2015年01月12日



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満開する軍事カオス:サウジアラビアの大雪報道から辿り着いたタイ軍による「子どもたちへの武器開放日」。そして世界的「扇動」の始まりの予兆



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▲ 2015年1月11日のサウジアラビア mz-mz.net より。






 


冒頭の報道は、タイに関するものですが、アラビア語なんですね。

偶然見つけたもので、

「サウジアラビアで大雪が降ったらしい」

という天の声(苦笑)で、ネットでいろいろと検索していましたら、確かに、1月10日頃、サウジアラビアで雪が降っていたのでした。

それも結構な量です。

普通、あまり雪が降らない場所で雪となりますと、子どもたちが大喜びで雪だるまを作ったり雪合戦をするわけですが、サウジアラビアでは主役はオジサンたち……。

サウジの中年紳士が雪と戯れる様子をご覧下さい。

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▲ 2015年1月10日の mz-mz.net より。


上の写真のうち、下の雪だるまなどは、他の地域では、なかなか作られない雪だるまでしょうね。

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論評できないものではありますが、ところで、このサウジアラビアといえば、国王の「ご本名」もなかなかでありまして、チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星同様に、多分、日本人でソラで完全に言える人はあまりいないのではないかと思います。

そのご本名。

saudi-oh.jpg
Google

しかし、これでも、まだ略していまして、全名は、アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール・サウード国王となるようです。

外交などで失念した際にはどうするのか? と心配になりますが、アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ - Wikipedia によりますと、

日本では「アブドラ国王」と表記されることが多い。

という姿勢で対処しているようです。

アブドラ国王には5人の奥様がいらっしゃるのですが、第二夫人までのお名前は、それぞれ、ハサ・ビント・アブドゥッラー・ビン・アブドゥッラフマーン・アール・サウードさんと、ハサ・ビント・トラード・アッ=シャアラーンさんという方で、アブドラ国王のお母様は、ファハダ・ビント・アル=アースィー・アッ=シュライムさんという…(もうええわ)。

まあ、このように、国によっては、完全な敬意を表したくとも難しいこともあります。

えーと……話がよくわからなくなっていますが、ああ、そうです、最初はこのアブドラ国王のいらっしゃる「サウジアラビアの雪」の報道を見たことから始まったのでした。

サウジアラビアの雪のニュースを見ていましたら、その横にある「今日のニュース一覧」みたいな欄に、子どもたちが実物らしき武器を構えている写真がありまして、それで、「これは何か」と開いて、訳してみましたら、冒頭の、「タイ軍は子どもたちに武器や軍備装備の使用を許可した」というページに行き着いたわけで、そこには以下のような写真が出ていたのでありました。


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mz-mz.net


他にも、たくさんの写真が掲載されています。

小学生くらいから、下は、どう見ても幼稚園児くらいの男の子や女の子が、実物の対戦車砲や重機関銃とふれている姿は確かにある種の感情を誘います。

「スターシップ・トゥルーパーズの世界かよ」

などとも思いますが、サウジの報道の本文は大体以下のようなものでした。

タイ軍は子どもたちに武器や軍備装備の使用を許可した

これらの画像は一見奇妙で、非倫理的に見えるかもしれないが、現在のタイは、明らかに「何でもあり」の状態になっている。

これらの写真は、タイの「子どもの日」のイベントの写真だ。バンコク南部にあるタイ王国海軍アカデミーで、子どもたち、場合によっては幼稚園児にも機関銃や自動小銃を触れさせ、武器と親しませていると指摘されている。英国デイリーメールが報じた。

タイの子どもの日は毎年恒例の大きなイベントで、議会や軍事機関を含む多くの機関が参加し、国家を維持することの重要性を子どもたちに認識させるイベントとして知られる。

とのことで、どうやらタイの「こどもの日」というのは、愛国主義的な意味合いを持つ祭日のようで、毎年ここまで武器とふれさせているのかどうかはわからないですが、ある程度の恒例行事のようでもあります。

実際、タイでも普通に報道されていました。

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▲ 2015年1月10日のタイ字メディア「タイラット」より。


北朝鮮などでも、小学校や幼稚園の運動会の時などに「軍事要素が折り込まれた競技」がおこなわれることはあるようですが、上のように、どう見ても幼稚園児みたいな子にまで「本物の武器」をさわらせるというのは、アフリカの内戦国などを別にすれば、あまり見たことがない気がします。

北朝鮮の幼稚園の運動会の風景

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Daily Mail

何だかんだ言っても、今のタイは軍事政権であることは事実ですしね。




スターシップ・トゥルーパーズのような世の中へ?

