2014年08月31日



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世界各地で黙示録的な光景が日常となり、「イスラム国」が生物兵器を計画し、エボラウイルスが急速な突然変異をしながら拡大しているような「死」の時代に「死の意味」を考える


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▲ 2014年8月31日の英国 The Times より。この記事については後半に記します。写真は、イギリスでの生物兵器テロの訓練の様子。



死と共に始まるカオスと新しい宇宙の形成の準備

少し前の記事、

ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていたものがあることに気づいた日
 2014年08月26日

の中で、ジョン・レノンが、結果として 528Hz のワンコード進行となった曲の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のことを書いたことがありますが、その「歌詞」について、 Wikipedia の記載では、

歌詞は、ティモシー・リアリーがチベットの『死者の書』を基にして書いた『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』に触発されたもの。

とありました。

その「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の歌詞の最初の部分の日本語訳は下のようなものです。

こころのスイッチを切って、
リラックスして
流れに任せなさい

死んでいくのではない
死んでいくのではない


とあり、

「これって、いわゆる、《人が死ぬ時》のことを書いているわけだよなあ」

ということに初めて気づきまして、そういう意味では、このジョン・レノンの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」という曲は「臨終の際の心構えの歌」だということを知ることになったわけです。

そのような曲が、偶然(意図的にやったのでは、あまりにもつまらないことですので)もっとも重要な周波数で構成されているということに興味を持ち、歌詞の意味も知りたくなりました。

そんなわけで、ジョン・レノンのこの曲の歌詞に影響を与えたティモシー・リアリーというハーバード大学の教授が 1964年に出版した『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』を古本で買ったんです。

ちなみに、私はオリジナルと言える『チベット死者の書』を読んだことがありません。

それを通り越して、いきなり「サイケデリック・バージョン」を読むことになったわけですが、この本には、チベット死者の書の解説というのか、そのことについて多く書かれていて、『チベット死者の書』を読んでいないこと自体にはあまり問題はないようです。

まだ適当にページを開いてパラパラ読んでいるだけなのですが、つくづく思うのは「読書のシンクロニシティ」とでもいうのか、最近読んでいた様々な系統の本、それは、たとえば、シュタイナーの『いかにして高次の世界を認識するか』に書かれているような、

高次の世界への移行

という概念や、あるいは、そのようなスピリチュアルとはまったく無縁な、アメリカの最先端医療の現場で数十年にわたり、9千人もの患者の最期を看取ってきたヌーランド医師の『人間らしい死にかた―人生の最終章を考える』に数限りなく実例として綴られている、

現実世界の人間の最後の様子

なども含めて、あるいは、今回の『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』を(まだ少しですが)読むに至り、それぞれで意味は違っても、すべてに「共通して説明されている」ことは、

死という現象の解釈

であることに気づきます。

シュタイナーは著作の中で何度も「受肉」という言葉を使います。

これは、肉屋で買った肉を受け取る行為ではなく(そんな注釈要らんわ)、

「肉体を持つ人間としてこの世界に立つ」

ことを言うようです。

そして、シュタイナーは、我々のいるこの、肉体を持ち、物質が存在する人間社会を「感覚的な世界」というように言うのですね。

『いかにして高次の世界を認識するか』には下のような下りがあります。

かつて、あなたたち人間は全員、感覚的な世界から高次の世界のための力を取り出すという仕事をはたすために、感覚的な世界の中に降りなくてはなりませんでした。


この「感覚的な世界」の反対を、シュタイナーは「霊的な世界」と表現します。

しかし、この「霊」という言葉、現在の日本語では、私たち日本人には、どうも幽霊とか恐怖新聞とか稲川淳二とか、そういうイメージを伴うオカルト的な怪しい響きを持つ言葉ですが、いわゆる英語の「スピリッツ」というか、日本語の「魂」というか、そんなような意味での「霊的」というものだと思われます。

