2013年04月22日



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地球の歴史の中での「最低の理念の科学」の現代でも、それと関係なく人類の進化は起きると考えることについて



evolution-timeline-chart-tree-theory.jpg







 

今朝のロシアのプラウダに「地球に進化論でいうマクロ進化は一切存在しなかった」というような文で終わる記事がありまして、まあ、なんとなく力強かったので、その記事をご紹介します。


ただまあ・・・その前に書いておきたいことがあります


基本的に私個人は現在の時代の科学は、地球の歴史上でも珍しいほど「真実とは遠いところに位置する科学」となってしまったと感じています。この間のパンデミック関係の記事で、私は、


残念ながら、今の科学の世界は「根元」が間違った方向の上(ビッグバンといわゆる進化論)にありますが、やはり残念ながら、それはもう是正できないと私は思っています。

もはや時間が足りないと思います。




と書きましたが、その「時間が足りない」というあたりも含めて、雑文となりそうですが、少し前振りで書いておきます。明るい話ではないですが、正直な思いです。



どれだけ新しい発見が続き、研究が進んでも「根」が間違いなら先へは進めない


今日のロシアの声に下のような見出しの記事がありました。

life-forever.jpg


地上の生命は地球の誕生に遥かに先行していた
VOR 2013.04.22

リチャード・ゴードン、アレクセイ・シャロフ両氏は「ムラ」という法則を用いて計算を行った。素人には難解な法則である。たとえば次のように用いられる。コンピューターの発展の歴史を知ろうという場合、最先端のものの詳細な分析を元に過去向きに計算していけば、その誕生は1960年代であった、ということになる。最初のコンピューターが現実に誕生した年代と符号するのだ。

現在の生命の複雑さを元に過去向きに辿っていけば、生命はおよそ97億年前に起こったのでなければならない。地球はたかだか45億年前に生れている。



見出しを見た時には、「お?」と思ったのですが、読んでみると、「生命はおよそ 97億年前に起こった」という単なる有限宇宙論の延長であり、やっばり今の科学なんかに期待してはいけないと襟を再度正すのでした。


ロシアは過去記事の、

私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1): 「人類のひとりと宇宙は同一のもの」
 2013年03月24日

などでもふれたチジェフスキー博士などのいた「ロシア宇宙主義」という下のような理念を持つすぐれた宇宙科学と理念を持っていたことがあるわけで、いつも多少の期待を抱いてしまうところではありますけれど。

ロシア宇宙主義の理念の中のひとつは下のような理念です。


地球上の生命現象は、宇宙の「物理的な現象」とつながっている。

神経節のように、ひとつひとつの生きた細胞は宇宙の情報に感応し、大宇宙はこの情報を細胞のひとつひとつに浸透させている。



というような。
他にもいろいろとありますけれど。



▲ ロシアのアレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 - 1964年)。


現在の・・・いわゆる科学といわれるものが、どうして今のように「奇妙なもの」となってしまったのかというのは、その理由のひとつに、


・真実の追求ではなく、名声をあげることが科学者の一義的な目的となってしまったから


ということはまあ・・・多少あるとは思います。

これを真っ向から否定できる科学者ご本人も少ないと思います。


あるいは、その土台となる科学界の「権威主義」と「階層的な科学組織」の力。

いつ頃からこれが始まったのかはよくわからないですが、西暦 1600年には、ジョルダーノ・ブルーノは「宇宙は無限だ」という自説を撤回しなかったために焼き殺されているわけで、少なくとも数百年前以上前からそういうものがあったようです。





上にも書きましたこちらの記事で、私は、


もはや時間が足りないと思います。



と書きましたが、この「時間が足りない」という感覚も、上の「権威主義」と「階層的な科学組織」の力と関係しています。


小さな問題ならともかく、進化論だとか現代宇宙モデル、あるいは、たとえば相対性理論のような「根本的な科学モデル」に修正が加えられるとした場合、それが下から上へと報告されて、上で決定されるまでの、報告、提出、会議、試験、判定、などの手間を考えると、何百年あっても、現在の「基本科学モデル」が別の方向に向かうには時間が足りないと思います。





