2014年05月13日



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私たち人類は「機械化した人間」を目指すのか、それとも「生命としての人間」を目指すのかという選択



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▲ 「発明家レイ・カーツワイル - コンピューターに魂がやどり、人間は機械化する」より。






 



先日の記事、

人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい 100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
 2014年05月12日

という記事の最初に、「科学者たちは人工的に作った DNA から初めて生物を作り出した」という報道をご紹介しました。

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実は上のニュースを読んで、昨日のシュタイナーの件とは別に、もうひとつのことを思っていました。





H・G・ウェルズやヒトラーの予見した未来像

昨日の記事では、ついに人間が DNA まで人工的に作り始めたということに「焦燥感を覚えた」と私は書いたのですが、「タイム・トラベル」や「宇宙戦争」などで名高いSF作家、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(以下、H・G・ウエルズ)が 1930年頃から執筆し、1933年に発表した『来たるべきものたちの姿』( THE SHAPES OF THINGS TO COME )という小説があります。

これは小説の体裁をとっていますが、巷では「予言書」としてとらえられている部分が強いものだそうです。

日本では、『世界はこうなる』とか『地球国家2106年』というような邦題で刊行されています。しかし、原題は、「SHAPES OF THINGS」と、やってくる「物の形」という表現となっています。

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▲ H・G・ウエルズ( 1866年 - 1946年)。


内容としては、 2016年の時点から 1965年までのできごとを振り返ってみるという形をとっています。大きな出来事としては、

2059年頃に「世界は単一の国家になる(完全な世界政府)」
2106年までに、人類は最終的な進化(新人類の誕生)に向かう

などが書かれています。

そして、その中に、


2047年には遺伝子操作で新生物を人工的に進化させられるようになる。



という下りがあるのです。


昨日の「 人工 DNA で生命が作られた」というニュースから私は、ウェルズの書いていたこの「新生物を人工的に進化させられる」ということを達成したかのような感じを受けたのでした。

つまり、すでに 2014年の私たちは「ウェルズが予測した2047年頃に足を踏み入れているのではないか」という感じを受けてしまったのです。


さらに、今ではネット上で有名な言葉で、ご存じの方が多いと思いますが、生前のヒトラーは以下のように述べています。実際には言葉の中に「年代」が入っているのですが、それはあえて外しました。


ヒトラーの予言

人類は、神のほうに進化し「神人」になる者があらわれる。彼らは数次元以上の知能と能力をもつ、あらゆる危機や問題は『神人』が解決してくれる。

残りはただ操られ、働いたり楽しんだりする完全に受動的な「ロボット人間」と化している。「ロボット人間」は「神人」の言いなりになって気楽に生きていける。

「完全な神々だけの世界」と「完全な機械化生物」だけの世界に分かれた世界ができあがる。




というように、彼は、将来の地球は、

「進化した人間」と「完全な機械化生物」に分かれる

と言っているのでした。






新人類「P」が地球に登場するとき

ところで、さきほどの、「予言者としてのH・G・ウエルズ」に関してですが、ノストラダムスの予言本などで有名な五島勉さんが『H・G・ウエルズの予言された未来の記録』という本を出していて、私も古本で買ったのですが、これは予想以上に面白い本でした。

特に恐怖を煽るわけでもなく、日本の未来についても、


何か日本が蘇生できるような奇跡的なことが起こる。これから次々に起こる。内紛を繰り返しながらも状態は光へ向かう。



というようなことが書かれているような本ですが、それはともかく、この『H.G.ウェルズの予言された未来の記録』の中で、最も興味深いのが、

新しい人類「P」の登場

というくだりです。

この「P」というのは、ウェルズによれば、ポリプ( Polyp )の頭文字で、イソギンチャクやクラゲなどの刺胞動物にみられる幼生の形態のひとつのことだそう。

とはいえ、その「新しい人類」は、クラゲやイソギンチャクのようなものだということではなく、五島さんは、H・G・ウエルズの著作の内容を紹介して、以下のように記しています。


新人類「P」はべつに宇宙人や異星人ではなかった。血統的には、今の私たち普通の人間と同じ。

ただし、彼らはもはやそれまでの人類ではなかった。ちょっと見たところ、それまでの人類とさほどの違いはなかったが、姿や顔かたちも、よく見ればそれまでにない超知性にきらめいていた。

とくに、頭脳の内容が違っていた。実は2000年〜2010年あたりから、ごく一部の人類の頭脳や知性や体の奥の中身はすでに変わりはじめていたのだ。




とあります。

2000年から 2010年ということは、つまり、この現代の子どもたちの中に、すでに「進化の兆し」を見せている子どもたちが少し存在し、その遺伝子が、さらに進化して伝えられていく中で、2050年くらいまでに地球上での大きな存在となっていく、というようなことをウェルズは『来たるべきものたちの姿』で書いています。

このウェルズの言う、


・進化した新しい人類
・遺伝子操作で作られる生命



と、ヒトラーの言う、


・神のように進化した人間
・機械化した生物でしかない人間



というものが妙にリンクして感じられて仕方ないわけです。

そして、このテーマの中心には、昨日のシュタイナーの記事などにもありますように、

・生命



・生命ではないもの


という「厳密な違い」を考えなければならない点があると思うのです。






機械が人間と「融合」するのか、それとも「人間は機械に浸食される」のか

確かに、現代文明はテクノロジーの恩恵を数多く受けています。
進み方も加速しています。

たとえば、下の記事は 2012年の報道記事です。

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▲ 2012年12月10日の WIRED U.S. Spies See Superhumans, Instant Cities by 2030 より。

