2014年07月28日



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赤い血と赤い月、そして大量の犠牲が続く中で読む「悪憎むでないぞ」(日月神示)と「善を生み出すのは悪」(小説エクソシスト)の意味を探して



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▲ このブログでは過去何度か取り上げている比較的お馴染みの現象ですが、先週、またも中国の浙江省温州市で「川の水が突然赤くなる」という現象が起きました。2014年7月25日の Sploid より。






 



死の必然性に意味はなくても流れる血はやはり赤くて

佐世保の女子高生の殺人事件の報道をいくつか読んで、瞬間的に、類似した過去の事件を思い出しているうちに気分が悪くなり、午前中はそのままの気分でした。

何となく、この犯罪から、今から 50年以上前の 1961年に出版されたコリン・ウィルソンの『殺人百科』を思い出します。

この本には、すでに同じような類例がいくらでも見られて、そして、それらの過去の類例を通してみてわかることは、一見大きな意味がありそうなこの類いの犯行には、「まるで動機に意味がないか、あるいはどうしようもないほど下らない理由が多い」ことがほとんどなのです(全部とは言いません)。

私は若い頃、演劇の脚本を書くために『殺人百科』系の本をいろいろと読んだことがありまして、類例はかなり知っているほうだと思います。その中には、たとえば、「××したかった」程度だけの理由の犯罪がどれだけ多かったことか。

メディアなどは、このような事件が起きると、必死で原因や、あるいは「社会と犯罪の関係」などを調べたり論じたりしますけれど、多分それは筋違いで、複雑な答えをそこに見出すことはほとんどできません。

多くの類例は、単に犯行をした人たちに「生命の価値に対しての認識が欠けている」と考える以外のいかなる理由も見当たらないのです。

その上で、今回の事件への感想は、コリン・ウィルソンが『殺人百科』に実存主義の立場から書いた非常に長い前書きの中に記されている下の一節に現れています。


コリン・ウィルソン『殺人百科』 まえがき「殺人の研究」より

一年間をついやしてこの本を編集し終わったとき、私の心をとらえたのは、悲惨な感じとあわれみであった。これは人間のごみ捨て場である。人間が神になることがあるにしても、まず、これを乗り越えなければならない。


コリン・ウィルソンは、実存主義の立場として、

殺人者に欠けているのは、生命の価値の認識である。

として、そして、

もし人間の進化が何らかの意味を持つとすれば、それは、生命を、すべての生命を、より強く愛することである。

としています。

そして、この前書きの中にとても印象的な言葉も記しています。


「人生は、ばかげているかも知れないが、死はもっとばかげている」



ところで、冒頭に中国で「川の水が突然、血の赤に染まった」という報道記事を張りましたのは、そのこと自体を紹介したかったわけではなく、過去記事で、世界中で、「赤く変色する水」のことを書きました、

赤の意味: 再び現れた赤い海と赤い雨
 2012年07月31日

の中で、「血」というものについて書いたことを思いだしたからです、

血を赤く見せているのは、赤血球ですが、血の大きな特徴は、


・血の赤は「鉄」であるということ

・血を赤くする赤血球は人体で「 DNA を持たない部位」であること




などにとても興味を抱いたことがあります。

DNA というのは、細胞核やミトコンドリアなどにあるものだそうですが、人を含めた哺乳類の赤血球は、成長の途中で細胞核とミトコンドリア等の細胞器官を失うので、DNA を持たないのだそうです。

そして、「血は赤い」わけですけれど、この理由は、血を赤くしている赤血球にヘモグロビンが含まれているからで、このヘモグロビンというのは、さらに「ヘム」と「グロビン」というもので構成されるのですが、この中の「ヘム」というのが、赤いのです。

