2014年05月07日



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パニック障害 30年目の年に思い出す森田正馬の「あるがまま」と谷口雅春の「さとり」のリンク



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Original Panic Away より。





ふとした瞬間に自分が今でも生きていることに驚いたり

先日も、

世界中で蔓延する「謎の病気」の裏に見える太陽活動と白血球の関係
 2014年05月04日

などという記事を書いていますが、私は医療関係者でも何でもないのに、病気関係の話題をよく記事にします。

これは思えば、私自身の人生が病気と深く関わっていたからで、肉体的のほうでも精神的なほうでも「健康」とか「健全」とは最も程遠いタイプの人間でした。

「でした」というか、「です」ですね。


先日の、クレアの日記の、

六歳の春から何十回目かの春
 2014年04月29日

の中に、私の幼少時代の病気のオンパレードのことを書きました。

2歳の頃か、3歳の頃だったか、私の親は、医者から「この子は6歳まで生きられるかどうか」というようなことを言われて、親は意地になったそうです。

「医者がどう言おうと、そんなに早くは死なさないぞ」と。
そう思ったと、ずいぶんと後の私が大人になった頃にそう言ってました。

それで私は結局 50歳を過ぎてしまいまして、やや生き過ぎた感もないではないのですが、それでも、その後も、基本的に免疫の弱い少年でした。先ほどリンクしました記事「世界中で蔓延する「謎の病気」の裏に見える太陽活動と白血球の関係」の中に、人間を感染症から防ぐ重要な役割を担っている、白血球の約半分をしめる「好中球」というものの話が出てきますが、今思ってみれば、そういう免疫に対抗する力が極端に弱い「欠陥血液」を持った少年時代だった気はします。

なので、幼少の時に医者に言われた「この子は6歳まで生きられるかどうか」という言葉はある意味では正しかったような気さえします。

それほど、いかなる病気にもすぐになりました。

だから本当はその医者の予言通りになるようなタイプの子どもだったのが、何らかの理由で偶然死ななかったということなのだと思います。





中学からはメンタル攻撃も始まり

そして、中学生の後半くらいからは、今度は「自分はメンタル面も弱い」ということに気づき出します。

中学3年生の時、明確な幻聴を学校の授業中に聞いていたことがありました。
それも1度ではなく。

さすがにこれは自分でも、

「あー、オレは身体だけじゃなく、そっちも弱いかあ」

と思ったわけです。

ちなみに、幻聴は、ぼんやりとか、「何となく」聞こえるものではありません。耳の横から誰かが正確に話しかけているように実際に自分に語りかける声が内容を伴って、はっきりと聞こえるのです。

はじめて声が聞こえた(話しかけられた)時は、

「え?」

と思い、すぐ横や後ろを見ても、授業中で声を出してる人などいない。

それが2、3度あった頃から、

「あー・・・これは・・・いわゆる気が狂う前兆なんじゃね?」

と思い、不安というか、自分の将来が狂気の中で終わっていくのなら、何となくみんな普通に思っている「高校→大学→就職」みたいな人生のレールも違うことになりそうだし、

「ちょっと調べてみよう」

と思ったのでした。


ちょうど、中学3年生の時で、受験をする人たちは、当時は塾なんてものは基本的になかったので、学校が終わった後に大勢で市立の図書館に行って、そこでみんなで勉強するという日々が普通でした。

勉強をするのが目的というより、図書館を遊び場にしていたという部分もあります。

いずれにしても、私は受験勉強どころではありませんでした。することがあるのです。私もみんなで図書館に行くところまでは同じなのですが、周囲が教科書を広げて勉強をはじめる中、私はひとり図書館の地階にある「精神医学書コーナー」に毎日おもむきました。

そこで、医学専門書で、( 35年前までのですが)最新精神医学や、あるいは症例の数々を読みました。

「ははあ、オレは将来的になるのはこれかなあ。いや、しかし、こっちもある」

などと、自分の暗い将来を楽しく勉強していました。

ちなみに、その「精神医学書コーナー」のある地階には、「犯罪心理学コーナー」とか、「宗教関連書籍コーナー」などもあり、精神医学の勉強に疲れた時は、それらの本も読んでいました。その図書館で、歴代の様々な犯罪を知りましたし、新興宗教の歴史なども勉強しました。たとえば、中山みき(天理教)とか、出口なお(大本教)とか、谷口雅春(生長の家)の『生命の実相』なんかも少し読んだ記憶があります。

