2014年08月13日



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14世紀前の全世界的な病気の大流行の後に登場したイスラム教。そして、現代の狂気「イスラム国(IS)」と病気の時代の関係


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▲ 2014年8月10日の英国インターナショナル・ビジネス・タイムズより。



削除されつつある「Wikipedia - パンスペルミア説」を偲ぶ余談

上の「エボラ・ウイルスは宇宙からやってきた」という記事は、今回のテーマとは関係ないのですが、この「生命が宇宙からやってきた」とするパンスペルミア学説は、 In Deep の最も書記の頃からの重大なテーマでもあり、かつてはよく書いていたのですが、もう書き尽くしちゃって、最近は新しく書くことがあまりないんですよ。

それがエボラと絡んだ上の記事を見まして、つい表紙を載せた次第です。
内容は通常のパンスペルミア説と同じものです。

パンスペルミア説の過去記事は、カテゴリー「パンスペルミア」などにありますが、私の場合は、単に宇宙から生命がやって来たという考えと共に、たとえば、2年くらい前の過去記事の、

ウイルスの流入の繰り返しでDNAの進化をなし得てきた人類をサポートする「宇宙と火山」
 2012年09月23日

などでも書きましたように、

・宇宙からの生命(細菌、アミノ酸、あるいは DNA)の流入
・生物の「生と死」
・地球(地底)からの火山の噴出


が「地球上の生命の永遠の循環状態を作っている」というように考えています。

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生命は死んでも DNA も有機物も残します。

ところで、現在(2014年8月12日現在)、 Wikipedia のパンスペルミアのページが「削除審議」となっています。

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削除理由は著作権の問題らしく、その削除依頼の過程などは、こちらにありますが、 Wikipedia 内の他のページ(生命の起源)の中にあるセクションの「パンスペルミア仮説」からの転載が問題となっているようで、「 Wikipedia 内の闘争」のようですが、まあ、記しているのは科学的な立場にある人だと思われ、科学の論争の世界もなかかなか大変なようです。

さて、ここまでは余談でしたが、しかし、あながちまったく関係ないとも言えない部分もある話でもあります。




実は同時多発的に発生していた今回のエボラ出血熱

過去記事の、

西暦 541年の東ローマ帝国でのペスト襲来に関してのヨーアンネースの記録
 2012年09月20日

という記事は、デイヴィッド・キーズというイギリス人ジャーナリストが 2001年に出版した『西暦535年の大噴火』(原題は「カタストロフィー」)の内容からせ記したものでした。

それは、535年頃からほぼ6世紀全体にかけて、しかも「世界全体の規模」で広がっていた異常気象と、それに続く世界的な「病気の拡大」について書いたものでした。

西暦 535年以降の6世紀の全世界では、たとえば、ヨーロッパでは人口が半減し、他の多くの国でも似たような膨大な死者を出した感染症が繰り返し流行しました。その病気は主にヨーロッパや中東などでは腺ペスト、日本を含むアジアでは天然痘だったとされています。

そして今は、エボラ出血熱の拡大が大きなニュースとなっていますが、エボラ・ウイルスそのものは、(今のところ)空気感染しないもので、(今のところ)感染力が強いものとはいえないですので、今後、さらに世界的な問題となっていく可能性はさほどないとは思う・・・のですが、そればかりは、やはり「実際に拡大を続けている途中の病気」のことですので、何ともいえないことです。

ところで、先日、

エボラ患者がアメリカへ搬送された理由。あるいは、生物兵器として有効化し始めたかもしれないこと
 2014年08月07日

という「生物兵器」などという単語の入っているタイトルの記事を書きましたが、このような、

「人為的」な部分

で考えてみても、あるいは、先に書きました、

「すべてのウイルスはもともと宇宙から来ている」というパンスペルミア説

のどちらの点から考えてみても、今回のエボラ出血熱の初期段階での流行には、大変に重要な事実があります。

それは、

人的な接触のない複数箇所で同時に発生した


ことです。

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▲ 2014年4月4日のアルジャジーラより。


このことについては、

アフリカのエボラ・ウイルスはギニアからの感染拡大ではなく「同時多発」で発生していた可能性
 来たるべき地球のかたち 2014年04月05日

という記事に書きまして、

・ギニアで発生したエボラ出血熱患者
・リベリアで発生したエボラ出血熱患者


の間には、少なくとも人的な接点はまったくないことが確認されています。

そもそもが、エボラ・ウイルスは、患者とかなり接点が強い人でなければ感染しにくい病気ですので、最初の頃に発生したギニア、リベリア、シエオラレオネの同時多発的な病気の発生はとても興味深いものがあります。

