2014年07月26日



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ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係。そして、バチカンに正式に承認された「国際エクソシスト協会」の存在



exorcist-association-top.gif

▲ 2014年7月3日のカナダ CBC ニュースより。






 


エクソシストから辿り着いたのは日月神示の冒頭だった

先日の記事、

世に溢れるアナグラム : ツェッペリンの天国への階段の逆回転での「悪魔と666」。リーガンが語る逆回転のサタンの言葉。そして、セウォル号オーナーの「鏡像」遺書
 2014年07月23日

という、読み直すと何ともとりとめのない長い記事ですが、その後半で、1973年の映画『エクソシスト』についてふれている場所があります。

その内容そのものは記事を読んでいただければ幸いですが、映画のシーンの中の言語研究所のセットの中に、下のように「 TASUKETE (たすけて)」と書かれた看板か横断幕のようなものがあることに気づきました。

tasukete-1.gif


このような描写は原作にはなく、そもそも映画は日本とか日本語などはまったく関係しないものですので、何となく興味を抱き、これはローマ字ではなく、「もしかすると、英語に TASUKETE という単語があったりして」と思って辞書を引いたのですね。

英語辞書 Weblio で TASUKETE と引いてみたのです。当然、該当する英語はなく(笑)、ただ、

「TASUKETE を含む例文一覧」


というものがあり、そこに下のような例文が載せられていたのです。

tasukete-2.gif
Weblio TASUKETE


「・・・なんじゃね、これは・・・」

と思わず呟いたほど訳のわからない英語と、そして日本語訳でした。

日本語の部分は、

「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」


と書かれてあるのですが、どう考えても普通の日本語ではないものです。
そもそも読み方がわからない。

そうしましたら、その後、お知り合いがメールをくださいまして、

「あの日本語は日月神示です。しかも、冒頭の第01巻 上つ巻 第一帖 (一)です」

と教えられたのです。

「日月神示?」

しかし、たとえば、ひふみ神示データー ひふみ神示 第01巻  上つ巻などで確認しますと、その部分は下のように書かれてあります。


「仏もキリストも何も彼もはっきりたすけて七六かしいご苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。」



では、最初の訳のわからない日本語は何かと申しますと、メールを下さった方によりますと、


> 岡本天明氏が自動書記で書かれたもの、つまり原文を忠実に文字起こしたもの


だそうです。

まあ、それだけの話なんですが、何ともいえない「奇妙さ」を感じたのは事実です。

そもそも、ネットの英語辞書で「 TASUKETE 」なんて検索する人がいるとは思えないわけで、つまり、上のような奇妙な例文に出会うこと自体があり得ないようなできごとではあるわけで、いずれにしても、映画『エクソシスト』の中で、「ふと気づいた美術セットの文字」から、まさか、日月神示の冒頭部分が浮かび上がってくるとは・・・と思った次第です。

このような、

「何かの存在が、自分を偶然に何かの存在へと導いていく」


ということを「実際に感じる」ことは実は多いことでもあり、そして、これは多くの方がそのように自覚的に気づくことも多いのではないかと思われます。

それらは一般的には「偶然」という言葉で語られるわけですけれど、この「偶然」という現象には「大きな(物理学としての意味ではない)力学が存在している」ということと共に、それらの背後にあるものは、

「すべてを意味する意味での《ひとつのもの》かもしれない」


と考えることもあります。

死ぬまでに何度の「偶然」を繰り返して生きていくのかはわからないですが、それらは確実に「過去と未来を結ぶ線」であり、そして線というのは、そこから時間軸を取り払えば、「単なる点」となります。

小さな何もないようなところに自分の人生のすべてが集約される。多分そのあたりが「人生」というものだと思うのですが、変な形而上的なことを書きたいわけではないですので、この話はこのあたりにしておきます。




「悪魔は昔から神さまのコマーシャルなんですわ」と口にしたリーガンの母親

ところで、上の記事「世に溢れるアナグラム…」には、


何しろ、私が小説『エクソシスト』を初めて買ったのが、映画が話題となった後の中学2年の時(1977年)ですので、現在、購入後 37年目になりますが、まだ完読していないという有り様。



と書いていますが、実は上の記事を書いた夜、お酒を飲みながらパラパラめくっているうちに、結局、全部読んでしまいました。

映画のほうのエクソシストでは、カトリック教会から正式に派遣された老神父であるメリン神父という人の悪魔払いの様子が、ひとつの映画のメインとしても描かれますが、小説ではメリン神父が登場するのは、この全ページが文庫本で約 550ページもある長編小説の中の、なんと 470ページ目なのです。

