2014年11月16日



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眠りにつく太陽:過去1万年で最も速く太陽活動が低下していく現状に、マウンダー極小期の再来を予測する英国の科学者たち



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▲ 2014年1月17日の英国 BBC Has the Sun gone to sleep? より。


彗星着陸艇フィラエのその後

前回の記事、

彗星の正体の判明はどうなる?:彗星に着陸した探査機ロゼッタの着陸機フィラエが電力不足により稼働できなくなる可能性
 2014年11月14日

で心配されたロゼッタの着陸機フィラエですが、その後、欧州宇宙機関から「休眠状態」となったことが発表されました。

電池切れ…彗星着陸機「フィラエ」が休眠状態 観測・通信ストップ、太陽光乏しく充電できず
産経ニュース 2014.11.15

欧州宇宙機関(ESA)は15日、世界で初めて彗星に着陸した探査機「ロゼッタ」の着陸機「フィラエ」の内蔵電池が切れ、休眠状態になったと発表した。太陽光発電による充電を試みるが、再稼働できるかは不透明。

観測機器やシステムが停止、通信も途絶えた。彗星の内部物質を調べるため表面を約20センチ掘るなどした初期観測のデータは地球に届いており、今後詳しく分析する。

ということで、通信も途絶えてしまったようです。

現在のフィラエの予想される位置

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ところで、フィラエの親機であるロゼッタも今年1月まで「3年間」休眠していました。
当時の CNN の報道からです。

彗星探査機「ロゼッタ」が再起動に成功、3年ぶり地球と交信
CNN 2014.1.21

宇宙空間で冬眠状態に入っていた欧州宇宙機関(ESA)の彗星探査機「ロゼッタ」が1月20日、約3年ぶりに再起動し、地球に信号を送信した。8月にはチュリュモフ・ゲラシメンコ彗星(67P)に接近して探査を開始する。

ロゼッタは2004年に打ち上げられ、現在は太陽から約8億キロ、木星の軌道を通過した付近にある。かすかな太陽光しか届かない区間での電力を節約するために、2011年6月以来、ほとんどのシステムの電源を落としていた。


このような「休眠」は NASA の探査機や観測衛星ではあまり聞かないですが、その理由は NASA は動力に太陽電池ではなく、原子力電池を使っている探査機が多いためで、欧州や日本は基本としては原子力電池を使用していませんので、こういう可能性は常にあるようです。

太陽電池は、文字通り太陽頼みの動力ですが、今回の記事は、その太陽自身が「休眠」に入ったかもしれないということについてです。




過去1万年で最も速く太陽活動が低下している

現在の太陽活動周期であるサイクル24が異常なほど弱いということ自体については、たとえば、過去記事の、

太陽活動が「過去200年で最も弱い」ことが確定しつつある中で太陽活動は復活するか
 2013年10月21日

など何度か記したことがあるのですが、今度は 200年というような単位ではなく、「1万年」という大きな単位が出てきています。これは冒頭の BBC の記事の中で、イギリスの科学者たちなどが「現在の太陽活動は過去1万年で最も速く低下している」というようなことを言っているのです。

この BBC のニュースは動画ですので、言っていることを正確に書けているかどうかわからないですが、マイク・ロックウッド(Mike Lockwood)教授という方や、英国ラザフォード・アップルトン・ラボラトリーという科学研究所の宇宙物理学部門局長のリチャード・ハリソン(Richard Harrison)という方などが、現在の太陽活動の状況は過去1万年で最も速く低下し続けているとして、

「今後、40年以内にマウンダー極小期と同じような活動状態となる可能性は 20%」

と述べています。

さらに、

「太陽は異常な小康状態にあり、眠っていると表現してもいい」

として、そのことに多くの科学者たちが戸惑いを見せているというものです。

これらの主張は現在の太陽活動そのものが過去1万年で最も弱いという意味ではなく、「低下する勢いが異常に速い」ということを述べているのだと思われます。

下の図は、太陽黒点の正確な観測が始まった 1755年から 2013年までのすべての太陽活動周期の太陽活動の強さを比較したものです。

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太陽活動が「過去200年で最も弱い」ことが確定しつつある中で太陽活動は復活するか