先にも書きましたように、その理由が、

人為が絡むもの

であろうと、

宇宙から流入したもの

であろうと、どちらの理由であってもです。

しかし、どちらかというと恐いのは「宇宙から流入したもの」の方で、その理由は、大気の循環等により、全世界的な同時発生をおこさないともいえないようにも思うからです。




1400年前の病気の時代

全世界は6世紀にも「世界規模での感染症の大流行」を経験しています。

以下は、ほんの少しの地域の話となりますが、『西暦535年の大噴火』より 東ローマ帝国と、日本の当時の状況の抜粋です。

西暦541年 東ローマ帝国首都コンスタンティノーブル(ヨーアンネースの記録)

天罰がこの都に重くのしかかった。まず襲われたのは路上に横たわっていた貧者たちだった。一日のうちにこの世を去っていった人数は、五千人から七千人、さらには一万二千人、そして、ついには一万六千人にのぼった。

だがこれはまだほんの序の口だった。役人たちは各港や十字路、そして市門の入口に立って、死人の数を数えていた。コンスタンティノーブル市民で生き残っている人はごく少数になった。

すぐさま埋葬所が足りなくなった。町には死臭が立ちこめた、担架も墓堀り人もいなくなった。遺体は路上に積まれていった



日本 530年代(日本書紀などより)

異常事態が起こった。ひどい伝染病(おそらく天然痘)が日本で発生したのである。多くの人びとが亡くなった。日本では何世代も前から天然痘が流行したことはなかったので、免疫もほとんどなかったに違いない。

「国に疫病がはやり、人民に若死にする者が多かった。それが長く続いて、手だてがなかった」と『日本書記』には書いてある。とくに被害に大きかった地域では、住民の九割が罹患し、生き残れたのは三割だけだったと思われる。



この日本での6世紀の病気について、『西暦535年の大噴火』では、天然痘と推測していますが、日本書紀に書かれている具体的な症状を現代語で記述すると、以下のようなものです。

「体が焼かれる……ように苦しい」その後、発疹に変化が現れる。そして発疹は顔面を中心に始まって、体の下のほうへ広がっていく。とくに多く出現するのは手足だ。そして皮膚に無数の水疱があらわれ、最後には、直径7〜8ミリという大きめの膿疱になる。

患者の5パーセントは内出血のため数日で死亡した。もっとも、患者の大半は天然痘で死ぬことはなく、結局は肺炎と敗血症でおのおの三割が亡くなったものと思われる。



ちなみに、この「天然痘」。 Wikipedia によりますと、「初期の細菌兵器」として、300年くらい前にすでに、アメリカ大陸に侵攻した白人たちによって使われていた実例が記述されています。

フレンチ・インディアン戦争ポンティアック戦争では、イギリス軍が天然痘患者が使用し汚染された毛布等の物品をインディアンに贈って発病を誘発・殲滅しようとした。19世紀に入ってもなおこの民族浄化の手法は続けられた。


どんな国でも、病気の大流行は、その後の政治や宗教(6世紀の日本なら仏教との関連)の状況を大きく変えていくことになりますが、中東でイスラム教が台頭するキッカケとなったのも、実はこの「病気の流行」と関係があります

上に書きましたように、東ローマ帝国がペストだと考えられる病気により極端に衰退したため、六世紀にイスラム勢力は一気にその支配領域を拡大することを可能にしたのでした。ちなみに、イスラム教の始祖ムハンマドが、アラビア半島のメッカで、アッラーの啓示を受けたのは、西暦 610年です。





狂気の「イスラム国(IS)」も「病気の時代」に出現した

ところで、このことを詳しく書きと、少し長くなりすぎるかもしれないですので、別の記事として書くかもしれないですが、最近の記事、

イスラム国(ISIS)がイスラエルへの戦闘開始を誓った日。そして、ユダヤ人とクコの木の関係から知る「すでにイスラム教徒でさえない」かもしれない彼ら
 2014年08月04日

