▲ 『仁義なき戦い』(1973年)で、菅原文太さんが復員兵で最初に登場するシーン。広島抗争の中心人物の一人である美能幸三という実在の人物を演じました。話も実際にあったことです。
今年 50回以上は見た文太さんが残した偉大な娯楽作品
昨年までそんなことはなかったのですが、なぜか今年のはじめから『仁義なき戦い』シリーズ(深作欣二監督・菅原文太主演の初期5部作のみ)が見たくて仕方なくなり、 DVD やビデオを立ち続けに購入して、夜にお酒を飲みながら何度も何度も見ていました。
若い時もレンタルビデオで見ていたことはありますが、こんなに何度も繰り返して見たのは、今年がはじめてのことだったと思います。
それだけに、今年は菅原文太さんに対しての思い入れはわりと強かった中で、昨日亡くなったニュースを知りました。その夜はテレビニュースも見たんですが、 20日ほど前に亡くなった高倉健さんより明らかに扱いが小さく、「そんなもんなのかなあ」と思いました。
ところで、ニュースなどでは『仁義なき戦い』や『トラック野郎』ばかり取り上げられていましたが、実は文太さんは日本映画史上で歴史に残る名作に出演しています。
それは、1979年の長谷川和彦監督による『太陽を盗んだ男』という映画です。
このストーリーは、
「東海村からプルトニウムを盗んで原爆を作り、日本政府を脅す」
という当時でもギリギリのストーリーの映画で、教師役を当時人気絶頂だった沢田研二が演じ、犯人を追う警部を菅原文太が務めた映画でした。ダブル主演といっていいと思います。
▲ 『太陽を盗んだ男』より。沢田研二は中学の教師役。
この映画はですねえ……。
見たのが若かった時だったということもあるのでしょうけれど、感想としては、 Amazon の『太陽を盗んだ男』 DVD ページにあるレビューの下のコメントの人と同じような感じだったと思います。
シャレにならないくらい秀逸な無軌道性
友人に薦められて観た。
あまり期待しないで観たが、観終えた時、脳がヒリヒリして、1000本に1本の秀作と出会ってしまった時の、あの放心状態を久々に味わうことができた。
職務に全く無気力な中学教師の学校での世捨てぶりと、プルトニウムを手に入れ、自室で原爆を造る段階の恐ろしい集中の度合いとの対比が、たまらなく面白い。
湧き上がる衝動で原爆を完成させ、政府に要求を突きつけるまでの完璧なシナリオを実現できたにも関わらず、自分の要求自体が曖昧で、逆に「何をしたいのか分からない」という自分への問いを投げかけられる主人公。
主人公には「思想も目的」も無い。「衝動」だけがある。
それは「この街はとっくに死んでいる」と自ら見切りをつけた「神」からの、孤独で息苦しい「罰」でもある。
このレビューの最後のほうの、
> 主人公には「思想も目的」も無い。「衝動」だけがある。
この「衝動だけがある」というのが、当時の時期の社会全体の雰囲気だったように思います。
その上にある、「何をしたいのか分からない」という自分への問いを投げかけられるというのも、私を含めた当時の若者の多くが経験していたことのように思います。
この『太陽を盗んだ男』の中に、教師役のジュリーがラジオ局に電話して、
「原爆を持ってるけど、これで何をしたいかが分からない」
と DJ に問いかける言葉がこの映画のすべてを象徴していました。
「何も欲しくないし、要求もないけれど、衝動だけある」
何しろ映画では、原爆が完成したものの、主人公の教師は「政府に何を要求すればいいのかまでは考えていなかった」のです(笑)。
それで結局、ジュリーが日本政府に「原爆を爆発させない条件」として要求したのは、
・1番目の要求 「プロ野球のナイターを試合の最後まで中継すること」
・2番目の要求 「ローリング・ストーンズ日本公演」
・3番目の要求 「現金5億円を渋谷のビルの上からばら撒く」
でした。
当時、プロ野球中継は9時ちょうどで終わっていたので、それを「試合終了まで放映しろ」と。政府は要求を飲んで、巨人対大洋戦は試合終了までテレビ放映されたのでした(笑)。
▲ 『太陽を盗んだ男』より。現実の世界で、ローリング・ストーンズが日本に初来日したのは、映画の 11年後の 1990年です。
下の動画は予告編です。