タイトルは多少、意訳していますが、つまりアメリカで、


2030年までには、驚異的な能力を与える脳のチップや体が機械やバイオプリンティングで作られ、大都市も3Dプリントであっという間にできあがるようになるだろう。



ということを、アメリカ国家情報会議( NIC )が「予言」したという報道です。

その後2年もかからず、3Dプリンターの技術は大変に進んで、しかも、一般にも広がっています。日本では、3Dプリントは最近は別のほうで話題になったりしていますが、宇宙基地を3Dプリントで作る計画なども見聞します。

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▲ 欧州宇宙機関(ESA)が 2013年2月に発表した「3Dプリント技術を利用しての月面基地の建設」のイメージ図。ナショナルジオグラフィック ニュース「3Dプリンターで月面基地、ESA発表」より。


それはともかく、上の WIRED の記事では、


電気回路やアンテナ、バッテリー、メモリーなどの電気部品と人体の構成要素を組み合わせることができるようになる可能性がある。義肢や単純な器官のバイオプリンティング(3Dプリンタで臓器をプリントして作ること)が 2030年までに可能になるかもしれない。



というようなことが書かれてあるのです。


確かに・・・医学の進歩なのかもしれないですけれど・・・何か「人間の幸福」という概念から見て、違和感を感じるテクノロジーの進歩に見えてしまうのです。


冒頭に貼りました、レイ・カーツワイルという人は、 Wikipedia によりますと、


レイ・カーツワイル( Ray Kurzweil )はアメリカ合衆国の発明家、実業家、フューチャリスト。

ニューヨーク・クイーンズにユダヤ系移民の子として生まれる。1960年12歳の時、コンピュータに触れ、以後夢中となり、統計分析のプログラムや作曲を行うようになる。

1974年カーツワイル・コンピューター・プロダクツ社を設立。以後数々の発明を世に送り出す。アメリカの「発明家の殿堂」に加えられ、「ナショナル・メダル・オブ・テクノロジー」「レメルソンMIT賞」など数々の賞を受賞。





という発明の分野での権威なんですが、冒頭に貼った彼を紹介した記事には、以下のようなことが書かれてあります。


発明家、未来派科学者、作家 / レイ・カーツワイル 「コンピューターに魂がやどり、人間は機械化する」

カーツワイルは、 人間の機械化も予言している。「限りなく人間に近い機械」と「限りなく機械に近い人間」。「人間と機械の境界が曖昧になってきている」と語 るカーツワイルは、今後の人間と機械の関係を どう予測するのだろうか?

2030年代までには、生物学的な意味での知能=「人間」と、生物学的ではない知能=「機械」との間に明瞭な区別はなくなるかも知れない。

そして我々人間は、最終的に身体と脳のシステムをすべて再構築することになるだろう。そのプロセスは徐々にではあるが、既にはじまっている。現代における人間の進化の最先端にあるのは、生物学的な問題ではなく、技術革新なのだ。




このカーツワイルというユダヤ系の発明家の人は、今後の人間は、

・限りなく人間に近い機械
・限りなく機械に近い人間
・生物学的な意味での「人間」と、生物学的ではない「機械」と区別がなくなる


ということを言っているのです。

そして、

> 現代における人間の進化の最先端にあるのは、生物学的な問題ではなく、技術革新なのだ。

という、前ローマ法王のベネディクト16世が聞くと、必ず怒っただろうと思われるような発言をしています。


ここで、先に書きました、

H・G・ウェルズの、


・進化した新しい人類
・遺伝子操作で作られる生命



そして、ヒトラーの、


・神のように進化した人間
・機械化した生物でしかない人間



という状態が、すでに進んでいるかもしれないということに気づきます。

ここには、あらゆる宗教や神秘学の基本中の基本としての、

生命は物質ではない

という概念はもはやありません。


その言い方が「魂」だとか「霊」だとか、エーテルだとか、どんな呼び方でもいいのですが、生命が生きているということは「機械が動いている」ことと決定的に違うということ、そして、特にその中でも「人間を物質として考えてはいけない」と最近強く思います。

もはや、人間の「スピリチュアルの本体」の存在は否定しようもないところにまで、多くの人々の考えは進んでいると私は思います。

しかし、今、現実の社会で進んでいるのは、「生命を、物質を同列にまで貶めること」のようです。


私たちは単なる生きる機械となっていく将来に向かうのか。

それとも、ウェルズがいう「新しい人類」、あるいはヒトラーの言う「神のような人類」に向かうのか。


それは、これからの個人個人の思想にかかってくると思います。「どこかからの救いがやってくる」ことを確信されている方もいらっしゃるかもしれないですし、そのことについて否定するつもりはありません。しかし、もはやそのような状態ではないことが次第に明らかになりつつあるように思います。


そして、これは大事なことだと思いますが、私たちが対象にする相手は「敵」とか「味方」という第三者ではないく、「自分自身の内部」です。

もはや世界は「敵や味方にわける」という時代ではなく、自分自身がどのように考えて、そして行動するかということに自分たちの未来が委ねられると感じます。