2014年02月13日



2015年10月7日に In Deep は http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




「暗黒物質は存在しないかもしれない」 : 王立天文学会の総会で発表された科学界にとっては衝撃的な新学説



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▲ 現在の宇宙論。この世の約 73%が暗黒エネルギー、23%が暗黒物質というよう「ことに」なっています。つまり、「この世は95%以上が正体のわからないもので作られている」というのが現代宇宙論です。この理解しにくい理論が崩壊しつつあります。オリジナルの図版は、2013年4月4日の朝日新聞デジタル「暗黒物質の痕跡?確認 宇宙つくる正体不明の成分」より。


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▲ 2014年2月8日の Daily Galaxy より。



世界はふたつの相反するもので出来ている

今から 30年くらい前、アメリカで「 MISHIMA 」という三島由紀夫を描いた映画が作られたことがありました。地獄の黙示録などの監督フランシス・コッポラと、スターウォーズなどの監督ジョージ・ルーカスの二人が製作総指揮で、タクシー・ドライバーなどのポール・シュレイダーが監督を務めるという大作で、主役は緒形拳でした。

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▲ 映画 MISHIMA より小説『鏡子の家』の映画化シーンより。 まだジュリーが美青年だった頃。


しかし、諸事情あったらしく、日本では映画は公開されず、ビデオも DVD も発売されないまま現在に至っています。そのあたりのことと、作品そのものについては、Wikipedia の「ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ」などに書かれていますが、私は二十数年前にこの映画を見ていました。

当時この映画に興味を持ったのは、三島由紀夫のほうのことではなく、知り合いが、

「ミシマって映画は、フィリップ・グラスが音楽やってるらしい」

と言ったことでした。

フィリップ・グラスはアメリカの作曲家で、二十代前半だったその頃、とても好きで、「それなら見たいなあ」と思っていたのですけれど、実際に見たのは数年後の 1987年頃でした。

アメリカで Mishima のビデオを買ってきた人がいて、それを見せてもらったのです。

出演者は全員が日本人で、ナレーション以外のすべてが日本語で作られている、ようするに「日本語の映画」ですので、そのまま見てもわかるのでした。そして、この映画は驚くほど格式の高い映画で、日本人を扱ったからということではなく、単純にアメリカ映画史の中でも際だって不思議ともいえる格調を持つ映画でした。

今、上に「ナレーション以外のすべてが日本語」と書いたのですが、実はナレーションも緒形拳による日本語のバージョンがあるのです。実は、私はそれを持っているのでした。

その映画の中、少年時代の三島由紀夫の回想から作品「金閣寺」の映画化シーンに移る下りがあり、そこで緒形拳の三島由紀夫本人の回想としての下のナレーションが入ります。



MISHIMA(1985年)より

子どものころ、
私はすでに世界がふたつの相反するもので出来ているのだと感じていた。

ひとつは世界を塗り替えることのできる言葉。
もうひとつは言葉とはまったく関係のない現実の世界。

世の常の人は、体が先にできて、そして、言葉を覚えるのであろうに、
私の場合は、言葉が先に来た。




下がそのシーンです。




映画では三島由紀夫の自伝的ドラマの間に、『金閣寺』、『鏡子の家』、『奔馬』の3つの作品が映像化されて挿入されますが、上のように、すべて舞台でのお芝居のようなセットの非常に幻影的な光景が続きます。「異次元の世界にいるような日本人の姿」を見ることができます。


なお、今では YouTube にナレーションなどがオリジナルと言語などが違う形などであれば Mishima は全編がいくつもアップされています。


なお、私がこの映画を見たいと思うキッカケとなったフィリップ・グラスの音楽は、これはもう圧巻としか言えないほど素晴らしいものでした。映画音楽史に残ると個人的には思っています。下はオープニングの 30秒ほどです。日本語はこちらで入れています。

Mishima オープニング




さて、ずいぶんと話がおかしな方向にいきましたけれど、要するに上の、

世界はふたつの相反するもので出来ているのだと感じていた。
ひとつは世界を塗り替えることのできる言葉。
もうひとつは言葉とはまったく関係のない現実の世界。

という三島由紀夫の台詞を思い出して、こんなに長々と書いてしまったのでした。今回の「暗黒物質は存在しないかもしれない」という報道を目にして、この言葉がたちまち浮かんできたのです。