「太陽を盗んだ男」予告編
どうでもいいことですが、この 1979年という時期は第 21太陽活動周期(サイクル21)の活動最大期でもありました。それだけに、この頃(1978年〜1980年頃)の音楽の世界ではパンクが台頭し、映画の世界でも数々の無軌道な作品が世界中で登場した本当に刺激的な時代でした。
▲ In Deep 過去記事「 5月17日に地球の周囲で何が起きていたのか?」より。
もはや、この『太陽を盗んだ男』のような映画が作られることはないと思います。
この映画は、かなりの数の俳優や表現家たちに相当な刺激を与えた作品でもありました。太陽を盗んだ男 - Wikipedia の中に「後世への影響」というセクションがあり、そこに、この映画が好き、あるいはこの映画に影響を受けた俳優や有名人たちの名前が列挙されていますが、一般の人々でもこの映画に影響を受けた人は大変に多かったと思います。
この映画の主役に沢田研二を選んだのは、菅原文太さんその人でした。
ちなみに、この『太陽を盗んだ男』は、キネマ旬報が 2009年に選出した「オールタイムベスト映画遺産 200 日本映画篇」において7位に選出されていますが、上位 10作品のうち 1960年代以降の映画は3作品しかなく、その中の2本が菅原文太さん主演です。
オールタイムベスト映画遺産 200 日本映画篇 上位10作品
第1位 東京物語 (1953年)
第2位 七人の侍 (1954年)
第3位 浮雲 (1955年)
第4位 幕末太陽傳 (1957年)
第5位 仁義なき戦い (1973年)
第6位 二十四の瞳 (1954年)
第7位 羅生門 (1950年)
第7位 丹下左膳餘話 百萬兩の壷 (1935年)
第7位 太陽を盗んだ男 (1979年)
第7位 家族ゲーム (1983年)
1960年代以降の映画は、仁義なき戦いと、太陽を盗んだ男、家族ゲームだけで、そのうちの、仁義なき戦いと太陽を盗んだ男に文太さんが絡んでいるというだけでも、この菅原文太という人物が、現代の日本映画に大変な影響を与えた人、あるいは与える宿命にあった人であることがおわかりかと思います。
それにしても、この「映画遺産 200 日本映画編」の上位は古い映画が多いですね。
第1位の小津安二郎『東京物語』に特に異議はないですけれど、この映画でさえも、昭和 28年ということは、私の生まれる10年前の映画。・・・ということは、『東京物語』を公開時に映画館で見ていた人の現在の年齢は、80代以上くらいですかね。
しかしそれだけに、このランキングに『仁義なき戦い』と『太陽を盗んだ男』という現代作品2本が入っているというのは、それだけ映画が社会や心理に与えた影響の大きさを感じます。
ちなみに、『太陽を盗んだ男』はヒットしませんでした。
後から少しずつ評価が高まった映画だと思います。
この「後から少しずつ評価が高まる」というのは、1999年のアメリカ映画『ファイト・クラブ』なんかと似たようなもんですかね。
映画『ファイト・クラブ』は、日々の生きがいを見失っていた男が、「殴り合いをすること」で、初めて生きる実感を感じていき、そのような人々が次々と彼のもとに集まり、最終的にその組織は、
「アメリカ金融街ビルをすべて爆破し、この世から消滅させる」
という計画の実行にまで至るストーリーで、太陽を盗んだ男の「生きる目的を見失った青年教師が原爆で日本政府を脅すことにより生きている実感を取り戻す」というあたりとやや似ている感じもなくもないです。
いつのまにか消えていた「自由」という概念
上の方に「太陽を盗んだ男のような映画はもう作られることはないと思います」と書きましたけれど、これは、うまくは説明できないんですけれど、規模だとかストーリーとかのことではないんです。
私たちの今の社会(あるいは世界の多くの社会)は、「表現の自由」というような言葉を平気で使って、何となく、そういうものが存在しているように感じている場合もあるかもしれないですが、実際には、そんなものは今はないです。
こうなった理由は、明文化されている表現規制のせいではなく、
「人々から他人に対する寛容性が消えていったため」
だと私は思っています。
あるいは、「自分と違う価値観は認めない」という人が増えたことも関係あるのかもしれません。