アリストテレスの時代に変えられてしまったこの世

実際、この数十年は科学はその理念においては特に後退していて、アリストテレスの時代に「科学界で力のある人たち」が「地球と宇宙を切り離して」以降少しずつ後退した科学は、今とになり完全に「底」にまで行き着いたと考えてもいいように思います。

地球と宇宙が密接に結びついていることを科学の最大の基本として考えれば、いろいろな可能性はあったと思います。

たとえば、地震などを含めた災害についてさえも、かなり有効な解決方には近づけていた可能性はあります。

過去記事で、

3月11日の地震の前に観測された日本上空の赤外線と電子量の急激な変化
 2011年05月20日

というものをご紹介したことがありました。

NASA のゴダード宇宙飛行センターが公開したデータにより、「マグニチュード9の地震があった前日までに日本上空の赤外線量と電離層の電子量が増大したことがデータ上で確かめられた」という記事をご紹介したものでした。

下は上記の記事から「3月10日から3月12日までの赤外線のエネルギー量の変化」です。内容はここではふれませんので、詳細は記事をお読みいただくと幸いです。




これらの「巨大地震の前に高層大気でさまざまな変化が見られている」ということは、上のようなデータも含めて、たとえば、宇宙飛行士などの間でも「定説」として語られていたことを、やはり過去記事で書いたことがあります。

謎の「光る雲」がどんどん高度を落としてきている
 2012年06月26日

という記事の中盤にある「ロシアの宇宙飛行士たちが確信した「銀雲」と地球上の災害の関連」というセクションに記したことがあります。

そこに、ロシアの「ミール」という宇宙ステーションで 1994年から 1995年にかけて 438日におよぶ長期のスペース・ミッションをおこなったロシアのワレリー・ポリャコフという宇宙飛行士が帰還後に記した『地球を離れた2年間』という著作の中から「銀雲」という現象についての記述を抜粋したことがあります。



▲ ロシアのワレリー・ポリャコフ飛行士。



それからもうひとつ忘れられない現象がある。それは " 銀色の雲 " のことで、地上で起きる災害と関連があると言われている。

それは不思議な雲だ。銀色の雲という、まことにロマンチックの名前は、地表が円形になる地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空にしか現れないところからきている。

(中略)

その後、仕事の忙しさもあってこのエピソードは忘れられていた。ところがその晩、地上との定期無線交信のときに、アルメニアで大地震があり、膨大な数の犠牲者が出て、街は壊滅状態だという連絡があった。

(中略)

2回目のフライトの際には、ロケットが打ち上げられ、安定飛行状態にはいるやいなや、巨大な銀色の雲を目にし、不吉な感情に襲われた。管制センターとの無線交信によって、アメリカ合衆国のロサンジェルス市か、あるいはその近郊地域に大型の地震が発生し、大きな被害が出ているというニュースが伝えられた。



というもので、簡単にいえば、「地平線上の60キロメートルから70キロメートルの上空に銀色の雲が出ると必ず地球上で壊滅的な地震が起きる」ということを書いていました。


silver-clouds.jpg

▲ 宇宙からは銀雲はこのような感じで見えるものだそうです。


この記述は、変なオジサンが書いているものではなく、ソ連という国家が選び出した当時の世界最高峰クラスの科学者でもある宇宙飛行士が、「気になる現象」として強く書き留め続けていたことです。

地震との関連を、もっときちんと調査するのはおかしなことではなかったと思われます。地球上に衛星はいくらでも飛んでいるのですから。

あるいは、 311の東北の地震の際にその数日前から日本の上空で見られた「赤外線量と電離層の電子量が増大の現象」は、多くの人々が一種の驚きを持って見たデータにも関わらず、その後、本格的な研究の続報はあまり聞きません(おこなわれてはいるとは思いますけれど)。

どうしてあまり研究されないかというと、「地震は宇宙などとは関係ない」とみんな思っているからです。


地球は宇宙とは関係ないのだ、と今でも多くの人が思っている。



結局は今でも、地震というと地球の地面の下を調べることが中心というのが現状だと思います。その研究が無駄ではないにしても、「トリガーとは無縁」であることは研究者の方が最もわかってらっしゃることだと思います。