その「霊的な世界」というのは、

肉体だとか物質だとか、そういうものから成るものではない世界

ということになり、じゃあ、その世界には何があるのかというと、それは私にはシュタイナーの本だけではよく理解できませんでした。

ただ、このあたりは、たとえば、聖書「ヨハネによる福音書」 1章 1節の、

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

とか、その後の 1章 14節の

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。

とか、そういう表現にあらわれている感じもしますが、『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』にある以下の感じが、もっとも私の持っていた感覚に使いものがありました。

たとえば、下のような記述。


このことを覚えておいてもらいたい。
休みない生命電気の向こうに、究極のリアリティ、空(くう)があることを。
形や色をもったものに形成されないあなた自身の意識は本質的に空なのだ。
最終的なリアリティ。
完全な善。
完全な平和。
光。      (中略)

この空(くう)は無ではない。
カオスであり、混沌なのだ。
カオスは始まりであると同時に終わりであり、絶え間なく変化しながら輝き、脈動し、至福をもたらす。



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・『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』表紙。




この世は存在「しない」という真実の意味

もともと、私がブログに In Deep というタイトルをつけた理由は、漫画家のしりあがり寿さんが、今年の春の受勲で、紫綬褒章を受賞した時に書きました、

30年目のエレキな春:精神圏へ移行する人類の覚醒後の姿を夢想させてくれた『弥次喜多 In Deep 』と作者への感謝
 2014年04月28日

という記事のタイトルが示している通り、しりあがり寿さんの長編漫画『弥次喜多 in DEEP』のテーマである(と私が勝手に思っているたけですが)以下の、

実際にはこの世は存在しない

という概念に興味と敬意を持っていたことでつけたものです。

しかし、「存在しない」というのは、「無という意味でもない」とも、また思っていました。

それがシュタイナーの言葉いう「霊的な世界」というものなのかどうかはともかく、「存在しない」のは肉体や物質のことであり、

「なんか」はあるのだろうけど

とは、ぼんやりと思っていたりしたわけですけれど、そして、上の『チベットの死者の書 サイケデリック・バージョン』に、

この空(くう)は無ではない

とあり、何となく、「ああまあ、やっぱりそうだよなあ」と曖昧に納得しつつ、そしてまた、そこに続いて記載されている、

この空(くう)はカオスであり、混沌なのだ

という下りを見て、同時に、

世界のほとんどの「天地創造神話」が「混沌」から始まる

ということを思う中で、それまで、私が最も勘違いしていたことに気づいたのでした。

勘違いというか、つまり、私は今まで、

「ひとつの生命が生まれる時に新しい宇宙が生まれる」

と考えていたのですけれど、「新しいの準備段階」のことを考えたことがなかったのです。どんな神話でも、新しい宇宙が生まれる前には必ず「混沌」がある。それが新しい宇宙の準備段階なわけです。チベットの死者の書にあるように「死ぬ時にカオスとしての空(くう)がやってくる」のなら、

「ひとつの生命が消える時に新しいカオス(新しい宇宙が形成される準備段階)が産み出される」

ということに気づいたのです。

これは、「生と死」がワンセットであると同時に、ひとりの人間の死(あるいは他の生物の個体の死)と「宇宙の誕生と終わり」がシンクロして起きるということでもあると感じます。

こうなってくると、「ビッグバン」という言葉を使っても別に構わない気もしてきます。もちろん、「物理的な意味」でのビッグバンだけはどう解釈しても理解できるものではないですが、「感覚的な意味でのビッグバン」なら理解できます。

つまり、たとえば、70億人の人間の「死」があるのなら、「 70億回のビッグバンがある」という表現でも構わないからです。あるいは、地球の「他の生物の死」のすべての回数はそれこそ無限でしょう。

なので、

毎瞬間「無限の数の宇宙の始まり」が常に起きている

という認識が正しいのかとも思います。

ただし、「意識で宇宙を形成するのは人間だけ」だと私は思っていますけれど。

いずれにしても、私は「死から宇宙が形成される」ということを考えたことがなかったのでした。

実際に、ジョン・レノンの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の歌詞で、『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』に影響を受けた・・・というより、そのまま歌の出だしの歌詞にしている部分があり、それは以下のようなものです。


