地震が起きたアメリカのセドナは世界7大霊山のひとつだった
先日の記事、
・オレゴンの亀裂、ネバダやカリフォルニアの群発地震:アメリカ大陸の西側で今何が起きている?
2014年12月03日
で、アメリカの西部のあたりで下のようにいろいろなことが起きていることについて書きました。
上の図で、マグニチュード 4.7の地震が起きた場所は「セドナ」という場所です。
記事を書いていた時は、「どこかで聞いたことがあるなあ」くらいに思っていたのですが、その後になって、
「ここって何かの聖地じゃなかったっけ」
と、過去記事を探してみますと、2年以上前の記事ですが、
・北京の空に現れた「終末の雲」や富士山のレンズ雲から思う世界の7つの「聖なる山」
2012年06月20日
の中に「世界の七大聖山」と呼ばれている世界の7つの聖なる山々について記していました。
その7つの山は下のようになっています。
シャスタ山 (米国)
・Mount Shasta Resort
このシャスタ山は、古代からネイティブアメリカンたちによって崇められている山だそうで、スビリチュアルな場所としても有名である他にも、シャスタ情報というページには以下のようなことも書かれています。
シャスタ山には、シャスタ、シャスティーナと呼ばれる山頂が2つ重なっています。その2つの山頂は、聖なる男性性と女性性の統合を示してくれているとも言われています。
というような「男性性と女性性の内なる統合」というような意味も語り継がれてきたようです。
富士山 (日本)
・Hello Navi しずおか
マチュ・ピチュ (ペルー)
・ペルー観光情報サイト
シナイ山 (エジプト)
・38 Days In Egypt
モーセが神から十戒を授かったとされる場所として信仰の対象となっているのだそう。
旧約聖書 出エジプト記/ 31章 18節
主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき、二枚の掟の板、すなわち、神の指で記された石の板をモーセにお授けになった。
チョモランマ / 英名エベレスト (ネパール)
・Karangkurung Mountaineering Club
キリマンジャロ (タンザニア)
そして、先日、マグニチュード4.7の地震が起きたアメリカのセドナ山となります。
セドナ (米国)
・Sedona Bed and Breakfast
このセドナは、シャスタ山と同様に、ネイティブアメリカンの聖地でしたが、1970年代から、突如、ヒッピーたちの「聖地」となっていったようです。セドナ - Wikipedia によりますと以下のようなことで、今のような観光スポットへとなっていったようです。
1970年代にセドナは大きく変化した。ボルテックス(パワースポットの別称)の街として注目されたのがきっかけだった。既存の価値観に反発し、スピリチュアルな世界を信じる人々や、当時多かったヒッピー と呼ばれる人々が、ボルテックスを求めて、大挙してこの地に押し寄せてきたのだった。
このようにして、もともとネイティブアメリカンの聖地だった場所は、「スピリチュアルな街」になり、世界中から、国籍や宗教を超えて、人々を吸い寄せるようになったのである。
近年では、セドナにはボルテックスと呼ばれるパワースポットが10カ所ほどあるとされている。
というようにスピリチュアル的な観光地になっているようで、そのような地で、この場所としては珍しい地震が起きたと。
このセドナでの地震報道を見て、よく考えてみると、昨年以来、
聖地と呼ばれる場所での異変や災害がとても多かった
ことに気づきます。
崩れ続ける聖地の問題から話は飛躍して
今年9月に噴火した御嶽山もまぎれもない聖山です。
過去記事、
・御嶽山の噴火やマヤカレンダーが示した「 5000年間」という時代の区切りに「日本神話の根源神」は何を私たちに示そうとしているのだろうかと考える
2014年10月06日
では、この山に、国之常立神(クニノトコタチノカミ)という神様がいらっしゃるとされていることについて書いています。
そして、この神様こそ、天地開闢(かいびゃく / 日本神話でこの世ができた時)の際に出現した神様であります。
ところで、国之常立神は、純粋な「男性の神様」だそうで、これは中国の古代神話でいえば、盤古(ばんこ、中国語読みでパンク)にあたる神様ですね。
盤古を描いた古代の絵画はいろいろとありますが、私がお気に入りなのが下のです。
・phys.ncku.edu
中国の神話では、この男の神様が「天地を作った後」に、女性の神様 (じょか、中国語ではヌーワ)が、土の人形から「人類を創造する」ということを始めるわけですね。
このあたりは、古い記事ですが、クレアなひとときの、
・中国の天地創造神話 - 盤古
2011年05月30日
・中国の天地創造神話 - 女媧(Nüwa)
2011年06月01日
などでふれていますので、ご覧いただければ幸いです。
しかし、この頃は特に疑問視もせず、この中国古代神話を読んでいたのですが、今となっては、「科学的な矛盾」を感じるようになっています。
そのことはおいおい記すとして、これらの中国古代神話は「神様が世界を創造」したり、「人類を創造する」という部分があるのですが、日本神話ではどうなのかといいますと、どうやら、
日本の神様は宇宙も生命も創造していない
ようなのです。
まず、宇宙に関しては、天地開闢 (日本神話) - Wikipedia に、
日本神話の天地開闢といえば、近代以降は『古事記』冒頭の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)が想起される。ただし、ここには天地がいかに創造されたかの記載はない。
というように「天地がいかに創造されたかの記載はない」とあります。
では、「人類の創造」は?
