▲ 花輪和一さんの『光る佛』という作品より。平安末期の『宇治拾遺物語』にある「柿の木に佛現ずる」という話を描いた場面。花輪さんに描かせると、仏様もこのように「美しげな異形」として世に現れます。
変更作業で1日が終わってしまい、今回は雑談だけで申し訳ありません
なんだかデザインが変わっていることに気づかれた方もいらっしゃるかもしれないですが、最初はこんな全体的な大ごとをおこなうというつもりではなくて、
「最近小さい文字が見づらい」
という非常に情けない理由で、文字の大きさの調整などをしていたのです。
でも、あまりにも大きな字もちょっと妙な感じで、結局いろいろと試して、ほんの少しだけ文字を大きくしたというだけなのですが、なんとなくレイアウトが崩れたかなあと。デザインなどをいじっているうちに、どんどんと「修正の迷い道」に入り込み、今日はほとんど1日それで終わってしまいました。
それと、考えてみれば、管理しているブログがすべて同じ Seesaa ブログというのもデンジャラスな話で、 Seesaa に何かあった場合には、すべて見られなくなってしまうというのも不安げな感じもいたしますので、記事も写真も比較的少ない日記ブログクレアなひとときのほうを、時間をかけてでも別のブログに移転しようと思いまして、そちらの作業も少しずつやっていました。
Seesaa に何かあった時の告知用にもなりますし。
とはいえ、 Seesaa ブログには長くお世話になっていることもあり、書いておきますと、 Seesaa ブログというのは機能とかデザインの自由性が非常に高くて、使い慣れると離れられない本当に素晴らしいブログサービスだと思います。
時間的にはもう無理でも勉強と治癒はしようかなと
クレアのほうは日記とお勉強の過疎系ブログであることは今後も同じですが、タイトルに「高次の世界を目指す試み(の・ようなもの)」とつけたりして、そっち系に走ろうとしているフシが伺えます。
まあしかしですね。
シュタイナーの本を少し読んですぐわかることは、そのような認識を、たとえほんの少しでも意識できるためには「大変な時間がかかること」だということでした。人によっては何年何十年という単位でも足りないしれない。私などは死ぬまで続けても時間が足りないのかもしれません。
そして、「他力本願の部分はない」ということも大事なことであることに気づきます。
助言者からの友人的な助言はともかく、「自分の内部と外部の世界」の関係性を知るためには最終的には本人の努力(あえて「努力」という言葉を使ってみましたが)による意識的覚醒しかないということもわかります。
私などはもう 50代ですし、すでに遅い感じはありますが、ただ、ひとつだけ救いがあるとすれば、私は「自分の理想に沿った理念のもとで生きてくることができた」という意味では、比較的幸せな部分が多かったといえる部分があるということがあります。
その理念の具体的なところは、気分を害される方もあるかしれないですので、曖昧にしておきますけれど、傍から見れば、「単にいい加減な生き方」と言われて当然な生き方ですし、そう言われても怒るどころか、「そう言われることを目指していたので嬉しいです」と言ってしまいかねない部分もあるのですが、ここまでの人生はともかく、これから年齢を重ねて、1日1日と「死」へと近づいていく中で、
「生と死のそれぞれの本当の意味」
をもう少しきちんと知りたく、そして、知るだけでなく、「意識してみたい」、あるいは「体感してみたい」ということがあります。
どれだけ健康に気をつけようと、80歳、90歳、100歳、あるいはもうちょい位までには確実に人は「生」を終えます。
それでまあ・・・もしかすると、薔薇十字的な学問、あるいはそれを書いているシュタイナー的な概念というものを勉強することによって、「自分が死ぬことに対しての恐怖がなくなる」ということも生じるかもしれないですが、それ以上に、
・むしろ死を心待ちにする時
ということにまで行き着いたりするのかもしれないですし。
以前、私は「ペアである自分」というような記事を書いたことがありましたが、「自分自身を対の存在として考える」ことはやはり大事なことだということも、最近になり再認識します。
そういえば、シュタイナーは「自分がすべての生命の一部だと考えること」を言っていますが、これは、フレッド・ホイル博士の最晩年の著作『生命はどこからきたか』の最終章の文章などで、その「感覚」のさらに「大きな表現」をみることができます。
過去記事の、
・ブッダの安堵: 科学が到達しつつある「宇宙に存在するあまりにもたくさんの他の地球と生命」
2011年05月25日
に抜粋したことがあります。
フレッド・ホイル著「生命はどこからきたか」 第十五章の最終ページより
紀元前六世紀に、ブッダの世界観はすでにコペルニクス革命以後に入っていた。彼は宇宙が、各々がわれわれの惑星系と似た数十億の ”小さな宇宙” から成り立っていると記している。ブッダの対話形式になっている古い仏教の教典のなかに無限の宇宙について述べられている。
「無数の太陽、無数の月、・・・、無数のジャムブディパス、無数のアパラゴヤナス、無数のウッタラクラス、無数のブッダビデバス」
ジャムブディパスとは当時の北インドの人々が知る限りの人の住んでいる地域を表す単語である。この対話から、ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)が宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。
この、
生命と意識は宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできない
という部分を、当時は「ひとごとのように」読んでいましたが、このお釈迦さまのいう「全体として」には、当然ながら、
・自分も含まれている
ということに気づき、「なるへそ」と納得したりするわけでした。
▲ 1970年代頃のフレッド・ホイル博士(右)と、長くホイル博士の助手的存在として、パンスペルミア説の研究を現在に至るまで続けているチャンドラ・ウィクラマシンゲ博士。 Professor Chandra Wickramamsinghe より。
思えば、偶然に手にした本や、偶然に見たテレビなどで、いろいろな人たちが自分の人生の中で、いろいろな示唆を与えてくれたことを思い出します。
いろいろな人たち・・・それは、キリストやお釈迦さまやフレッド・ホイル博士やシュタイナーや埴谷雄高さんやアレニウスやパチプロの田山さんのとか、他にも本当にいろいろな人たちがいますが、まだまだ、そのような人たちのことばを聴いて、「死」というところにまで続く道を歩きたいと思っています。
明日からは普通に更新させていただきます。