2015年02月23日



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閑話休題 : スピリチュアルとは何か



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さきほど突然、全開のめまいに包まれました。私自身は若い時からめまいとの付き合いは長くて、しかも「いろいろな原因のめまい」を持っているようでして、「7つのめまいを持つ男」と称賛されたこともあります。

しかし、めまいに関しては、最近調子良かったのですよ。

大体2週間くらい前の記事の「ソルフェジオ周波数 528Hz に石灰化した松果体を正常に戻す可能性がある? …」で、528Hz の音叉を注文したことを書きました。買った後も「数日で何が変わるもんか」とか思っていたのですけれど、確実に実感したのは、「めまいが消えた」のですね。わりとすぐ。

これは奥さんも同じで、うちの奥さんも疲れるとめまいが強いのですけれど、「この音叉は何か」ということを説明せずに、夜鳴らしたりしていたんですが、数日後に、

「なんか、最近、めまいが全然なくて」

というようなことを言っていて、それは今も継続しています。

私もそうだったんです。
めまい感が非常になくなっていたのですね。

ところが、今日の午後からのめまいは何となくキツくて・・・しかし、ここ数日、調べたり考えていたことを思い出すと、「体調悪化もあり得るかもなあ」とも思ったりしました。

なんか、そんなわけで、ちゃんとした記事にはならないでしょうけど(そもそも今は横になってノートパソコン打っていますので文字が打てるだけの状態です)、ちょっと無駄話を書いておきます。

ところで、タイトルにある「閑話休題」という言葉ほど、意味を取り違えられやすい日本語はないように思いますが、私もずいぶん年を取るまで、この意味を間違えていまして、「どんなに苦しくても、 じっと辛抱すれば必ず報われる」という意味だと思っていました(そんな間違いする奴ぁいねえよ)。

うんまあ、つまらないことを書いてしまいましたが、閑話休題というのは「余談をやめて、話を本題に戻すとき」に使うのが正しいそうです。

なので、このような余談記事のタイトルに使うのは間違いということになりますが、しかし、内容としては、閑話休題というのもさほど間違っていないような気もします。

というのも、ここ最近考えていたことが、やはり、タイトルにある「スピリチュアルとは何か」ということだったんです。

最近ではむしろ「スピ系」というような言い方のほうが通じやすいのかもしれないですが、考えてみれば、この In Deep というブログは、

「原因のわからないことの原因は何なのだろう」

という興味から始まった部分があります。

この世には、UFO や心霊や UMA やサイキック能力や予言や占いやヒーリングやチャネリングや、あるいは他の様々な未知の現象や能力といわれているものがあって、そして、神様や宗教の世界もあれば、さらには、これはこの数年で知ったことですが、陰謀論や魔術や影の支配者の話などもあります。

これら「わからないものの正体は何なのだろう」と。

私は今でも全然いろいろなことを知りませんけれど、In Deep を始めた5年前くらいには、今よりさらに何にも知らない状態で、それだけに、「何かがわかればいいな」というような期待がたくさんありました。

この「未知」という部分に何か神秘的なものが介入してくるようなことがわかればいいなと。

しかし、自分でも特にこの2年ほどの記事の流れを読みますと、スピリチュアル的なものに対して距離を置き始めていることがわかります。

今の科学や今の見識だけでも理解できることを理解したい、という思いが昔よりも強いのです。

しかし、それは漠然とした考えのままでした、


ところが。


最近、その私の考えの方向性を決定付ける出来事、あるいは体験がありました。

この体験、あるいはこの体験と触れた衝撃はかなり大きく…うーん、しかし、その体験がどんなものかを書くことは難しく……。

ここはあくまで例え話として書きます。例えば、異次元というものがあって、そこに何らかの存在があったとして、その話にふれるというようなことがあったとして、そういう気の違ったようなことを例えとして、その存在が、

「今の地球にあるスピリチュアリズム(とそのビジネス)はすべてが正しくない」

と言ったというようなことがあったとします。

そして、さらに、「大事なことは現実の自然科学を進めることであり、人は天体物理学を学ばなければならない」というような言葉の存在が仮にあったとします。

さて、このパラドックスは、もう書いている流れの中に如実に表れているわけで、

現象自体がスビリチュアルといわれていることと似ている。

しかし、その現象はそのスビリチュアルを否定する。

ということなんですね。

くどいようですが、これは例えで、私がそのような体験をしたとか、そういうことではないです。

今までも書いていますが、私にはスピリチュアルと関係した能力は一切ないですし、そんな体験もしません。

ですので、例えとして書いていますが、上のようなパラドックスを受けた時に、どちらから考えてみればいいのか

あるいは、

どこまでをスビリチュアルと考えればいいのか

ということもあります。

528Hz の音叉は?
シュタイナーは?
あるいは以前の部屋に出ていた座敷童は?(そんなもん出てたのかよ)

あと、「悪魔の問題」というのもあります。

私は「悪魔」という存在を体感・・・とは違うな、ある程度は理解するのですけれど、悪魔そのものも「存在としてはスピリチュアルなもの」であるとは思うのです。

悪魔はいない? まさか!

・・・というようなことを考えたり、調べているうちに、キツいめまいに襲われてしまったのですね。

自分的には「7つのめまい」のうちの「首のあたりの原因系」だと思うんですが、ああ、そういや、昔から幽霊なんてのは首とか肩とかに乗っているものでして、こう凝るのも幽霊の……とこれもスピリチュアル。

しかしですね。

これらの問題に対しては、自分なりにある程度の結論はあるのです。

それは、

「精神的部分では第三者に頼らない」

ということです。

いかなる他者にも依存しないこと。

どんなに苦しい場合でも、あるいは、苦しい時であればあるほど、「何か助けてくれそうなものに頼らない」というスタンスというか。

私は二十代からメンタル的にムチャクチャきつい時代を過ごしていて、その頃は何かにすがりそうになりましたけれど、結局は、グチャグチャな前衛芸術とか気の狂った音楽で(なんにも改善はしなかったですが)その大波を乗り切って(死ななかったということです)きました。

以前のジョン・レノンのソルフェジオの記事で、ビートルズの「トゥモロー・ネバー・ノウズ」の歌詞を書きましたけれど、その中に、

内側の意味がわかるようになる
それは存在する

というのがありますが、この「自分の内側」に常にチューニングを合わせることが大事だと思います。

自分をヒーリングできるのは自分だけのはずです。

なぜなら、自分と完全に適合する波動を持つのは自分だけだからです。

そして、自分が自分に対しての精神的責任を負うならば、たとえ、それが失敗しても、他の人に責任を押しつけなくて済むのだから、理想的なことだと思います。

救いは他に求める必要があるのでなく、それぞれの心の中に自分の神様がいると考えればいいのではないかなと思うのでした。