▲ 老衰について考えるより。
私たちを蝕んでいるものの正体は何なのか
昨年くらいからは、「病気」がタイトルについた記事が多かったように思います。
そして、自分の冬頃までの体調・メンタルの状態、また周囲の状況を含めて、今年は特に「病気とは何なのだろう」ということを改めて考えることが多いです。
世界規模で発行されている新聞クリスチャン・サイエンス・モニター紙の発行母体でもあるアメリカのキリスト教系新宗教にクリスチャン・サイエンスというものがあります。
クリスチャン・サイエンスは、1879年にメリー・ベーカー・エディという女性によって創設されたのですが、彼女は、フィニアス・クインビー博士という心理治療師によって病気を治癒され、 Wikipedia によれば、以下のように記されています。
大怪我をした後、彼女は聖書の教えに立ち戻り、予想外の回復をした。そして、それから3年間、聖書の研究とクリスチャン・サイエンスの発展に全てを捧げた。
そこで彼女は、病気は心の幻想に過ぎず、よりはっきりと神の存在を知覚することによって癒されうると確信し、個人的に人々に対して彼女の癒しの理論を説き始めた。
▲ メリー・ベーカー・エディさん( 1821年 - 1910年)。
その彼女を治癒した心理治療師のフィニアス・クインビー博士が、主に治癒に使ったのは暗示と催眠術だったのですが、クインビー博士が考えだし、多くの病気の人々に最も効果のあった「暗示の言葉」は何だったかというと、谷口雅春によれば、下の言葉だったのだそう。
「あなたは神の子だから、あなたに病気は存在しない」
「人間は何者にも支配されない神の子なのだ」
「人間は何者にも支配されない神の子なのだ」
ちょっと考えられないですが、これだけで、数百人の患者が完治してしまったという記録が残っています。もちろん、治らなかった人も多くいたでしょうが、治った人のほうの記録しか残っていませんので、その比率はよくわかりません。
今回は「病気」のことを書いてみたいとふと思って、上のような話から始めてしまいました。
なお、私自身は、「あなたは神の子だから、あなたに病気は存在しない」などということをそのまま受け入れることは難しいです。
何しろ、私は、過去記事に下のように書いたように、神だの愛だのと意識する以前からすでに「病気の子ども」として世に産み出されていたからです。
そして、私は自分の「支離滅裂な生き方」のコアを再確認して、小児ぜんそくで寝たきりだった幼稚園児の時に布団の中で決意した理念を再度思い出します。
「オレを寝たきりの幼稚園児にしたお前(相手は不明)が支配する世界では、少なくともオレは社会に迎合しないで生きる」と天井を見ながら考えていた5歳の時の気持ちです。
精神的反逆者グルーブとして生まれ、私はひとつも肯定しないで生きてきました(もちろん、否定もしない)。そして、これからもそのままで生きようと思います。この世もあの世も神も宇宙も未来も肯定もしないし、否定もしません。
(2014年01月09日の記事「地球サイズの黒点を眺めながら「必ず今年終わるこの世」を神(のようなもの)に誓って」より。)
とはいえ、上の記事ではそのように書きましたけれど、最近、いろいろと本を読んだり、考えたりしているうちに、次第に、上に出てきたクリスチャン・サイエンスのメリー・ベーカー・エディさんの、
「病気は無である」
という言葉に興味を持ち始めたりしています。
これは、神経症の治療法のひとつである森田療法を創設した森田正馬博士の概念と似ているものがあると感じたからという部分もあります。
森田療法というのは、森田博士の『神経質の本態と療法』( 1922年)に書かれたままを抜粋すると、
「患者にその苦痛を苦痛として自然のままに味わわせ、抵抗する心をなくさせればもう強迫観念はなくなるのである」
というのが基本的な治療概念です。
ここでの「苦痛」というのは「神経症としての苦痛」ですので、肉体の病気の苦痛とは違いますが、森田療法では、神経症の症状に対しての対症療法などの治療もしないわけで、それで治るならば、確かに「病気は存在していなかった」ということが実感としてわかります。
(実は、私は二十数年前にこの概念を知り、急速に神経症が良くなった経験を持ちます)
体の病気と神経の病気は違いますけれど、それは関係なく、私たちは「病気」に対しての考え方を改めていかないと、立ちゆかなくなる可能性もあります。なぜなら、後述しますが、西洋医学の根本が崩壊しつつある可能性もあるからです。