大本教は、出口王仁三郎が有名ですけど、「ある日、狂気に憑かれたように、コトバを出し始める老女」という光景のほうが何だか迫力を感じて、「宗教ってすごいなあ」と思ったものでした。

何の話だかわからなくなりましたけれど、いろいろと「自分の将来の狂気の様相」を思い浮かべていた中学生の私でしたけれど、実際にはそれから約6年後に私が迎えた病気は「不安神経症」というものであり、そして、症状としての「パニック障害」というものでした。





森田正馬博士の「あるがまま」を知った 24歳の春

そもそも、神経症だとかパニック障害だとかいっても、実際には「何だかよくわからない」という方が多いと思いますし、それが普通だと思います。自分のかかっていない病気の苦痛を知ることは無理ですし、知ろうとする必要もないと思います。

それでも何とか文字で説明したいなあと思いまして、日本には「森田療法」というものがあるのですが、この森田博士のご自身の体験を少し抜粋してみようかと思います。

森田療法というのは、森田療法 - Wikipedia によりますと、


森田療法とは、1919年(大正8年)に森田正馬(もりた まさたけ)により創始された神経質に対する精神療法。

神経質は神経衰弱、神経症、不安障害と重なる部分が大きい。また近年はうつ病などの疾患に対して適用されることもある。




で、「治療法」とありますが、薬を使うわけでも、西洋医学的治療をするわけでもありません。説明は難しいですが、森田博士の言葉をお借りすると、

「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない」

という状態を目指す治療法のことです。

しかし、ここは森田療法のことを説明する場ではないし、私も経験したことがないですので、とりあえずそういう世界でも類を見ない優れた神経症の治療法が日本にあり、それを生み出したのが森田正馬さんという方なのですが、何より、森田博士自身が若い時に非常に重い、今でいえば、神経症でありパニック障害をわずらっていたのでした

大正 13年に森田博士が書いた論文『神経質の本態及び療法』から抜粋します。



森田正馬『神経質の本態及び療法』 1924年より。


余は十四歳で中学に入学したが、十六、七歳頃から頭痛持ちになった。時々心悸亢進が起こり疲労性で、病を気にするとか、いわゆる神経衰弱の症状を持っていた。

余はまた、中学五年のとき重い腸チフスにかかり、その軽快期に一日自転車乗りのけいこをして、その夜突然、心悸亢進、全身震せん、死の恐怖の発作におそわれ、医者を招いて注射をして、ようやく落ち着いたことがある。

その後その発作は、年に数回、多くは月に二、三回も起こって、大学卒業前までもつづいた。これが余のいわゆる精神性心悸亢進症であった。




この中の、

突然、心悸亢進、全身震せん、死の恐怖の発作におそわれ


というのは、今でも非常に一般的なパニック障害の症状です。

今から数十年前の学問分類ですが、「不安神経症」の症状とは、


・理由のない不安発作
・心臓の不安
・自分が精神異常を起こすのではないかとの不安
・発作的的めまい症状
・発作的呼吸困難
・発作的に卒倒しそうな不安


(鈴木知準著『神経症はこんな風に完治する - 森田療法の道』 1986年より)



となっています。

これらの中の一部分、あるいは「ほぼ全部」が突然襲ってきます。

上の中で、私の場合で最も強かったのが、

・自分が精神異常を起こすのではないかとの不安(狂ってしまうのではないかと恐怖する)