そして、528ページ目には死んでしまう。
わりとほんのちょっとの登場なのです。

しかし、やはり映画同様、小説でもすべての登場人物を圧倒する存在感と「理性と尊厳」を備えた人物であることがわかります。

melin.jpg

▲ 映画『エクソシスト』で、悪魔払いのため聖書を朗読するメリン神父。


ストーリーの最初の方から登場しているカラス神父が、このメリン神父に、

「(悪魔が)人間にとり憑く目的はどこにあるのでしょう

と訊く場面があります。

それに対してのメリン神父の答えは以下のようなものでした。


それは誰にも判らないことだ。……しかし、私はこうみている。つまり、悪霊の目的は、とり憑く犠牲者にあるのではなく、われわれ……われわれ観察者が狙いなんだと。

そしてまた、こうも考えられる。やつの狙いは、われわれを絶望させ、われわれのヒューマニティを打破することにある。

やつはわれわれをして、われわれ自身が究極的には堕落した者、下劣で獣的で、尊厳のかけらもなく、醜悪で無価値な存在であると自覚させようとしている。




悪魔、あるいは悪霊は、「人間が『自分たちは堕落した無価値な存在』と自覚させるため」に、憑依などをおこなうと言っているくだりは、私にとって、過去2千年くらいの間の、

人間の価値を低く考えさせようとしてきた人類(の教育)の歴史


と重なります。

しかし、この話をすると、また長く余談となるので、話を進めます。

さらにメリン神父は後半でこのような言葉も口にします。


「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」



この言葉は、大変に印象に残ったのですが、その心境をうまく表現することができません。

ところで、さらに、印象深かったのは、小説の最後のほうの部分。悪魔に憑依された女の子リーガンから悪魔が出て行き、悪魔払いの儀式が終わって(カラス神父とメリン神父は共に悪魔払い中に死亡)から数日後のエピローグとしての場面の中で、リーガンの母親は死亡したカラス神父の友人のダイアー神父という人にこのように言います。

ちなみに、リーガンの母親は信仰を持たない無神論者です。


あなたがた神父さんたちは、祭壇の前にぬかずいて、神さまの実在を考えなければならない立場ですわね。だからこそ、神さまは毎夜、百万年の眠りを眠ってらっしゃるんですわ。

そうでなかったら、神さま自身がいらいらなさって、ついには怒りださずにはいられなくなるはずです。わたしのいっていること、判っていただけるかしら?

神さまは何もおっしゃらない。その代わり、悪魔が宣伝の役をつとめます。悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。




この

> 悪魔は昔から、神さまのコマーシャルなんですわ。

という台詞は 1970年代のアメリカでは禁忌に近そうな言葉に感じますが、実際、映画のほうにはこのやりとりのそのものが出てきません。

悪魔は神さまの宣伝をしている」という響きは信仰をもたれている方にとっては怒りを感じる言葉かもしれないですが、しかし、ここで、冒頭にはりました、「ローマ教皇庁が正式に悪魔払い師の団体を認めた」というような最近の記事をみまして、少なくとも、このこと自体は、

「神の存在のほうからパチカンを知らしめている」

のではなく、

「悪魔の存在のほうからバチカンを知らしめている」

ということにはなります。

短い報道ですので、ご紹介します。

バチカンが承認した悪魔払い団体の名称は、「インターナショナル・アソシエーション・オブ・エクソシスツ( International Association of Exorcists )」ですので、日本語では「国際エクソシスト協会」というような感じでしょうか。





Vatican formally recognizes exorcist association
CBC News 2014.07.03

バチカンは正式にエクソシストの協会を認めた

悪魔払いは 「苦しむ人々に利益をもたらす慈善の形だ」と協会のトップは述べる

エクソシスト(悪魔払い師)たちは今、自分たちで自由に活動できる法的権限を持った。バチカンが、30カ国の 250人からなる、悪魔払いをおこなう司祭たちの協会「ザ・インターナショナル・アソシエーション・オブ・エクソシスツ」を承認したのだ。

最新のバチカンの新聞によると、バチカンの組織のひとつ「聖職者省」( Congregation for the Clergy )は、このエクソシストたちの組織を承認する法令を出し、教会法の下にこの組織を認めることを報告した。

現在のフランシスコ法王は、前任者(ベネディクト16世)よりも、悪魔についてよく話す。そして、昨年は「4人の悪魔に取り憑かれている」とされた男の頭の上に手を載せ、悪魔払いをしたことが認められている。