心のスイッチを切れ。
静かに見つめ、聞き耳を立て、メッセージを受け取るのだ。
宇宙の原初の形を体験するのだ。



これを読む限り、すべての人間は死ぬ際に「宇宙の原初の形を体験する」ということらしく、つまり「感覚的なビッグバンの直前」の状態を経験し、そして、次の新しい宇宙の誕生と共に、「再生」、あるいは「受肉」し、また感覚的な世界へと輪廻していくものなのかもしれません。

ただ、それが前世とか来世とか言われるものと関係しているかどうかはわかりません。

なぜかというと、宇宙の「ひとつのサイクル」は、数十億年以上などというスケールのものですから、そのようなサイクル間での「感覚的な世界」が、今の世界で理解できるような状態や形態かどうかはわからないからです。


ちなみに、チベット死者の書では、航海者(肉体的に死亡した後の人)が「再生」に至る際に、そこには「6つの世界に戻ってくる」とされているそう。これはつまり、

6つの段階の自我のうちのどれかに再生する

のだそうです。

6つのうち、2つは通常の人間より高く、3つは通常の人間より低いのだそう。
参考までに『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』より抜粋しておきます。第3レベルより上が高く、第3レベルより下は低いということのようです。



チベット死者の書にある再生のパーソナリティの6つのレベル

最高レベル 西洋人が聖者、賢者、神の教師と呼ぶレベル(ただし、絶えず循環する快楽と自由なエクスタシーを伴う)。

第2レベル 阿修羅。タイタンや英雄と呼ばれる。通常の人間以上の力とヴィジョンを持つ。(絶え間ない戦争を伴う)

第3レベル 最も普通の人間のレベル。ネットワークの中で葛藤し、たまに自由になる。(絶望と隷属を伴う)

第4レベル 動物的な再生のレベル。犬、雄鳥、豚、アリ、土を這う虫などのイメージ。(願望の苦しみを伴う)

第5レベル 永遠に満たされることのない欲求を追い求め続ける霊、神経症者のレベル。(極端な暑さと寒さ、快楽と苦痛が伴う)

第6レベル 最下段のレベル。地獄、あるいは精神疾患のイメージのレベル。





最高レベルには例として、ブッダ、老子、キリストなどが挙げられていますが、最高レベルと、そして、最低のレベルに再生する人間は1パーセントにも満たないと同書には記されていて、多くは、第3レベルに再生すると書かれていました。

まあ、第3レベルの、

「社会の中で葛藤し、たまに自由になる。そこには絶望と隷属が伴う」

という状態の人は、確かに今の社会で最も多い感じもします。

ちなみに、この表を見て、私は自分が今、位置している自我の世界を知ることになりました。

それは下から2番目の「第5レベル」です。

通常の人間のレベルよりかなり低いですが、ここに書かれてあることがほとんど当てはまるので、間違いないでしょう。一歩、間違うと、最下段の「第6レベルあたり」にも足を突っ込んでいるかもしれないですが、そこまで「地獄」的な世界にいる感じもないですので、第5レベルあたりで了承していただきたいということで(誰に語りかけてるんだよ)。

まあ、自我にしても肉体の機能そのものにしても、私は生まれた時から普通の人たちより劣っていることはずっと自覚し続けてきまして、そして、十数年前くらいからは、低いレベルの人間であることに順応して楽しく、あるいは充実して生きる術を手にしたわけですから、とても納得のいく「再生」の時かもしれません。

ある意味で、私はこれまでの人生をとても満足に思っています。

もちろん満足に思っていない部分も多く、その顕著なものはレベル5に書かれてある「永遠に満たされることのない欲求を追い求め続ける」部分を持ち続けていることと、生まれた時から持っているとしか思えない「魂の傷的な恐怖のトラウマ」です。

・・・というか、これらのことは前書きとしてちょっとだけ書くつもりだったのですが、何だか、もしかすると、ものすごく長くなっている?




