2015年04月22日



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風邪の因果で思い出した「高熱と成長」のこと



Overuse-of-antibiotics.jpg
Why antibiotics are making us all ill



風邪の記事を書いた途端に子どもが引いてしまうという因果で看病中でした

前回、風邪についての、

人間にとって最も日常的で慈悲深い治療者は風邪ウイルスかもしれない…
 2015年04月21日

という記事を書きましたら、その直後から、子どもが何ヶ月かぶりに風邪を引くという因果なことになってしまいました。

子どもはもう回復して基本的に元気ですが、思い出したことがありまして、日記程度のものですが、時間を見つけて書いています。

今回の子どもの風邪は本当に軽いもので、風邪そのものは問題ではありません。うちの子どもは風邪を引くと、それに伴い自家中毒(長時間続く猛烈な嘔吐発作)となることが多く、今回もなってしまいました。

24時間近くも、水も食べ物も一切受け付けないで苦しんでいる様子を見ているのはつらいものでしたが、この自家中毒というものに対しても、西洋医学的には何ら具体的な手立てはありません。

経過を見守るしかないのです。

ただ、最近、シュタイナーの音楽関係の本を少し読んでいましたら、「子どもと音楽」ということについて、あまりきちんと考えていなかった自分を思いました。

シュタイナーとか神秘主義などを持ち出さなくとも、自家中毒も何らかの免疫システムによる症状の病気であることは間違いないと思うのですが、何か興奮やストレス、あるいは風邪の時に発症することを見ていますと、

・交感神経(緊張時、興奮時などに優位に)
・副交感神経(リラックス時に優位)


のバランスというものが関係している可能性を感じます。

特に、興奮やストレスは交感神経を刺激しますから、そのアンバランスを、先に「超リラックス」系で予防しておけば、あるいは軽減できるのではないなあと。

ただ、一応書いておきますと、一般論として「交感神経の優位が悪い」のではないです。

ストレス=悪
リラックス=善


という図式は、免疫システムの基本である白血球の構造からは成り立ちません。

バランスが大事で、ただただ、ひたすらリラックスしていては、それはそれで免疫が崩れ、病気になりやすいです。

交感神経が優位だと、細菌、花粉など、サイズの大きな異物を処理する白血球の中の「顆粒球」というものが増えます。

副交感神経が優位だと、ウイルスなど小さな異物やガン細胞を処理する「リンパ球」というものが、白血球の中に増えます。

なので、「興奮とストレスばかり」だと、ウイルスやガンに対抗するリンパ球の割合が低くなり、ウイルスやガンに弱くなります。

その一方で、「リラックスしてばかり」だと、顆粒球の割合が少なくなり、免疫は強くても、花粉やホコリなどに反応しやすく、アレルギーや炎症が多くなりやすいです。

これは、たとえば、のどかにゆったりとだけ暮らしている人たちに病気がないかというと、そうとも言えないのではないでしょうか。

「ストレスが悪い」という方向だけ言われることがありますが、すべてはバランスで、リラックスだけの生き方だと、ストレスが多すぎる状態と同じに白血球の免疫バランスは崩れます。

何だか話が逸れましたが、「宇宙の創造…ひも理論…432Hz…528Hz…ライアー…」などに書きました楽器ライアーなどのような音色などは、交感神経への刺激に弱い子どもには特にいいかもしれないなあと思います。

実際、ライアーとは違いますが、528Hz の音叉を寝る前に子どもに、ほんの数十秒くらいですが、聞かせたりして以来、発作は劇的に減っていますので、 528Hz の効果ともども、「音」の効果に改めて感じ入っている次第です。

看病している時、ふと、子どもが赤ちゃんの頃に熱を出した時に、それを看病している自分の姿がフラッシュバックしてきました。そして、その時に起きていたことを思い出していました。

それは、前回の風邪の記事を書いた後だからこそ思い出したのですが、うちの子どもは、発語(意味のある言葉を言い始める)がとても遅く、普通の子より最大で2年は遅れていました。

そのあたりのことについては、

3歳までことばを持たなかった私の子どものこと
 2012年05月08日

という記事に書いたことがあります

言葉を口にし始めたのは3歳になってからですが、それからの2年間くらいの間に起きていたことを思い出したのです。

それはその頃に必ず起きていた、

「高い熱を出すたびに、どんどんと新たな言葉でしゃべり出す」

という経験でした。

過去記事を検索してみますと、

かれの「神しゃま」は消えたのか、それともまだ消えていないのか
 2012年09月26日

にも書いていることに気づきましたが、うちの子どもは、1年に何度か、原因のわからない激痛と、原因のわからない高熱に見舞われることがありました。

そのたびに、語彙が増え、会話の内容も上達していくのでした。

それは曖昧な感じではなく、私も奥さんも「昨日までとは違う子どもと話しているような感覚」を感じるほど発達していることがわかるほどなのでした。言葉だけの話ではなく、認識力そのものがアップしているような感じだったでしょうか。

