2015年03月24日



In Deep のトップページは http://indeep.jp に移転しました。よろしくお願いいたします。




原初から存在する宇宙の意識と「シンクロニシティの源」の合理的な理解が人類の進化に繋がるのなら、それにより私たちはカタストロフを避けられるかもしれない



オーストラリアの世界最大の衝突クレーターに見る「宇宙の意志」

ちょっと・・・変な展開に聞こえるかもしれないですが、とりあえず、話のはじめとしては、今日、「オーストラリアで世界最大の小惑星のクレーターが発見された」という報道があったんですね。

asteroid-impact-2015.gif

▲ 2015年3月24日の英国ガーディアンより。






 


これは、オーストラリア国立大学のニュースリリースで発表されたものでした。

これについては、

オーストラリアで「広島型原爆の58億倍」の衝突のエネルギーがあった直径400kmの世界最大の小惑星クレーターが発見される
 2015年03月24日

という記事で書いたのですが、

・クレーターの衝突跡の直径は 400 キロメートル
・小惑星の大きさは 10 キロメートルを越えていた可能性がある
・衝突の詳しい時期は確認できず


というようなことで、これまで地球で最大のクレーターだった南アフリカのフレデフォート・ドームというものと比べると、

フレデフォート・ドーム
・クレーターの衝突跡の直径は 190 キロメートル
・衝突した小惑星の大きさの推定は 10 〜 12 キロメートル
・衝突時のエネルギーは広島型原爆の 58 億倍


ということになっていますので、今回のオーストラリアの「直径 400キロメートル」というクレーターが形成された際の衝突エネルギーは、少なくとも、「広島型原爆 58 億倍」というものよりはるかに大きかったと推測されるわけで、

もしかすると、広島型原爆の数百億倍の爆発が地球で起きていた

ということも言えなくともないのではないかと思います。

私は「うーむ」と思いました。

というのも、このクレーターを作ったと思われる「直径 10キロの小惑星」というのは、地球に衝突した可能性のある天体の中でも最大級といえるものです。

たとえば、フレッド・ホイル博士の「天体の直径と衝突の地球への影響」を示した図がありますが、これでも、地球の歴史上での最大を「7キロ」としています。

tnt-7.jpg

▲ 過去記事「良い時代と悪い時代(1): 500年ほど続いた「穏やかだけれど傲慢な時代」は終わろうとしているのかも」より。

この図だと、7キロメートルの彗星が地球に衝突した場合、そのエネルギーは広島型原爆の 5000万倍となり、地球が受ける影響については、

「大絶滅」

と書かれています。

この「大絶滅」というのは、一般的には、過去の地球で5回あった「大量絶滅」といわれる時期のような状態をさすと思いますが、それは、

・約4億4400万年前(オルドビス紀末) すべての生物種の85%が絶滅
・約3億7400万年前(デボン紀末)すべての生物種の82%が絶滅
・約2億5100万年前(ペルム紀末)すべての生物種の90〜95%が絶滅
・約1億9960万年前(三畳紀末) すべての生物種の76%が絶滅
・約6550万年前  (白亜期末) すべての生物種の70%が絶滅


となります。

このオーストラリアの 10キロメートル小惑星の衝突は、このどこかに該当するかのような壊滅的な影響を地球に与えたと考えるのが妥当だと思われます。

しかし、このオーストラリアのクレーターには不思議な点もあって、「衝突したと想定される3億年ほど前に、大量絶滅の記録がない」のです。

3月24日の AFP の「豪州で巨大隕石の衝突跡を発見、幅400キロ 3億年以上前に落下か」という記事には、


ただ、6600万年前に地球に衝突し恐竜などの生物種の大量絶滅を引き起こしたと考えられている巨大隕石に匹敵する破壊的な影響を、この隕石が及ぼしたことを示す証拠は存在しない。

「これは謎だ。今回の衝突と時代が一致する大量絶滅事象が見つからないのだ。衝突は3億年より前の時代に起きた可能性があるのではないかと、私は考えている」とオーストラリア国立大学人類学学部のアンドリュー・グリクソン氏は話した。



しかし、今回の話はこの「大量絶滅」ということとは関係のない流れとなりそうです。




未来は変えられるか?

