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昨日の記事、
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2013年04月07日
の中で最近の中国のヒトへの新型インフルエンザ[ H7N9 ]の感染についてのことと、最近中国で起きていた動物の大量死について書きました。
そうした中、今朝の中国の新聞で一斉に「南京でスズメの大量死。 H7N9 との関連はあるのか」といったようなタイトルの報道が出ていました。
▲ 中国新聞網より。
これに関しては、大紀元の日本語版に記事がありましたので、そちらから抜粋します。
南京市でスズメが突然死 当局、H7N9型ウイルス感染を否定
大紀元 2013.04.08
南京市の住宅地で4日から5日にかけて、数十匹のスズメの死骸が街路樹から次々と落ちていた。死因について当局は、H7N9型ウイルスによるものではないとしている。
死骸が発見されたのは南京市の住宅団地。最初の死骸が発見されたのは4日夕方だったが、4、5匹であったため、住民らも気に留めなかった。5日の午後4時ごろ、「スズメが一匹、また一匹と落ちてきた」。1時間ほど続いた後、地面に20数匹の死骸が横たわっていたという。
ということで、まあ 20羽くらいの死亡で、大量死とは言えないですが、これと似た例で、さらに多い数の事例が、数年前の北海道などでよく起きていたことを思い出しました。下のは、その頃のニュースのまとめ記事からの抜粋です。
北海道でスズメ、東京でハトがそれぞれ大量死
ウィキニュース
【2006年4月13日】
4月に入ってから北海道の道央・道北地域でスズメの大量死が相次ぎ、12日までに上川支庁だけで計 760羽の死骸が発見された。一方、東京都の2つの公園ではハト計54羽の死骸が発見された。いずれもトリインフルエンザウイルスは確認されておらず、死因もまだ特定されていない。
このあと、北海道庁では「スズメの死亡に関する情報について」という特設ページを開設し、それによりますと、最後まで死因は不明だったようで、つまり「全体を通して見つかった同じウイルス等はなかった」ということのようでした。
固体のそれぞれで別の感染菌などは見つかっています。
2006年の北海道のスズメの大量死でスズメから見つかった症状や細菌等は、
・消化器官の炎症
・血液循環障害
・黄色ブドウ球菌
・サルモネラ
・アトキソプラズマ原虫
・血液循環障害
・黄色ブドウ球菌
・サルモネラ
・アトキソプラズマ原虫
などだそうで、鳥インフルエンザなどは見つかりませんでした。いずれにしても、原因は不明のまま、総計で、2005年の12月から2006年の4月までに、
・スズメの死骸の数 1,517羽
という結果となったようです。
このくらいの数となると、「大量死」といわざるを得ません。
病気になる「現象」を選んでいる主体は誰か?
ところで、昨日、メールをいただきまして、そこに書かれてあったことから、フレッド・ホイル博士の書いていた文章を思い出しました。そのメールは、過去の歴史の中でのウイルスや戦争などの歴史についてふれられていらっしゃるものでした。その中に下のようなくだりがありました。
昔読んだ本に、
「ウィルスは人を選んでいる。過去における大きな戦争の勝敗も、ウィルスによって決められたのだ」
というのがあり、すごく納得した記憶があります。
そういえば、1918年のスペイン風邪(鳥インフルエンザのパンデミック)に関しての詳細なデータがあまり残っていない理由のひとつが「第一次世界大戦」の時期とスペイン風邪の時期が重なっていたということがあります。
戦時中は、どこの国でも自分の国の軍人が何人くらい死亡したかというような情報は極秘情報なわけで、それが戦闘で死亡したものであろうと、病気の流行などで死亡したものであっても、明らかにはしませんでした。
たとえば、下のような話が合っているとか合っていないとか、そういう明確な部分はともかく、「たとえば」という話で、Yahoo! のQ&Aに次のような問答があります。
質問「スペイン風邪の事」「スペイン風邪」の事ですけど、第一次世界大戦では「戦争を終わらせた」影の功労者(?)かもしれないと思いました。この大戦での一番の勝者はもしかしたらスペイン風邪かと。洋の東西を問わず戦史的に「伝染病」などで戦線が硬直・停戦・終結したものって、他に何かありますか。
ベストアンサーに選ばれた回答第一世界大戦の終結とスペイン風邪とは関係ありません。逆に戦争のせいでアメリカで起こった第一波が軍隊の派遣とともにヨーロッパに波及し、第二波、第三波の大流行を引き起こしたわけですから、戦争がスペイン風邪の世界的大流行を引き起こしたと言えます。
伝染病で戦況が停滞したのは黒死病が最も有名でしょう。百年戦争時のことです。
まあ、上の問答はともかくとしても、スペイン風邪の明確な死者数がわかりにくくなったのは、当時の主要国が戦争で混乱していたことと、戦略的な意味で資料を公開しなかったことは関係あると思われます。
そして、スペイン風邪の当時、もっとも綿密にスペイン風邪による患者数と死亡者数の統計を残したのは実は「日本」でした。