過去の約 260年間では、1823年から 1833年までの太陽活動周期サイクル6が最も太陽活動が弱かったことを示していて、現在のサイクル24は 1800年代の初めころから 200年ぶりほどの活動の弱さを見せている(黒点が少ない)ということになっています。

つまり、現在の黒点活動だけからいえば、「過去1万年で最も弱い」というようなことはまったくないのですが、「活動の低下の速度が過去1万年で最も急激だ」ということのようで、このままのペースでいくと、マウンダー極小期のような、太陽活動が極めて弱い時代が訪れても不思議ではないということのようです。




マウンダー極小期の時代を改めて振り返る

ちなみに、マウンダー極小期という言葉は、 In Deep に、わりと頻繁に出てくる単語ですが、私本人も年代とか起きたことを忘れがちですので、 Wikipedia の説明を抜粋しておきます。

マウンダー極小期とはおおよそ1645年から1715年の太陽黒点数が著しく減少した期間の名称で、太陽天文学の研究者で黒点現象の消失について過去の記録を研究したエドワード・マウンダーの名前に因む。

マウンダー極小期中の30年間に、観測された黒点数は、たった約50を数えるだけであった。通常であれば4万〜5万個程度が観測によって数えられるであろう期間である。

というもので、もしこの研究者の名前がエドワード・マウンダーでなく、チュリュモフ・ゲラシメンコとかいう名前だった場合、大変に覚えにくい極小期となっていた可能性があります。

それはともかく、その 30年間の地球の気候がどのようなものだったかというと、

> この時期のヨーロッパ、北米大陸、その他の温帯地域において冬は著しい酷寒に震え、暦の上では夏至であっても夏らしさが訪れない年が続いた。

日本の場合は、

> この時期の日本(江戸時代初期)は周期的に雨が多い湿潤な気候であった。

というような曖昧な説明しかないのですが、北半球の平均気温は、通常より 0.1 〜 0.2度低下したとされているようで、この 0.1度などという小さな数値を見るかぎりは、そんなに激しい寒冷期でもなかったようにも感じます。

というより、実は「地球の気温は太陽活動と関係なくあがったり下がったりしているのではないか」というような、やや暴論気味のことも言えるのではないかと思える部分もあるのです。

それは、最近の記事、

西暦1750年頃に「何らかの理由」で小氷河期の入口の手前から救われた人類
 2014年11月08日

に載せました「 2000年間の気温の推移(加重平均)グラフ」を見ても、そう思える部分があります。

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Climate Audit


西暦が始まって以来、何の影響によるものなのかはわからないですが、1700年代にかけて、どんどんと気温は落ちていき、そして、1700年代中盤に「突如」として気温は上昇を始めるのです。

その一方で、マウンダー極小期には「地球の受ける日射量は非常に少なかった」ということも、過去記事の、

太陽活動の過去と現在のデータが示す「新しい極小期」の到来の可能性と、新しい小氷期時代の始まりの可能性
 2014年11月11日

に載せました東京大学宇宙線研究所の科学者の書かれた論文の中にあるマウンダー極小期の地表の日射量のグラフを見ると、確かにこの時期の地球は、通常に比べて受ける太陽光量が非常に低かったことがわかります。

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中世の温暖期と近世の小氷期における 太陽活動と気候変動


この論文では、気候変動(10年変動)の要因として、

・日射量 0.1%
・紫外線 3%
・宇宙線 15%


となっていますが、他の部分が示されていないことからもわかるように、結局のところ、「気温の変動の理由はよくわかっていない」という面は強いようです。

火山噴火の影響もありますでしょうし、あるいは地熱の変化や海水温の変化などの関係もあるかもしれないですし、地球の気温の変化の仕組みを完全に解明するのは不可能に近いことのように思えます。

ただ、天候の話としては、

「宇宙線が増えると、雲が増える」

ということは理論はともかく、データでは科学的に間違いないはずで、そうなると、自然に、

「宇宙線が増えると、雲が増え、雨が増え、晴天が減る」

ということになり、上のマウンダー極小期の時代の説明にあった「この時期の日本は周期的に雨が多い湿潤な気候であった」というのも納得できます。湿潤というと、農作には良さそうな響きですが、マウンダー極小期は日照が決定的に少なかったのですから、農作は大変だったと思われます。