インターネット上などでも、有名人あるいは普通の人に対して、少しでも社会的感覚から逸脱したようなことを書いたりすると、いっせいに袋だたきに遭うのが普通の光景となっています。
専門用語で「炎上」とか「フルボッコ」というやつですね(専門用語なのかよ)。
表現の世界でも今ではそれは同じだと思います。
自分が正しいと思う社会的通念から外れたものに対して、「自分は好きではなくても、そういう考えも生き方もあるだろうね」というのではなく、それを叩いて叩いて、そして消滅させる。
こういう風潮が当たり前のようになっています。
じゃあ昔は自由があったのかと言われますと、何とも言えないですが、自分自身の十代から三十代くらいまでの社会の「空気」を思い出しますと、あくまでも個人的な見解としてですが、「当時はあった」といえます。
そういえば、先日、日本経済新聞のコラム記事に、小島慶子さんという方の文章がありました。
小島さんという方がどんな方かは私は知りませんが、そのコラムは、
・「勉強しないとああなるわよ」は最低だ
日本経済新聞 2014.12.01
というタイトルの記事で、3ページにわたるわりと長いものですので、全文は上のリンクからお読みいただくとして、その中に、
> どうしてこうなったのだろう。なぜこんなに不寛容で偏狭な意見が大きな顔でまかり通る世の中なのだろう。
という下りがあります。
この小島さんという方の文章の内容全体について賛同するというわけではないにしても、このフレーズには非常に「そうだよなあ」というように思います。
ちなみに、その文章の中に、
以前、こんな母親がいた。転勤先のニューヨークの街角で清掃をする黒人を指差して、小学生の子どもにこう言ったそうだ。「見なさい、勉強しないとああなっちゃうのよ」(略)
人が嫌がる仕事をするしか生きる方法のない人がいるのはなぜなのかと考えようとしないのだろうか。彼と自分の違いが何であるかではなく、なぜそんな違いが生まれるのかを問い、その理不尽な現実に対して、自分にできることがあるのだろうか? と問うたことはあるのだろうか。
という下りがあります。
ちなみに、「見なさい、勉強しないとああなっちゃうのよ」というのは、アメリカ在住の日本人の言葉です。
この「他人と自分」というものについて、「それはまったく関係のないもの」として考える人が多いのは事実だろうと思います。
理想的な考え方のひとつとされる場合もある、「人間全体をひとつのものとして考える」という状況とは「まったく反対の考え方が普通」の世の中で、そりゃまあ、夢のようなパラダイスな社会が実現するわけもないわけで。
ちなみに、上の小島さんという方の言葉は、部分的に、ルドルフ・シュタイナーの著作『いかにして高次の世界を認識するか』の中に神秘学の訓練として出てくる「例え」とも、やや似ています。
「神秘学の訓練のための条件」という章に、神秘学の学徒になるための7つの条件が記されています。その中の第2の条件は、
「自分自身を生命全体の1部分と感じること」
というものです。
抜粋します。
シュタイナー著『いかにして高次の世界を認識するか』
神秘学の訓練のための条件より
たとえば、このような考え方をすることによって、私たちは、いままでとはまったく異なった方法で犯罪者に目を向けることができるようになります。私たちは、自分自身の判断を差し控えて、次のように考えます。
「私も、この人と同じような1人の人間に過ぎない。もしかすると、ただ環境が与えてくれた教育のおかげで、私はこの人のような運命に陥らないですんだのかもしれない」。
私たちは「この人から奪われたものが、私には与えられた。私がよいものをもっているのは、それはこの人から奪われたおかげである」と考えます。すると、私たちは、「私は全人類の1部分である。私は、生じるすべての事柄に関して、全人類とともに責任を負っている」という考えに近づきます。
ここに、
> 「生じるすべての事柄に関して、全人類とともに責任を負っている」という考え
とありますが、同時に、シュタイナーは「他人、あるいは他人の思考や行動に対して、その善悪の判断をしない」ことを教えています。
これは先日の記事、