ということなんですが、記事の「フランシスコ法王が悪魔払いをした」というようなフレーズは、当時多く報じられまして、2013年5月22日の AFP 「法王が悪魔払い?ローマ法王庁が否定」という記事の冒頭は以下のようなものです。


イタリア司教協議会のテレビ局TV 2000が、フランシスコ ローマ法王が車椅子の少年に悪魔払いを行ったと報じたことについて、ローマ法王庁は21日、これを否定した。

テレビ局が撮影した映像には、ペンテコステ(聖霊降臨祭)の式典が行われた19日に、法王が車椅子の少年の頭に少しの間両手を載せる姿が映っている。少年は数秒間体を震わせ、叫ぶかのように口を開けている様子を見せた。

バチカンの広報局長は、「病人や苦難を抱える人に面会した法王がよくされるように、ただその人のために祈るという意図があったにすぎない」と語った。




ところで、冒頭の「エクソシスト協会を承認」の報道の写真を見て、ちょっと「うん?」と思ったのは、そのフランシスコ法王の「顔つき」なんです。

フランシスコ法王というのは、いかにも「いい人そうな顔つき」のような写真が就任時から多いです。

Pope-Francis-waves-to-cro.jpg
Guardian


しかし、上でご紹介しました報道の写真は、6月29日に撮影されたものなんですが、単に厳粛な顔をしているだけなのでしょうけれど、何となく「ちょっと違うイメージになってきてないか?」と思ったりした次第です。

下はちょっと拡大してみたんですけど・・・左の方がフランシスコ法王です。

pope-stn-01.jpg


暑かったか、あるいは強面路線に変更ですかね。
あるいは・・・。


昨年の記事、

最後の法王と呼ばれ続けたベネディクト16世(1): 聖マラキの予言とコナン・ドイルの未来感の時間軸
 2013年02月13日

に書いたことで、「偽書」とされてはいますけれど、12世紀の聖マラキという聖職者の預言では、ベネディクト16世が「最後の法王」ということになっています。


ですので、本来は現在はもはや法王のいない時代のはずなんです。


まあ、奇妙な実在論はともかく、フランシスコ法王になってから起きている様々なこと。
これは過去記事、

「悪魔 vs キリスト教」の戦いが世界中でエスカレートしている
 2014年01月29日

にも書きましたけれど、「受難的」なことが続いているといえないでもない。

2014年1月27日

pope-hato.jpg


2013年2月13日(ベネディクト16世が退位を発表した日)

2012-02-13-thunder.gif



2014年1月16日

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▲ ブラジルのリオデジャネイロの「コルコバードの丘のキリスト像」に雷が直撃し、像の指が欠けました。


と、いろいろと続いています。

もちろん、これらも先に書きましたような意味での「偶然の連続」ではあるのでしょう。

そして、ここにきて、バチカンは正式に「エクソシスト協会」を発足させたわけで、小説『エクソシスト』の中の母親の言葉「悪魔は昔から神さまの……」を思い出したりした次第です。

ところで、エクソシストのオープニングシーンとして登場する「イラク北部」では、キリスト教の聖地である「預言者ヨナの墓」が、過激化組織イラク・シリア・イスラム国(ISIS)によって破壊されたという出来事がありました。

クリスチャン・トゥディに短くわかりやすい報道が出ていますので、抜粋しておきたいと思います。


イスラム過激派組織ISIS、預言者ヨナの墓を破壊
クリスチャン・トゥディ 2014.07.22

イスラム過激派組織「イラク・シリア・イスラム国」(ISIS)がイラク北部ニーナワー県で、聖書に登場する予言者ヨナの墓を破壊した、と語った。

ISISはこのところ教会、墓、神殿などの破壊を進めており、イスラム教の聖地メッカまで遠征して、毎年巡礼数百万人が参拝に訪れるカーバ神殿を破壊する計画もあるという。




こちらが預言者ヨナの墓です。

j-d-1.jpg


そして、下の写真が「爆破」された瞬間です。

j-d-2.jpg
YouTube


なんとなく、私たちは、現実の出来事を含めて、「本当に神と悪魔の戦いの渦中にいる」(象徴的な意味でも構いません)のかもしれないとも思います。もっとも、これは結構前から感じていることではありますけれど、もっと顕著になっていくのかもしれません。

何しろ、 聖マラキの予言という、それは確かに「偽書」に書かれてあることとはいえ、本来は、現在は「もはや法王は存在していない世界」なのですから。