その「ヘム」というのは、鉄の分子のようなものです。

つまり、私たちは、「鉄の存在によって血を色を感じている」ということになります。

また、過去記事の、

人類のボスは誰ですか?
 2014年03月26日

などにも書いたことがありますが、

人間の血液自体が磁場である


ということも、血液が、

・ヘム → 鉄
・グロビン → 反磁性


という組み合わせから構成されていることから生じるわけで、そのあたりは、嶋中雄二さんの著作『太陽活動と景気』に下のように記されています。


「太陽活動と景気」太陽活動と健康・精神 より

血液中のヘモグロビンは鉄と色素の複合体であるヘムと蛋白質であるグロビンから成るが、グロビンは「反磁性」とされているから、本質的には鉄の科学的状態が血液の磁気的性質を発生させていると考えられるのである。



人間という存在自体の全体が磁場である、という見方もできるわけで、たとえば、頭部からは下のような磁場が検出されます。

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・前田坦(ひろし)著『生物は磁気を感じるか


少し話がそれましたが、問題は「」です。

人が負傷したり、死亡する際の血が流れる場面に接すると、それが現実であっても写真や映像であっても私たちは震撼したり、人によっては興奮したりします。

そして、人の感情を大きく刺激するその「血」は「必ず赤」です。

どうして人間や哺乳類などの血が「赤」となったのか、進化論的な推測や、生物学的な考え方は私にはわからないですが、しかし、ひとつの事実として、

「赤という色は目に見える色の中で最大の波長を持つ」

ということに興味を持ったことはありました。
色の波長の中で可視ギリギリの色が赤なのです。
これを超えると「赤外線」として目には見えません。

light-red-purple.gif
光の届き方と信号の色


その「可視光線として最大の色」が、生物が死ぬ時に流れる色であるということには生物学的な意味とは別に興味を感じたことがあります。

そのあたりのことは、過去記事の、

2012年の「赤」の意味: DNA を持たずに増殖する「赤い雨から採取された細胞」とつながる人間の赤血球
 2012年11月28日


という記事に書かせていただいたことがあります。

そういえぱ、「赤」といえば、

赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ。そして、過去の同じ現象の時に「イスラエルの建国」があった
 2014年04月06日

というタイトルの記事から何度か取り上げている、「4回連続する皆既月食」のことや、それと関係している旧約聖書『出エジプト記』に書かれている、

「すべての初子を撃つという厄災」

について、この「赤い月」と「赤い川」、そして、「犠牲の赤い血」の間にも旧約聖書を通して、リンクが生じます。




すべての初子が消えていく厄災

ところで、「赤い月」という意味は、皆既月食では下のように月が血のような赤になるからです。

blood-moon-03.jpg


この「赤い月」とか「黒い太陽」(皆既日食のこと)は、聖書にはよく出てきて、たとえば、「ヨエル書」というものには、

ヨエル書 3章4節
主の日、大いなる恐るべき日が来る前に
太陽は闇に、月は血に変わる。


というくだりがあります。

これは、皆既日食と皆既月食が同じような時に起きることを示しているのかもしれないですが、ちなみに、どうでもいいことかもしれないですが、直近ではそれが起きる時期が 2015年 3月から 4月にかけてあります。

nissan-01.gif


この時の 2015年 4月 4日の皆既月食に時にも、イスラエル最大の祭事である過越(すぎこし)の祭がおこなわれます。

この過越の祭りというのが、「犠牲(の血)を捧げる」ことにより、厄災を避けたことが由来となっている祭事であることは、過去記事、

「神の意志、あるいは悪魔の輪郭」 : 北緯 33度線にある韓国の済州島。そして「血の月」の連続と共にユダヤ教では祭りに突入
 2014年04月18日

などに書いたことがありますので、ご参照しただければ幸いです。

この場合、犠牲となるのは子羊で、その血を「各自の戸の鴨居に塗る」のです。
もちろん子羊の血の色も「赤」です。


そして、旧約聖書『出エジプト記』には、「赤い川」も出てくるのです。

このことは、2012年2月に、「レバノンで血が赤く染まる」という出来事をご紹介した時に書いたことがあります。

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▲ 過去記事「血の川の出現:原因不明の理由で真っ赤に染まったベイルートの川」より。