ちなみに、関係ないですが、三島由紀夫は自動書記に近い形での小説の執筆の状態が若い時から続いていたようで、上の「言葉が先に来る」というのは、人生の最期までずっと続いていたことだったことが映画から見てとれます。「勝手に手が動く」というのは比喩でもなかったようです。

聖書やコーランでいう「この世は言葉だった(そしても今もなお)」というような部分というのは、私のような鈍感な人間には理解しにくいことでも、それを感じながら生きる人はいるようです。

ここから本題です。




暗黒物質の存在が消えると、私たちはこの宇宙を「計算だけの宇宙」から現実の宇宙として取り戻すことができる

本題といいつつ、ここまで変な方向に熱が入って、すでにやや疲れてしまいましたが、最近はいろいろと「実はあった」とか「実はなかった」とか、めまぐるしいことも多くなっていて、少し前の、

ホーキング博士の「ブラックホールは存在しない」という発表が物理学界を震撼させている時に「太陽の 1,000,000,000,000,000倍」以上の大きさの銀河団が発見されたことに考え込んだ2日間
 2014年01月26日

という記事では、ホーキング博士が、「ブラックホールは存在しない」ということを発表したことなどをご紹介しました。

そして、最近、「暗黒物質は存在しない」ということが、天文学会議の中でもっとも権威のある会議のひとつである英国の王立天文学会の総会で発表されました。

その内容は、米国のデイリーギャラクシーの「"Dark Matter Might Not Exist" (暗黒物質は存在しないかもしれない)に掲載されていますが、非常に長い記事であり、その理屈も私には難解ですので、このタイトルにある、

「暗黒物質は存在しないかもしれない」

という学説がクローズアップされているということをご承知いただいて、続けます。

これはまあ・・・事実上、「現代宇宙論の崩壊宣言の始まり」と等しいと思うのですけれど、その「暗黒物質」(ダークマターという言い方もあります)というものの定義を Wikipedia から記しておきます。


暗黒物質

暗黒物質とは、宇宙にある星間物質のうち電磁相互作用をせずかつ色電荷を持たない、光学的には観測できないとされる仮説上の物質である。「ダークマター」とも呼ばれる。"人間が見知ることが出来る物質とはほとんど反応しない"などともされており、そもそも本当に存在するのか、もし存在するとしたらどのような正体なのか、何で出来ているか、未だに確認されておらず、不明のままである。




上の Wikipedia の説明は現在、つまり 2014年 2月のものですが、実は、以前はこのような説明の始まりではありませんでした。

過去記事の、

「そこに暗黒物質は存在しなかった」:従来の宇宙論を否定する観測結果を欧州南天天文台が発表
 2012年04月20日

にも当時の Wikipedia を掲載しています。


暗黒物質

暗黒物質とは、宇宙にある星間物質のうち自力で光っていないか光を反射しないために光学的には観測できないとされる仮説上の物質である。暗黒物質の存在は、1934年にフリッツ・ツビッキーによって銀河団中の銀河の軌道速度における"欠損質量"を説明するために仮定された。

宇宙全体の物質エネルギーのうち、74%が暗黒エネルギー、22%が暗黒物質で、人類が見知ることが出来る物質の大半を占めていると思われる水素やヘリウムは4%ぐらいしかないことが分かってきている。




これは今から2年ほど前の「暗黒物質の説明」ということになります。つまり、この2年で「定義がやや変わってきた」とも言える部分があります。2年前のものと比べると、最新版では、

> そもそも本当に存在するのか

という表現なども入っていて、科学の世界の移り変わりの早さを感じます。

また、2年前の Wikipedia に「 74%が暗黒エネルギー、 22%が暗黒物質」という下りがありますが、今回の記事のトップに貼りましたのが、それを現す現在の宇宙論での「この宇宙の組成」です。