ところで、部分的に余談となってしまいますが、プライベートの話を書かせていただきます。
ほぼ全員が病気で亡くなっていく時代に
上にもリンクしました今年1月の「地球サイズの黒点を眺めながら「必ず今年終わるこの世」を神(のようなもの)に誓って」という記事の中で、私が最も人生でお世話になり、また最も多くの時間を共に過ごした人のひとりである田中くんという友人が亡くなったことを書きました。
享年は私より年下の 48歳でしたが、直接的な死因はともかく、長く糖尿病などを患っていました。
彼のお姉さんに聞いたところでは、倒れるその日まで会社に仕事に出かけていたそうですが、実際には、じきに足も切断しなければならないほど糖尿病は悪化していいて、目もほとんど見えなかったそうです。
パソコンで文字やデータをまとめるのが仕事でしたが、パソコンの画面に目をくっけるようにして、そして、指もすでに何本かしか動かすことはできなくなっていたことをお姉さんは涙まじりで話してくれました。
田中くんと3年くらい前に連絡をとった時には、
「元気になったら、また昔みたいにぱーっと遊びたいですね」
と彼は言っていましたけれど、それはかないませんでした。
ちなみに、彼はお酒は一滴も飲めない人で、タバコも一度も吸ったことのない人でした。
田中くんのお葬式には、劇団時代から付き合いのあった男4人で行きましたけれど、私自身、この2〜3年は、公的な用事で人と会うのは別として、飲みに行ったりして、つまりプライベートで会うのはその4人だけだという状況になっていたりします。
もう特に新しい知人は欲しくないですし、他の数人を含む、この世で最も気楽にいっしょにいられる数人の人間を私と出会わせてくれたこの運命には感謝をしています。
最近、久しぶりにその4人で東京の高田馬場で飲んだのですね。
昔は全員、東京の西荻窪か吉祥寺に住んでいたのですが、今はみんな住んでいる場所がバラバラになってしまって、その接点となるのが、大体、高田馬場あたりになるんです。
私たちは飲んでいる時には、基本的に非常にくだらない話しかしないのですが、お互いの親の話になると、やや重い話になります。
みんな、特に父親のほうが軒並み健康的な問題を抱えていることがわかります。
私たちの父親の年齢層は全員が 70代の後半から最高で 80代前半です。
その中のひとりの父親は、元大学教授で、ラジオの教育講座番組なども最近まで担当していた人ですが、昨年、胃がんが発見されたのだそうです。その時に、その人は抗がん剤治療と、胃がんの切除を「拒否」したのですね。
何しろ、知識のある方ですし、80代の自分にそれらの治療が有効に働くとは考えられなかったようです。それが昨年のことで、今の状態を聞きましたら、体中の各所にがんの移転が始まっているそうで、そのたびに適時の治療を受け、それでも自宅で過ごしているようです。
ほとんど先行きは覚悟しているのか、別にふだんと何も変わらない生活をしているとのことです。
ちなみに私の父親も、あと数日後に、全身麻酔による血管の大手術を札幌でおこないます。
まあ、これは私のプライベートの話ですので、詳細はいいです。
もうひとりの友人の父親は糖尿病の悪化で、すでに自力では立つこともできずに、視力なども消えかかり、介護状態だそう。そんな話をしていて、
「結局、そろそろ俺らの親父らもみんな死ぬ頃なんだよなあ。そういうのって、いつかは来るとは思っても、実感ないもんだったからねえ」
と私がいうと、その糖尿病の父を実家に持つ友人は、
「俺なんかはどっちかっていうと、父親が嫌いだったんだけどさ。帰省した時、あの衰えた姿を見たら、生まれて初めて親父に同情心が湧いたよ」
というようなことを言っていました。
そして、このように、今は人が亡くなる原因はほとんど何らかの病気です。
冒頭に貼りましたグラフのように老衰で亡くなる方の比率は全体の 2.5パーセントしかありません。
自然に年老いて死んでいくほうが「珍しい死に方」となっている現況
昔は比率としてこんなに病気で死んでいたのだろうかと、つい考えます。
昔といっても、うんと昔・・・。つまり弥生時代や縄文時代などの時はどうだったのだろう・・・と考えてみましても、縄文時代の上のようなグラフが残っているわけでもなく、わかりようがないですが、ほぼ 90パーセントが病気で死亡しているのが現代の人類。
