、ここまで書いて少し疲れてしまいました(苦笑)。

それでも、是非ご紹介したいものでもありますので、明日なるべく早くに書こうと思います。

ホイル博士のその『生命はどこから来たか』の第1章のタイトルは、『人間社会は真実から遠ざかる傾向を持つ』というもので、その章は、


> われわれは皆、許しを請うことなくこの未知の世界に生まれてくる。


という文章から始まるものです。

そして、この章にはホイル博士が 20年以上前に「予見」していた「科学の破局」と、そして、私の中に「ほんの少しだけ」残っている希望の方策も書かれてあるように思います。


明日、書き写せるほど元気でいられますように。


(追記) 続きは、(2): 破局の回避という奇跡があるとすれば に書きました。