2014年12月28日



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「我らが導師、神に勝利あれ」というジョン・レノンの囁きの中で、オムツの世話をしていた昔を思い出すT氏の命日前日



友人の命日を前に

今日も昨日の記事に引き続いて、時事ネタではなく、雑談のような、日記のような曖昧な記事となってしまいました。体調ではなく、メンタル的にボーッとした感じから抜けきれません。

まあその・・・今年の始めの記事、

地球サイズの黒点を眺めながら「必ず今年終わるこの世」を神(のようなもの)に誓って
 2014年01月09日

の中に少し書かせてもらったことがありますが、私が人生の中で、最もお世話になった友人の田中くんという人が昨年の暮れに 48歳で亡くなったんです。私にとっては、本当の意味で緊密だった人(ほんの数人)の中での、初めての死でした。

そして、明日(12月29日)が田中くんの命日なんですよね。

田中くんは下の写真のスタンリー・キューブリック監督とよく似た顔立ちと体型の人でした。

cp-2014.jpg

▲ 2014年02月23日の過去記事「スタンリー・キューブリックとT氏のふたりの亡霊に私はまたも月の世界へ引き戻される」より。






 



明日、一周忌のお墓参りに行くのですが、ここ数日、何だかいろいろと考えることが多いです。

ところで上の記事に、私は以下のようなことを書いていました。

「個人的な宇宙の部分的な崩壊」という意味では、今年 2014年という年は異常なほど鮮明に記憶される年であることが確定して、そして、第5宇宙だか第6宇宙だか忘れましたけれど、ホピ族のいう「現在の宇宙の終わり」であり、あるいはアステカの人々が、現在の太陽神トナティウの時代が終わる時とした「その年」にいる自分を感じます。

sun-god-2014b.jpg

▲ 過去記事「アステカ神話の過去4つの世界と太陽。そして、現在の太陽トナティウの時代の終わりは」より、アステカ文明の暦に刻まれる過去の4つの太陽の時代。

・第1の太陽アトルは、水の太陽。
・第2の太陽オセロトルは、ジャガーの太陽。
・第3の太陽キアウトルは雨の太陽。
・第4の太陽エヘカトルは風の太陽。
・第5の太陽(現在の太陽)オリン(トナティウ)は地震の太陽。

と書いていまして、そういえば、「 2014年で現在の太陽(第5の太陽)の世界は終わる」というようなことを、かつて書いていたことを思い出しました。

スピリチュアル系の話に過ぎないと言われればそれまでなんですが、ここらあたりの概念からは、

2015年は、まったく新しい世界へ突入する最初の年となる可能性がある

ということなのかもしれません。

序盤は荒れて始まる時代のような気もしますけれど。




言葉が宇宙を突き進んでいく

昨日からうちの子どもが奥さんのほうの実家に遊びに行っていまして、そういう日は、奥さんと飲みに行くか、部屋で映画を見たりすることが多いんですが、昨日、

「こんなのテレビでやってたんで録画したんだけど」

と、奥さんはテレビで放映されていたという映画を再生し始めました。それは『ジョン・レノン, ニューヨーク』(原題: Lennon NYC)という、2010年のドキュメント映画でした。

1971年から 1980年に殺されるまでの9年間、ジョン・レノンが過ごしたニューヨークでの生活を周囲の人々の証言や残された映像を元に構成したものでした。

映画自体は面白かったですが、オノ・ヨーコさんがいろいろ語る度に「カチン」と頭の中で小さく弾けるものがありまして、まあ別に、ビートルズが解散した原因がヨーコさんにあるというわけではないんでしょうけれども、私はビートルズ時代のジョン・レノンは神がかっていたと思っていますが、ソロ以降はどうもあの「後光的ともいえる音楽性」がやや見出しにくくなっていたことがあります。

