2015年04月19日



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パッチ・アダムス医師の「楽しく人を死なせる」ための真実の医療の戦いの中に見えた「悪から善が生まれる」概念の具体性



ブラジルを訪問し、病気の子どもたちと遊ぶ本物のアダムス医師
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DR HUNTER PATCH ADMS



自殺未遂を繰り返していたひとりの青年が導いた来世のヘブン

昨日、ものすごく感動する映画を見ました。
震えるほど感動した、といっても構わないです。

この感動は、最近、私が興味を持ついくつかのことのうち、

真実の医療とは何なのだろう

ということと、輪廻転生という観念から見た際の、

死ぬ時点で獲得すべき人間の意識や感覚

というふたつのことと、映画の内容が一致していたためということもあるのかもしれないですが、深夜にひとりお酒を飲みながら泣きながらその映画を見続けていたのでした。

そして、この映画は、とにかく、何がなんでも「医師や医療関係者、あるいは、これから医学を目指す人たちすべてに見てもらいたい」と思います。

映画は、昨年亡くなったロビン・ウィリアムズさん主演の『パッチ・アダムス』という 1998年の映画で、アメリカの実在の医師であるパッチ・アダムスの伝記映画です。

このパッチ・アダムスという人は、私はこの映画を見るまで知りませんでした。 パッチ・アダムス - Wikipedia という項目もありますが、この伝記映画の内容を箇条書きにした方がわかりやすそうです。

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・映画『パッチ・アダムス』



『パッチ・アダムス』

・若い時に何度も自殺未遂を繰り返し、任意で精神病院の閉鎖病棟に入院する

・精神病院で患者が薬漬けにされ、医者や看護師たちに威圧的に扱われる現実を患者として味わう

・精神病院の入院患者たちを笑わせている時に、彼らの心が開き、状態がよくなることに気づく

・精神病院の中で「人を笑わせて治癒する医者になる」ことを決意

・米国ヴァージニア医科大学に入学。映画は、実質的には、この医学部での3年間ほどを描いたもの。

・大学付属の病院を研修中に、病棟の人たちに笑顔がないことを知り、(本当は1年生は病棟に勝手に訪問してはいけないのに)病室を回り、日々、患者たちを笑わせる

・医学部での成績は常にトップだったが、アダムスの行為を快く思わない医学部の医学部長から病棟訪問の禁止の勧告を受けながらも、それでも、患者たちを笑わせる行動をやめない。

・実際に「笑う」ことにより、病棟の患者たちへの薬の投与量はどんどんと減り、症状が改善する人たちも増えていくうちに、最初は怪訝だった病棟のナースや、一部の医者たちもアダムスの支持者となっていく

・自分の目指す「笑わせる医療」ができて、さらに完全無料の医療サービスを提供する病院「ゲズントハイト・インスティテュート」を設立(この時点では学生なので、無免許医)

・学部長はついにアダムスに大学の退学の命令を出すが、アダムスは、ヴァージニア州医師会に判断を要請し、公聴会での判断に委ね、退学命令は却下される。





文字では、その感動がうまく伝えられないですが、医療関係の方でなくとも、たとえば、「真実の医療とは何だろう」というようなことを考えていらっしゃる方には、ぜひとも観ていただきたいです。

レンタル店にあるかもしれないですし、なくても、ヤフオクや楽天などでいくらでも売られていると思います。私は、ヤフオクで 700円くらいで買いました。

何だか、「笑いで患者の元気を出す」というような話のイメージからは「愛と優しさの物語の映画」というような感じでとらえられそうですが、本人が映画の通りなら、この人は極めて過激な人です。

行うことのすべてが過激で極端です。

末期のガンで、ナースたちに怒鳴りまくり手に負えない男性患者の病室に、アダムスは「天使」の格好で訪問し、その男性に「死ぬ」ということを意味する単語を何度も繰り返すシーンがあります。

正確に台詞を書きますと、「将来の予告編を見せよう」と言い、「死」「死ぬ」「息が絶える」「果てる」「くたばる」・・・など、他にもいくつもね「死ぬことを意味する単語」を延々とその男性に対して語り続けます。

