2014年05月27日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




水は浄化なのか、それとも単なる害悪なのか : 2014年も世界各所で頻発が予測される黙示録的な洪水を前に




洪水の原因は人間の罪であると同時に世界の老朽化であることが確認される。
宇宙は、生存し、生産するという単なる事実によって、しだいに退化し、ついに衰亡するのである。これゆえに、宇宙は再創造されなければならないのである。
言いかえれば、洪水は新しい創造を可能にするために「世界の終末」と罪に汚れた人間の終末を大宇宙の規模で実現するのである。


ルーマニアの宗教学者、ミルチャ・エリアーデ著『世界宗教史〈1〉石器時代からエレウシスの密儀まで』より。


(上の意味は宗教学的な意味であって、実際の洪水の被害に適用されるべきものではありませんが、最初にこの名高い宗教学者の言葉を記しておきたいと思いました。)


ch-rain-top.gif

▲ 2014年5月27日の香港サウス・チャイナ・モーニングポストより。






 


昨年は、歴史に残るような大洪水が続き、よく記事にしました。
それらについては、過去記事の、

世界中で止まらない「黙示録的な洪水」の連鎖
 2013年06月20日

世界でさらに拡大し続ける黙示録的な洪水 : 今や「神話」を越えつつある現実の世界
 2013年09月15日

などをご参照いただければ幸いですが、その中でも印象的だったのが、インドのウッタラーカンド州にあるケダールナスという神聖なヒンズー寺院のある村で起きた洪水で、これは「山岳地帯の高地」で起きたものでした。

この原因は、ケダルドームと呼ばれる氷河状態のドームが豪雨で破壊されて起きたものだとされていますが、この神聖なヒンズー寺院のある村の何もかもを流し去ってしまいました。

インド・ウッタラーカンド州ケダールナスが鉄砲水で襲われ、水が引いた後の様子

Kedarnath-floods.jpg

▲ 2013年6月22日の記事「川のない山間にあるインド有数の聖地が鉄砲水に飲み込まれる時」より。


その他にも 2013年には、単なる洪水とはいえない数多くの大洪水があったのですが、昨年までの洪水は、北半球の多くで雨量が多くなる6月頃から洪水が始まることが多かったのですが、今年は、5月中旬あたりから各地で豪雨による「大洪水」が始まっていることが、これまでとは違うところです。




ボスニアのその後

先日の記事、

歴史的に弱い活動のままピークを迎えた太陽活動サイクル24の中、大洪水がボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の悪夢の記憶を呼び覚ます
 2014年05月21日

では、セルビアとボスニアなどを中心として、過去 120年見られなかったような激しい豪雨によって、同国史上最悪の自然災害となる洪水が発生したことを記しました。

また、この洪水によって、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で敷設された「地雷」が流出したり。あるいは、調査が進んでいた地雷原がわからなくなる可能性も書きましたが、そのボスニアではすでに水は引いています。

水が引いた後に破壊された自宅の前で呆然と座る男性

bosnia-flood-after.gif

AP 通信より。


ところで、上の記事では、ボスニアの地雷対策センター( BHMAC )の関係者は、

「洪水で今までそこに地雷がなかった場所に拡散していった可能性がある」

と述べています。

さらにこのようなことも記されています。


ボスニアの地雷の流出は広大な地域への問題と発展する懸念がある。なぜなら、ボスニアとクロアチアの国境沿いを流れるサヴァ川の支流は、ドナウ川につながる。

ドナウ川はその後、ブルガリアとルーマニアを通り、黒海に流れていくのだ。




地雷が洪水によって流されることにより、下の地図のサヴァ川からドナウ川に入り、非常に広い範囲で「予期せぬ地雷の被害が起きるのではないか」と懸念しているようです。

サヴァ川とドナウ川が流れている国

Savarivermap.gif


そして、ドナウ川は黒海にまで至っているのだそうです。

mine-map-3.gif

実際にこんな広大な範囲に地雷が流出していくのかどうかはわからないですが、地雷対策センターの関係者が述べたのは、「その可能性がある」ということのようです。

地雷は「兵器としての効力がなかなか落ちない」ものです。
なので、地雷除去作業は時間がかかります。

たとえば、地雷 - Wikipedia には下のような記述があります。


除去方法

地雷の除去方法は未だに効率が悪く、地雷1個の除去に、その地雷の製造費の100倍は費用がかかるといわれている。

旧式の地雷は、長年土中に埋まっていることで金属筐体の腐食や信管/爆薬の劣化といった経年変化による機能喪失が期待できたが、近代的な地雷ではプラスチックの採用を含む兵器としての性能向上によって、意図的に有効期間を短くしない限り何十年経っても機能を保ち続けるという特徴がある。




