2014年07月25日



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予想以上に不思議な形状だったシベリアの「この世の終わり」に突然できた穴を見て思い出す「老人や若い人や罪人たちの霊の行く3つの湖」を持つインドネシアの火山



今回の本題とは関係ないのですが、なんかというか、飛行機の世界はどうなってしまっているのですかね。

マレーシア機の撃墜以降のこの1週間で、

台湾旅客機(7月23日 / 47人死亡)
    [報道]台湾の旅客機墜落で47人死亡(ロイター)

アルジェリア航空機(7月24日 / 116人の安否不明)
    [報道]アルジェリア航空機、墜落(読売新聞)

と、ちょっと考えられない頻度で旅客機の墜落が続いています。
マレーシア機の撃墜から1週間に3度の墜落。
しかも、どれも比較的乗客が多い。

マレーシア機は乗客の半数以上の 154人がオランダ人でしたが、昨日墜落したアルジェリア航空機の乗客は、 50人以上がフランス人だったそう。「西欧地域ではない場所で、西欧人が大量死する」というようなことが続けておきます。

そして、7月23日のニューズウィークには下のような「またも撃墜されたいのかね」と思わざるを得ないような記事が出ていました。

mh-syria.jpg

▲ 2014年7月23日のニューズウィーク日本版「マレーシア航空が今度はシリア上空を飛んでいた」より。






 


少し前に、

「大量の犠牲」の時代に呆然としながら
 2014年07月21日

というような記事を書いたばかりですけれど、その傾向は収まる気配はないのかもしれません。もちろん、仮にそれが「単なる偶然の連続」であるにしても。

いろいろと考えてしまうような感じの流れでもありますけれど、とりあえず、今回はまったく別の話題です。






シベリアのクレーターに調査隊が到着

先週書きました、

気温40度の中に降った爆撃のような雹。そして、「世界の終わり」という地名がつくシベリアに突然開いた巨大な穴 : 「ウラジーミルの栄光の国」を襲い続ける異常な気象と現象
 2014年07月16日

の後半の「『世界の終わり』という地名のつくシベリアに突然開いた穴の正体」というセクションに、ロシアのヤマルという場所に下のような穴が突然開いたことが報じられていたことをご紹介いたしました。

sib-hole-top.gif
Daily Mail


この際には、空中から撮影された写真と映像だけ見られたのですが、7月20日頃、ロシアの科学者たちによる第1回調査チームが現地に到着したことがプラウダなどで報じられていました。

何しろこの「ヤマル」という場所は、地図では下の場所にあるのですが、荒涼とした永久凍土が続くような、まったく人里離れた場所で、ふだんは人などが赴くような場所ではないところのようなんです。

Siberia-Yamal-Peninsula.gif

ここは、下のような風景がえんえんと続く荒涼とした地です。

yamal-001.jpg
Daily Mail


この地がヤマルという地名と同時に「この世の終わり」( The end of the world )という意味のロシア語で呼ばれている理由もわかるような気がします。

この遠い場所に開いた「穴」の調査のために、ロシアの科学者の調査団が今回初めてその場に立ち入ったのですが、空中撮影の写真ではわからなかった、その穴の作りの奇妙さがそこにはありました。

下がその写真です。

調査隊が撮影したヤマルの穴

すべて、プラウダ Mystery of giant sinkhole in Russia's Yamal より。

ru-hole-01.jpg


ru-hole-2.jpg


この岩の紋様のような感じだけでも不思議な感じなんですが、空中撮影での「周囲の風景」と穴を比べてみますと、突然できたこの穴がなんとも異様な感じに思えます。

ru-hole-3.jpg


第1回目の調査でわかったのは、


・クレーター(穴)の直径は約 60メートル
・深さは約 50メートルから 70メートル
・クレーターの底には、氷の湖がある


とのことで、底が「氷の湖」になっているのだそう。ということは、噴火的なものや天然ガスの噴出など「熱を伴いそうな関係の現象」ではないかもしれません。

科学者たちは、土壌や水などのサンプルを採取し、分析するそうですが、今回の調査ではこのクレーターがなぜ突然できたのかはわからないままのようです。

なので、「クレーターができた原因はわからない」というところまでしかご紹介できないのですが、上の写真を見ていて、インドネシアにある神秘的な火山と、その火口を思い出しました。






「三色の湖を持つ山」から思い出す死の神話

その山は、インドネシア・東ヌサ・トゥンガラ州のフローレス島という島にある、クリムトゥ山という火山です。

この火山は3つの火口を持っていて、それぞれが湖となっているのですが、それがまた下のように美しいものなのであります。

クリムトゥ山

Gunung-Kelimutu.jpg

クリムトゥ山 - Wikipedia によりますと、


クリムトゥ山は、インドネシア・フローレス島中部にある火山である。三色の火口湖を持つことで知られている。

西側には深緑色(以前は緑色)のTiwu Ata Mbupu(老人の霊の行く湖)、東側には青緑色(青色)のTiwu Nuwa Muri Koo Fai(若い男女の霊の行く湖)、黒色(赤色)のTiwu Ata Polo(罪人の霊の行く湖)が並んでおり、東側の2つの湖では水中の噴気孔によって湧昇が起こっているとみられる。湖の色は時おり変化している。