上のほうで「スターシップ・トゥルーパーズかよ」と書きましたが、これは 1959年に書かれた同名小説が、1997年に映画化されもので、私の好きな映画のひとつです(おすすめはしません)。

内容は、スターシップ・トゥルーパーズ - Wikipedia の説明をお借りすれば、

民主主義崩壊後の新政府、地球連邦では軍部を中心とした「ユートピア社会」が築かれていた。社会は清廉で、人種・男女の差別なくまったく平等に活躍しているが、軍歴の有無のみにより峻別され、兵役を経た「市民」は市民権を有し、兵役につかなかった「一般人」にはそれがない。

という社会の中で、別の銀河系の昆虫型宇宙生物の侵略を受け、「虫と人類」との全面戦争が始まるという内容です。

この社会は、軍歴がなければ、どれだけのエリートでも、参政権、出産権などの「市民」としての権利を有さない社会で、そのシステムが地球全体を支配している時代を描いたものでした。

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▲ 映画『スターシップ・トゥルーパーズ』より、地球連邦軍のテレビCMが流れる場面。


映画そのものは「全体主義の賞賛」的な扱いを受け、酷評が多かったのですが、そのような映画にしたことには理由があって、監督のポール・バーホーベンが、幼少時にオランダでナチスの侵略下での生活を経験していて、 Wikipedia によれば、

幼少期を第二次世界大戦下のオランダのハーグで過ごした。その中で、自分達オランダ人の味方であるはずの連合軍がナチスの軍事基地があるハーグを空爆し、死体が道端に転がっているという日常を過ごしている。

ということもあり、全体として「ナチスに対してのパロディ映画」として作られ(具体的には、ナチ党の全国党大会を記録したレニ・リーフェンシュタール監督の 1934年のドキュメンタリー映画「意志の勝利」のパロディ)、そのために、「全体主義の賞賛」的な出来となり、それが批判されたのだとすれば、監督にとっては成功だったのかもしれません。

描写が残酷な映画ですが、それでも、私はこの映画『スターシップ・トゥルーパーズ』は「戦争とそれに関わる社会の本質」を理解するためにはいい映画だと思っています。でも、おすすめはしません。




そして世界はどちらに向かう?

それはともかく、今のご時世・・・。

前回の記事、

シャルリー・エブドは最初の聖戦:1000人の「フランス人イスラム国戦闘員」が過激思想と戦闘スキルを携えて母国に帰還する時
 2015年01月10日

では、アメリカの2人のテロ専門家の言葉を記事にしたニュースをご紹介したのですが、その中に、テロ専門の言葉として、

「テロリズムに対しての国際社会がおこなう独特な行動は、襲われた国だけではなく、民主主義国家が合同して、テロに対して攻勢に出る可能性があることです」

というような部分がありますが、今朝のニュースを見ましたら、まさに「すぐに」その通りの展開となっていることを知ります。

フランス銃撃事件 大規模追悼デモに50カ国首脳が参加へ
FNN 2015.01.11

フランスで起きた新聞社銃撃など、一連の事件。
パリ市内では11日、市民や各国首脳が参加する、大規模な追悼デモ行進が行われる。

日本時間11日夜、大通りをメーンに行進が行われ、17人の犠牲者を追悼し、テロに屈しない姿勢を示す。

50カ国!

そして、テロ専門家は下のような発言もしていました。

「テロリストたちは、フランス政府のイスラム教徒たちへの過剰な反応を望んでいます。フランス国民によるイスラム教徒への排斥運動が起きてほしいとさえ考えています。そうなる方が、フランスのイスラム教徒たちのコミュニティが過激化しやすいからです」

とも述べていました。

そして、昨日のパリは…。

フランス全土で反テロ集会、史上最多の370万人参加
AFP 2015.01.12

フランス各地で11日、テロに反対するデモ行進や集会が行われ、仏国務省によると同国全土で史上最多の370万人が参加した。首都パリ(Paris)では、世界各国の首脳ら数十人が率いるデモ行進などに、約160万人が参加。「自由」や「シャルリー」などと叫びながら街を練り歩いた。

370万人!