ちなみに、私たちにはあまり馴染みのないレバノンですが、この国の宗教構成は下のようになっています。

rever-none1.jpg
Wikipedia


少なからず、キリスト教の聖書とも関連のある国で「川が血の色となった」ことが現地で大きく報道されていたのは、出エジプト記の下の部分があったからではないかと思います。日本聖書協会より。


出エジプト記 7章19-20節

主は更にモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を取り、エジプトの水という水の上、河川、水路、池、水たまりの上に手を伸ばし、血に変えなさい』と。エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう。」

モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。




ここから、「神による十の厄災」が始まるわけです。

その内容は、

1. ナイル川の水を赤い血に変える。
2. 無数の蛙をエジプトの地に覆わせる。
3. しらみとブヨを大発生させ、エジプトの民や家畜に害を及ぼす。
4. アブの群れによる災害。
5. 牛馬に疫病が拡がる。
6. 人や家畜に膿みや腫れができる。
7. 雷と雹による災害
8. イナゴの猛威
9. 暗闇での災害
10.人から動物に到るまですべての初子の死亡


というもので、結局、いろいろとありますが「10」のことをなすための厄災であるわけです。そして、これを避ける方法が、イスラエルで古くからおこなわれている過越の祭りであり、それは、犠牲の象徴としての血の「赤」なんです。





「善は悪から生まれる」と同じことを述べる日月神示とメリン神父

先日の、

ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係。そして、バチカンに正式に承認された「国際エクソシスト協会」の存在
 2014年07月26日

という記事とその少し前の記事で、映画『エクソシスト』から偶然、日月神示の「冒頭の原文」に行き着いた話を書きましたが、その後、内容的にも、小説の『エクソシスト』と日月神示では、同じようなことを書いている部分を多く見出します。

たとえば、上の記事では、小説『エクソシスト』で、メリン神父が述べる下の台詞を抜粋しています。


「このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな」


そして、日月神示にも下のような箇所が1度ならず出てきます。

ひふみ神示データー「ひふみ神示 第21巻 空の巻」より抜粋しますと、たとえば、


第21巻 空の巻 第八帖

悪も元ただせば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ



というくだりがあります。

その後の、第十帖には、


第21巻 空の巻 第十帖

此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取違ひ禁物ぞ。



とあります。

この短いふたつの部分だけで読んだ通りに理解させていただければ、

「悪は、そこから善が生まれるための貴重な存在だった」

ということになりそうです。
「此の方 悪が可愛いのぢゃ」と、悪に対しての惜しみない愛情さえ示されています。


しかし、「もう悪の世は済んだ」とも書かれてあります。


善が出現することによって、その「産みの親」だった悪は不要となる世界の出現を示しているようです。

私はこの考え方に納得できる部分もありますし、釈然としない部分もありますが、「どうして悪があるのか」ということに対しての答えを見出すことは、どのように考えても難しいです。


ところで、先の記事には書きませんでしたが、小説「エクソシスト」では、先の台詞に続けて、メリン神父は次のようなことまで述べています。


「そしておそらく、大悪魔(サタン)でさえもが −− その本質に反して −− 何らかの意味で、神の意志を顕示するために働いているともいえるのだ」



そして、これは現実に「エクソシズム(悪魔払い)」の拡大によって、キリスト教会の新しい役割を顕示しようとしている現在のバチカンの存在を思い浮かべます。

vat-exorcist-2.gif
CBC ニュース。訳は過去記事


いずれにしても、この1〜2ヶ月、世界的な出来事でも、個人などの小さな出来事でも、

・血
・悪
・犠牲


というキーワードを感じることがあまりにも多いと思われるのは私だけではないと思います。

果たして、ここから「善」など生まれるのか・・・。
それはわかりません。