ビートルズ時代のジョン・レノンの曲は、たとえば、過去記事の、

ジョン・レノンの曲に DNA を修復するといわれるソルフェジオ周波数 528Hz コード「だけ」で作られていた…
 2014年08月26日

で取り上げました、ジョン・レノンが、『チベットの死者の書―サイケデリック・バージョン』という書に触発されて書き上げた 528Hz ワンコード進行の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」とか、基本はメロウなポップスなのに、そこに実験的な要素を詰め込みまくった「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」などの「神がかり性」は、ちょっと異常なほどだったと思いますが、しかし、これらをなし得たのも、ジョン・レノンひとりの力ではなく、ビートルズの他のメンバーとその演奏があったからこそのものだとも思います。

そして、今回のタイトルに入れました、

我らが導師(グル)、神に勝利あれ

というのも、ビートルズ時代のジョン・レノンの「アクロス・ザ・ユニヴァース - Wikipedia」 ( Across the Universe )という曲の中の一節なんです。

この曲は英語の歌詞ですが、その中で、繰り返し出てくる、

Jai Guru Deva Om(ジャイ・グル・デイヴァ・オム)

というフレーズだけは「サンスクリット語」で、その意味が「我らが導師、神に勝利あれ」を意味するのだそうです。

この曲に対して、ジョン・レノンは、

「本当に良い歌は、メロディーがなくても歌詞だけでその価値を見出せる歌であり、それに該当する曲こそが、『アクロス・ザ・ユニヴァース』である」

と述べたということが Wikipedia に書かれています。

jai-guru-deva.jpg

▲ アクロス・ザ・ユニヴァースのプロモのようなもの(下に動画があります)より、ビートルズのメンバーのが「 JAI GURU DEV 」と書かれた服を着ている光景より。


歌詞の最初の方は以下のようなものです。


アクロス・ザ・ユニヴァース(1969年)

終わりのない雨が紙コップに降り注ぐように
言葉が飛び出してくる
宇宙を横切り、言葉は滑るように進んでいく
喜びが波のように私の開いた心を漂う
私を捕らえて私を優しく包み込む

Jai Guru Deva Om(我らが導師、神に勝利あれ)

何も私の世界を変えようとはしていない
何も私の世界を変えようとはしていない





ちなみに、ドキュメント映画での当時のスタッフの証言では、ジョン・レノンはこれらの歌詞をあらかじめ書くということはなかったようです。

スタジオのセッションの中で、「自然とこれらの歌詞が口から出てくる」のだそう。

ビートルズ時代の後記のジョン・レノンの多くの曲はそんなものだったようです。

音楽版の自動書記みたいなもののようで、確かに彼は「何か」に取り憑かれていたのか、あるいは好かれていたのかもしれません。

そして、この曲の歌詞のこの部分だけ見ますと、「存在」が宇宙を突き進んでいくのではなく、「言葉」が進んでいくというような概念を語っているようで、言葉から宇宙が始まったという聖書の記述などを連想させるものでもあります。

ヨハネによる福音書 1章 1-3節

初めに言があった。言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は、初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

こういう神がかった曲を作ったジョン・レノンですが、しかし、私がこのドキュメント映画『ジョン・レノン、ニューヨーク』で、もっとも印象的だったのは、「ジョン・レノンが、専業主夫として子育てに専念していた数年間があった」ということでした。

それが冒頭の写真です。




オムツ替えの中で謙虚さを取り戻す男性たち

ジョン・レノンは、息子のショーン・レノンが下の写真くらいになるまで、というより、1980年に射殺されるまで主夫として子育てを続けたのですね。

john-lennon-1980.jpg


その当時の数々の写真やフィルムなどが残っているのですが、ミルクをあげ、おんぶして、多分おむつの世話もしていたのだと思います(オノ・ヨーコさんが育児している写真はありません。笑)。

私も育児は小さな頃から奥さんと交代でおこなってきましたが、男の人は子育てをやると結構「傲慢さが消えていったりして」なかかないいものだと思いますよ。

どんなに偉ぶっても、「あかちゃんの泣き声とうんちには勝てない」ということで、最初から赤ちゃんに対して勝てないことがわかりますので、「この世には自分の力ではどうにもならないことがある」というような瞑想の境地さえ獲得することができる人もいるかもしれません。