・卒倒しそうな不安


ここから、

このまま死ぬのではないか

という極大な不安に発展してしまうと、普通はもうどうにもなりません。
まさに「パニック」と陥るわけです。


私がこの状態にはじめて陥ったのは、21歳の時でした。

森田博士は、

発作は、年に数回、多くは月に二、三回も起こって


と書いていますが、私も同じでした。

そして、短い期間の寛解(よくなったような時期)があり、油断していると、またやってくる。

「いよいよ、ダメかなあ」

と思い始めたのは、23歳の頃で、その頃は演劇なども始めていたのですが、度重なる発作と、「歩くとき、周囲の風景がグルグルと回り、ふわふわ雲の上を歩いているような感じ」が常につきまとうようになり、日常生活もキツくなってきました。

「死のうかなあ」

と、それほど悲観もせずに考えるような日々も出てきました。
そして、念のためにいつでも死ねるように、部屋にロープを常備していました。

その後、近所の心療内科に飛び込んで、そこで処方された抗不安剤が劇的に効いたことによって、とりあえずはよくなったのですが、しかし、今度は「薬がないと不安だ」というようなことになっていきます。

そういう生活の中で、ある日、古本屋で見つけた本が鈴木知準さん(すずきとものり 1909年 - 2007年)という方の『神経症はこんな風に完治する - 森田療法の道』という本でした。

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▲ 新刊は存在しないでしょうが、古本は Amazon にもありました。


この鈴木知準さんという人も学生時代にひどい神経症で、そして、1927年(昭和 2年)に、森田正馬さんのもとで森田療法を実践し、良くなった経験を持っている方で、その後、自分が人を治す立場となった方です。

この本の中に、

「あるがまま」

という概念が書かれていたのですが、これについて私はうまく説明する表現を持ちません。

たとえば・・・・・上にあるように神経症の発作や症状は「苦痛そのもの」です。
それを「あるがままにする」という意味なんですが、つまり、

・苦痛に抗おうとしない
・抵抗もしない
・流されもしない
・その状態がただ存在していることを自覚する
・当然とも、不当然とも思わない


というような意味なんです。

これは「苦痛を受け入れる」という意味ではないです。

苦痛がそこにはあるわけで、「その状態を認識して、あるがままにしておく」というような・・・いや、しかしうまく説明できていないような・・・。

いずれにしても、私はその「あるがまま」のフレーズを読んだ時から、少し楽になって、「苦痛から脱したい」とする気持ちが少なくなりました。その頃から、次第に状態は変化していって、そうですね。その何ヶ月後からの約 10年くらいは本当に病気のことを忘れてしまっていました。

ただし、やはり(太陽活動とも関係しているのでしょうけれど)10年程度のスパンで症状が出ます。
この2年ほどはあまり状態は良くないです。

そして、長い間、調子が良かったため、この「あるがまま」を忘れていた感もあります。

それを最近思い出しのでした。





肯定も否定も抵抗も迎合も議論もしない人間となって

この「あるがまま」の概念を知ったことは、私の人格形成にも大きく影響を及ぼしたと思っていています。

たとえば・・・私の書いてるこのブログも、「私自身の意見」というのが見えにくい部分があると思われる方も多いかと思われます。

それはですね、私は出来事に対しても、さまざまな考え方や主義主張に対しても、

「存在そのものは認めるけれど、その存在に力を加えたり、そこから力を加えられたりしない」

という生き方を長くしているから、「主義がない」のです。
(ただ、この傾向は若いときからありました)

あれはあれだし、これはこれだし、それらは実際にある。

あの意見やあの考え、この意見やこの考えは、それらはある。

それらに対して、

・抵抗しない
・流されもしない
・迎合しない
・否定しない
・肯定しない


というような部分がわりと強いのです。


とはいえ、この1、2年はこの数十年の中でも一番状態の悪い時だということは事実です(やっぱり太陽活動と関係しているのかなあ、という思いはかなり強いのですけれど)。だから、先日、本棚の中に鈴木知準さんの『神経症はこんな風に完治する - 森田療法の道』を見つけて、 25年ぶりくらいに開きました。 25年経っていますが、まだ完読していません。「あるがまま」のくだりを読んで満足してしまいまして、後は読んでいません。