ただ、縄文時代のグラフはなくても、「かつては老衰(あるいは病気ではない死)が今よりは多かったのだろうな」と思えるのは、ほんの 100年くらいの短い期間のデータでも「死者の割合での老衰の比率が減っている」ということがわかるからです。
下のグラフは文部科学省のサイトからのもので、1899年(明治32年)から1998年までの死因別にみた日本の死亡率の推移のグラフです。説明の文字はこちらで加えたものです。
▲ 1899年(明治32年)から1998年までの死因別にみた日本の死亡率の推移のグラフ。文部科学省「平成12年版科学技術白書」より。
これも今から 16年前のデータですので、今はさらに老衰で亡くなる方は減っているのではないかという気がします。
どうしてこのようなことになったのかということについては、いろいろと言われますけれど、たとえば、汚染や化学物質や、過剰な西洋医療について言われることも多いですが、今回はそれらのことにはふれません。
その理由は、最近考えていることが、「精神と病気」ということについてだということであるということもありますし、また、西洋医学にしても、私は幼い頃から青年期まで自分がそれで生きのびた経緯があるため、それほど批判的に思うことができません。
また、西洋医学が様々な病気の死亡率を下げてきたことも事実で、例えば、下の表は同じ文部科学省のサイトにあるグラフで、結核菌の抗生物質であるストレプトマイシンが発見されてからの、結核での死亡率の変化です。
ストレプトマイシンの発見で、結核での死亡率が 100分の1、あるいはそれ以下になったことがわかります。
さらに「梅毒」という病気がありますが、この病気は 15世紀に「突然」この世に現れて以来、大変に多くの人を苦しめてきました。 Wikipedia によりますと、
抗生物質のない時代は確実な治療法はなく、多くの死者を出した。慢性化して障害をかかえたまま苦しむ者も多かった。
とありますが、今では抗生物質で完治する例がほとんどです。
・・・・・というように順調に病を根絶してきたかのような歴史を持つ西洋医学のように見えますが、状況は明らかに変わってきました。
過去記事の、
・「数千万人の死」という言葉に違和感を感じないアメリカという国のイメージ。そして、戦争や耐性菌の蔓延にさえ思う「犠牲」というキーワード
2014年05月02日
にも書きましたが、その「抗生物質」がどんどん効かなくなっているということが、 WHO から報告されています。
▲ その報告が発表された2014年4月30日の WHO ウェブサイトより。
これは日本でもかなり報道されましたので、ご存じのかたも多いでしょうけれど、概要は下のようなものです。産経新聞の記事からです。
抗生物質効かない耐性菌、世界各地で拡大 WHO「極めて深刻な状況だ」
msn産経ニュース 2014.05.01
世界保健機関(WHO)は4月30日、抗生物質が効かない薬剤耐性菌が世界各地で広がっているとの報告書を発表した。
フクダ事務局長補はジュネーブでの記者会見で「貧困国など一部の国だけでなく、あらゆる国で拡大している。極めて深刻な状況だ」と強調した。
ちなみに、上に出てきた「梅毒」ですが、この日本での患者数が最近急増しているそうです。
梅毒、なぜか急増 3年で倍、国が注意喚起 検査拡大が必要
共同通信 2014.05.27
古くから知られる性感染症「梅毒」の患者が近年、急増している。2013年は全国で1200人を超え、3年間で倍増した。
なぜ今ごろ? その答えははっきりしないが、「昔の病気」という意識もあって自分の感染に気付いていないケースや、治療が不十分で人に広げているケースもあるとみられる。
抗生物質で完治する一方、感染した妊婦が適切な治療を受けないと死産や赤ちゃんの障害などにつながるため、厚生労働省が全国の自治体に注意喚起。新たに無料検査を開始した自治体もある。
これも抗生物質が効いている現在は完治しますけれど、他の多くの病気で確認されている「抗生物質が効かない薬剤耐性菌」が出現した場合は、またこの梅毒のような病気も過去のような「恐ろしい病」となるという可能性が高いです。
現代の西洋医学は、薬物治療と「物理的切除や改造(手術)」が病気を治す基本的な方法となっていて、その中でも、
・抗生物質
・物理的切除
に現代医療が依存している部分は非常に大きなものがあると思われます。
そして、上のふたつの関係もまた相互に依存しています。
病気は「存在」するのか?