熱を出して、熱が引いた翌日には「はっきりとわかるほど成長している」のです。

子どもが「熱のたびに言葉が増えていく」ことを目の当たりにして、奥さんと「不思議な熱だねえ」などと言っていたにも関わらず、その時は、「熱の意味」を考えたことがありませんでした。

それに、熱を出している時も、うなされて「それまで口にしたことのない」ようなことを言ったりすることもありました。4年前の「子どものかみさま」という記事に、5歳だった子どもが、40度の熱で寝ている時に、ふと上半身だけ起こし、私たちに以下のように言い、また眠ったことを書いたことがあります。


幼稚園の先生は、神さまは空の雲の上にいるっていうけどね・・・それはちがうんだよ。神さまは透明で、どこにでもいるの。あそこにもそこにもいるの。

雲の上にもいるけど、他にもどこにでもいるの。木にセミみたいに止まっていることもあるの。でも、透明だから誰にも見えない。でも、透明でもそこにいるの。全部の空も砂も木も全部すべて神さまなの。



そんなことを子どもが普段口にしたこともないし、私と奥さんはきょとんとするばかりでしたが、次の日、熱が下がった時には、子どもはそんなことを言ったことを覚えていませんでした。

あの熱と認識の作用はわからないままですが、高熱が子どもに変化を与えていたことは確かで、もし、うちの子どもが当時まったく熱を出さなかったとしたら、成長もまた違ったのかもしれません。





どうすれば的確に人に伝えられるのですかね

それにしても、最近の In Deep の記事は健康に関するものが多かったですが、その健康法…。

・薬を飲まない
・笑う
・風邪を引く


これは普通の人には安易には言えない。

たとえば、仮に、知人か誰かから「ガンになって治療中なんです」と暗い顔で言われた時に、


「降圧剤も抗うつ剤も抗がん剤も薬はすべてやめましょう。もっと笑いましょう。風邪を引いて高熱を出しましょう」


・・・・だめだ、言えない(苦笑)。

現代の常識だとされている医療知識は強固に人々の中に浸透していまして、病気の人に真面目な顔で上のようなことをいえば、「ふざけるな」と怒られてしまう可能性が強いです。

とはいえ、上の3つは、病気に対しての処方としては、間違っているわけではないことも言えると思います。

・薬を飲まない → 免疫細胞の働きを正常に戻す
・笑う → ナチュラルキラー細胞が活性化する(過去記事
・風邪を引く → 先日の記事をご参照ください


結局、今の医療と、何より、私たちの病気に対しての考え方の問題として、

不快な症状は悪いものなので無理矢理止める

という観念のまま進んできたことにあるような気がします。

熱が出れば薬で下げる、痛みがあれば薬で下げる、血圧が高ければ薬で下げる。

野口晴哉さんの以下の言葉は、「そういう考えは間違いだ」ということを気づかせてくれます。


野口晴哉『風邪の効用』より

病気が治るのも自然良能であり、病気になるのも自然良能です。

新陳代謝して生きている人間に建設と破壊が行われるのは当然ですから、建設作業だけを自然良能視しようとするというのは、破壊を恐れ、毀(こぼ)れた体のまま無事を保とうと考える臆病な人間です。

生命を保つためには自然のはたらきを活かすことの方が、人智をつくすより以上のことであるということを考えてみるべきでしょう。



これを私も忘れていた。

新陳代謝。毎日、おびただしい細胞が生まれますが、同時に、おびただしい細胞が死んでいる。

体というのは「破壊と再生の繰り返しの場」で、死ぬまで、それが延々と繰り返されます。なので、あらゆる体の現象には「再生」と同時に「破壊」も起こるということを忘れていたのですね。

ちなみに、私は、

基本的に「すべての薬」は人間に良くないという理由の理論的なメカニズムがわかったのです
 2015年04月02日

という記事を書いた日から薬を飲んでいません。

それまで、かなり神経的に厳しい状態の時に、ベンゾジアゼピン系の弱い抗不安薬を飲むこともあったのですが、それはやめました。

何となく大量保有していた、めまいの薬も捨てました。

もちろん、私は救急処置的な意味での薬の服用は、自分に対しても否定していませんが、特別何もないのなら、今のままで薬を一切飲まない生活をしていければとは思います。

薬にはいろいろとやられた人生でしたけれど、それらのことがあったから、「薬に頼りすぎるのは、あまり良くない」と自然と体感できた部分はありますし、何より、私は薬に命も助けられています(小児ぜんそく)ので、薬の存在を否定するどころか、今でもとても感謝しています。

薬の存在が悪いのではなく、それを投与するのも、服用するのも「人間」ですから、そこが少し変化すればいいなとは思います。

そんなわけで、子どもの看病の後に、やや日記的に書かせていただきました。