「今後 100年以内に起きる確率は・・・」

と言われても、私たちのような一般人はどうすれば? と思うしかない。


地面の下をいくら眺めていも、地震の発生に関しての根拠は「何百年経っても掴めないのではないか」という気もするのです。しかし、宇宙から地震を研究すれば、トリガーはかなり正確にわかったことだと思います。これは間違いないと思います。




でも・・・・・。やはりこれも今からではもう遅いです。



機器の用意の問題ではなく、上にも書きましたけれど、ガチガチに「学問の概念」が固められた科学会の牙城の中で、新しい理論が中心となる可能性などほとんどないでしょうし、そもそも、新しい理論が入り込むだけでも、何年も時間がかかる。いっぽうで、地球は現在、急速な勢いで変化を増していっている。


もう科学は間に合いません。


個人的には、数年もすれば今とは明らかに違う地球になっていると思っています。





それでも地球と宇宙はつながっている

ちなみに、「宇宙と地球がつながっている」という観念から科学を考える方法を取り入れていれば、病気についての理解にもずいぶんと役立ったはずです。

最近書いているパンデミックのこともそうですけれど、「宇宙から人間に直接病原菌が感染する」という、科学的に考えればわりと普通だと思われる考え方(古来からある考え方なので奇異ではないです)を、なぜ、「とんでもない考え方」とされてしまう風潮になったのか。

これも、アリストテレスの時代の「宇宙と地球の分断」以来、地球の科学界で続いている「地球のものは地球のもので、宇宙とは関係ない」という科学的信念と関係していると思います。

これは是正してほしいけれども・・・・しかしこれに関しても、やはりもう遅いです。




時は来てしまった・・・という感じでしょうか。




私は(なかなか難しいとはいえ)とにかく残る人生をできるだけ楽しく、あるいは充実させて生きていきたいと思っています。

今の心境ではそれはできないと思いますけれど、でも、そうしたいです。



というわけで、無駄話が長くなりすぎました。

ここから、先日のロシアのプラウダのサイエンス欄で見つけた記事を翻訳してご紹介いたします。





Fish DNA doesn’t support evolution of limbs
Pravda (ロシア) 2013.04.18

魚の DNA は人間の手足の進化とは結びつかない


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かつては絶滅したと考えられていた魚類の断片から採取された DNA の調査結果は、科学者たちに新しい発見をもたらすかもしれない。これまで、この魚がネズミの手足へと成長していったといような進化の可能性が考えられていた。

このことは、魚類が間違って(遺伝子のミスコピーなどの意味)手足を獲得した証拠として進化論では歓迎されている意見だ。

しかし、彼ら魚の DNA から「手足となる可能性となるもの」が一切発見されなかったとしたら、これは興味深い発見ではないだろうか。今回採取された魚の断片からの DNA のメカニズムは、この「興味の引き金を弾くトリガー」となり得るかもしれない。

手足を形成する「トリガー」は、 DNA の中にもともと手足を形成する遺伝子が存在している場合にのみ、その萌芽となり得る。たとえば、手足のあるネズミの遺伝子にはそれがある。

仮に、魚にもこの遺伝子が存在しているのなら、それが何かの「間違い」で手足となる可能性はあるかもしれない。

しかし、「存在していない」のだ。

魚の DNA には足へと成長する遺伝子の存在は確認されない。

魚のヒレが足に進化している途中の、ヒレと足をそれぞれ持つように進化した魚を想像してみてほしい。



fish-devo.jpg

(訳者注)上の図は訳者による参考図です。


そんな形態のどこに「生存の優位性」があるというのだろう?