・西洋版コックリさん「ウィジャボード」が英米の若者たちの間で爆発的に流行している背景と「悪魔の増加」の関係
2014年11月30日
などでも書いた、「悪も善も根源は同じなのだから、悪を憎んではいけない」というようなこととも似ている気がします。
まあ、私自身が「善悪の判断の価値観がずいぶんと他の人と違う」部分はあって、それだけに、自分で、たとえば事件などに対して「善悪の判断」はしません。というか、できません。
法律を破った犯罪に対しても、「法律と、個人の善悪」は比例しないのですから、「捕まったから悪い人間」というようにはどうも考えることが難しいのです。
それはともかく、先の小島さんの文章は、全体としては「寛容性のない人を糾弾する姿勢」が、わりと見られまして、この「糾弾」というようなことに関しては、シュタイナーが「してはいけないこと」としていることですので、小島さんという方の今回の文章は、ひとつの内容の中に「シュタイナーの記述と沿った内容」と「真逆の内容」がひとつになっているという点では興味深いです。
その「真逆の内容」は、先のシュタイナーの文章の続きとなっていて、以下のようになります。
『いかにして高次の世界を認識するか』より(先ほどの続きの部分)
ここで述べられているような考え方に関して、人類全体に普遍的な要求をつきつけても、何の成果も得られません。人間はどうあるべきか、ということについて判断を下すのは容易ですが、神秘学の学徒は、このような表面的な部分においてではなく、もっと深い部分において活動しなくてはならないのです。
ですから、ここで神秘学の学徒に求められている事柄を、何らかのうわべだけの政治的な要求と結びつけるならば(このような態度は神秘学徒とは無関係です)、私たちは間違ったことをしていることになります。
要するに、他人や人類全体に対して、
「あなたたちはこのようにするべきだ」
というような要求や意見といったものは高次の世界の意識を獲得するためには「してはいけないこと」のようです。
何だかもう話の展開がぐちゃぐちゃになってきましたが、現在のような「人々の寛容性の薄れた社会」では、あらゆる表現において、本当の意味での自由は生まれにくいということを書こうとしているうちに文脈が破綻してしまったとお考え下されば幸いです。
仮に今、『太陽を盗んだ男』がリメイクされたとしても、ハリウッド映画や韓国アクション映画のごとき大層な映像作品としては作ることができても、
「見た後に脳がクラクラするような虚脱感を伴う快感」
を与える映画なんて、もう絶対に作られることはないような気がします。
あるいは、さきほどの「オールタイムベスト映画遺産 200 日本映画篇」の上位 10位の年代だけを見ますと、
第1位 1953年 昭和28年
第2位 1954年 昭和29年
第3位 1955年 昭和30年
第4位 1957年 昭和32年
第5位 1973年 昭和48年(仁義なき戦い)
第6位 1954年 昭和29年
第7位 1950年 昭和25年
第7位 1935年 昭和10年
第7位 1979年 昭和54年(太陽を盗んだ男)
第7位 1983年 昭和58年
というようなことになっていて、興行収入とかそういうものとは関係なく、日本の映画はずいぶんと前から死んでしまっていたものなのかもしれないですけれど。
ちなみに、『太陽を盗んだ男』と同時上映されたのは、 2009年に亡くなった山田辰夫さんが主演の『狂い咲きサンダーロード』でした。
なんかこう……思い出を美化しているというのも含まれているかもしれないですが、いい時代に十代を過ごせたと思います。ちょっと遅れて生まれていたら、こういうようなすべての「自由」を知らずに過ごしていたかもしれません。
そんな意味では、今の世の中は自分にとって娯楽になるものが少なくて厳しいものがありますけれど、これは天からの「もう娯楽は不要」というメッセージなのかもしれません。
ところで、『太陽を盗んだ男』のラスト・・・。
菅原文太さん演じた山下警部は、中学教師が作った原爆から東京を救えたのでしょうか?
書くとネタバレなので書きませんが、「ドーン」(書いてるだろ)。
それにしても、高倉健さんと菅原文太さんがほぼ同時期に亡くなるなんて、日本の終わりの徴(しるし)のような感じもしますね。