特に、日本の資料は2年間にわたってきわめて正確に記録され続けたもので、スペイン風邪の様相がよくわかる資料の例だと思います。
資料は現在も、東京都健康安全研究センターに PDF として残されています。
・日本におけるスペインかぜの精密分析:(東京都健康安全研究センター)
に内容と資料があります。
あまりご存じない方も多いかと思われますので、1918年のスペイン風邪で日本人がどのくらい感染して死亡したかについていくつか掲載しておきます。
1918年のスペイン風邪(鳥インフルエンザ)のパンデミックの中の日本
まず、死者数は下の表です。
1918年が約7万人、1919年が約4万人、そして、1920年には鳥インフルエンザにより 10万人以上が死亡しています。そして全期間、つまり 1918年から1920年まで日本だけでも鳥インフルエンザのパンデミックで、約 22万人くらいの方が亡くなっていたことがわかります。
患者数は下の表です。
日本でのスペイン風邪の流行期間は3回にわけられますが、1918年 8月から翌年 7月までの約1年間の流行がもっとも患者数が多く、日本人のうちの約 2,100万人が感染しました。そして、3年間で約 2,300万人が感染しました。
当時の日本の人口は 5,000万人以下ですので「日本人の約半分が鳥インフルエンザに感染した」という言い方でも、あながち間違っていないと思われます。
しかし、スペイン風邪は「おそろしいパンデミック」だとされていながらも、致死率自体は決して恐ろしく高いというものでもなかったのです。
下は「患者 100人あたりの死亡者数」です。
上から1回目の流行、2回目の流行、3回目の流行となっていて、2回目の流行の時の死亡率が非常に高いのは、鳥インフルエンザの毒性がアップしたということが言えそうですが、いずれにしても、全期間を通しての感染者の致死率は2パーセント以下です。
これは今現在、中国で、あるいは流行しているかもしれない鳥インフルエンザの致死率の 10分の 1以下といってもいいかと思います。
だからこそ、現在の鳥インフルエンザは恐ろしい感じも漂うのです。
ちなみに、1918年当時のスペイン風邪の感染状況を、現在の日本の人口1億2千万人に照らし合わせると、大体ですが、
総患者数 5,000万人
死亡者数 70万人
という、非常に大きな厄災だったことがわかります。
1918年のスペイン風邪には致死率以上の「もっと大きな問題」がありました。
それは、「老人や幼児ではなく、青年から壮年期の人たちが多く死亡した」ということでした。
普通、「病気」というと、弱いものから死んでいくというようなイメージがあり、多くはそうなります。すなわち、ご老人や、小さな子供や赤ちゃんが犠牲になる。ところが、スペイン風邪では、まったく逆の現象が起きていて、「体の強い青年期の人たちが最も多く死んだ」のでした。
これはスペイン風邪では全世界共通でした。
詳しいことは上にリンクした東京都健康安全研究センターの資料にありますが、日本の場合ですと、死亡者年齢の分布は以下のようになっていました。男子と女子では若干違いますが、スペイン風邪ではこの年齢層が最も多く死亡したということです。
死亡者年齢の分布 / 男子
・1917-19年 21-23歳の年齢域で死亡者数のピーク
・1920-22年 33-35歳の年齢域で死亡者数のピーク
・1920-22年 33-35歳の年齢域で死亡者数のピーク
死亡者年齢の分布 / 女子
・1917-19年 24-26歳の年齢域で死亡者数のピーク
・1920-22年 24-26歳の年齢域で死亡者数のピーク
・1920-22年 24-26歳の年齢域で死亡者数のピーク
「元気な者からどんどん死んでいく」というのが、スペイン風邪の最も大きな特徴であり、また、その原因は今でもよくわかっていません。
免疫の異常反応(いわゆるサイトカイン・ストーム)ではないかという説もありますが、何とも言えません。
このあたりは、1971年のアメリカ映画『アンドロメダ病原体(アンドロメダ...)』を思い出します。
▲ 1971年の映画「アンドロメダ…」より。未知の病原体により全滅した村で、生き残っていたのは、「生まれたばかりの赤ちゃん」と「村一番のアル中の老人」のたった二人だけ。このふたりに共通点はあるのか・・・というところから始まる映画です。
ウイルスが人を選んでいるのではなく、人間が取り込むウイルスを選んでいるという説
メールを下さった方の「ウィルスは人を選んでいる」というフレーズについては、私も以前からいろいろと思うことがありました。
たとえば単なる風邪でも、風邪は基本的に「全員がかかっても不思議ではない」のに、どうして、そうならないのか、ということは小学生の頃から疑問で、大人に聞いたりしたこともありましたけれど、結局それについては誰もわからないというのが現実のようでした。
何年か前にフレッド・ホイル博士の著作『 DNA は宇宙を流れる』という本を読んだ時に目からウナギが落ちるような記述を目にしたのです(ウナギかよ)。いやいや、ウナギではなく、ウサギです(巨大化するのかよ)。
いやいや、そういう冗談を言っている場合でもないのですが、その記述とは、
「人間自身がウイルスを選んでいる」
という説でした。
うまく説明できないですので、今回はその部分を抜粋しておきたいと思います。
