人間が「見る」ためには「目からの光」が絶対的条件ではなかった
先日の記事で不満げな最近の気分を書いてしまって、大人げないと思いつつも、かつてのさとう珠緒さんのような表現で、「現代宇宙モデルに ぷんぷん!」というような意見を表明すればいいのかというと、そういうことでもないわけで、ここ二日ほどはボーッと歩いたりして過ごしていたのですが、今朝、非常に面白い科学報道を記事を見て、少しだけシャキーンとしました。
その内容はこの数年のブログ記事に関しての記憶をかなり昔にまで引き戻すことのできるものでした。
それは米国ロチェスター大学が昨日発表した論文でした。
下がそのページです。
▲ ロチェスター大学 ニュースリリースより。
上の見だしだけではわかりにくいですが、この論文の内容をひとことで書きますと、
50パーセントの人間は完全に光のない状態の中で、自分の動きを目で追う能力を持っていることがわかった。そして、この能力は「学習」により、ほぼすべての人が習得できると結論づけられる。
というものなのです。
これはまあ・・・私個人としては非常に興奮しましてですね。
たとえば、これはもう「個人的な 2013年の10大ニュース」というようなものに入ることがほぽ確定したものとなっているんですが、どうしてこのニュースにそんなに興奮したかというと、過去に私のこの In Sheeple では(興奮して綴りを間違えてるぞ)いや、 In Deep では、「光と視覚と松果体」についてずいぶんと書いていた頃があったのです。
このアメリカのロチェスター大学というのは、Wikipediaによりますと、「アメリカで最も古い光学研究機関である光学研究所を持つ」のだそうで、つまり、「光の研究」の代表的な研究機関だそうです。
ちなみに、ニュートリノの検出でノーベル物理学賞を受賞した日本の小柴昌俊さんは、このロチェスター大学の大学院で博士号を取得しているのだとか。
今回はロチェスター大学の論文の内容について翻訳してご紹介したいと思いますが、その前に少しだけこの数年の「光と視覚と松果体」についての過去記事から少し抜粋しておきたいと思います。
メキシコの「眼のない魚」の研究から始まった松果体との格闘
松果体というのは、人間では脳の下の図の位置にあるものです。
医学的には、メラトニンというホルモンを作り出すことに関与していること以外の役割はほとんど不明ですが、これが哲学、あるいはスビリチュアルの世界となると、「第三の眼」というような表現にも見られるように「人間で最も大事な器官のひとつ」という言われ方をされてきたものでもあります。
17世紀の哲学者デカルトは、松果体は「この世界にある物質と精神という根本的に異なる二つの実体を相互作用させる器官」だと言っていました。
過去記事の、
・あらゆる手段で「光」を求める生命: フンコロガシの行動、松果体の意味、そして「太陽神の目」の実体
2013年01月29日
では、他にも、フランスの作家ジョルジュ・バタイユの小説『松果体の眼』というものについて書いたりもしていますが、そのあたりまで話を広げますと、収拾がつかなくなりそうですので、哲学や精神世界の話は上の過去記事などをご参照下されば幸いです。
ただ、バタイユが、
「松果体の役割は、太陽から火山を経て肛門へ受け渡されたエネルギーを、松果体を通して再び太陽へ回帰させること」
と書いていたことは特筆すべきことではあります(意味はよくわからないですけど)。
それよりも、私が最初に松果体に興味を持ったきっかけは、やはり今回ご紹介するものと同じような「アメリカの大学での研究論文」だったのです。
メリーランド大学のヨシザワ・マサト氏とウィリアム・ジェフリー氏の2名の科学者が、メキシコの洞窟に住む目の見えない魚を研究して、この目がないこの魚が光を感知していることに関して、「脳の松果体が直接光を感じとっている」と結論付けたという研究発表論文に大変興味を持ったことがきっかけでした。
上の実験では、目のある魚でも実験をおこなっていて、その結果、光を感知するための「目の役割は10パーセント程度」で、残りの90パーセントは松果体を通して光を感知しているということをも示唆するものでした。
▲ 過去記事より。
この論文を紹介した記事は、クレアの2011年01月28日のペアである自分(2) 宇宙の場所という記事に全文訳があります。
また、「人間の光の感知」に関しての私の考えは、やはり、過去記事の、
・日本人研究者が獲得した「暗闇での視覚」: 人類と光と植物
2011年02月28日
というものに、自分の考えが書かれていることに気付きましたので、その部分を抜粋しておきます。