ボスニアの内戦は 1990年代の「新しい紛争」ですので、上にあるように、

何十年経っても機能を保ち続けるという特徴がある


ものだと思われます。

今から何十年も経った頃・・・。もう誰も 2014年のボスニアの洪水のことなど覚えていないような頃に、そのボスニアから遠く離れたどこかの川辺か何かで、「突然地雷が爆発する」というような悲劇が起きる可能性が生じてしまったかもしれないということになりそうです。


それにしても、どんな洪水もそうでしょうが、ボスニアの洪水も、水の引いた後の光景はまさしく壮絶です。

bosnia-fl-01.jpg


bosnia-fl-02.jpg

AP 通信より。


そして、この1週間ほどの間は、中国の各地で信じられないような豪雨がたびたび発生していて、冒頭に貼りました中国南部の洪水はいまだに継続していると思われます。




毎年のように起きる中国の「カオス的な洪水」の規模と速度が肥大している

現在の中国の洪水は、中国の国家防災委員会によりますと、広東省、湖南省、江西省、福建省、広西省、重慶省、四川省、貴州省などで起きていて、5月26日までに、550万人が被災。

そのうち、約 45万人が避難し、緊急救助を必要としている人の数は 19万人に達していて、さらに、倒壊家屋は2万5千棟以上、農作物への被害の経済的損失も膨大なものとなっている模様。

chinamap2.jpeg

▲ 今回の洪水の被害を受けている大体の地域。


今回の中国の洪水の特徴は、「何日も降り止まない雨」です。

下の台湾のニュースの見出しに「連日豪雨」という文字が見えますが、何日も豪雨が降り続けるのです。

ctaiwan-tbs.jpg

▲ 台湾の CTS テレビより。



中国では、ほんの3日ほど前に、広東省を中心に3日間降り続いた豪雨のために大洪水が発生したばかりで、その2日後からその豪雨の地域がどんどん広がり、現在の緊急事態となっているようです。

guangzhou-rainstorm-top.gif

▲ 2014年5月25日のきたるべ地球の形「中国の広東省で記録的な豪雨で25万人が被災」より。


今回の中国の洪水は、国家自然災害の準最高レベル扱いとされていますけれど、実は「中国の大洪水」。これは 2008年頃から毎年のように「中国の国家的レベルの災害」となっていて、毎年のように大きな洪水が起きています。

しかし、上の方にも書きましたが、今年は例年より明らかに洪水の発生する時期が早く、また、雨量も昨年よりも激しく、そして、洪水に発展する時間が早いです。


そして何より、日本を含めて、北半球の多くでは、本格的な雨のシーズンとなるのはこれからです。

最近の自然の傾向、つまり、気温や雨や干ばつなどが、「地域により対極化していく傾向」を考えますと、

・極端な洪水の国や地域
・極端な干ばつの国や地域


などの「極端化」が昨年までよりさらに激しくなる予感は十分にあります。

いずれにしても、5月の時点で過去 100年間くらいの間で最大の豪雨による洪水が、すでに各所で起きているわけで、他の国や地域を含めて、今後さらに「水による洗礼」に見舞われる場所は拡大する雰囲気はあります。




大洪水の錯覚に見舞われて5年目

全然関係ないことですが、数年前、目を閉じると「洪水の光景ばかり」が目の中に(多分錯覚として)写っていたことがあります。それはあたかも、旧約聖書の『創世記』にある、ノアの洪水のくだり、


洪水は40日40夜続き、地上に生きていたものを滅ぼしつくした。水は150日の間、地上で勢いを失わなかった。



を彷彿とさせるものでした。

それはあくまで私の錯覚であり、幻想に他ならないものなのですが、しかし、その頃・・・今からもう5年以上前になりますか、クレアで「大洪水と向き合うこと」と自分に言い聞かすようなタイトルの記事を書いたことがあります。

その記事の中に、2009年1月のウェブボットのレポートの中のウェブボットの代表者クリフ・ハイのエッセイの言葉を抜粋したことがあります。

くしくも、ニュアンスとしては、冒頭に記しました宗教学者のミルチャ・エリアーデさんと似通うことを書いていましたので、その言葉で今回の記事を締めたいと思います。


「洪水」はわれわれの精神的な「変容」のための重要な条件でもある。「洪水」は浄化の方法でもある。

(ウェブボット 2009年1月24日配信 ALTA1109 パート3 より)



上にも記しましたが、こういう言葉は宗教的だったり、精神学的な意味であり、実際の洪水の災害を「浄化」などという言葉で現すことなどは実際にはできないことを強調しておきたいと思います。

宗教的にも、あるいはスピリチュアル的に「再生」や「浄化」にどんな意味があるにしても、現実の自然災害で起きる死や苦痛は、「死や苦痛の真のメカニズム、あるいは実相」が私たちにわからない限りは、やはり死であり、苦痛であるのだと思います。

その実相を知りたいとは思っています。