フレッド・ホイル博士とチャンドラ・ウィクラマシンゲ博士は、インフルエンザ・ウイルスも宇宙からやってきていることを調査するために、1975年に流行した百日ぜきと、1977年〜1978年に英国で大流行したインフルエンザに対して徹底的な検証をおこなっています。
なので、その「人間自身がウイルスを選んでいる」という部分だけを抜粋しても突飛な感じがしますので、少し前後を含めて抜粋しようと思います。1回だけでは無理そうですので、わけます。
今回はその「人間自身がウイルスを選んでいる」という部分を抜粋します。
改行はこちらで適時しています。
それでは、ここからです。
免疫と進化
フレッド・ホイル著『 DNA は宇宙を流れる』 第4章「進化のメカニズム」より
われわれが「ウイルスは宇宙から来た」と言うと、決まって、
「地球外からやってきたウイルスが、どうして地球の宿主を知っているのか?」
と反論される。
ウイルスが増殖するには宿主となる生きた細胞が必要不可欠だが、インフルエンザ・ウイルスをはじめとする一部のウイルスは、特定の動物の特定の細胞や器官にしか感染しないという、きわめて気難しいところがあるからだ。したがって、彼らが言っているのは、
「地球外からきたウイルスが、地球で見つけるべき生物、あるいはその細胞を知っているのは、なぜか?」
ということなのだ。
この問いに対しても、われわれは答えを用意している。ウイルスが宿主を選ぶという彼らの前提が間違っているのだ。
われわれは、宿主のほうがウイルスを選んでいるのだと考えている。
地球にはじめて落ちてくるウイルスが、あらかじめどんな宿主に遭遇するか知るよしもないことは当然だ。けれども、宿主たるわれわれは、もともと宇宙からやってきたバクテリアから進化した存在であり、このような事態に備えた機構を持っているはずなのだ。
それが免疫機構なのだとわれわれは考えている。
これは、ウイルスについての従来の見方を、根本からくつがえす考え方だ。
通常、ウイルスと免疫との関係と言えば、ウイルスがわれわれの細胞を騙して侵入し、それに気づいた免疫機構がウイルスを排除しようとして戦う、という説明がなされている。
けれども、まっすぐに伸ばすと全長 1.5メートルにもなり、 10万個もの遺伝子を持つヒトの DNA 分子が、全長わずか数ミクロンで、数個の遺伝子しか持たないウイルスの DNA 分子に「騙される」などということが、本当にありうるだろうか?
また、ウイルスが侵入してからの免疫システムの素晴らしい活躍ぶりを見ると、どうして、もっと早いうちに完全にブロックしておかないのだろうと疑問に思わないだろうか?
そこまで工夫している余裕が細胞になかったのだろうと言うことはできない。
なぜなら、宿主細胞の核酸には、ウイルスの核酸などお呼びもつかないような大量の情報を書き込むことができるからだ。この能力を総動員してかかれば、もっと早い段階でウイルスの侵入をブロックすることも、遺伝子のプログラムの二重書きをふせぐことも、わけもないはずなのだ。
したがって、そんな仕組がない理由はただひとつ。
それはウイルスの侵入が、われわれ生物にとって望ましいからだ。
ちっぽけなウイルスが大きな生物を騙すのではなく、生物が自らの利益のために ----- 進化するために ----- 進んでウイルスを招き入れるのだ。
われわれは、免疫機構に対する考えを改めなければならない。免疫機構は、常に新参者を探しているが、それはわれわれの遺伝システムがそれを取り込むことが進化論的立場から価値があると認められるような新参のウイルスを探すためなのだ。
明らかに価値がなさそうなものは門前払いをくらい、見込みがありそうなものだけが細胞との相互作用を奨励される。もちろん、その個体が死んでしまっては、ウイルスを感染させた意味がなくなるから、適度なところで病気を終息させる必要がある。そこで、ウイルスが感染し、目的の組織で増殖しはじめると、インターフェロンが作られはじめるのだ。
こういう考えはどうも腑に落ちないと思われる方もあるだろう。ウイルスに感染した人は苦しい目にあうから、どうしても「ウイルス=悪者」という先入観を持ってしまうからだ。
けれども、個体の苦しみは、種の利益とは関係ない。問題になるのは、100万の失敗のほうではなく、ときどきそれがうまく行くという事実の方なのだ。
ここのでです。
最後の「100万の失敗のほうではなく、ときどきそれがうまく行くという事実の方なのだ」くだりはちょっとわかりにくいですし、私も理解しているわけではないですが、その前に
> 個体の苦しみは、種の利益とは関係ない
とありますので、「生命の進化がたまに成功する」ことを書いているのだと思います。
そして、ここではヒトに感染するウイルスのことですので、
「ウイルスの流入によって希に人類の進化が起きる」
ということを示しているのだと思います。
このあたりは、昨年の記事、
・西暦 541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録
2012年09月20日
・ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」
2012年09月23日
などもご参考いただければ幸いです。