これらが過剰な反応なのかどうかということは何も言えないですけれど、記事には、

パリの行進では、フランソワ・オランド仏大統領がイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相やパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長を含めた世界の指導者らと腕を組み、歴史的な団結の決意を示した。

とありまして、さながら、スターシップ・トゥルーパーズの「地球連合国家」的なパレードだったのかもしれません。

しかし結局は、これらのことが示すことは、単に、

フランス(あるいはヨーロッパ主要国)で何か起こせば、こんなに全世界で大騒ぎになり、そして、全世界で報道される。

という事実でしかないように思います。


「扇動」・・・という言葉が、ふと頭をよぎります。


ずいぶんと以前ですが、「殺され続ける詩人シナ」という記事の中に、作家の山本七平さんが、自らの太平洋戦争時の軍隊経験などを記した 1974年の著作『ある異常体験者の偏見』から抜粋したことがあります。

そこには、現実の戦争や戦争裁判で繰り広げられた「扇動の方法」が記されています。

その原則について以下のように山本さんは記しています。

原則は非常に簡単で、まず一種の集団ヒステリーを起こさせ、そのヒステリーで人びとを盲目にさせ、同時にそのヒステリーから生ずるエネルギーが、ある対象に向かうように誘導するのである。

これは 9.11 のひとつの例を思い出すだけでもご理解いただけるかと思います。

そして、山本さんは、「 扇動者自身は決して姿を現さない」とした上で、

扇動された者は騒々しいが、扇動の実体とはこれと全く逆で、実に静なる理論なのである。

と記します。

この意味から見れば、パリのデモに参加した 50カ国にも及ぶ各国の首脳たちも、すでに扇動者でも何でもないコマにしか見えないわけですが、上の記事で私は、

確かに扇動された者の騒がしいこと!
扇動する側の見えないこと!

のように書いていまして、今でもそれは思います。

デモにしても、何にしても、その行為そのものはお祭りのように騒がしいですが、その「本当の原因」が何かはまるでわからないし、見えもしない。


何となく「扇動と無縁でいるためには」・・・と考えていまして、ふと、昨日、クレアの、

2015年からの未来を考えるために知っておきたいアメリカ先住民の倫理の智恵
 クレアなひととき 2015年01月11日

に書きました「アメリカ先住民の智恵(資料によっては「アメリカ先住民の倫理規定」)」というものを思い出しました。

作者・時期不明ですが、アメリカでは広く知られているものです。

全部で 20条の「規律」がありまして、すべてに関しては、上のリンクからお読みいただければと思いますが、その中で下のようなものの大切さを思います。




「アメリカ先住民の智恵」より

2. 行き先を見失った人々への寛容さが必要だ。魂を失ってしまった彼らの無知、うぬぼれ、怒り、嫉妬と強欲。あなたは、彼らが道を見いだせるように祈りなさい。

3. 自分自身で自分を探しなさい。他の人々にあなたの行き先を作ることを許してはならない。その道はあなたの道であり、あなたひとりの道だ。他の人々があなたと一緒にその道を歩くことはできても、誰もその道をあなたのために歩くことはできない。

7. 他の人たちの考え、希望、言葉を尊重しなさい。決して、その言葉を遮ったり、笑ったり、無礼な態度で接してはいけない。ひとりひとりのすべての人間が、その人自身の表現を持つ権利がある。

13. 他の人の心を傷つけることを避けなさい。その痛みの毒はあなたにかえってくる。

16. あなたがどのように在るか、あるいはどのように反応するかの意志決定を意識的に行いなさい。あなたの行動のすべてにあなたが責任を持ちなさい。





今は何ひとつ達成されていない・・・未熟というよりは、むしろ「退化した」世の中だと思えて仕方ないですが、ただし、これは、「アメリカ先住民の理想」であり、現在の白人西洋社会には「ずいぶん昔からなかったかもしれない」理想でもあります。

たとえば、シェイクスピアの 1599年の戯曲『ジュリアス・シーザー』には、すでに、「アントニーの詐術」という扇動の方法論が書かれており、西洋社会においては、随分以前から、「行き先を見失った人々への寛容さ」はなかったどころか、「人々に行き先を見失わせる方法論さえ確立していた」ことが漠然とですが、わかります。

それが実践できていたかどうかというのはともかくとして、素晴らしい理念を持っていたアメリカ先住民たちですが、しかし、たとえば、1492年のコロンブスの侵略以降は、急激に彼らも西洋人同様の「争いでの獲得」や「自己主張と自己所有の世界」へと転落していくわけで、現在も世界の多くの国でその価値観の時代が居座っています。

アメリカ先住民の智恵の中に、

ネガティブなエネルギーは、宇宙で増殖して、自分たちにかえってくる

という記述があります。

この数百年間の、あるいは数千年間の「地球社会のネガティブ」が宇宙からかえってくる時には、それはものすごい「巨大な憎悪」としてバックラッシュしてきそうな感じです。

そして、おそらく 2015年から 2016年に、私たちはその「宇宙から返された巨大な憎悪の嵐」の中に立ち尽くさなければならないのかもしれないと覚悟しています。