自ら回転を始めた古代エジプト像を人々は「ファラオの呪い」と形容し
6月24日の英国のデイリーメールの記事で、1日で 1000近いコメントが書き込まれたような話題となった記事があります。それは下のような記事でした。
▲ Daily Mail より。
これはタイトルだけを読んでも何だかよくわからないと思うのですが、英国の美術館にある古代エジプトのオシリスという神の彫像が「自分で動いた」というものです。
ところで、記事をご紹介する前に、この「オシリス」について Wikipedia から説明を抜粋しておきます。
オシリス
オシリスは、古代エジプト神話に登場する神の一柱。
生産の神として、また、エジプトの王として同国に君臨し、トトの手助けを受けながら民に小麦の栽培法やパン及びワインの作り方を教え、法律を作って広めることにより人々の絶大な支持を得たが、これを妬んだ弟のセトに謀殺された。
この際遺体はばらばらにされてナイル川に投げ込まれたが、妻であり妹でもあるイシスによって、男根を除く体の各部を拾い集められ、ミイラとして復活。以後は冥界アアルの王として君臨し、死者を裁くこととなった。
古代エジプトの『死者の書』に描かれるオシリスの姿。
そして「動く像」に関してのデイリーメールの報道は短くしますと、下のようなものです。
マンチェスター美術館にあるファラオの陵墓から発見された死の神の彫像が自分自身で回転した
英国マンチェスター美術館に展示されている、紀元前 1800年ごろにエジプトで作られたとされるオシリス神の偶像が、自ら180度回転した。
回転は昼間にのみ起こり、夜間は運動が止まっていた。その様子は美術館の監視カメラに記録されていた。神像はガラスケースに収められており、ケースの鍵を持っているのはひとりの学芸員だけで、他の人間が触れることはできない場所だ。
監視カメラの映像を早回しで見てみると、像はまるで意思を持つように正確な円を描いて半回転している。
専門家も理由がわからず、「いわゆるファラオの呪いでは?」などと冗談とも何とも言えない返答しかできなかった。
像の高さは 25センチメートル、「ネブ・ア・セヌ ( NEB-A Senu )」と名付けられたもので、エジプトのファラオの陵墓から発見された彫像だ。1933年、マンチェスター博物館の収蔵品となった。
オシリス神は死者の世界をつかさどる。
ちなみに、一度だけ回転したということではなく、最近、気づくと回転していることに気づいた学芸員が、監視カメラで1日中、部屋を監視することを決めたところ、誰も触れていないのに回転していたことが判明したということのよう。
記事にある監視カメラの映像はマンチェスター美術館が公開しており、下がその動画です。
その映像から、どのように回転していたかを示したスクリーンショットが下のものです。
最初の写真で丸く囲んだ像がオシリス神の彫像です。
キャプションはデイリーメールのものです。
回転するオシリス神の彫像
▲ 30センチほどの高さのこのオシリス神の像は80年前からこの美術館に展示されているが、最近になって回転していることに気づいたという。そこで、学芸員は、監視カメラを設置することを決めたとという。
▲ 美術館の閉館時には、明らかに像の向く位置が変化していることがわかる。
▲ 翌日の美術館のオープンしている日中。一周の約4分の1程度まで像は回転している。
▲ さらにその翌日の朝。彫像はさらに動いていた。顔の向きは最初の方向から相当移動した。
▲ その日の美術館の閉館の時間。彫像は最初からほぼ180度回転していた。
というものなんですが、なぜ回転しているのか今のところ理由はわからないながら、英国の物理学者のブライアン・コックス博士という人などがコメントを寄せており、展示しているガラス面や置いている石台などに微妙な振動の原因となる差分摩擦というようなものが起き、それにより回転しているのではないかというようなことを述べています。
しかし、デイリーメールではそのコックス博士のコメントを載せた後に、
「しかし、それなら、どうして前にも後ろにも進まず、しかも、ほぼ完全な円を描いて回転しているのだろうか?」
と記しています。
私もそれは思います。
美術館の振動で動いているのなら、もう少しランダムに動くように思います。
なお、この記事の注目度はかなりのもので、さきほど見てみましたら、コメント数が下のような状態になっていました。
記事の掲載から2日ほどなので、ものすごいコメント数だと思います。
さて、実は今回この像の「オシリス」という神様の名前をはじめて知ったのですね。それが「冥界=死者の世界」を司る神様であるということも知ったのですけれど、少し調べてみると、このオシリスという神様には、いろいろな見方や考え方があって、その中には「ややコワイ帰結」となっている話もあるようです。
3800年を経て動き始めたオシリスの本当の姿は?