最初は怒りを示していたその患者は、しかし、次第に何事かを考えだし、自分でも「死むこと」に関連する言葉をつぶやき、それから、アダムスと「死を意味する言葉の掛け合い」を始めて、ついに患者は笑いだします。

「なるほど、自分はもうすぐ確実に死ぬ」ということを自分で始めて受け入れ、患者は、そこではじめて治療者に心を許したのでした。

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・映画『パッチ・アダムス』

この患者は、最期の時もアダムスに立ち会ってもらい、死の瞬間まで、アダムスはその男性患者にキツい冗談を言い続け、男性は「冗談を言われている中」で安らかに息を引き取ります。

これがなければ、彼は「人に怒鳴り散らしたまま」死んでいったはずです。
次の世に「怒り」を運んでいっていたわけです。




最高の終末医療とは

医学生アダムスの行うことは基本的に常軌を逸していて、それは(自身が精神病院に入っていた時の記憶も含めて)大学医学部と医療システムという「権威の場所」との「戦争」であるかのようにも見えました。

当然、医学部の学部長はアダムスのことを快く思わないのですが、学部長らが最も許せなかったのは、アダムスが「患者と同等の目線で接するから」でした。

学部長や多くの医師たちは、

「医師は患者より上の立場でいるべきで、同じ目線でいてはいけない」

という考えに立脚していたのです(これは日本も同じ部分があるかもしれません)。

その点、パッチ・アダムスは「医者と患者は同等」として、徹底的に患者の心に入り込もうとします。これが、医学部の立場からは許せなかったもののようです。この部分については、アダムスは絶対に意見を曲げませんでした。

しかし、実際のパッチ・アダムスは、映画以上に過激な人であるのかもしれないと思う面もあります。

冒頭の写真は、本物のアダムス医師で、治療中には、いつもこのような格好をしているということなんですが、ふだんの格好も「どこでそんなシャツ売ってんだ?」というような派手なのをいつも着られているようで、そんな写真ばかりです。

テレビに出演した際の本物のアダムス医師
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DR HUNTER PATCH ADMS

ところで、どうも、私は映画から、このパッチ・アダムスは「無意味な延命治療をするべきではない」と考えているのではないかと思う部分がありました。

下は映画での公聴会のシーンですが、かなりはっきりと「医者は死を遠ざけることが努めではない」と言っています。

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・映画『パッチ・アダムス』

「パッチ・アダムスの本はないのかな」と探してみると、『パッチ・アダムスと夢の病院』という本があったのです。さっそく注文はしまして、まだ内容はわからないですが、 Amazon のレビューに、以下のようなものがありました。


現実のパッチは、映画の中よりも厳しいかもしれない。ユーモアが人の心や病気を癒す、と言う一方で、「すべての人に楽しい死を」と高らかに謳うのだ。

人は生まれ落ちた瞬間から死へと突き進む。100年先か、50年先かは分からない。

だから生きていける。限りある命だから今を精一杯生きよう。楽しみを見つけよう。痛みや苦しみを抱えていても、没頭できる何かに夢中の間、忘れることはできなくても、痛みが和らぐかもしれない。そんな瞬間をつないでいけば人生は楽しい。

でも、身近な者の死期を医者に宣告されたら? 残された時間はわずか。不安になるといつもこの本を読み返していた。

明日をも知れぬ身と言われた父は、それから2カ月を生きた。会えば少しでも笑って欲しかった。安心した顔が見たかった。赤い付け鼻は無かったけれど、「それでいい。がんばれ」とパッチに励まされているような気がした。



「ああ、やっぱり」と思いました。

アダムス医師は、治療と共に「最高の終末医療」を目指しているのだと思います。自身が精神病院の中で確信した「笑いは人を治して癒やす」ということの信念を、現在に至るまで曲げずにいるということのようです。