さて、冒頭に、「ちょっと・・・変な展開に聞こえるかもしれないですが」と書いたのは、このオーストラリアの「黙示録的な小惑星の衝突跡」の報道を見て思ったことは、天体衝突の恐怖とか、そちらのことではなくて、

原初からの宇宙の意志

についてでした。

これは、先日の、

数々のシンクロの中で、この世の存在は「音そのもの」であるかもしれないことに確信を持てそうな春の夜
 2015年03月22日

という記事でも書きましたが、最近は、先日の講演会で入手させていただきました『ウォーター・サウンド・イメージ』という本を読んでいまして、この本には、もしかすると、「この世の創造」というものの一端にふれることのできる可能性があるエッセンスが散りばめられていまして、たとえば、

音が形や世界を作っていく

ということと共に、

そこに存在するかもしれない(永遠の)宇宙の意志

ということについての可能性も感じさせてくれる実験と記述と引用に満ち溢れています。

この本の中に、著者のアレクサンダー・ラウターヴァッサー( Alexander Lauterwasser )さんは、以下のように記している部分があります。


現代の宇宙物理学者の多くは、自然界の構造に畏敬の念を覚えており、宇宙が偶然の産物であるとはもはや考えていない。彼らは、「意識」という現象は重要な必須の要素であり、意識は原初の時代から存在していたのではないかと推測している。


この中の、

> 意識は原初の時代から存在していたのではないか

という部分の「原初」とは、まだこの世に「形がない時」のことを指していると思います。

Alexander-Lauterwasser.jpg
・アレクサンダー・ラウターヴァッサー( 1951 - )
Duravit


これは、聖書ヨハネによる福音書/ 1章 1-3節の

「初めに言があった」

とか

「すべてのものは、これによってできた」

というような記述も彷彿とさせますし、あるいは、音楽学では、たとえば、ドイツの音楽学者マリウス・シュナイダー( Marius Schneider )は、1978年に以下のように述べていたことが『ウォーター・サウンド・イメージ』に記されています。


古代の宇宙進化論において、この発生的な音は『言葉の膨張』という表現と一致し、この歌う力は、思考の最初の顕現として世界を創造した。

原初の振動である音はどんどんらせん状に広がっていき、リズムを高めて、新たな振動を生み、しだいに石や肉体へと変性していった。


Marius-Schneider.jpg
・マリウス・シュナイダー( 1903 - 1982 年)
Wikipedia



マリウス・シュナイダーという方のこの言葉は、

音(=言葉)の振動が広がっていき、それがこの世の「モノ」や「生き物」となった。

ということだと思います。

下は、水滴に様々な音の振動を加えた場合の水滴の変化の様子の一部です。

音の振動によって様々な形状に変化する水滴
water-sound-03.jpg

▲ 左上が振動が加えられていない水滴。音の周波数によって、様々な形に変化し、それは現存する線虫と同じ形になったり、花の形になったりと、様々な「現実の形」とシンクロします。『ウォーター・サウンド・イメージ』より。

さらに、ほぼ2年前の、

春になると私に訪れる「狂気の空気」を少し救ってくれたロシア発のパンスペミア説
 2013年03月18日

という日記的な記事に書きましたロシアのアレクサンドル・チジェフスキー博士の以下の言葉も思い出します。


チジェフスキーは 1920年代のはじめに、地球上の生命現象が宇宙の物理的な現象とつながっていることを明らかにした。

敏感な神経節と同じように、ひとつひとつの生きた細胞は「宇宙の情報」に感応するのであり、大宇宙はこの情報を細胞のひとつひとつに浸透させているのである。


eonet


さてさて・・・。

なんだか話が混沌としてきましたが、大絶滅的な小惑星の衝突の話から、どうして、こんなような話へとシフトしてしまってきているのか・・・といいますと、過去の地球には確かに今回発見されたオーストラリアの小惑星の衝突のような「絶滅イベント」が起きていた。

それは確かだと思います。

そして、このくらいの規模の壊滅的な天体の衝突事象というのは、数千万年から数億年に1度というのが普通でしょうが、しかし、「たとえ数億年に1度でも起きる時は起きる」ということについては、古代でも現代でも同じだと思います。

ただ、古代と現代とでは違うことがあります。

それは古代は「人類はいなかった」時代だったけれど「今は人類が地球にいる」ということです。

この「人類」というのは、確かに良くないこともたくさんしますが、良いことをすることもあります。

いや、良いことをするとか悪いことをするとか、そんなことはどうでもいいことで、それより重要なのは、良いにしろ悪いにしろ、人間には「意識」があります

この「意識」というのは、さきほど引用しました『ウォーター・サウンド・イメージ』の著者ラウターヴァッサーさんの、

「意識」という現象は重要な必須の要素であり、意識は原初の時代から存在していたのではないか

という、「宇宙の意識」というものと、一応は、同じように「意識は意識である」とはいえるように思います。さらには、ドイツの音楽学者シュナイダーさんが、

> この歌う力は、思考の最初の顕現として世界を創造した。

と表現したように、「形のない時代からあった意志」が、「形のない世界に形のある世界を創造した」と。


さて。


今、私たちは「形のある時代」に生きています。

なので、もう「世界の形を創造する必要はない」時代です。

しかし、「意志」は私たちにも、そしてもおそらくは、宇宙にもあります。

私たち人間の意志と、そして、もしかすると、「宇宙の原初から存在したかもしれない」という意志。

それがなしうることは何か?

