今日、下の記事を目にしたのですね。
▲ ウォールストリート・ジャーナルより。
上の記事そのものは大変長いもので、記事の内容そのものにはここではふれないですが、この「ロボトミー手術」。
今はその言葉も使われることもほとんどなく、場合によってはご存じのない方もあると思われますが、1940年代から、うつ病や精神的な疾患の患者などにおこなわれていた「脳の外科手術」で、その方法は上のウォールストリート・ジャーナルから抜粋しますと、下のような手術法です。
方法
標準的なロボトミーでは、外科医が額から頭蓋骨に2つの穴を開け、そこに回転する器具、もしくは、へらのような形のメスを挿入し、額の裏にある前頭葉前部と脳のそれ以外の部分とを切断した。
というものですが、非常に簡単に書くと、下の赤い丸のところに器具を差し込んで、脳の前頭葉を他の部分から切断してしまう手術です。
こんな一種の乱暴ともいえる方法は、当然、夥しい死者や、廃人を生み出したわけで、1970年代頃には完全に消え去りました。
さて・・・話は変わりますが、最近は日本人もよくノーベル賞などを受賞して、その時期には大きな話題になります。
以前に、
・疑似と近似が積み重なっただけの「絶対」への信奉が義務づけられるリアル社会のウソくささに耐えきれなくなって疲れちゃいました
2013年10月30日
という記事の中でも書いたことがありますが、私たちのような一般人は、受賞したその内容を特に知るわけでもなく、「ノーベル賞だ。バンザーイ」というような雰囲気に包まれることが多く、またそういうふうにしないといけないような雰囲気も報道などからにじみ出たりします。
下の方をご存じでしょうか。
エガス・モニスという医学者です。
上のように、1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞した人ですが、 Wikipedia から抜粋すると、この方の「受賞理由」がわかります。
エガス・モニスは、ポルトガルの政治家、医者(神経科医)である。
ロボトミーという名前で良く知られる精神外科手術、前頭葉切断手術を精神疾患を根本的に治療する目的で考案した。これが功績として認められ、1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。
そうなんですよ。このロボトミーというとても人間が人間に対しておこなったとは思えないことを考案した人は、その業績でノーベル賞を受賞しているのです。
つまり、ロボトミーは当時の「医学的な偉業」なのでした。
もちろん、ここでは、誰がいいとか悪いとかを書きたいわけではないです。ただ、こういう過去の例を忘れないでいたいとは思います。どれだけ科学界やマスメディアが称賛・絶賛しても、あるいはそれがノーベル賞を受賞するような偉大な業績でも、私たち一般人は、それを冷静に「観察」しているべきだと思っています。
ちなみに、私がこの「ロボトミー」という響きに比較的感情的になるのは、時代と生きている国が違えば、私もそういう候補になっていた可能性があったからです。
単なる神経症や PTSD もロボトミーの対象だった
私は不安神経症であり、 20代の始めに、一般的には PTSD とか心的外傷後ストレス障害とかいわれる、つまり強いトラウマが原因でのパニック障害になり、それは今でもある程度続いています。
ロボトミーというと、何だか相当重い精神的な疾患にだけ行われていたように感じるかもしれないですが、そういうわけではなかったようです。
上のウォールストリート・ジャーナルの『ロボトミー手術を受けた兵士の戦後』を読むと、今なら心療内科の範囲に相当するような些細な病状でもそれを受けていたことが明らかになっています。
記事では、当時のアメリカで、第二次大戦による PTSD と考えられる患者数がどれだけ多かったかということ、そして、彼らのその治療にも「ロボトミー」が使われていたことが書かれていました。
抜粋します。
1955年の米国学術研究会議の調査によると、戦時中に精神的、神経内科的な障害で軍の病院に入院した現役兵士は120万人もいたという。これに対して戦傷で入院した兵士は68万人だった。
1940年代の終わりと1950年代初めには、ベトナム戦争後に台頭し始めた病名「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」という診断が存在しなかった。当時使われていたのは「砲弾ショック」とか「戦闘神経症」という病名だった。しかし、かつて復員軍人援護局の精神科医をしていたバレンスタイン氏は、ロボトミーを受けた患者たちの多くが、今であればPTSDと診断されたかもしれないと話す。
とあります。
この記述にある、第二次大戦で、
・戦闘などでの肉体的な負傷で入院した軍人は 68万人
だったのに対して、
・戦時中に精神的・神経内科的な障害で入院した兵士が 120万人
だったという「肉体よりも精神をやられて入院した人のほうが多かった」という数の比較に、「戦争」というものを思ったりもしますが、それはともかく、今なら心療内科などでの抗不安剤などの処方により、場合によってはそれだけで良くなる可能性のある病気の人たちが、次々と「前頭葉」へのリンクを切断されるという手術を受けていたようなのです。
そして、多くは、ロボトミーを受ける以前とは「違う人間」となってしまいます。
それについては、ウォールストリート・ジャーナルの記事に、
そうした手術は退役軍人たちを自分たちの面倒も見られない成長し過ぎた子供同然にしてしまうことが多かった。引きつけ、記憶喪失、運動技能の喪失などに苦しむ人も多く、命を落とす人もいた。
とあります。
私が神経症やパニック障害になった時には、すでに効果のある薬があったわけで、ほんの 30年ほどの違いで、一方では、脳の経路の切断という手術により、事実上その人の人生は終わってしまった場合があったといってもいいのかもしれません。
とはいえ、現在の精神・神経疾患に対しての薬での治療にも多くの問題があることも確かです。私自身もそれは経験しています。
それにしても、この「ロボトミー」という言葉はロボットを連想させるあたりにも、日本語にすると恐怖感はありますが、実際には「葉の切除手術」という英語をカタカナにしただけのものだそうです。
下は脳のイラストですが、前頭葉などのように多くの部位に「葉」という言葉がついていることがおわかりかと思います。
この「葉」を英語でローブ( lobe )といい、切除はエクトミー( ectomy )といいます。その「葉切除手術」という意味のロベクトミーという言葉から来ているようです。
時代が戻らないとは誰にも言えないと思い続けた 1980年代から現在までの私たち
今から 40年ほど前に『カッコーの巣の上で』というジャック・ニコルソン主演のアメリカ映画がありました。内容は Wikipedia にありますが、そこには、
精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みるという物語である。
とあります。
しかし、結局そのマクマーフィーという主人公は、
戻ってきたマクマーフィーは病院が行った治療(ロボトミー)によって、もはや言葉もしゃべれず、正常な思考もできない廃人のような姿になっていた。
という結末の映画でした。
そういえば、英国のお笑い集団モンティ・パイソンの元メンバーでもあったテリー・ギリアム監督の1985年の映画『未来世紀ブラジル』のラストシーンも主人公がロボトミーを受けたことを彷彿とさせるシーンで終わっています。
▲ 映画『未来世紀ブラジル』のラストシーンより。映画のテーマは、監督本人によると「ぶざまなほど統制された人間社会の狂気と、手段を選ばずそこから逃げ出したいという欲求」だそう。
こういう施術が正当化されれば、上の映画のストーリーで主人公が実質的に社会システムから排除されたように、「不要な人物を社会から排除する」ということはできるわけで。
そういう時代が来ないといいですね。