現代の医療は、

「とにかく少しでも長く生きていればいい」

という観点からのものが多く、その「状態」がどうであるとかには、あまり気をかけない面があることは否定できません。

しかし、アダムス医師は、同じ死を迎えるにしても、

「死ぬ人すべてに短くても楽しい生を」

と考えている。

これですよ、これ。

これが現実世界の話だけではなく、シュタイナーなどの輪廻転生の概念などと合わせてみても、「楽しい気持ちで迎える最期」が次の世にどれだけ素晴らしいものをもたらすかということも思います。

極端にいえば、「楽しい死を迎えることができた人が増えれば増えるほど、来世に控える無数の地球は少しずつ良くなっていく」ともいえるのではないでしょうか。

また、亡くなる方ではなく、見送る方にしても、亡くなった方が「最期まで笑顔でいられた」というのと、そうでないのとでは、残った方に与える影響も違いそうです。

ちなみに、映画の予告編に字幕をつけてアップされていた方がいました。
貼っておきます。

『パッチ・アダムス』(1998年) 予告編



ちなみに、このパッチ・アダムスという人は、想像を絶するほど、いわゆる頭のいい人だったようです。映画にも出てきますが、医学部で「まったく勉強しないのに、常に成績はトップ」であったことが描かれます。医学部なんてのは学業的に優秀な人の集まりなわけで、その中でまったく勉強せずにトップというのは、何か「異常な頭脳」を感じます。




悪から善が生まれる

それにしても、こんな人がいたんだなあ、と改めて思います。

イエスとかお釈迦様とか、この世には、たまに本当にすごい人間が生まれ出てくるわけですけれど、多くの人たちは「何らかのキッカケ」で、人生の力強い変転を迎えるわけで、例えば、日本最初のヨガ行者、中村天風なら、そのキッカケは「重い結核」にかかったことですし、パッチ・アダムスなら、「自殺未遂を繰り返して精神病院に入ったこと」です。

天風の悪性結核、アダムス医師の精神病院入院、と、これらは、どれもネガティブなことばかりです。しかし、

そのネガティブな出来事がなければ、彼らは後世に何かを残すような考えに辿りつかなかったし、そのような人間にもなれなかった。

ということがわかります。

すなわち、それらはネガティブなことでありながら、まったくネガティブな要因ではなく、それどころか、彼らの人生に絶対必要だったことでことで、つまり、これらのことは「良い出来事よりはるかに重要なことだった」ことがわかります。

ここに、

この世の中に否定的な出来事は存在しない。

という真理を見ます。

あるいは、私自身の人生もそうです。

私も、病気を中心として、いろいろとネガティブなことを体験してきていますが、それこそが、その後の私のいろいろなことにつながっている。そういう意味では、それらはネガティブなことではあっても、必要なことでもあったと。

それに、私は何度か死にかけたことがありますけれど、気づいたのは、天風さんの

「死んでないだろ」

という言葉です。

死ぬ時は人間は死ぬのです。
しかし、私は過去の「死にかけた出来事」のどれでも死んでいない。

これは説明が難しいですが、とにかく死ぬ時は死ぬのです。
怖れるとか怖れないとかではなく、その時は来るのです。

この「死んでないだろ」を真に理解することが「悟る」ということなのだと思います。
私はもちろん理解していないですけれど。

そういう意味では、パッチ・アダムスは、精神病院の中で悟りを得たように見えます。

結局、人間は、様々な「悪い経験」で、少しずつ目を覚まさせられるという部分がありそうで、あまり悪いことが何もないまま過ぎていく人生は、その人を成長させないかもしれません。

そういう意味では、

悪こそ善

という、エクソシストのメリン神父の言葉も理解できるような気もします。

これは、

ローマ字「 TASUKETE (たすけて)」から偶然導かれた日月神示や神様と悪魔の関係
 2014年07月26日

という記事に、長編小説『エクソシスト』の中の登場人物、メリン神父の言葉を載せました。

少女リーガンに取り憑いた悪魔について、


このような悪からでさえ、善が生じてくる。なんらかの方法でだ。われわれには理解できず、見ることもできない何らかの方法でだ。……おそらく、悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな。