ちなみに、神経症やパニック障害になったばかりのような方は、途方に暮れる方も多いでしょうが、最初のうちは、

多少の西洋医学(抗不安剤など)は最初の補助として重要

ただし薬の飲用が長期化すると問題があるので、補助としての薬に効果があるうちに、何らかの「少しでもあるがままに近づく方法」を考える

というようなことだと思います。

そして、正式な療法以外の「変な」治療法とされているものとは関わらないほうがいいです。
そういうものでの悪化例を私はずいぶん知っています。





悟り、あるいは正等覚(さとり)のこと

ところで、森田療法 - Wikipedia の「全治と悟り」というセクションに次のような記述があります。


森田正馬は神経質が「全治」した状態に対して「悟り」という言葉を用いており、その体験者として釈迦や白隠の名前を挙げている。また鈴木知準は神経質の「全治」と禅の「悟り」は同じ心理状態と考えており、宇佐玄雄は近い状態と考えていた。

ただし森田正馬自身は神経質の「全治」と禅の「悟り」は全く違うと述べている。




というように何だか大変なことになっているようなのですが、しかし、「悟り」という言葉はちょっと合わないかもしれないですが、神経症やパニック障害を含めて、その苦痛に対して「あるがままになれる」、あるいは「あるがままになろうとするこころみ」というのは、

すべての精神的苦痛を自分の中にひとつにした

ということか、あるいは、

完全な狂人となってしまった

のどちらかだとは思います。

私はとてもそのどちらの状態にもなっていませんが、「何とかと何とかは紙一重」というような言葉もありますけれど、そんなものなのかもしれないとも思ったりすることがあります。


しかし、病気は悪いことだけではなかったことは明白でした。

若い時の(あるいは今でも)不安神経症の苦痛や経験は、私に舞台などの表現をさせ、そこで知り合った、ほんの何人かの人たちだけが私の今に至るまでのオフラインでの友人で、今後も彼ら彼女ら以外の友人はもうできないし、作らないと思います。

それに、「生き方」、「考え方」、「この世に対しての価値観」。

そのようなものが、どんどんと変わっていき、そして、病気はともかく、考えてみると、人生そのものは比較的楽に生きてこさせていただいたという感じはあります。このあたりは、誰に感謝していいのかわからないですが、神様なら神様でもいいですが、かなり感謝したい部分です。

ところで、先ほど、「中学生のころ、図書館で谷口雅春の『生命の実相』を読んだこと」を書いていますが、最近、やはりそれを思い出しまして古本で買ったんですよ。

調べると、なんと全 40巻もあり、買ったのは第一巻だけですが、ちょっと読むと、この第一巻には「健康」のことがえんえんと書いてあります。そこに書かかれてあることが正しいかどうかはともかく、興味深くはあり、そして、そこに「森田博士の理念と共通する何かのもの」を感じた次第です。


それは具体的には「さとり」という概念が共に出てきます。


長くなりますが、森田正馬博士の『神経質の本態及び療法』 と、谷口雅春の『生命の実相』からそれぞれ抜粋して今回は締めたいと思います。

森田正馬さんのは、上のほうに抜粋した部分の続きからです。
「神経衰弱」などとあるのは、現在でいう神経症などと置き換えていただいて考えていいかと思います。


森田 正馬『神経質の本態及び療法』 1924年より。

余は特に高等学校と大学の初期との時代はほとんど常にいわゆる神経衰弱症に悩まされた。その前に余は十八歳の時に、東京に来て、麻痺性脚気に罹った事がある。東京帝大に入学してからは、常に脚気を恐れていた。

入学後間もなく、大学の内科で診察をうけて、神経衰弱といわれ、その後さらに脚気の合併と診断され、一年間の大部分は薬剤と離れなかった。

然るに余は、その一年級の終わりの時に、ある動機から、余の心身に一大転機の起こる機会に遭遇した。それは余が必死必正の心境を体験する事を得た事である。

それはその一年間、いわゆる病気のために、ほとんど学科の勉強はできず、すでに試験間際になって、その試験に応ずる事のできないような有様であった。折しも国元から二ヵ月も送金がない。

余は人をうらみ、身をかこち、やるせない憤怒の極自暴自棄になった。よし、父母に対する面当てに、自ら死んで見せようと決心した。

後に考えれば、まことにおとなげない事であり、他人からみれば、きわめて馬鹿げた事であるけれども、自分自身のそのときにとっては、真剣である。薬も治療も一切の摂生を放てきした。