「死」のイメージの足音。イナゴ、ペスト、そして進化

いずれにしても、このブログでは、災害にしても病気にしても、「結果としての死」について取り上げることが多く、まして、最近は、

赤い月と黒い太陽: 2014年から 2015年まで「4回連続する皆既月食」がすべてユダヤ教の重要宗教祭事の日とシンクロ
 2014年04月06日

という記事などから書き始めている「来年9月まで続く(かもしれない)大量死の時代」ということも、最近の記事の方向性としてはあります。

ところで、上の記事の中で、「イスラエルでイナゴの大群が発生した」ことと聖書などの記載についてのことや、その関係のことを書きました。イスラエルではないですが、今、マダガスカルでの首都がイナゴの大群に荒らされているという事態が起きています。

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▲ 2014年8月30日の Design Trend より。


上の写真は、マダガスカルでの首都アンタナナリボの様子で、「黒い霧」のように見えるものがイナゴなんですけれど、これは動画で見たほうが、その迫力のようなものがよくわかるかと思います。




このマダガスカルのイナゴの大発生は今に始まったものではなく、2012年から恒常的に続いているものなのですが、それがピークに達してきているようです。

数は数百万匹とも数千万匹とも言われますが、農作物が徹底的に被害を受けていることに加えて、今度は「都市部」でさえも上の有り様となっています。

上の報道のタイトルに「聖書のような」とありますが、これは、記事に出てくる、マダガスカルの宣教師の以下の言葉から連想してつけられたようです。

「聖書の出エジプト記にある《十の災い》を思い出します」

おお、「出エジプト記の十の災い」……。

この「出エジプト記の十の災い」こそ、先にリンクいたしました過去記事「赤い月と黒い太陽……」や「大量死」とも繋がることでもあるのですが、それはふれると長くなりますので、過去記事の「聖書に記載されているユダヤ教の祭の直前にイスラエルへ向かった3000万のイナゴの大群」という記事に書きました聖書の「出エジプト記」の 10章 13-15節を抜粋したものを記しておきます


モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。

いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。



そして、この「十の災い」の十番目は、「すべての初子を撃つ」というものです。




「イスラム国」のペスト兵器計画と、「突然変異」し続けるエボラウイルス

冒頭に貼りました「腺ペストを広めるための計画が「イスラム国」のパソコンの中から発見される」というニュースは、昨日、英国を中心として、突如として広く報道されました。

デイリーメールなど読者数の多いメディアでも取り上げられていましたので、かなり大きく認知されたものとなっているはずです。

冒頭の記事の概要を記します。



ISIS plan to spread bubonic plague is found on laptop
Times 2014.08.31

腺ペストを広めるための計画が「イスラム国」のパソコンの中から発見される

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▲ シリアの街中を行進する「イスラム国」のメンバー。 Daily Mail より。


過激派「イスラム国」が生物兵器を手にしようとしていることが明らかになった。腺ペストを培養し、それによる民間人に対しての壊滅的な攻撃を計画しているという懸念が高まっている。

計画文書は、「イスラム国」に所属する戦闘員が持っていたノートパソコンの中から見つかった。このパソコンは、シリアの反政府グループにより、元「イスラム国家」のメンバーが隠れ家として使用していた建物で発見された。

それと共に「イスラム国」は、大量破壊兵器を獲得するための方策を検討していることもその計画文書では示されているように見える。かつて、アルカイダがそのような大量破壊兵器を獲得しようとしていたが、現在、世界で最も資金力の豊富なテロ組織である「イスラム国」がその計画を踏襲しようとしているようだ。





というものです。

正直に言えば、「ちょっと奇妙な感じをおぼえるニュース」ではあることはあります。

たとえば、「そんな重要な計画が入っているノートパソコン(持ち運べるからノートパソコンなのに)を、書類や起動時のパスワード制限などもかけずに置きっぱなしに?」という単純な理由もそうですが、あるいは、この報道の前日に、


