2014年07月11日



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「村の人口 2000人のうち 400人が双子」というインドの村の存在を知って、改めて募る「生」あるいは「偶然」という概念への想い



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▲ 2014年7月10日の Mysterious Universe より。



昨日、上の記事で、インドのケララ州にあるコディンヒ村( Kodinhi )という場所のことを知りました。

簡単に言ってしまえば、「双子の出生率が考えられないほど多い村」として有名な場所なのだそうです。上の記事によると、以下のような特徴を持ちます。


・村の人口 2000人のうち、約200組(400人)が双子。

・この現象は60年くらい前から始まり、年々、双子の出生率は上昇している。

・この理由について長く研究が続けられているが、原因は完全に不明。

・遺伝学、生物分子学、気候要因からも原因はわからず。

・双子たちはすべて健康で、土地からは汚染物質の類は検出されていない。


というようなものです。

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▲ インド・ケララ州コディンヒ村の場所。


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このコディンヒ村は英語版の Wikipedia の項目に存在します。
その中の双子に関しての部分の中から抜粋します。


Kodinhi

コディンヒ村

このコディンヒ村が国際的に脚光を浴びたのは、村での異常なほど双子の出生率の多さが判明したことからだった。最初の調査では、 2000人の住民の中で、204組(408人)が双子だった。

地元の医師の中には、原因はコディンヒ村の水に含まれている化学物質だと述べる者もいるが、しかし、実際には多くの調査と研究にも関わらず、この現象の正確な原因は突き止められていない。

また、コディンヒ村出身の女性は、結婚して村から遠い場所に嫁いでいっても、その地で双子を産むことでも知られている。

他にも双子の出生率が多い場所はある。たとえば、ナイジェリアのイボ・オラ( Igbo-Ora )という町も双子の出生率が多いことで知られるが、ラゴス大学の研究により、イボ・オラの場合は、現地で広く食用とされている塊茎(イモ類)に含まれる化学物質が双子の出生率と関係していることが突き止められている。

しかし、コディンヒ村の場合、食生活はインドの他の地域との差はほぼなく、双子の出生率に関係するような原因物質や環境的な要素は見出されていない。




というようなものです。

この調査について、冒頭の記事からもう少し詳しく書きますと、


コディンヒ村を調査し続けている医学博士のクリシュナン・スリビジュ氏は、村人たちが食べたり飲んだりしているものの中からは原因となりうる物質は何も発見されなかったと語る。また、この村の食事そのものがケララ州の他の地域と何の差もないのだ。

博士は、今後、より詳細な生化学分析装置を用いて、コディンヒ村の研究を継続していくつもりだが、現在までの状況は「双子の出生率の多さは原因不明のままだ」と述べている。




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▲ コディンヒ村の双子のきょうだいたち。





双子は「偶然」の産物

ちなみに、一般的に双子というのはどのくらいの割合で生まれるものなのかということについては、双生児 - Wikipedia によりますと、

古来より人種に関わりなく、1000組に4組の割合で一卵性双生児が誕生する。


ということです。

ここから考えると、コディンヒ村の割合は相当なものです。

ところで、上の双子に関しての Wikipedia を読んでいた時に、「当たり前といえば、当たり前」のことではあるのかもしれないですが、何となくショックを受けた単語がありました。

そして、ここからが Wikipedia からの抜粋です。


一卵性双生児

受精卵の多胚化による一卵性双胎(多胎)妊娠は偶然の産物であり、一卵性双生児の出生は遺伝やホルモン分泌量などの外的要因に影響をほとんど受けない。




太字は Wikipedia でも太字となっています。
双子は「偶然の産物」のようです。

なぜ、「偶然」という言葉にショックを受けたかというと現在の科学では、「偶然」の言葉で片付けられることも多いんです。しかし、「偶然」という言葉を不用意に科学に浸透させてしまったために、困惑している科学者たちも多いように思います。