しかし、仮に「暗黒物質が存在しない宇宙論」だと下のように変化し、「この世はわかりやすく」なります

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となり、これはつまり、

「私たち人類が認識できる《この世》は全体の4パーセントだけ」

という現在の難解な宇宙論から、

「私たち人類は宇宙のすべてを認識できる」

という、わかりやすい世界に住むことができることになります。


言い方を変えれば、「計算の宇宙」から「現実に体感できる宇宙」に変わるといってもいいのではないかと思います。

もともとどうして、暗黒物質というような、概念自体が奇妙で、しかも正体不明の「仮定の存在」を考えなければならなかったのかというと、ヒッグス粒子などと同じく、「現在の宇宙論を、計算上で成り立たせるために必要だから」というような部分があるのではないかとも思います。

何しろ、「観測レベル」では、もう、すでに暗黒物質の存在は崩壊しているといったほうがいいようなのです。

上にもリンクしました過去記事「そこに暗黒物質は存在しなかった」では、2012年の科学記事をご紹介していますが、その記事のタイトルは、

暗黒物質理論に深刻な逆風? 最近の研究により明らかとなった太陽の近辺の「謎の暗黒物質の欠落」の発見

というもので、また、このように観測レベルで「仮定と合わない」事例が他にも多く存在しました。

そのあたりは、他の過去記事、

宇宙論の終焉? : 「暗黒物質理論」を否定する2つの銀河の存在
 2011年10月18日

分裂する宇宙論: ハッブル望遠鏡が撮影した光景が現在の宇宙論と矛盾することに揺れる天文学会
 2012年03月04日

などでもふれています。

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▲ 暗黒物質の存在を否定する観測結果をもたらした 「アベル520」と呼ばれる大銀河団(多数の銀河が集まっている)。24億光年の距離にあります。「分裂する宇宙論」より。

そして、今回天文学の最高権威である王立天文学会の総会において、「重力の理解が根本的に間違っているかもしれない」という理論が発表されたということになります。



現代科学の何が問題なのか

ところで、「科学者」について、最近読んだ本の中に、わかりやすい記述があったことがありました。

英国のノンフィクション作家のピート・デイヴィスという人が、1918年から始まった鳥インフルエンザのパンデミックであるスペイン風邪について調査し書き上げた長編ノンフィクション『四千万人を殺したインフルエンザ - スペイン風邪の正体を追って』という本の中に、「科学者の問題点」として書かれている章があります。

今回は余談的なものが長くなってしまって、文章の全体はご紹介できないですが、この著作の中に、下のような出だしで始まる章があります。


四千万人を殺したインフルエンザ 第9章「おそろしく屈辱的なもの」より
ピート・デイヴィス

科学者たち --- ことに、どんどん財源が縮小されつつある公的資金に頼っている人々 --- は、熾烈な競争の中で活動している。そこにはたらくシステムを一言でいえば、「発表するか、消えるか」である。研究助成金を獲得するためには、自分の勤勉さ、意欲、創意を示すことになる論文の数を増やしていかなければならない。



この「論文の数を増やすということだけに科学者の熱意が使われてしまっている」ということに、たとえば、よく問題になる論文のねつ造や盗作などの生まれる要素があり、そして、フレッド・ホイル博士などがいう「ビッグバン理論のような作為的な理論」が生まれる素地があり、そして、地球温暖化のような「巨大な疑似科学的な詐欺」(元カリフォルニア大学名誉教授ハロルド・ルイス氏の言葉。過去記事をご参照下さい)が生まれてしまう土壌が生じるのだと思います。

科学者として生き残るためには資金が必要で、そのために「多くの論文を発表する」ということが科学者の情熱の中心となってしまっている。

今になって本格的な否定が始まった暗黒物質、宇宙物理の理論ですが、しかし、それが否定されても、正しい道へとは進むのかどうかはわからないと私は思っていますが、その理由は、上に書いた「論文と資金獲得」が主となっている科学界のシステムが変わらない限りは、同じことの繰り返しだと思えてしまうからです。

ちなみに、「正しい道」とは、あくまで個人的な考えとして、「宇宙は無限である」という方向の道に進むということですが、これはまた脱線した話となるのでやめます。このあたりは、今となれば 2011年の記事で、わりと昔の記事ですが、「バチカンの希望の砦は「宇宙人という神」の登場」の「 16世紀にジョルダーノ・ブルーノが描いた宇宙の姿」というあたりに書いた考えが、その後ずっと続いています。

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