2013年05月24日



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精神的なカオスにやや考え込んでしまう昨今



dawn_of_earths.jpg


今日は雑談となってしまいそうです。

ところで、私は株はやっていないんですが(昔少しやっていたことがあります)、ここ数日、株価を見ることがありました。そして昨日の午後もなんとなく日経平均株価を見てびっくり。

1000円以上さがっている。

kab-05-23.png


何かあったのかなとも思いましたが、特別な事件や出来事が起きたというわけでもないようです。


ちなみに、「ここ数日、株価を見ていた理由」というのは、数日前、昔からの知り合いと電話で話していたことに理由があります。その時、その相手と下のようなやりとりになりました。彼は昨年仕事をやめてから、1年近く、蓄えで生活していて、まあ、まだしばらくは余裕はあるようなことを前に言っていたと思います。

わたし「最近何してんの?」
相手 「いやあ、株でも買おうかなと思って」
わたし「な・・・・・」
相手 「テレビとか見たら、なんかやたら儲かってる人たちが出てくるんだよ」
わたし「やめなさーい!」
相手 「なんだよ」
わたし「株買ったことないんだろ?」
相手 「ないけど、テレビでもまだ上がるって言ってるし」
わたし「や・め・な・さーい!」
相手 「なんだよ」
わたし「いくつかの何とかショックをリアルタイムで経験した私から言わせてもらいますと、今の状態は、今日明日にでも大崩壊したって不思議じゃないと思うぞ」
相手 「そうなん?」
わたし「アルマゲドンの気配が雰囲気にもチャートにも漂いまくってる」
相手 「なんだよ雰囲気って」
わたし「株を買ったことがないような人たちがみんなが株を買い始める雰囲気。そこがいつも頂点」
相手 「そうなのか? まだ買ってないから関係ないけど」
わたし「売りから入る、とか知らないんだろ?」
相手 「何それ?」
わたし「だったら、や・め・な・さーい!」


というような話をしてから3日後だったのが昨日の出来事でした。

ちなみに、経験則では、昨日のような「崩壊」の実質的な余韻はしばらく続くもので、来週も修羅場があるように思います。

多くの投資家の人たちは「信用取引」というものを使っていて、つまり、借金なんですけど、昨日のような突然の極端なマイナスの波乱が起きると、多くの人々にいわゆる「払わなければならない絶対的な赤字」(追証 / おいしょうと呼ばれます)が生じます。

これは絶対に支払わなければならないものであり、株の受け渡しの仕組みなどから強制決済(株を強制的に売られて現金化される)だとかいろいろと始まるのが数日後からで、それが来週の火曜あたりになるんです。

今回は膨大な追証が発生している可能性が高く、処分売りと来週に迫る強制決済で、しばらくは荒れることになるのかもしれません。いろんな方面が賢明に株価を買い支えようとしても、耐えられないほどの怒濤の売りのすごさはかつてよく見ました。

まあ、これは本当に余談でした。
このあとも雑談ですけれど。






世の中はもう変わらないのだろうかと考える日々


先日も書きましたけれど、最近いろいろと考えます。
たとえば、上に株のことを書きましたけれど、最近は特に、


「なんだか、人間の生きている意味の中心にお金以外にないみたいな気がする」


というようなことも思います。

しかし私だってそうですけれど、そうせざるを得ない。

なぜなら、今の社会システムではお金がないと生活そのものが成り立たない。


「ずーっと社会ってこのままなんだろうか」


と、そのことを考えるんです。


株価に関してはそのまま崩壊していこうと、立ち直ろうとどちらでもいいのですが、仮に立ち直って、経済も良くなり、「ああ、世の中は繁栄しています」という世の中になったとしても、それは「むしろさらにお金が偉くなっていく」と



「それなら何もかも崩壊したほうがいいんじゃないだろうか」


とか。


今は確かに災害とか、ウイルスとか、太陽とか、いろいろな困難や災難があるとはいっても、それらからうまく逃げ延びて、生きのびたとして、そして、


「ああ、私は生き残って、ここにいる」


としても、生き残った世の中が今と同じか、さらにひどいのなら、それはむしろ、災いに巻き込まれてしまったほうが幸いな気さえしたりします。


とはいえ、じゃあ、どうすればいいんだというのがわからない


田舎に行けばいいかといっても、あてもなく田舎に行ったって仕方ない。


本来、人間はどうやって生きるべきだったのか(あるいは「死」の問題も)というようなことを、できれば考えるだけでなくて実践したいけれど、具体的なことがわからないまま、2008年、2009年・・・と、2013年まで来てしまいました。


どうしようかなあ・・・と急速に危機感を感じもするのですけれど、考えてみれば、このブログをある程度は定期的に読んで下さっている読者の方たちが多少なりともいらっしゃるのですから、そういう方々の意見も聞きたいなあという気もします。

しかし、その方法もなかなか難しそうです。

誰でも書ける一方通行のコメント欄は荒れ出すと、記事そのものに影響しそうで使いたくないですし、SNS やツイッターも性に合わないですし。

何らかの「場」として考えられるのは昔ながらの BBS 、それもクローズした掲示板程度ですが。


そして、少し「人と会って話してみたい」と思うようにもなっています。時間と経済的に余裕があれば、今年はいろいろな人たちのところに会いに出てみようかなと考えるところもあります。私のスタンスとしては「脱落」というキーワードでもいいんですけれど、これから生きていくアイディアを提供しあえるようなこともできないかなと思っています。



今後の世の中で、仮に、自然災害が激しくならなくても、流星の攻撃がなくとも、パンデミックが起こらなくても、「生きていて楽しいと思えない世の中」を感じることが多くなりすぎているような気がします。


震災の時に変わると思った日本の精神的な構造は確かに変わるのは変わったのかもしれないですが、私の思っているほうとは逆の変わり方でした。縄文とか弥生時代の精神構造に戻りたいと思っている私とは逆の方向


そういえば、弥生時代といえば、時代は違うかもしれないですが、メキシコで古い壁画が多数発見されたことが報じられていました。

mexico-1.jpg

英国BBC より。


米国周辺の先住民族の描く構図は本当に魅力的であります。

日本語の記事も AFP 通信 にありました。



昔に戻るという意味ではなく、先に進むという意味でいいんですけれど、何か「生きていたい」と思うような世の中に住むという方向もどこかにあるのではないのかなと思う最近です。

いずれしても、6月くらいまでを目処にいくつかの作業をしたいと思っています。

雑談失礼しました。