たとえば、今から4年以上前のクレアなひとときの「進化の仮説 - すべての細胞核が持つ元型」という記事では、お茶の水女子大理学部の太田次郎教授の1987年の著作『細胞工場―生命の神秘はここまで解けた』というものから抜粋させていただいていますが、この著作の中で、太田教授は、通常に語られる進化論(地球で偶然生命が生まれ、それが進化したとする説)を書いた後に、「ただ、ひとつ気になることは・・・」として、次のように書かれています。


太田次郎『細胞工場』より

偶然の試行錯誤の考え方をとるとすると、考えにくい点があります。

アミノ酸や塩基の配列のぜんぶの可能性を網羅しつくすためには、宇宙にある物質すべてをアミノ酸にしたり、核酸の塩基にしたりしても、不足してしまうのです。

いいかえれば、アミノ酸や塩基がでたらめにつくられ、それらの対応関係が偶然生じたと考えるのは、機械的に過ぎて、実際にはありえないと思われるのです。

原始地球の化学進化の途上で、何らかの必然的要素が働いたと考えるほうが、現在の生物についての知見からは考えやすい感じがします。

しかし、その必然の内容については、まだなにもわかっていません。この考え方をへたに進めれば、創造説と同じ道へ入っていってしまうおそれもあります。

このように、生命や細胞の起源を探るときに、素材の点からはじめても、わからないことだらけなのです。




ここで、

> この考え方をへたに進めれば、創造説と同じ道へ入っていってしまうおそれもあります。

という太田教授は書かれていますが、その意味は、曖昧にはされていますが、生物学を極めれば極めるほど、

「生命の誕生には、何らかの《意志》が働いたようにしか見えない」

というような考え方の方向にどうしても向いてしまうということは、よく見られます。

例えば、フレッド・ホイル博士は、最晩年の著作『生命(DNA)は宇宙を流れる』の本文のラストに以下のように書いています。

すでにパンスペルミア説を越えて、到達したホイル博士の思想は、科学と哲学のリンクを鮮明に感じさせてくれるものでした。


フレッド・ホイル著『生命( DNA )は宇宙を流れる』
第11章 コズミック・インテリジェンス より


興味深いことに、われわれが到達した結論、すなわち宇宙に知性があることをロジカルに要請することは、世界の主だった宗教の教義と整合性がある。

世界中のさまざまな文化の中で、「創造主」は独自のすがた形をとる。エホバ、ブラフマー、アラー、天の父、神……宗教の数だけ呼び名もある。

けれども、その根底に横たわる概念は、どれも一緒だ。それは、宇宙は −− 特に生命の世界は −− 創造もつかないほど強力な人間型の知性を持つ「存在」によって創造されたということだ。

地球に暮らしたことのある人間の圧倒的多数が、この概念を完全に、無条件に、本能的に受け入れていたことを忘れてはいけない。

生物にこんな意識を持たせるのは、遺伝子のはたらきである。ひょっとすると、その「存在」がわれわれの部品を創造することにあたって、自らの起源についての真実を本能的に悟るように、遺伝子に細工しておいたのかもしれない。




これが、ホイル博士の最晩年の頃に到達した概念だったようです。

上の記述にある「(生命は)人間型の知性を持つ存在によって創造された」という考え方はオカルトでしかないですが、しかし、このオカルト的発言の重みは、ホイル博士は、世界で最も天文物理学と宇宙生物学を研究し尽くした人物の一人であり、その人の最後の考えがこうだったというところに、似たような通常の発言とは違う「重み」があります。

何だか、最初のインドの双子の村の話からそれてきていますが、あまり考えずに、このまま進めます。





生命の誕生には謎が多い

少し前になりますが、下の英国インディペンデントの記事を知って以来、「人の単為生殖」(女性単独で妊娠すること)というものに興味を持ったことがあります。

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上の記事をご紹介した記事は、

米国女性200人のうちの1人は「処女懐胎」しているという調査結果に思う「進むY染色体の終末時計」
 2013年12月19日

というものでした。

しかし、調べてみると、基本的には、人間を含む哺乳類は、「ゲノムインプリンティング」という、遺伝子発現の制御の方法を持ち、この難しいメカニズムの具体的なところはともかくと、このゲノムインプリンティングが存在する限りは単位生殖は不可能に近いことであるということがわかった程度でした。