と語っています。

> 悪こそ、善を生み出す『るつぼ』であるからだろうな

という意味が、今は少しわかります。

それにしても、パッチ・アダムスのような人の映画が作られてよかったなあ、と心から思います。これがなければ、私はこのような人の存在を知り得なかったです。

どんな人の存在も活動も、何らかの形で記録に残らないと私たちは知ることができません。

イエス・キリストの活動が 2000年も残り続けているのは記録があるからですし、あるいは、さまざまな宗教家や思想家の考えを私たちが知ることができるのも、記録があるからです。

このアダムス医師のことも、映画があったからこそ知ることができました。

ちなみに、この映画のことを知ったのは、天風に師事していた松本光正医師の『高血圧はほっとくのが一番』の中で、「笑いの重要性」について書かれていたセクションに記されていたものでした。

ちなみに、「笑い」はかなりストレートに体に作用することが、日本の医学実験で確かめられていることが書かれています。




笑いの現実的な治癒効果は実はかなり高い

最初に、笑いが医療に応用されるキッカケとなったのは、1970年代のアメリカだったようです。松本医師の本から抜粋します。


笑いが医療に取り入れられるようになったのは、1976年、ある医学雑誌に掲載された一人の患者の手記に端を発する。強直性脊髄炎という難病におかされた、アメリカの雑誌編集者、ノーマン・カズンズ氏が、笑いを取り入れた治療で病を克服するまでの記録である。

カズンズ氏は、ユーモア小説を読んだり喜劇を観たりして大笑いすると、痛みが和らいでぐっすり眠れるようになったという。難病を克服したカズンズ氏は、その後、カリフォルニア大学医学部教授に転じ、笑いの治癒力を説いた。



さらに、実験について記載されていますので、抜粋します。


松本光正『高血圧はほっとくのが一番』より

日本でも笑いの効用を科学的に解き明かそうとする研究が始まった。

中でも有名なのは、1991年に、大阪ミナミの演芸場で行われた実験だろう。

ガン患者 19人に吉本新喜劇を3時間見て大笑いしてもらい、その前後でガン細胞を直接攻撃するナチュラルキラー細胞(NK細胞)の活性度を調べたものだ。

その結果、最初から低かった人、基準内だった人のいずれもが、活性度が上昇した。つまり、笑いはガンに対する抵抗力を高めることが判明したのだ。

その後の研究により、NK細胞はたった5分笑うことで活性化することが分かった。NK細胞は、注射で活性化させようとすると3日はかかる。

それだけ、笑いは体に大きな影響を与えるのだ。



その実験のグラフがネット上にありました。

お笑いを見る前と後のNK細胞の変化
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サワイ健康推進課

全員が上がっているわけではないですが、程度の差はあれ、笑っている間は、ナチュラルキラー細胞が活性化され続けるので、ガンの人は「とにかく笑っているのがいい」ということになりそうで、極論で言えば、「笑い続けることで、ガンが抑えられたり、ガンが治癒される可能性もあるかもしれない」ということも言えそうです。

ガンだけではなく、他に、笑うことにより、

血糖値をとても下げる(2003年の国際科学振興財団の実験)
脳の働きが活性化(笑うと脳の海馬の容量が増えるため)
血行の促進や血圧の安定(笑うことが深呼吸と同じ状態のため)
自律神経のバランスが整う(笑うと副交感神経が優位になるため)
幸福感と鎮痛作用(脳内にエンドルフィンが分泌されるため)


などの作用があることがわかっているそうです。

しかし、これだけ効果があることはわかってはいても、たとえば、実際に、ガンや糖尿病の患者さんが、病院で医師から、

「今日から笑うようにして下さい」

と言われることがほとんどないというのが現実です。

それに、上に書きました「笑いが免疫を高める医学実験」も、その後は継続的におこなわれている感じがしないというのも・・・。

理由はいろいろでしょうけれど「医療の現場で笑いは不謹慎」という部分もあるのかもしれないですね。

たとえば、末期ガンの患者と共に「ウヒャヒャヒャヒャ」と笑うのは、現代の意識での図式では不謹慎に見えるということかもしれません。

私は以前、一度入院したことがあります。

東京新宿にある国際医療センターという大きな病院で、1週間ほど入院していましたが、入院病棟という場所は本当に「笑いのない場所」でした。

私の向かいのベッドの男性は、クローン病、隣のベッドのご老人は末期の膵臓ガンで、見舞いに来た人ごとに「もうダメらしい」と話していました。部屋の隅にいたご老人は、私がいた1週間の間ずっと寝たままで、体中にいろいろな器具やチューブがつけられていました。何の病気かはわかりません。