それは当時の飢饉の多さなどでもわかります。




当時の飢饉と気温の関係

江戸時代の飢饉のうち、マウンダー極小期(1645年から 1715年)に起きたものとしては、

寛永の大飢饉 1640年から 1643年
元禄の飢饉  1691年から 1695年


がありますが、ただ、江戸四大飢饉と呼ばれる、

寛永の大飢饉 原因は全国的な異常気象(大雨、洪水、旱魃、霜、虫害)
享保の大飢饉(1732年) 原因は冷夏と虫害
天明の大飢饉(1782年〜1787年) 原因は浅間山、アイスランドのラキ火山の噴火等による冷害
天保の大飢饉(1833年〜1839年) 原因は大雨、洪水と、それに伴う冷夏


のうち、寛永の大飢饉以外は「マウンダー極小期の後に起きている」ということもあり、太陽活動の著しい減少と冷夏の関係、あるいは、それによる飢饉の関係は必ずしもシンクロしているというものでもないようです。

ただ、上のほうに載せました加重平均による気温の推移のグラフを見ますと、江戸の四大飢饉の時期は、「過去 2000年間の気温の最低期間」のあたりであることがわかります。

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この江戸四大飢饉の中でも、天明の大飢饉は本当に凄まじいものだったようで、Wikipedia によりますと、最も被害が多かった東北他方を中心として、

飢餓と共に疫病も流行し、全国的には1780年から86年の間に92万人余りの人口減をまねいたとされる。

とあります。

ちなみに、当時の日本の人口は、

・1780年 2,601万人

・1786年 2,509万人
(6年間で約 100万人減)


となっていて、当時なら通常増え続けていたはずの人口が「6年間で 100万人減る」ということになっているのですが、飢餓と病気の流行による死者が多く含まれていると思われます。

また、上のグラフに西暦 500年代の中頃にマルをつけていますが、この時期は、過去記事、

21世紀も「太陽が暗くなる時」を経験するのか? : 全世界が地獄の様相を呈した6世紀と酷似してきている現在に思う
 2013年07月15日

などで記したことがある、西暦 535年から数十年に渡って続いた世界中での飢饉と感染症の流行の時期です。

英国のジャーナリスト、ディヴィッド・キースの著作『西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか』は、その時期の地球に何があったのかを追求した著作ですが、当時の地球上は、この著作から引用すれば、

資料、年輪、考古学資料のすべてが6世紀中期は、異常な悪天候に見舞われた時期だったことを指し示している。日光は薄暗くなり、地球に届く太陽熱は減少し、干ばつ、洪水、砂嵐が起こり、季節外れの雪と特大のひょうが降った。

これがほぼ世界中で起きていたようです。

そして、この現象は徐々に起きたのではなく、記録では西暦 535年を境に唐突に始まったという感じがあり、その理由として、

・インドネシアのクラカタウ火山の大噴火
・小惑星の地球への衝突
・彗星の地球への衝突


のどれかではないかということを上げていて、中でも西暦 535年のクラカタウ火山の大噴火が原因だったのではないかと著作では述べられています。

この時期の太陽光の様子がどのようなものだったのかは当時の東ローマ帝国の歴史家の記述からもわかります。

歴史家プロコピオスの西暦 536年の記述より

昼の太陽は暗くなり、そして夜の月も暗くなった。太陽はいつもの光を失い、青っぽくなっている。われわれは、正午になっても自分の影ができないので驚愕している。太陽の熱は次第に弱まり、ふだんなら一時的な日食の時にしか起こらないような現象が、ほぼ丸一年続いてしまった。月も同様で、たとえ満月でもいつもの輝きはない。

それでも、気温の推移を見る限りは、西暦 1200年頃からは「そんな6世紀よりも寒い時代になっていった」ということになりそうで、中世というのはなかなか厳しい時代だったのかもしれません。

それにしても、マウンダー極小期の気温の低下が 0.1度などのものだったことを考えますと、「本当の氷河期」というのはやはりすごいと思います。下のグラフは、フレッド・ホイル博士の著作『生命はどこからきたか』にあるものです。