夜も寝ずに勉強した。間もなく試験もすんだ。成績が思ったよりも上出来であったときには、いつの間にか、脚気も神経衰弱もその行方がわからなくなっていた。国元から送金もあった。

余の今までの神経衰弱は実に仮想的のものであった。もとより、脚気でもなかった。このことがあってから、余の頭痛持ちも、その後いつとはなしに忘れるようになった。




この時に、森田博士は、

自分の神経症は仮想的、つまり「実は存在していないもの」だった

ことに気づくわけです。

さて、そして、『生命の実相』の「キリストの超健康法」というセクション。


谷口雅春『生命の実相』第一巻「キリストの超健康法」 より。

現代の生物学はキリストが教えた超健康法とはぜんぜん反対であります。

それは宇宙はまず「生命」という偉大なものがあって人間の脳髄や身体の諸器官を作ったということを忘れてしまい、人間の精神力を脳髄の分量で測ろうとしたり、人間の生命力を体重で測ろうとしたりしているのであって、生命とは物質の化学的一作用なりという仮定のもとに、あらゆる養生法と治療法を出発させているのでありますから、物質が生命におよぼす力を非常に恐れている。

それでほんらい自発的、能動的、創造的であって物質を支配するべき生命の本質を忘れて、ほんらい無力な他動的受動的な物質の法則の奴隷になろうと努力しているのであります。

医学がますます発達し、いろいろの健康法が数えきれぬほど案出され、それによって癒やされる、あるいは癒やされるように見える病気もたくさんあるにもかかわらず、病者の数がずんずんふえてゆきますのは、医学というものが一方では病気を治しながら、他方では人間の霊的自覚を奪ってゆき物質のまえに人間を無力にしてしまいますから、差し引き計算してみると病気を治す数よりも、病気の起こりやすい精神状態を伝播する範囲の方が広いからです。




そして、続いて、西洋医学で、病気を薬などで治すことについて以下のように語っています。


(たとえば胃が悪い時などに)物質的方面にその原因を求め、その治療にも物質的方法を用いようとするのであります。こうしますと、それでたとい病気が一時的に回復しましても、おおむねそのため将来において病気にかかりやすい素地を養成します。

なぜなら、物質的方法によって病気が治ったということから出発して、生命は物質によって生かしも殺しもできるものなのだという誤れる暗示を受けることになり、自己の生命の霊妙さの自覚が失われてしまうからであります。

自己の生命の霊妙さの自覚 − これすなわち仏教でいえば正等覚(さとり)をうることであり、キリスト教でいえば神の子としての自覚をうることであり、古神道でいえば「尊(みこと)」としての大自覚をうることであります。

この大自覚に達することがあらゆる宗教の目的 − いな、人間そのものの目的であり、この大自覚に達すれば、自覚した程度にわれわれに宿っている生命力は発現するのでありますから、キリストのように他人の病気を一言で治したり、釈迦のようにいろいろの神通力を発揮することもできるわけで、むろん自分が病気で苦しんだり、生活難で苦しんだりするような、不如意不自由な状態は消滅してしまいます。





まあ、健康に関して、こんなにうまく行くものではないとは思いますが、実際に身体の病気でも、「気」からのものは非常に多く、それは、薬剤の試験をする時に「プラセボ」という偽薬(薬効のない粉とか錠剤)との比較をおこないますが、「薬がなくても治っちゃっている人」は、どんな薬の試験でもかなり多いです。

たとえば、

・治療なしで治った 20人
・偽薬で治った 50人
・本当の薬で治った 70人


なんてデータもよくあり、偽薬でも結構治ってしまう。

暗示の力は身体にストレートに影響します。

これをさらに拡大解釈していくと、「薬のない治療が可能なケース」は、身体の病気でもメンタルの病気でもかなりあり得るとは思っています。

今後の医学がいい方向に行くとしたら、そのような方向だと思うのですが。

というわけで、今回は単なる日記的な記事なのに、異常に長くて申し訳ありませんでした。