これではヒレも足もどちらも効率的に使うようなこときできない。
そもそも、一部がヒレで一部が足などという魚の化石はいまだかつて見つかったこともない。想像の産物以外では化石としても存在しない。

自然界のすべての本当の進化にはその限度がある。

遺伝子は、すべての種の中で、マイクロ進化(例えば、イヌやネコ、ウマ、ウシなどの生物学的な品種の変更など)の範囲では存在しても、生物学的な種のバリエーションを越えるようなマクロな(大きな)進化をサポートしたり、プログラムする能力を持たないと考えるのが妥当だ。

可能なのは、既存の遺伝子の形質の中での変形のみである。

つまり、イヌは遺伝子の変化によって品種が変化しても、それはイヌになる(遺伝子の変更で他の動物になることはない)。

進化論者たちは、何百年にわたって、環境の放射線等に起因する遺伝コードのランダムな変異の間違い(遺伝子のコピーミス)などによって、マクロ進化(生物種を越えた大きな進化)が起こると考えきた。

そして、自然淘汰により、全く新しい特性を持つ全く新しい遺伝子を生成するというようなことを本気で考えてきたのだ。

DNA と遺伝子の性質を冷静に考えてみてほしい。

そんなこと(コピーミスと自然淘汰により種を越えたマクロな進化)が起きることはロマンス小説の中、あるいはSFの世界くらいにしか存在しないとはお感じにならないだろうか。

マクロ進化のための主要な問題は、適者生存の問題だ。部分的に進化していった種が、たとえば、部分的に進化していった形や器官(外見や臓器など)を最初から機能させて生きていくことができるだろうか。

重要な臓器が進化している間に生存に適するように機能するだろうか。進化論者たちは、自然淘汰や適者生存の中で種が生き残る方法を説明するかもしれないが、生命そのものの形態と器官が生存に適さない可能性を彼らは説明しない。

異なる種の間での遺伝的および生物学的な類似性の中に、「共通祖先」という証拠は存在しない。

生物の多くの種の間には多くの優れた類似点が存在し、論理的に様々な種で、同様の目的のために同様の機能を設計し(違う生物でも、たとえば神経や器官や臓器を同じように使っているというような意味)、共通の遺伝子エンジニアがまるでいるかのような構造を持つことは確かだ。

それを認めた上で進化論を否定すると「神」が出てきてしまう。

なるほど、確かに遺伝情報は、情報の他の形態と同様に「偶然に起こる」というものではないし、また、異なる種の間の DNA や遺伝的な類似性が驚くべきものであることに、インテリジェンスデザイン(創造論的な意味)を感じることは確かだ。

たとえば、「ジャンク DNA 」という存在がある。

かつては DNA のうちの 90パーセント以上は「機能していないもの」と見なされていて、それがジャンク DNA (ゴミDNA )という語源にもなっているが、最新の研究では、ジャンク DNA はまったくジャンクではないことがわかり始めている。

DNA のすべては有用なものであることが示されはじめているのだ。最近のネイチャーなどの科学誌で発表されているな DNA に関する研究は、「コード化されていない DNA セグメント( "non-coding" segments of DNA )」が遺伝子発現の調節に不可欠であることを明らかにした。

これまで発見された化石のすべては、種として完全に形成されて機能していた。ヒトに関しても、「ヒト」と「ヒトではない」といういずれかしかなく、その途中はない。

地球の自然の中でマクロ進化は完全になかったと断言していい。





ここまでです。

上の記事に「ジャンク DNA 」という言葉が出てきますが、これに関して、ずいぶん以前に翻訳して何回かにわけて、記事にしたことがあります。

それをリンクしておきます。

ジャンクDNA解明への挑戦(第1回): 記憶媒体として機能しているDNA
 2011年06月11日

ジャンクDNA解明への挑戦(第2回): DNAは言語が具体化したものだった
 2011年06月12日

ジャンクDNA解明への挑戦(第3回):DNAは生物の直感力とテレパシーを支配している
 2011年06月13日

ジャンクDNA解明への挑戦(第4回): 人間の遺伝子の変異を促すものは何か?
 2011年06月16日


ところで、上の記事は強い口調でいろいろと書いていますが、ひとこと補足させていただきますと、つまり、

「人間は人間として進化していく」

ということだと。

記事の前振りで、私は現在の科学に諦めを持っているかのように書いていますが、それでも、人類そのものの大きな進化はあると考えています。

それがどのような形なのかは、予測はできても具体的にはわからないですが、遺伝子を直接変えることができるのは、ウイルスやファージなどの非生物的生物ですので、それらの関わりは人間の進化に大きく関係すると思います。