つまり、

人間が「処女懐胎」するには機能的に進化する必要がある

ということで、これは逆の書き方をすると「進化すれば人間は処女懐胎できる」という意味でもあります。

その後に、ドイツ人女性のマリアンネ・ヴェックスさんという方が書いた『処女懐胎の秘密』という本を手にする機会があり、それを読んだ後に書かせていただきました記事、

光で語り合う自分の細胞と他人の細胞。そして、人間は「生きているだけで永遠を体現している」ことをはじめて知った日
 2013年12月23日

の中で、

「光による受精」

というセクションがあることを記しました。

ここには、アレクサンダー・グルヴィッチという研究者がおこなった実験の際に、


細胞から出ている光線は他者、つまり他人の細胞に細胞分裂をおこさせることができることがわかった。



というようなことなどが書かれてあり、

ひとりの細胞と他人の細胞や DNA との間には光線でのコミュニケーションが常に存在している可能性


というような意味にもとれることが示されています。

そして、その時、私は、


自分と他人の DNA の間に光でのコミュニケーションが存在しているというのなら、「シンクロニシティ」というものを含めて、人間同士のあらゆるハイパー・コミュニケーションは現実として常に存在しているかもしれない。



のようなことも感じたのですけれど、これらのことは、もしかすると「生命の誕生(妊娠)」ということに関しても何らかの関係を持つものなのかもしれないと・・・まあ、思ったり・・・あるいは、理性的に考えれば、やはり関係性を考えるのは無理っぽいと思ったり、考えはまとまりませんが。

それにしても、インドの村の話からなんでこんな話を始めたかというと、

・異常な双子の発生率

・単為生殖


はどちらも出生に関しての「あり得ないできごと」であるわけで、何となく関連性を感じてしまったりしている次第です。ちなみに、マリアンネ・ヴェックスの『処女懐胎の秘密』の前書きは以下のようなもので、「人間の存在とその誕生」というものに関しての、マリアンネさんの考えがわかります。


マリアンネ・ヴェックス著『処女懐胎の秘密』「はじめに」より

私は自分を、輪廻転生を繰り返している個人的存在、さらには集合的存在と認識しています。さらに、あらゆる生命と −− 過去・現在・未来のあらゆる生命と −− ひとつになった存在と認識しています。

宇宙のあらゆるエネルギーは存在するすべてのものの姿をとり、したがって、私という姿もとりながら自己実現しているという認識をもって、私は生きています。

つまり、決して自分を被害者とみなすこともなく、誰をも、何ものをも非難することなく、私の人生形成について、いかなる権威にもいかなる状況にも責任を転嫁しないということです。




ずっと上のほうにリンクしました、クレアなひとときの記事では、私は、今後、生命が進化するとした場合、それは、


・DNA の塩基配列の外部的刺激による変異

・地上のすべての受精卵への影響

・細胞核にある全生物を通して持つ物質による社会行動コントロール



というようなことになるのではないか、と書いていますが、それらが実現するかどうかは別としても、これらは最終的には「単為生殖」に向かう道であり、また、最初のインドの双子の村のように、妊娠に関しての出来事が「変化していく」ということのも関係することだと思います。

いろいろと節操のない展開になってしまいまして申し訳ありませんでした。

関係ないですが、最近、あるキッカケで知った『自死という生き方』という、哲学者の須原一秀さんが書かれた本を読んでいまして、「死」というものを考えている時でした。「死」を考えると、「生」のことも考えるわけですけれど、そういう中で、知ったインドの村の話であり、そして、そこから思い出した「単為生殖の未来」の概念なのでした。