そんな雰囲気で笑いが出ないのは当然かもしれないとも思いますけれど、しかし、今だからこそ思うと、むしろ、「あれではダメ」なのです。

笑いがあれば、自己免疫力も上がるし、何より、もう治らない患者さんでも、パッチ・アダムスの意志である「すべての人に楽しい死を」という観点からは、末期の膵臓ガンの人にいかに笑ってもらえるかを考えることが、本当は重要なのだと今は思います。

いつか笑いと治癒の関係が科学的に証明されたり、あるいは、病院に「笑い指導員」とかが常駐するような時代になればいいな、とか。

笑い指導員といえば、2011年の記事ですが、

1918年の「死のインフルエンザ」へのケロッグ博士の対処法
 2011年11月22日

で、「ケロッグ博士」(原題: The Road to Wellville)という、20世紀のはじめに、アメリカで富裕層向けの診療所(バトルクリーク診療所)を開設していたケロッグ博士という実在の人物を描いた映画の話を書いたことがありましたが、その診療所に「笑い治療」が出てきます。

このバトルクリーク診療所では、1918年に世界中で流行した、非常に致死率が高かったスペインかぜ(鳥インフルエンザのパンデミック)で死者を出さなかったのですが、この際、ケロッグ博士は「医薬品を一切使わない治療法」で、患者の死亡ゼロという奇跡的な成果をあげています。

そのケロッグ博士の診療所では、「笑う治療」というものがおこなわれていて、リズムに合わせて「集団で無理矢理笑う」という治療法なのですが、この治療法の良いところは、無理矢理笑っているうちに、「馬鹿馬鹿しくなって本当に笑い出す」という集団心理につながるところです。

これは映画でも描かれていて、わりと有名なシーンとなっています。
下の30秒ほどのシーンです。

ケロッグ博士(1996年)



ケロッグ博士は、古い時代の医療者ですが、笑いの効能を見抜いていたのかもしれません。

そういえば、最近、「薬が喜びの感情を抑える」というニュースがありました。「笑いの効能」という意味では、これも薬による別の弊害なのかもしれないなあと思います。

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▲ 2015年04月16日の CNN 鎮痛剤のアセトアミノフェン、喜びも抑える 米研究より。


米オハイオ州立大学の研究チームは16日までに、市販の多くの鎮痛剤に含まれるアセトアミノフェンに、痛みだけでなく喜びの感情を抑える効果があることがわかったと発表した。

論文によると、アセトアミノフェンに心理的な苦痛を和らげる効果があることは以前から知られていたが、今回の研究で、喜びの感情を弱めるなど、感情の幅を狭める効果があることがわかったという。






シュタイナーが解熱鎮痛剤の出現に絶望したとき

上のニュースにある「アセトアミノフェン」というものは、市販されている多くの風邪薬や解熱鎮痛剤に入っているものですが、人間の感情を抑えるという「副作用」を持っていたようです。

この解熱鎮痛剤というものについては、その出現の時に、シュタイナーは以下のように述べていました。


1908年のシュタイナーの講演「人体リズム」より

医学において私たちは、今日まだ手探りをしています。病理学と治療の堅固な度台は、太古に遡るものです。解熱鎮痛剤フェナセチンの試験がなされたとき、私は知性と感情の殉教を体験しました。

道しるべもなく実験するのは、科学が精神とともに真面目さも失ったことを示しています。



と嘆いていましたが、このフェナセチンは、日本でも 1999年まで使われていて、非常に多く処方されていた解熱鎮痛剤です。

また、解熱鎮痛剤は、痛みを弱めると共に熱を下げる薬ですが、シュタイナーは「熱を下げてはいけない」として、以下のように述べています。


生体はその損傷に反抗し、防御力を用います。この反抗が通常、熱なのです。熱は、人間のなかの治癒力の呼び声なのです。熱は病気ではありません。損傷を直すために、人間が自分の生体全体から力を呼び集めているのです。損傷に対する生体全体の反抗は、一般的に熱として表現されます。