という記事の最後のほうに、私は、

ムハンマドの言葉さえ無視するかのような書き込み

とか、

もう、この「イスラム国」という集団は、イスラム教の集団でさえなくなっているのかもしれない

などと書きましたけれど、改めてコーランの部分部分を見てみると「イスラム国」が現在おこなっているような、狂気ともいえる殺戮は、コーランの教えに背いているわけではないかもしれないことも伺えます。

ところで、最近の下のニュースをご存じでしょうか。

豪首相、同国出身のIS戦闘員による残虐写真を非難
AFP 2014.08.11

オーストラリアのトニー・アボット首相は11日、イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国( IS )」に所属するオーストラリア人の男が、シリアで切断された頭部を持ち上げる7歳の息子の写真を公表したことを受け、「テロリストたちの野蛮さ」を非難した。

この写真は、昨年シリアへと渡り、現在はISの戦闘員として活動する「カレド・シャローフ」と名乗る男がシリア北部の都市ラッカで撮影し、ツイッターに投稿したものだという。

写真では、シドニーで育ったシャローフの7歳の息子が、極めて普通の子どもらしい青いシャツとチェック柄のズボン、野球帽といういでたちで、殺害されたシリア兵の頭部の髪をつかんで持ち上げている。写真には「これぞわが息子」との一言が添えられている。

同紙が掲載したもう1枚の写真には、迷彩服姿のシャローフが、息子たちとされる3人の男児と写っており、全員がISの旗の前で銃を手にしている。



要するに、切断したシリア兵の頭部を自分の7歳の息子に持たせて、しかも、「これぞ私の息子だ」と自慢げにツイッターに投稿したという出来事です。

下はその写真と共にツイッターに投稿された「家族の写真」で、右の男性が父親で、左の3人が息子です。

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RYOT


上のリンクには AFP の記事にある「子どもが首を持つ」写真(修正されています)もあります。

通常に考えると、さすがに「狂気」を感じざるを得ない光景ですが、イスラム教の聖典コーランの下の部分などを読みますと、そこには「敵は殺すことが掟」という姿勢が鮮明に書かれていることに気づきます。

コーラン 第8章第12節

主は天使たちに向かって、そっとこんなふうに言いたもうた。
「汝らにはわしがついておる。信者たちをしっかり立たせよ。無信仰な者どもの心の中には、わしが臆病風を吹き込んでやるゆえ、汝らは彼らの頸(くび)の上を打ちのめしてやるがよい。彼らの指の先まで一本一本叩きのめしてやるがよい」



そして、相手を殺しても、それは自分がやったことではな神(アッラー)がおこなったことなのだから、罪の意識を持つ必要はないというニュアンスのことも書かれています。

第8章第17節

彼らを殺したのは汝ら(イスラム教徒)ではない。アッラーが殺したもうたのだ。射殺したのはおまえでも、実はアッラーが射殺したもうたのだ。



さらには、「捕虜にしないで殺すべき」というようなことも書かれています。

第8章第67節

およそ預言者たる者は、地上の敵を思う存分殺戮したあとでなければ、捕虜など作るべきではない。




何となくひたすら非道にも思える響きに思えるかもしれないですが、しかし、これと似たようなニュアンスは、他の宗教聖典にも見られることで、たとえば、旧約聖書のヨシュア記の第 6章 18-24節には、

・生き物は男も女も子どもも動物もすべて殺さなければならない
・儀式の一環として、建物と所有物はすべて焼かなければならない


という意味の記述がされています。

ヨシュア記/ 6章 17節

町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。



6章 21節

彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。



6章 24節

彼らはその後、町とその中のすべてのものを焼き払い、金、銀、銅器、鉄器だけを主の宝物倉に納めた。



こういう「全滅」や「殲滅」という思想は、宗教だけではなく、政治的な思想なども含めて、「この数千年間の人間の歴史」ではよく見られたことですけれども、そのような「狂気」の台頭は、

・異常気象
・自然災害
・それらによる飢饉
・疫病の大流行
・太陽活動


というものと連動して起きてきていたことが、冷静に歴史を見てみるとわかります。

さて・・・そして、「現代」はそれらの過去の教訓を生かせるのかどうかといえば・・・多分あまり生かすことはできないのではないのかと思えてしまう自分がいます。

現時点で生かされていないですから。

いずれにしても、世界はあらゆる面から正念場に差し掛かっている可能性を感じないではいられない部分が大きくなってきているようです。