現実に「闇夜でクリアに見える技術」が開発されていて、少なくとも技術レベルでは「完全に光のない場所で物を見るということが)できている。ということは、宇宙の物理の仕組自体は、「本来は暗黒でも見える可能性がある」ということなのではないか、などと思った次第です。
この「光のない場所にあるものが普通に見える」概念や仕組が人体に隠された機能としてどこかにあれば、人間はいわゆる「目での光」だけに頼らなくても「見て」生きていくことができる。
もちろん、かなり遠い未来の話にしても、姿形は同じままで「新しい人間」というものは、遠い未来には存在していてほしいし、それには松果体や脳下垂体、あるいは今は軽んじられている脾臓や盲腸といったすべての器官までもが完全に機能する人間が存在してほしいと考えています。
この「光のない場所にあるものが普通に見える」概念や仕組が人体に隠された機能としてどこかにあれば、人間はいわゆる「目での光」だけに頼らなくても「見て」生きていくことができる。
もちろん、かなり遠い未来の話にしても、姿形は同じままで「新しい人間」というものは、遠い未来には存在していてほしいし、それには松果体や脳下垂体、あるいは今は軽んじられている脾臓や盲腸といったすべての器官までもが完全に機能する人間が存在してほしいと考えています。
ちょっとわかりにくい書き方ですけれど、要するに、「目でだけ光を感知する」というのは、多分、私たちの潜在意識も顕在意識も含めて、
「意識の上に薄いベールを張られている」
という状態なのだと思っています。
この「薄いベール」がとれていく過程が「進化」なのであり、人間の進化というのは姿や形が変化していったり、空を飛べたりするということではなく、意識的なレベルでの思い込みのベールがとれることだと思います。
そして、本当の意味の「自由な思考」を持てた時に、感覚そのものが自由になるという変化なのだと。
その時代を今の私たちが見られるかどうかはわからなくとも、人間の機能(松果体も)は何ひとつ退化していないということが、今回の実験でわかったことは大変に喜ばしいことだと思ったりするのです。
では、ここからロチェスター大学の記事の概要です。
Seeing in the Dark
ロチェスター大学 (米国) 2013.10.31
暗闇で見ること
完全な真っ暗闇の場所を探して、そこでゆっくりと自分の顔の前で手を左右に動かしてみる。あなたには何が見えるだろうか?
この答えは、これまでの考え方では「真っ暗闇では何も見えない」というイメージを持つのではないだろうか。
しかし、コンピュータで視線を追跡する装置(アイ・トラッキング・システム)を用いての最新の研究では、少なくとも全体の 50パーセントの人は、まったく完全な真っ暗闇の中で、自分の手のひらの動きを正確に眼球で追随できるということがわかったのだ。
今回の調査チームの主任者として実験を主導したロチェスター大学の脳と認知科学が専門のデュジェ・タディン( Duje Tadin )教授は、以下のように言う。
「完全な真っ暗闇の中で物が見える? そんなことはこれまでの視界に関する自然科学ではあり得ないことなんです。そんなことは起こらないことなのです」
「しかし、今回の研究では、私たち自身が自分の動きを察知することについて、光のシグナルが完全にない状態でも、自分の手の動きを通じ、脳内で実際の視覚認識を作り出すことができ、視覚信号を送信することを示したのです」
今回の実験は5つの異なる実験を 129人の被験者を通しておこなわれた。
研究者たちはこの「完全な暗闇の中で見ることができる」という不気味ともいえる能力について、それが示しているものは、私たちの脳が自らの認識を生み出す際に、別の感覚からの情報を組み合わせているという可能性だと考えている。
この能力はまた、「私たちは視界というものを通常は目で認識していることと考えているが、それと非常によく似た機能が脳にあるということなのです」と、バンダービルト大学の心理学の専門家であるケビン・ディーター(Kevin Dieter)教授は述べる。
これまで、光のない洞窟の内部などを探検した人々が、光のない空間で自分の手の動きを見ることができたというようなことを主張する「スペランカーの錯覚」と呼ばれる体験談が伝えられることがあったが、これまでこれらは一般的に幻覚だと考えられていたが、今回の研究成果はこうした体験談は幻覚をみたものではなかったことを示すものとなるかもしれない。
ディーター教授は、この完全な暗闇で自分の動きを見ることができるという能力については、「ほとんどの人が学習できるものだと思われます」と結論づけている。