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・過去記事「良い時代と悪い時代」より。


1万年前より先の氷河期は平均気温として今より 10度以上も低いという時代だったようで、こうなると、「生きるか死ぬかという時代」というフレーズも馴染みます。




約1,000年のサイクルで大きく上下にふれる平均気温

ところで、上のグラフで、氷河期が終わった1万年前から現在に至るまでは、約 1,000年の周期で平均気温が5〜6度近くも上下していることがわかります。

マウンダー極小期の 0.1度などの変動を考えると、これは大変な気温の変動ですが、フレッド・ホイル博士は、この原因に「彗星」を挙げています。

著作より抜粋します。

『生命はどこから来たか』 エピローグより

氷河期が終わった紀元前八〇〇〇年(一万年前)頃からの地球の気温の変遷を調べてみると、約一〇〇〇年周期の変動があることがわかる。図に示すように気温は三〜六度Fの間で変動している。

地球だけ考えていてこのパターンを説明するのは難しいが、彗星の衝突を考えるときれいに説明できる。地球上空もしくは地球の近くでバラバラになった彗星は成層圏に塵をまき散らし、太陽光線を錯乱するようになる。

その結果、太陽光線の届く量が減少し地表温度が下がる。計算によると温度を五〇度F(※ 摂氏で約10度)下げるために必要な塵の量は現在の一〇〇〇倍も必要ではなく、これは今まで述べてきた彗星の衝突を考えれば可能である。

そんなわけで、地球の気候の変動の要因というのは、複雑でそのシステムはいまだに多くのことがわからないわけですが、しかし、現在の太陽活動が、英国の科学者たちが言うするように、「過去1万年クラスでの低下を見せ続ける」というようなことになっていった場合、それなりに社会生活に影響は出るものだと思います。

太陽活動が長く弱いままだと、地球へ到達する宇宙線が太陽からの磁気などに遮断されずにどんどんと地球へ到達するので、とりあえず、曇と雨天が増えると思うのですよね。

晴天の日が減っていく。

そんな時代が何十年も続けば、まず農作が厳しくなります。

農作はいつの時代でも基本的にすべての食糧の根源、つまり「人間が生きていく根幹」ですので、そこに問題が生じると、それだけでも社会は混乱するように思います、

そして、「病気」も増えると思います。

病気に関しても、人間の感染症への抵抗力を牛耳っているものは数多くあるでしょうけれど、代表的なものに、ビタミンDと白血球(好血球)があります。

その中でも、ビタミンDは、

ヒトにおいては、午前10時から午後3時の日光で、少なくとも週に2回、5分から30分の間、顔、手足、背中への日光浴で、十分な量のビタミンDが体内で生合成される 。

ビタミンD - Wikipdia

というように「太陽だけで」人間に必要な分が作られ、ビタミンDの感染菌への抵抗力は侮れないほど強いものだとされていて、太陽が人間に与えてくれた「病原菌への対抗物質」だと言えると思います。

風邪やインフルエンザが冬に流行しやすいのは「冬は紫外線量が少ないためヒトの体内のビタミンDが減る」ということもひとつの原因であることが最近の医学でわかってきたことが、医療ニュースなどにも普通に掲載されるようになってきています。

ですので、太陽光が減ると、人間は感染症にかかりやすくなると言ってもいいのかもしれません。

ただ、白血球(好血球)と太陽の関係は逆となり、「世界中で蔓延する「謎の病気」の裏に見える太陽活動と白血球の関係」という記事などで書いたことがありますが、データでは、「太陽活動が活発になると、白血球が減少する傾向にある」ということになりまして、その原因はともかくとして、データだけを見ると、太陽活動が強い時には、免疫をつかさどる好血球が減少気味になり、病気が流行しやすいことが示されています。

ちなみに、現在の太陽活動は、全体としては弱いながらも、ある程度強い黒点活動が続いているといえる時ですので、今年はずっと「病気の時代」的な状態が続きましたが、これから紫外線が減っていく中で「さらに感染症が増えそう」というような可能性もあります。

風邪とかインフルエンザとか、あと、いろいろな感染症が世界中で流行した今年でしたが、これからの冬もそれは継続、あるいは拡大しそうです。

そして、少し長いスパンで見た場合、これからの地球が、マウンダー極小期の時のような、あるいは、江戸時代の飢饉の時代のような天候となっていった場合、私たちは今とは少し違う生活をしていかなければならない未来を迎えるかもしれません。

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