英政府 テロ警戒レベル引き上げ
NHK 2014.08.30

イギリス政府は、イラクやシリアでイスラム過激派組織「イスラム国」が勢力を拡大している情勢などを踏まえ、イギリスでテロが起きる可能性があるとして、29日、テロへの警戒レベルを引き上げました。

イギリスのキャメロン首相は29日会見し、イギリス国内のテロへの警戒レベルを1段階引き上げ、5段階のうち上から2番目に見直したと発表しました。

キャメロン首相は会見で、イスラム過激派組織「イスラム国」について、「イラクやシリアの中にイスラム国家を作ろうとしており、イギリスの安全にとっても脅威になっている」と強い警戒感を示しました。


というようなこともこともありました。

つまり、今回の一連の「イスラム国」に関しての報道などに関しては、「イギリスが主導になって発信している」という共通の状況があるようなんですが、何しろ、イギリスといえば、過去記事、

イギリス政府の機密作戦の結果が教えてくれる「私たちのいる現実の世界」
 2014年02月28日

に書きました諜報機関「政府通信本部」(GCHQ)がありまして、この中の「合同脅威研究情報班」という部署は、

インターネットを使って情報と人々の感情をコントロールする

あるいは、

実際の出来事を現実世界とインターネットの世界での情報操作によって作り出す

という試みを続けていることが最近明らかになった機関であるわけです。

それらの「インターネット上での情報と扇動」に関しては、

パンドラの箱が開いてしまったかもしれない2014年
 2014年07月22日

という記事に記したことがありますが、今後もインターネットなどを介していろいろと「恐怖」に関しての報道もあるかもしれないです。

そのような時に大事なことは、事実だとかウソだとか自分で決めつけることではないです(真偽は私たちにはわからないことですので)。大事なことは、上の過去記事から抜粋しますと、


自分たちが扇動されないためには、自分たちが「扇動する側と同じ精神的状況でいること」が大事だと思われます。

扇動する側と同じ精神的状況とは、つまり、「」です。

冷静という意味での「静」です。

淡々と冷静に作り上げられる事柄には、同じく淡々と冷静な感情での対処しか方法がないように思われます。

怒り、憎しみ、あるいはすべての突発的な激情型の行動、などからは、むしろ悪い作用と結果しか発生しないはずです。



このことを念頭に情報に接していればいいのだと思います。

たとえば、何か残酷な報道(斬首だとか処刑など)に接しても、あまり感情を動かすことなく接していたほうがいいように思います。

ちなみに、最近気づいたのですが、この「感情を穏やかにさせる」のには、ソルフェジオ周波数のいくつかの音は確かにいいものです。423Hz や 528 Hz が自分にはいいですが、YouTube で検索してもいろいろとあります。

また、最近、エボラウイルスのゲノム解析がおこなわれ、そのウイルスは非常に数多くの「突然変異を繰り返している」ことがわかっています。

これは、

エボラウイルスのゲノムが判明。その遺伝子数は「たった7個」。そして現在、エボラウイルスは急速に「突然変異」を続けている
 2014年08月30日

という記事に書きましたので、よろしければ、そちらをお読み下さい。

ウイルスの突然変異の状況によっては、現在開発されていると言われるエボラウイルスへの「ワクチン」、あるいは「治療薬」などの効果に対しても様々な憶測が出そうです。つまり、「効かなくなる」というような意味での憶測です。


いずれにしても、大量死の時代はまだ続くかもしれません。

その中で私たちがすべきことは、「起きている実際のこと」に適切に対処することであり、それ以上に恐怖する必要もなければ、意味のない悪感情を抱く必要もないと思っています。

さらには、最初に書きました「死の実相」についての「意味」があります。

死は何なのか。
そんなに簡単に理解できることではないでしょうけれど、考えてみたいとは思っています。

もちろん、「死者の書」のように悟ることはもちろん今の私には(あるいは未来の私にも)できないですが、仮に今が大量死の時代ならば、「死」への恐怖をどのように軽減させながら生きていくのかが、今の私の課題でもありますし、あるいは今の世界全体に必要なことでもあるのかもしれません。