まず、おむつを替えるあたりで、自分の自尊心が一皮剝けていきますからね。

「どうやっても、俺が赤ちゃんのうんちから逃げられる日はない」

と思いつつ、気づけば、そういう時代もいつのまにか過ぎていたりする。

それに、赤ちゃんの頃から緊密に接して育てていると(人によるでしょうけれど)、子どもの言うことにわりと真面目に耳を傾けることが多くなるような気がします。

先日の、

フランシスコ・シリーズ:神学上でも啓示学上でも難解な「動物の魂と動物の死後の問題」に気軽に介入した法王の発言で巻き起る議論
 2014年12月19日

の中に、ルドルフ・シュタイナーの『いかにして高次の世界を認識するか』の中の以下の下りを書いたことがあります。

子どもが話す言葉に耳を傾けるのは、すべての人に有益な結果をもたらします。すぐれた賢者ですら、子どもたちから計り知れないほど多くのことを学ぶことができるのです。

「子どもの話を謙虚に聞きなさい」ということのようですが、そういえば、経営の神様とも言われた、パナソニック創業者の松下幸之助さんも同じ考えを持っていたことを最近知りました。

私のお知り合いが、若い頃、松下幸之助さんの会社にいたそうなのですが、新人研修中に松下さんご本人が新人たちの前に直接やってきて会話をしたのだそうですが、その中で、松下さんは、

「小さい子供の言う事をよく聞くんやで。子供やからと適当に相手にしてたらあかん。小さい子供は時々、なるほどなあと思うような勉強になる事や、仕事の参考になる事を言うからな」

とおっしゃっていたのだそうです。

経営の神様は、子どもの言うことに真摯に向きあっていたようです。

そういえば、先日、子どもと一緒に散らかったものを片付けていた時に、「ややさびしい夏の思い出」が出てきました。

夏休みに知人から立派なメロンを頂いたのですね。

下の写真は適当なものですが、こういう感じに切って食べていました。

melon.jpg
kitanogurume

食べ終わった時に、子どもが、「これ・・・」と呟いて、メロンの皮をじっと見続けています。何事かを考えているようです。

そして、

「これ、船のかたちだよね」

と言いました。

さらに、

「乾かしたら・・・水に浮くかな?」

と訊いてきます。

「うーん、どうだろう」と私は答えるだけで、何しろ、確かに食べ終えたメロンの皮など干したことがないので、どうなるのかよくわかりません。

しかし、どうやら子どもの頭の中には、下のようなイメージが広がっているらしい。

melon-dream.jpg
Writing Your Destiny


「まあ、実際に乾かしてみないとわからないから、乾かしてみよう。今は太陽の光がすごいから、あっという間にカラカラに乾燥するよ」

というように私は言いまして、ベランダで乾かすことにしました。

食べた後のメロンの皮は果肉が残されている部分がわりとあるせいか、強力な太陽の下でも、1日では完全には乾燥せず、2〜3日放置していました。

そして、何日後かに乾燥した、食べた後のメロンの皮。

上の美しいボートのイメージのようになったかどうかというと。

melon-after.jpg

(笑)

あからさまに彼の想像とは違ったものになってしまったようで、「乾いたよ」と見せにいくと、この奇妙なものを見た途端に興味を失ったようです。

しかし興味は失ったとはいえ、紙には「すてないでね」と書いてあり、これは今でもそのままですので、勝手に捨てるわけにもいかず、今でも「夢のメロン船」は、何となく部屋に置かれたままになっています。彼も数ヶ月に一度ほど、これを手に取り、感慨深げに何事かを考えたりしています。

もしかすると、「若気の至りよのう」などと考えているのかもしれません。


今日も雑談で申し訳ありませんでした。

明日は午後からお墓参りですが、行き先は東京の田町で、天気予報では、どうやら明日の東京は天候が大荒れとなる模様です。