なお、今回の記事の一番最初に、
最近、「病気とは何か」ということを改めて考えることが多いです。
というようなことを書きましたが、それはどうしてかというと、最近読む本では、さまざまな事物について最初に「重要なこと」として書かれてあることが、ほぼ「病気と健康」についてだったためだからなのです。
たとえば、最近たまに記事にするオーストリアの神秘思想家ルドルフ・シュタイナーですが、わりと最近の、
・人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい 100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
2014年05月12日
という記事では、シュタイナーが言うところの「神秘学の学徒になるための7つの条件」というものを書いています。
私自身はいまだに「神秘学の学徒」なんて意味を理解しているわけではないですが、それはともかく、その7つの条件のうち、最初が、
第一の条件
「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」
なのです。
ここについては、後で抜粋しますが、さらに今回の記事の上のほうに出てきた心理療法士であり、神秘思想家のフィニアス・クインビー博士の治療方法が元になってできた「ニューソート」というアメリカの宗教運動がありますが(クリスチャン・サイエンスもこの一派といわれることがあります)、その主張の一部には以下のようなものがあります。
・人間の心情と意識と生命は宇宙と直結している。
・あらゆる病の本質は自己意識に対する無知が原因である。
▲ フィニアス・クインビー博士( 1802年 - 1866年)。
人間の心情と意識と生命は宇宙と直結している。
なんてのは、まさしく、過去記事の、
・私たちに残されたかすかな「破局の回避」の可能性のために(1)
2013年03月24日
などに出てくる、20世紀初頭の「ロシア宇宙主義」という学派にいたアレクサンドル・チジェフスキー博士の学説である、
チジェフスキーは 1920年代のはじめに、地球上の生命現象が宇宙の物理的な現象とつながっていることを明らかにした。
ひとつひとつの生きた細胞は「宇宙の情報」に感応するのであり、「大宇宙」はこの情報を細胞のひとつひとつに浸透させているのである。
とほとんど同じであることに気づきます。
▲ 黒点と人間の精神活動の研究をはじめとして、「地球上の生命現象が宇宙の物理的な現象とつながっている」ことを発表したロシアのアレクサンドル・チジェフスキー博士(1897 - 1964年)。
あるいは、今まで何度も引用してきたフレーズで、つい最近もこちらの記事でも記しました、フレッド・ホイル博士が著作『生命はどこからきたか』の最終章で、ブッダの言葉を引用して書かれた、
ブッダが生命と意識(彼はすべての生命に意識があると考えていた)が宇宙の構造に全体として結びついていて別々にできないものと捉えていたことは充分に明らかである。
ともほぼ同じであることに気づきます。
また、谷口雅春はクリスチャン・サイエンス系のキリスト教的解釈として以下のように書いています。
ほんらい人間の病気を神が造ったものであるならば、人間がどんな方法でもってしても治るはずがないのであります。
たまたま人間がなんらかの方法で病気を治すことができるというのは、病気というものの造り主がないからであります。
ところが宇宙万物は一元で一切は神によって作られたのでありますから、神によって作られないものは実在しないのであります。「病気とは『無』の別名である」とクリスチャン・サイエンスの創始者エディ夫人が賢くもいっているのは真理であります。
(『生命の実相』より)
ここに至ると、「病気というもの自体が存在しない」という過激な発想なわけですが、ここまででもないにしても、シュタイナーが「神秘学の学徒になるための7つの条件」の最初の条件としている「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」を説明している部分にも、やや似たニュアンスが見られます。
ほんの一部ですが、抜粋します。
第1の条件は、「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」というものです。
確かに私たちは、はじめのうちは、みずからの健康状態を自分で決定することはできないかもしれません。しかし誰でも体と霊の健康を促進するように努めることは可能です。
健全な認識は健全な人間のなかからのみ、生じます。健康でないからという理由で、ある人が神秘学の訓練から排除されることはありません。しかし神秘学の訓練では、学徒は、少なくとも健全に生活する意志をもつように求められるのです。
私たちは、自分自身の体と霊の健康を促進するという点において、可能な限り自立しなくてはなりません。
解釈が違っているかもしれないですが、要するに、シュタイナーは「本来は自分の健康は自分の意志でコントロールできるものだ」と言っているように見えます。
ちなみに、私が知りたいと思うことは「理想」ではなく「事実」です。
その点からいえば、「全生命が宇宙とつながっている」という様々な人たちの言葉と、「健康はコントロールできる」、あるいは病気は存在しないという概念を結びつけていった時に、本当に、つまり、
・「現実的に」この世から病気が消える
という考え方は少しでもあり得るのか。
生まれた時からずっと病気だった私は、このタイプの意見に対して最も懐疑的な人です。
それでも、もし、その可能性が少しでもあるならぱ、私たちの次の世代に、私たちがどんなことを教えていけばいいのかということも見えてくるような気もするのですが・・・。
しかし、「すべての生命と宇宙がつながっている」ところまでは今では疑う余地はないですが、「病気は存在しない」までになると、それを受け入れるには 500年くらいかかりそうです(長生きかよ)。