▲ およそ3万2000年前の種子から発芽、成長したナデシコ科の植物。ロシアの研究チームが成功。 ナショナルジオグラフィック ニュースより。
未来は見えないままだけれど
先週末、神奈川県の藤野というところに行っていたんですが、湖や木々の光景を見てリフレッシュするつもりが、森を眺めているうちに、むしろ、いろいろと精神的に混迷してきまして、昨日は1日ぐったりとしていました。
個人的な迷いとか、自分の家族の問題だとかは書いても仕方ないことですので、それは置いておいて、なんとなく私は都会から遠く離れたところで暮らすようなことを想定して最近生きていたような気がするのですが、藤野で森を見ている時に 2011年 3月の震災直後に書きました記事の、
・新しい神話の神様たち
2011年03月16日
で記したことを思い出したのです。
そこに私はこのように書いています。
次の何千年かの神話がスタートしたのであろうことを感じます。
今の世界には、大洪水の中をひとりで逃げたところから始まるような世界での神話の中で生きてきた人たちもいます。
しかし、これから始まる神話はそうではありません。
その頃には、願わくば、文字で記述された聖典などのない時代であってほしいですが、仮にそういうものがあるとしたら、その聖典の最初のページに出てくるのが、今の東北の災害と、もしかすると、今後、日本の他の地域も襲うかもしれない災害の中の「日本人」だと思います。
その何千万人の神様たちが世界の人々に言いたいことは、その何千万人の他の何十億人の人々も、全員が同じ神様そのものであることに気付いてほしいと。
私が最近考えていたことは、単に上にある「大洪水の中をひとりで逃げたところから始まるような世界での神話」の主人公と同じなのではないかと。
あるいは、昨年2012年12月には、中国などでは「舟を建造する人たち」が続出していました。
▲ 過去記事「世界終末狂想曲」より。
昨年は、こういう中国の人たちを見ながら、なんとなく見苦しさを感じていたのですが、しかし、自分の考えていることも、舟を作り続ける人たちと何も変わらないのではないかと。「ひとりで逃げる神話」の延長。
そう思うと、藤野の森の木々を眺めているうちに、最初は少し恥ずかしく、次に次第に「疲れて」きました。
この「疲れ」は、もう何をどう考えればいいのだかわからなくなってしまう入り口に自分がいることを感じての疲れだったのかもしれません。
▲ 宿泊した場所から見える森の様子。
そういえば、上にリンクした「世界終末狂想曲」という記事には、7世紀の中国の予言書である「推背图」(ツイベイトウ)というものの第1章の部分を載せています。
大体このような文章で始まる予言書です。
推背图 第一象
私はこの広大な世界の終わりを知らない、と唐の予言者は言われた。
太陽と月のサイクルは永遠続いていくのだと。
盤古(宇宙を作ったとされる神様)以来、物事は龍のように繋がっている。
ここにあるような、世界には終わりもなく、また始まりもないというような概念は様々な伝承、神話、聖典などの中に記されているものですが、しかし、
「そうは言われてもねえ」
というのが、私たちのような普通の人間の偽らざる感覚でもあります。
特に「終わり」の概念が強迫的につきまとうのは人間の本性かもしれません。
いずれにしても、何となく先月あたりに考えていたことが、藤野行きでむしろ停滞してしまった感もありますが、かといって考えるのをやめてしまうことに意味があるとも思わないですし、今のこの「疲れ」がひどくならない程度に考えてはみたいと思います。
ところで、一番上に載せましたナデシコの写真は、 2012年 2月のナショナルジオグラフィック・ニュースにあったものです。下のような概要の記事でした。
3万年前のナデシコ、種から開花に成功
ナショナルジオグラフィックニュース 2012.02.22
ロシアの研究チームが約3万2000年前の種子から花を咲かせることに成功した。
氷河期に、リスが食料貯蔵のために隠し埋めたと見られており、放射性炭素年代測定の結果およそ3万2000年前の種子と判明した。永久凍土の地下38メートル付近から出土し、周囲の地層からはマンモスやバイソンなどの骨も見つかっている。
そして、数日前には、退行した氷河の跡から出てきた「完全に死んでいると思われていた400年前の植物が繁茂を始めた」という科学記事が、米国のエポックタイムズに出ていました。
400年間、氷河の下にあり、「ミイラ化した苔」が、死んでいなかったというものです。
植物たちの生命のエネルギーからは、確かに「永遠」という概念を感じさせてくれるなあ、と思いましたので、それほど大きなニュースというわけでもないかもしれないですけれど、ご紹介したいと思います。
400-year-old Plants Spring Back to Life
Epoch Times (米国) 2013.06.03
400年前の植物が生命の息を吹き返した
▲ カナダ北極圏のエルズミーア島中部にあるティアドロップ氷河で融解した氷河の下から露出したミイラ化した樹木。この地で採取された苔が植物としての生命を取り戻した。
研究者たちは、カナダ北部の氷河に約 400年前から氷の下に埋葬されていた苔(コケ)が地上で芽吹き始めたことを発表した。
この苔は、放射性炭素年代測定では、400年から 600年の凍結期間があったとされ、西暦 1550年から 1850年の間の小氷河期の間、完全に氷に覆われていたと考えられるものだ。
このカナダ北極圏の付近では 2004年移行、氷河の氷が急速に消えていき、氷の下に埋まっていた多くの植物の存在が明らかになった。
▲ 研究室で息を吹き返した苔。
それらの植物はすでに完全に死んでいるものと研究者たちは考えていたが、400年前のその苔は死んでいなかったのだ。
この研究の概要は、2013年5月22日に米国科学アカデミーのウェブサイトに掲載された。
ここまでです。
このように、植物は永遠という概念がよく似合う存在であるわけですけれど、同じ生命である私たち人類はどの部分にこの「永遠性」を持っているのかなと考えてしまう次第です。
人間にも(あるいは、ほぼあらゆる生物に)永遠不滅に近い DNA という「永遠の物質」は確かにあるわけですけど、植物のように実際に生き返るわけではないわけで、人間の永遠性は、植物とは違うところにあるのだと思うのですけれど、それは何なのか・・・などと思います。
あるとは思うのですよ。
人間にも明確な永遠性が。