ということで、上の火口はその中のひとつなんですが、深緑色のほうなのか、青緑色のほうなのか今ひとつわかりません。この湖の水の色は色が刻々と変化しているようで、同じ場所から撮影されたものでも、日によってなのか、季節によってなのかわからないですけれど、写真によって下のように色が全然違ったりしているんです。

Kelimutu_1.jpg
Indonesia Tourism


Kelimutu.jpg
Kapur News


同じ火山の火口なのに、どうして、それぞれ違う色の湖になるかということについては、「火山ガスの活動に誘発されて湖水中の鉱物に化学反応が起こることにより、色が変化する」ということで説明されているようなんですけれど、しかし、それはそれで何となく、それぞれが色が違う説明にはなっていないような気もしないではないのですが、まあ、それはいいです。

そして興味があるのは、それぞれの火口にインドネシアの人々がつけた名称が、

・老人の霊の行く湖
・若い男女の霊の行く湖
・罪人の霊の行く湖


となっていることでした。

普通に考えれば、「老人の霊」というのが一番多いわけで、その湖に行く人たちが一番多いのでしょうけれど、同時に、ふと、

若い男女の霊の行く湖

という響きは一見美しいけれど、結局、「最も悲しい湖」だということにも気づきます。

最近、いろいろな本を買い込んでしまっていて、しかも、私は一冊読み終えてから次に行くということがどうもできなくて、1ページ読んでは、別の本に手を出す、といようなムチャクチャな読み方をしているのですが、それはともかく、その中に、米国のヌーランドという医師の書いた『人間らしい死にかた』という本があります。

この人は 30年に渡って、9000人の末期患者の最期を看取ってきた人ですが、実際の病院での死の光景と、「人々が頭に描く死の神話」の間に大きな溝があることを書いています。


シャーウィン・B・ヌーランド著『人間らしい死に方』(1994年)より

昨今、われわれは愛する者の死を実際に目撃することがほとんどなくなった。いまや、自宅で死ぬ人は少なく、アメリカ人の少なくとも 80パーセントが病院で息を引き取るのだが、そうしたほとんどすべての患者の様子は、おおむね生前最も親しかった人びとの目から隠されるか、少なくとも死に向かう状況についての詳細は隠されている。

一方、死というプロセスをめぐっては完全な神話ができあがっている。神話の大部分がそうであるように、それは人類すべてに共通な心理的必要からつくられてきたのである。

死にまつわる神話は、一方で恐怖との戦いを、またその一方でその反対の願望をあらわすものだ。それらは、現実の死がどんなものかをめぐるわれわれの恐怖を和らげるのに役立つようになっている。

非常に多くの人びとが「苦しまなくてもすむように」、ぽっくりと死ぬか、眠っているあいだに死ぬことを願っていながら、同時に人びとに囲まれて優雅に最後の時を迎えるというイメージにすがりついている。

われわれは人生の総決算を明確な意識をもって迎えられると信じないではいられない。さもなければ、苦痛のない完全な無意識状態におちいることを望むのである。




とあります。

つまり、人は「自分の死についての理想と希望を持っていて、自分の死は自分が考えている通りになると信じて疑わない」ということで、それは、たとえば、典型的なものとしては、

「愛する人たちに見守られながら、眠るように死んでいく」

というようなことであるようなんですが、実際に病院でヌーランド医師が見続けてきた「人間の最期」は、多くの人びとが、長い期間、苦悶に喘ぎ続け、嘔吐や痙攣などの苦痛の連続の中で衰えて死んでいく現実でした。

あるいは、上に、

「自分は人生の総決算を明確な意識をもって迎えられると信じている」

という人の希望が書かれてありますが、通常の認知症でも、あるいはアルツハイマーなどの場合でも、そこにはすでに自分の明確な意識などは存在ない状態の中で死亡していくというのが現実であり、「神話」を満たして死んでいく人はほぼいない、ということが書かれています。

そこに、このヌーランド医師の苦悩もあるようです。

少し前に、

聖女キューブラー・ロスが「神を呪った」とき : 寿命は長いけれど命そのものが粗末な感じがする今の時代に読んだ聖女の「最期」
 2014年07月14日

という記事を書きましたけれど、最近は「死」ということについて考えます(「悪魔」のことも同じくらいよく考えますけど。てへッ。 ← てへッじゃないだろ)。

人間、年をとると、死について考えることが多くなるのは誰でも同じかもしれないですけれど、それに加えて、先日の、

パンドラの箱が開いてしまったかもしれない2014年
 2014年07月22日

というような時代に住んでいて、つまり、連日「大量死」の報道を見ていれば、それらの出来事が、全世界を覆っていることがわかります。

そして、さらにそこから漂う気配としては、

この今起きている大量死は他人事ではない

ということです。

もちろん、だからといって、暗い気分で生きる必要などありませんが、こういう時代だからこそ、生きることや死ぬことや、自分の希望や理想や「義務」なども含めて「いろいろと考える」ことも悪いことではないかもしれないと思ったりするのです。