ところで、上のオシリスは冥界の神であると同時に、日本人に贈る聖書ものがたりという本などの記述によると、「ナイル川の守り神」であるそう。
このナイル川は現在、エジプトと、エチオピアの間で「ナイル川」を巡っての水戦争の瀬戸際にあることが報じられています。
▲ アルジャジーラより。
どちらの国かもしれないですが、特に、エジプトの水不足がひどいらしく、エチオピアがナイル川にダムを建設すると、エジプトへの水の量が大きく減るのだそうで、エチオピアに警告しているのですが、その内容が、「戦争を含むあらゆる選択肢がある」というようなものですので、かなり厳しい問題のようです。
神様がたくさんいる(いた)はずのエジプトで、ナイル川の守り神であるオシリス神もいるというのに、どうもこの川を巡って大きな衝突になりそうになっている。
「うーん・・・」といくつかのページを見ていましたら、「戦争はなぜ起きるのか」というブログに「オベリスクの悪魔 オシリスと地獄 聖書の神ヤハウエの正体オシリス」というページがありました。
書いている人自身の考えだけではなく、いろいろな書物などから抜粋されています。
それによりますと、このオシリス神というのは、ギリシャ神話のディオニュソスという神と同一であり、それは戦争の神であるというようなことが書かれてありました。
ディオニュソスというのは一般的にはお酒(ブドウ酒)の神様というような感じで言われている神様です。
そのブログの記事からいくつか抜粋してみます。
「エジプト神イシスとオシリスの伝説について」プルタルコス著(岩波文庫)より
オシリスは大遠征軍を起こしたが、その時、全軍を多くの部分に分け、そのおのおのに動物の姿の旗印を与えた。そしてこれが、この旗印のもとに集まっていた人々の一族のものたちにとって神聖で貴重なものになったというのです。
そしてディオニュソスはほかならぬオシリスと同一の神であるがゆえに湿り気の元締めで、従ってHyesと呼ばれる、などと申します。
「世界宗教史2」ミルチア・エリアーデ著(ちくま学芸文庫)より
密儀は、信者たちがディオニュソスの完全な顕現に参与することで成り立っていた。
儀式は村から遠く離れた山や森の中で行われる。
生贄を八つ裂きにし、生肉を喰らうことによって、神との交流が実現される。
などとあり、そして、このブログの作者は、下のような図式を記していました。
> オシリス=ディオニュソス=アッティス=アドナイ=ハデス=ヤハウエ=聖書神=サタン
途中を省略すれば、「オシリス=サタン」ということになってしまいますが、そういうものなのですかねえ。
いろいろな解釈があるのでしょうけれど、仮にマンチェスター美術館のオシリス像が上の図式に当てはまるようなものだった場合、「それが動き出した時代」というものの意味を思います。
聖書に書かれてある「洪水」の意味
先日の記事、
・黙示録的な洪水(2): 川のない山間にある「インド有数の聖地」が鉄砲水に飲み込まれる時
2013年06月22日
では、インドのウッタラーカンド州という山の中にある聖地が鉄砲水により壊滅的な被害を受けたことにふれていますが、それから3日経っても、被害の全貌はまだはっきりとしていないながら、下のような見出しの記事が報じられています。
▲ NDTV より。
昨年からですけれど、最近は洪水に関してのことについてずいぶんと多く書いていました。しかし、どうして今回、古代エジプトの像が動いた話から洪水の話になったのかといいますと、上に引用したブログの最後のほうに、ミルチア・エリアーデという人の著作の中にある「ノアの洪水」についての抜粋があったのです。
そこには以下のように書かれてありました。
「世界宗教史1」ミルチア・エリアーデ著(ちくま学芸文庫)より
洪水の原因は人間の罪であると同時に世界の老朽化であることが確認される。
宇宙は、それが存在する、すなわち生存し、生産するという単なる事実によって、
しだいに退化し、ついに衰亡するのである。これゆえに、宇宙は再創造されなければならないのである。
言いかえれば、洪水は新しい創造を可能にするために「世界の終末」と罪に汚れた人間の終末を大宇宙の規模で実現するのである。
と書かれてあるのだそう。
まあしかし、このような宗教的な意味がどうであれ、洪水は実際に急激に増え続けていて、時期を考えてみると、これからも増えると思います。洪水はどこでも起きるのでしょうが、今回自分の書いたものを読んでいると「いわゆる聖地と呼ばれるようなところ」に危機があったり、とかを感じたりしてしまいます。
自然の上に神がいてもいなくても、人間は自然を制御できないわけで、フレッド・ホイル博士の書いていた「天体の爆撃の時代」もそうですが、自然の猛威が圧倒的に人類を攻める時、人間は謙虚になり、自然や、あるいはその上にいるのかもしれない神に対して畏怖を持ち振る舞うようになっていくようです。
「人間から傲慢が消えていく」
ということです。
フレッド・ホイル博士によれば、この 500年間はその逆の時代で、「現在の世の中は、人間が自然や宇宙を恐れることのなくなった傲慢な時代」ということのようです。
私もそう思いますし、何より私自身がそのような(自然と宇宙に対しての)傲慢さの中で生きていることにも気づきます。