これはわかりやすい回答例が、Yahoo!知恵袋の「神話では人間の誕生をどう言っているのですか?」という質問に対してのベストアンサーに、
日本神話では、神の子孫が人間、人間の祖先が神、という漠然とした話だけが存在していて明確な人類の起源は見られません。
人によってはイザナギとイザナミを最初の人間と解釈している事もあり、受け取る人によって日本神話はかなり違うので、人間の起源に関しては曖昧な物になっています。
そして、もうひとつの回答は、
『気が付いたら居た!』です。
日本神話は、そこら辺は、かなりいい加減(-_-;)
というものでした。
これは、「気が付いたら人間がいた」という意味だと思いますが、この回答者は、「かなりいい加減」と書かれていますが、このことを知らなかった私は非常に感動したのです。
日本神話は、いい加減どころか、私が思うところの科学的な意味での「この世の真理そのもの」だと思います。
日本神話が、
この宇宙や人間の誕生についてふれてもいない
ということそのものが
「この世の永遠性」を現している
と思うからです。
何だかわかりにくいことを書いている気もしますが、たとえば、過去記事の、
・145億年前の星が発見される : その星の由来の人物メトセラの死の直後に地球は創世記の大洪水に包まれた
2013年08月26日
という記事の最初の小見出しが、
宇宙も生命も「その起源」というものは考えにくい
となっています。
この意味は、物理学の基本(質量保存の法則)からみて、
・宇宙がこの世に生まれ出たことはない(もともとあった)
・生命がはじめてこの世に誕生したという時はない(もともとあった)
という考え以外をもつことができないのです。
このあたりの考えを持たせてくれましたのは、物理化学の創始者の1人であるスヴァンテ・アレニウスの『宇宙の始まり―史的に見たる科学的宇宙観の変遷』の中に何度も出てくる概念や、あるいは、そこに出てくる 19世紀のイギリスの哲学者のハーバート・スペンサーの文章などによる影響があります。
無から有は生まれない
過去記事の、
・「宇宙は膨張していない」
2013年08月16日
にその文章を載せたことがあります。
スペンサー『生物学原理』(1867年)より
おそらく、多くの人々は虚無からある新しい有機物が創造されると信じているであろう。
もしそういうことがあるとすれば、それは物質の創造を仮定することで、これは全く考え難いことである。この仮定は結局、虚無とある実在物との間にある関係が考えられるということを前提するもので、関係を考えようというその二つの部分の一方が欠如しているのである。
エネルギーの創造ということも物質の創造と同様にまた全く考え難いことである。生物が創造されたという信仰は最も暗黒な時代の人類の間に成り立った考えである。
ここで、スペンサーは、
・無から有は生まれない
・無からエネルギーは生まれない
・生物は(どこからも)創造されない
ということを明確に述べています。
アレニウスも、ほぼ同じ考えを持っていたことが、『宇宙の始まり』の中に、
宇宙とそこにある物質が突然に存在を開始したという過程には奇妙な矛盾が含まれている。
と書いているところからもわかります。
つまり、神話や宗教的な意味ではなく、科学的な考えからだけなら、
・何もないところからは何も生まれない
・生物は誕生しない
という結論にしかならないはずなのです。
日本神話はこの2つの条件を満たしていることになります。
それは「天地の創造にも人類の創造にふれていない」ということだけで、このふたつの概念に適合していることになると思うのです。
そういう意味では、日本神話おそるべし。
ちゃんと読んだことないですけど、読んでみようかなあ…。
現実の科学世界は神話より劣化していった
神話の世界はともかくとして、現実の世界では、上のスペンサーの『生物学原理』から 80年後くらいの世界、つまり、1950年前後には、「ビッグバン仮説」という物理学の前提を無視したような、奇妙で、多くの偉大な前任科学者たちの顔に唾を吐きかけるような科学仮説がこの世に定着し始めたのでした。
このビッグバン理論は、アレニウスがそれより何十年も前に記述していた、
「宇宙とそこにある物質が突然に存在を開始したという過程には奇妙な矛盾が含まれている」
という矛盾を解消できないまま、今でも主流仮説として存在しています。
昔の科学者たちは……というより、アレニウスのみならず、きちんとした科学者の中で「宇宙に始まりがある」なんてことを考える人はいませんでした。アインシュタインもです。