病気において、熱は最も慈善的で、最も治療的です。損傷を受けた個々の部分は、みずから治癒できず、他の側から力を得なくてはなりません。それが熱として表現されるのです。



として、「熱はすぐれた治療者だ」としているのです。
「熱」という存在がなければ、身体は回復できないとしています。

続けて、

「熱が抑えられるとき、生命は危険な状態になります」

とまで言っています。

松本医師の言う「人体の働きに無駄なものは一切ない」という言葉を思い出します。

この「熱」もまた人体の重要な作用であることになりそうで、その重要な作用を強制的に抑えてしまう解熱鎮痛剤の登場に、シュタイナーは「知性と感情の殉教を体験しました」というほどの絶望を受けたようです。

私も数年に一度、「不明熱」に襲われることがあります。
昨年もありました。
その時は 40度を越えたと思います。

そこまで熱が上がると、病院に行くわけですが、昨年も熱の原因はわかりませんでした。しかし、原因はわからなくとも、当然のように解熱鎮痛剤を投与されて、飲んで熱を下げる、ということになるわけですが、良くなかったのかもしれません。

私の中で、「体温を 40度以上にしなければならない何かが起きていた」と考えるのが妥当なようです。とはいえ、大人で 40度を越えてくると、さすがに不安感はありますが。




医療サイドも少しずつ変化してきている

それにしても、ほんの少し前に、

基本的に「すべての薬」は人間に良くないという理由の理論的なメカニズムがわかったのです
 2015年04月02日

という記事で、薬、つまり現代医療の根幹をなすものへの疑念、あるいは、現代の医療そのものへの疑念を持ち始めてから、怒濤のように次々と自分の前にあらわれる様々な人物や書籍や情報。

それらの「質」に圧倒されます。
いかに自分が何も知らなかったかを自覚せざるを得ません。

それでも、今、西洋医学の治療への概念も少しずつではありますれけど、変わりつつあるとも思っています。

相変わらず多くのお医者さんが「薬を出して終わり」という現状はあるでしょうけれど、そうではない方々も増えていると思います。

たとえば、自律神経免疫治療という、薬から離れるための西洋医学の療法をおこなっている病院の一覧を見ますと、鍼灸治療、温熱療法といった知られたものから、

・カラー(色彩科学)セラピー
・交流磁気療法
・無血刺絡療法
・波動療法
・水素温熱免疫療法
・オゾン療法


など、聞いたことのない治療法が並びます。
おそらくは、どれも薬を使わないものだと思います。

いろいろありますが、「波動療法」って何だ? と思って、それが書かれてある東京都の病院のサイトを見ますと、下のような図が載っていました。

hadou.gif
永野病院 エネルギー医学

これを見た途端、

「何となく、シュタイナーの言う、肉体と生命体(エーテル体)の関係と似ているなあ」

と思いました。

シュタイナーが説明する「人間」とは、4つから構成されていて、この

・肉体
・生命体


の上に、

・感受体(アストラル体)があり、それと「自我」があるとされています。

今までの西洋医学はこのうちの「肉体」を治療していたわけですが、そこから少し「上の階層」への治療もおこない始めているということですかね。

そして、これらも、現代の西洋医学のお医者さんたちがやっているわけですから、医学も少しずつ変化してきているのだと思います。あとは、私たちが「どの治療法を選ぶか」ということだけのような気がします。

今日は「笑いと治癒」の話でしたけれど、あるいは、私はあまりテレビは見ませんけれど、テレビにお笑いが蔓延しているのも、一種の社会の自己治癒作用的な部分もあるのかもしれないですね。「病気を治癒するために熱が出る」ように、「今の人々を治癒するために笑いがある」というような。

何か夢中で書き続けていたら、エライ長くなっている気がします。
どうもすみません。

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