それが次におこなうことは単なる破局(カタストロフ)や、破壊と再生だけしかないのだろうか。

ということを考えたのです。

つまり、非常に簡単に書きますと、

これらの意志は地球と人類の運命を良いほうにも向けられるのではないか。

という意味です。

何だかどうにも、うまく書けないのですが、たとえば、作家の立花隆さんは『脳を鍛える―東大講義「人間の現在」』の中で以下のように書かれているそうです。


立花隆 - 人間の現在より

フョードロフの共同事業とは何なのかというと、全人類が力を合わせて、より高次の存在に能動進化、つまり、意識的にコントロールされた進化をとげていくことなんです。

そして、地球レベルはもちろん宇宙レベルで自然を統御していくことなんです。

そういうことを可能にするためには、人類の知を統合しなければならないといいます。すべてを知の対象として、すべての人が研究者になり、すべての人が認識者にならなければならないといいます。

そのためには人間の最大の敵である死を克服しなければならないといいます。また悪を滅ぼさなければならないといいます。

悪というのは、結局のところエントロピーの増大が生む崩壊現象、秩序が失われた状態、世界の欠陥状態、「落下」、未完成状態だから、それに対抗するためには、全世界を合理的自覚を持って反エントロピーの方向に動かしていくことが必要で、そのために全人類が総力をあげることが、人類の共同事業だというわけです。

ぼくにいわせると、世界を解釈することも世界を変革するのと同様に大切です。世界の観照、世界の解釈がまず正しくなされないことには、世界の変革は不可能です。



立花隆さんは、この講義で

「全人類が力を合わせて、より高次の存在に進化する必要性」

を説いていますが、その方法はスビリチュアルのそれとは違い、

・合理的自覚を持つこと
・世界(の存在)を正しく解釈すること


が必要だと言っています。

しかし、「スビリチュアルのそれとは違い」と書きましたが、冷静に考えると、これはシュタイナーが『いかにして高次の世界を認識するか』で語っていることと、基本的な部分では同じに思えます。




宇宙の意志と自分のシンクロニシティを信じてみる

何だかこう、どうもうまく書けていないのですが、とにかく、人類が「合理的にこの地球を理解する」と、「おそらく」(おそらくとしか言いようがないからですが)人類の知覚は「地球と宇宙の正しい関係性」を理解することに近づくのではないかとも思います。

そして、地球と宇宙に対しての正しい理解は、この地球で起きることに対して「人類の意識での実際の影響」を与えられるとも思うのです(これも「おそらく」ですけど)。

ぶっちゃけて言えば、

衝突するべく小惑星も衝突しないで済むかもしれない。

ということです。

私たちの知覚が宇宙の「意識」に対応しているかどうかなんてことは自覚しようがないことなんですが、それを認識できるひとつの現実的事象として、「シンクロニシティ」があると思っています。

なんかこう・・・私などもそうなのですが、この数年、シンクロニシティをものすごく多く感じられることってないですか? 要するに「何だか次々と偶然に」みたいな。

もちろん、「そんなの全部単なる偶然」という解釈で、それはそれでいいとは思うのですが、しかし、次々とそれが重なっていく中で、どうしても、「どこかに存在する意志」を感じないでもないです。

今回は、未来予測プロジェクト「ウェブボット」のクリフ・ハイが 2009年に書いたシンクロニシティに関してのエッセイをご紹介して締めたいと思います。




クリフ・ハイ 巻末エッセイ
2009年3月13日 ウェブボット ALTA レボート 1309 パート1 より

宇宙はいくつかの層が折り重なって存在している。それぞれの層には独自な「現実」が存在しているので、その点からいえば宇宙は複数の現実の折り重なりとして存在しているといえる。

しかしながら、そうした複数の現実世界の存在をすべての人間が気づいているというわけではまったくない。この事実に気づいている人間は、むしろ覚醒した少数の人々に限られている。

覚醒した意識からみるなら、このような多次元的な宇宙が、われわれが経験するすべての「偶然」を支配していることが見て取れるはずだ。

あなたが複数の現実が折り重なる宇宙の多次元構造に一度気づいたのならば、宇宙はシンクロニシティーという方法を介して、あなたに、さらに別な構造があること意識させようとする。

そうして宇宙は自らの多次元構造を一歩一歩開示するのである。

これはなにを示しているかというと、一度ものごとのシンクロニシティーの存在に気づいたならば、さらに多くのシンクロニシティーが起こるということなのだ。そうした連綿と続くシンクロニシティーの経験の後に、われわれは宇宙の多次元的なフラクタル構造を発見するというわけだ。

シンクロニシティーは様々な形態で経験する。それは一連の数として与えられ、同じ数の組み合わせを何度も経験し、次第にその意味が分かるという場合もあれば、若い頃から一連の系列の出来事を何度も経験するとい うこともある。

ただはっきりしていることは、どのような形態でシンクロニシティーを経験しようとも、宇宙のフラクタルな多次元構造に気づいた人間が増えるにしたがって、他の人間の覚醒がどんどん速くなるということなのだ。