下は、ビッグバン - Wikipedia からの抜粋です。
20世紀初頭では天文学者も含めてほとんどの人々は宇宙は定常的なものだと考えていた。「宇宙には始まりがなければならない」などという考えを口にするような天文学者は皆無だった。
ハッブルも、柔軟な考えを持っていると評価されているアインシュタインですらも、「宇宙に始まりがあった」などという考えはまるっきり馬鹿げていていると思っていた。
しかし、20世紀の中盤までに、徐々にこの「宇宙に始まりがある」という「病巣」は科学界の細部にまで浸透していきます。悪性腫瘍の転移のように。
ちなみに、この「ビッグバン」という名称には皮肉が詰まっています。下も Wikipedia からの抜粋です。フレッド・ホイル博士の悲劇と、その心中をお察し下さい。
なお、「宇宙は原始的原子の“爆発”から始まった」という現在のビッグバン仮説に通じるモデルを提唱したのは、ジョルジュ・ルメートルという天文学者です。
フレッド・ホイルは「宇宙に始まりがあった」という考えをとことん嫌い抜いていた。ホイルが1948年に出したモデルは「定常モデル」と呼ばれる。
これは「宇宙は永遠で無限だから偉大なのだ」と考える科学者たちの心をつかんだ。おまけにホイルの説はビッグバン説よりエレガントだった。
ところが……です。
ジョルジュ・ルメートルの理論にビッグバン (Big Bang) という名前を付けたのはホイルで、1949年の BBC のラジオ番組の中で彼がルメートルのモデルを "this 'big bang' idea" とからかうように呼んだのが始まりであるとされている。
つまり、ホイル博士は「宇宙は最初の爆発で誕生した」という不思議な理論を、からかった意味で、
「それじゃまるで、宇宙はバンッ!と大爆発(ビッグ・バン)してできたと言っているようなもんじゃないか」
とラジオ番組で使った「ビッグバン」という言葉が、そのまま科学用語として使われるようになってしまったのでした。つまり、ビッグバン理論というのは、「その理論を最も嫌い続けて生きたひとりの科学者フレッド・ホイル博士が名付けてしまった」ものなのでした。
ちなみに、ホイル博士は、「地球の生命が地球の無機物から偶然生まれた」という説にも徹底して反対し続けました。
・iz quotes
上は、ホイル博士が、「偶然、生命が生まれる確率について語った言葉」です。
最も単純な単細胞生物がランダムな過程で発生する確率は「がらくた置き場の上を竜巻が通過し、その中の物質からボーイング747が組み立てられる」のと同じくらいだ。 --- フレッド・ホイル
ところで・・・なんで、いつのまにビッグバンの話になってるんだ・・・。
完全に今回のテーマの論点がズレてきているのはすでにずいぶん前から気づいていますが、もう止まらない。
まあ何はともあれ、かつての常識的な科学の時代に「宇宙の始まり」なんて概念はなかったんです。
その宇宙に「始まり」を作ったのが、現在の科学という「神話」です。
なので、上のほうに書きました、「日本神話で宇宙はどのように出現したのか」ということに関して、
『古事記』には天地がいかに創造されたかの記載はない。
とあり、そして、「日本神話で人類はどのように出現したのか」に関して、
『気が付いたら居た!』です。
日本神話は、そこら辺は、かなりいい加減(-_-;)
という「気づいたら人間がいた」というのは、いい加減ではなく、日本神話は非常に正確な科学の観点から描かれていることがわかります。
他の神話の中では、ギリシア神話が比較的それに近いですかね。創造神話によりますと、
ギリシア神話では、天地は神によって作られるものというより、むしろ神が天地そのものであり、神々の誕生の系譜がそのまま天地の由来とされる。
となっていまして、日本神話にも近いものがありそうです。
どちらもよくは知らないですが。
それにしても、話の逸脱がものすごいことになってしまいましたが、今回、本当は最初に書こうと思っていたのは、最近、「聖地と呼ばれる場所が災害などで被害を受ける」ことがとても多く感じるということでした。
他にもいろいろなところで、「聖地」と呼ばれるような場所で異変が起きたり、あるいは自然災害に見舞われたりしています。
しかし、それらのことはまたの機会にしまして、今回はあまりにも混沌とした展開になりましたので、ここまでとさせていただきます。